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大関 和七郎(おおぜき わしちろう)

【錦絵 近世義勇伝】

※この画像は国立国会図書館の許諾を得て、
同館ウェブサイトより転載しています。

天保7年(1836)生まれ。水戸藩士(大番組)。

名は増美、初め忠次郎。変名酒泉好吉。父は大関からの養子で黒沢林蔵勝正、母は父の義兄黒沢勝強の娘。

弘化3年8月、大関恒衛門増賀の養子となり、同9年、家督を継ぎ小晋請組となる。桜田事件での同志黒沢忠三郎は実兄。廣岡子之次郎は甥。眉目秀麗で人との応対も柔らかく、上品であったので、礼服で出で立った時にはいかなる一門家老の子弟かと思われた。大関家の娘・染子と縁組をなし、二女を生んだ。

安政2年、馬廻役、同5年正月、大番組に転じる。
この年「戊午の密勅」降下があり、和七郎はこの勅諚の全国回達を願って同志とともに行動した。同6年になり幕府の返納命令に水戸藩庁が従う方針を示すと、絶対反対を称える尊攘激派の一員として水戸街道長岡宿に屯集し、その返納を阻止しようとした。
この頃すでに具体的になってきた大老井伊直弼襲撃計画へ参加を決した。



安政7年2月、江戸へ出立しようとした前日に同士・山口辰之介が「家にはこれと言った刀がない」とこぼしたので、和七郎は数本の刀を取り出し「どれでも好きなのを選べ」と言って一振りの刀を贈った。
水戸から脱走し江戸へ潜入し、商人の姿で情報を収集につとめた。

襲撃直前、和七郎は懐から紙包を取りだし、包んであった人参をポリポリと食べ、皆にも分けた。甥の子之次郎と何やらひそひそと話してはくすくすと笑い、同士の固くなった気持ちを和らげた。
桜田門外で大老襲撃隊として参戦、背中や喉を負傷したが気力は失わなかった。現場を脱して森、森山、杉山とともに細川家(熊本藩)へ自訴した。幕府の取り調べに、自ら井伊の首を討ったことを述べている。3月9日、前田家(富山藩)へ移され兄・黒沢忠三郎と再会、同4月21日、再び京極家(豊岡藩)へ預け替えられた。逃亡者の捕縛が落ち着く翌文久元年7月26日、死罪に処せられる。享年26歳。贈正五位。


【参考文献】

桜田門外ノ変、維新前史桜田義挙録、桜田烈士伝、桜田烈士銘々伝、歴史読本1993年5月号



【墓所】

水戸市松本町 常磐共有墓地

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