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蓮田 市五郎(はすだ いちごろう)

【錦絵 近世義勇伝】

※この画像は国立国会図書館の許諾を得て、
同館ウェブサイトより転載しています。

天保4年(1833)3月5日~文久元年(1861)
7月26日/死刑/29歳/水戸藩寺社方手代  

名は正美。幼名仙之介。一五郎とも称す。父は蓮田宗通、母は沼田氏。姉が2人あった。10歳の時に父が亡くなり、母、次姉と3人暮らしで、幼い頃から篤学であったと伝わる。
貧しい下士の家に生まれ、灯りにも筆や紙にもこと欠く生活の中で、「食事を減らし、その分の費用をと燈火の代金にあてて下さいと」母に頼むほど好学心が強かった。
15歳頃からは道場にも通い始め、何事にも熱心な市五郎はきわめて上達が早かった。  

安政2年(1855)6月、水戸藩軍用方小吏として出仕する。
同年10月、寺社方に転ず。職務上斎藤監物を知り、その思想に共鳴していった。
やがて監物と行動を共にし始めた市五郎は、28歳の時大老襲撃隊の一員となり、母や姉にはそれとなく別れを告げ、江戸に出た。  



決行当日は斉藤の組に入り、左翼(杵築藩邸側)から大老一行を襲撃。
市五郎はこの戦いで負傷したが現場を脱し脇坂家(龍野藩)へ自訴、その夜、細川家(熊本藩)へ預け替えられ、幕府の取り調べが行われた。市五郎は絵を描く才能があり細川邸預中に事変の詳細を「桜田事変図」として描いた。文久元年7月26日、江戸伝馬町の獄舎で同志6人とともに処刑。墓所は水戸市松本町の常磐共有墓地。贈正五位。


【参考文献】

桜田門外ノ変、維新前史桜田義挙録、桜田烈士銘々伝、桜田烈士伝、水戸市史 中巻(四)、
歴史読本1993年5月号



【墓所】

水戸市松本町 常磐共有墓地

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