「中国世界遺産ものがたり」〜悠久の旅人たち〜 2014.05.08

「子楚秦の諸庶の孫なり諸侯に質たり
居處困し意を得ず
呂不韋邯鄲に賈いし見てこれを憐れみて曰くこの奇貨居くべしと」
冒頭の文章は司馬遷の『史記』でのちの秦の最高権力者・呂不韋が隣国・趙の都邯鄲で人質となっていた始皇帝の父子楚を見つけた場面である
大商人の呂不韋はやがて子楚を秦王として擁立
王が没しその子・贏政が王位につくと後見人として権力を振るった
これは始皇陵から発掘された青銅製の矛である
文字が刻まれている
「始皇五年相邦・呂不韋造る」と読める
当時の秦には製造者の名前を記す習わしがあり武器の製造を担っていた呂不韋の名前があるのはそのためだ
この呂不韋は秦王・贏政の母と密通していた
贏政の成人後それがもとで呂不韋は失脚しみずから命を絶つ
後の始皇帝贏政の独裁はこのときから始まる
2014/05/08(木) 22:54〜23:00
テレビ大阪1
「中国世界遺産ものがたり」〜悠久の旅人たち〜[字]

#293 秦の始皇陵