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広岡 子之次郎(ひろおか ねのじろう)

【錦絵 近世義勇伝】

※この画像は国立国会図書館の許諾を得て、
同館ウェブサイトより転載しています。

天保11年(1480)~安政7年(1860)
3月3日/負傷のため没/20歳/水戸藩士(小普請組)

名は政則のち則順。父は林吉次郎以文、母は黒沢林蔵勝正の娘。襲撃実行隊の中では最年少。
実兄は天狗党の領袖として活躍する林忠左衛門。桜田烈士の黒沢忠三郎、大関和七郎は叔父にあたる。

嘉永3年(1850)12月15日、広岡則孝の養子となると、9歳で家督を継ぎ小普請組として出仕。原市之進の門下に入り、藤田小四郎、金子勇二郎らと学ぶ。剣は渡辺清左衛門、大胡聿蔵などに師事した。時には血気にはやり、気に入らぬことがあると、顔色を変えて刀の柄に手をかける傾向があったので、兄忠左衛門は心配して注意を与えると、元来性質の良かった青年だけにその非を悟り、ひたすら学問と剣道に励んだ。

安政5年の戊午の密勅降下後は、その全国への回達を主張。
翌年、水戸街道長岡宿の屯集に参加。長岡解散後、井伊大老を討つ計画が具体化し、子之次郎もこれに加わることを決意。


しかし兄や叔父たちは若い子之次郎が生還を期し難い挙に参加することに賛成しがたく、思いとどまるよう説得するも、「一国の大事を処するには年齢は問題ではない」などと言ってきかなかった。決行当日は右翼(お濠側)から襲撃に参加。激しく切り合いかなりの重傷を負いながら現場を脱したが、日比谷門から八代州河岸を抜け、辰ノ口を通り酒井家(姫路藩)前で力尽き自刃して果てた。
その姿は、「いさぎよき死ぶり、何れも感服致し候」だったという。
墓所は東京の回向院と水戸市松本町の常磐共有墓地。贈正五位。


【参考文献】

桜田門外ノ変、維新前史桜田義挙録、桜田烈士銘々伝、桜田烈士伝、水戸市史 中巻(四)、
歴史読本1993年5月号



【墓所】

水戸市松本町 常磐共有墓地

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