著作家 早川いくを
 
ここ数年「へんないきもの」と称される、奇妙な生物たちへの人気が高まってきています。
パンダやコアラが人気の一方で、これまであまり人に知られる事のなかった奇妙な生物たちにスポットライトが当たるようになりました。奇妙な生物に関する本は多数出版され、テレビなどでもたびたびこういった生物への特番が組まれています。

つい最近も、インターネットを中心に非常に人気が出た生物がいます。
 
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ダイオウグソクムシという、等脚類と呼ばれる生物の仲間で、平たくいえば体長50センチにも及ぶ巨大なフナムシのようなものです。深海の底に棲み、屍肉を漁って暮らす、いわば海の清掃係です。近年このダイオウグソクムシがすごい、カッコイイということで注目されています。
 
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さらに水族館で飼育されているダイオウグソクムシが全く餌を食べず、絶食したままなのにも関わらず何年も生き続けているというニュースが流れると、ダイオウグソクムシの人気はさらに過熱といっていいほどの上昇ぶりをみせ、ヌイグルミやストラップなどのグッズも作られ、一種のアイドルというか、カリスマのような存在にまで持ち上げられるに至りました。

また今注目株なのがハダカデバネズミという生物です。
 
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モグラのように地下に棲む哺乳類なのですが、穴堀り作業に特化して進化した結果、目も捨て、毛皮も捨て、歯と顎だけをただひたすら発達させてきた掘削バカ一代ともいえる生物です。
 
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哺乳類のくせにハチやアリのような社会性をもっているのが大きな特徴です。

こういった生物を筆頭に、今、さまざまな珍しい生物たちに注目が集まっています。
以前は、こういった生物というのは一般には不人気、それどころか嫌悪の対象とすらなっていました。
 
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たとえば今やはり注目株である深海魚、これも一昔前だと「不気味」とか「グロテスク」といった一言で片付けられていたように思います。
深海魚というだけで何か奇形的な、病的なイメージがあったと思います。
80年代にはネアカとかネクラといった言葉が流行りました。性格が明るいか暗いかだけで人間の価値を判定しようという、いささか幼稚な風潮でありましたが、もし当時こういった奇妙な生物に興味がある、と言ったら、問答無用にあの人ネクラ、という言われようをしたんじゃないかと思います。昨年生きたダイオウイカが撮影されて話題をさらいましたが、もしこれが当時の事だったら、新聞の囲み記事程度のニュースになってしまった気のではないかと思います。

しかし今はこういった生物が逆に注目と人気を集めています。なぜでしょうか。
10年ほど前に「へんないきもの」という本が出版されました。地球上の様々な奇妙な生物を、ごった煮的に紹介した本です。それまでにも、珍獣図鑑といった切り口の本はありましたが、そういった専門家の方のデータ解説書という概念をかなり逸脱した、生物の生態を冗談で紹介するという無軌道なものはそれまでありませんでした。
生物の本としてはかなり無謀な企画でして、まあその無謀な本の作者がわたしであります。申し訳ありません。
この本はベストセラーになったんですが、まずとても女性読者が多かったんですね。そしてその女性たちの反応に「この本で癒された」というものが多くありました。こんなにも不思議な生物たちが多くいる、なんて地球は、自然は広大なんだろう、それに比べて私の悩みなどは何てちっぽけなんだろう、というような自然の奥深さに癒される、といった感想が多く寄せられたわけです。そういった反応などから、それまでは一部マニアや専門家の領域であった奇妙な生物の世界、その関心の扉をこの本が開いた、というような事は言えるのではないかと思います。
この本はあまり上等な書物ではありませんでしたが、多くの人の珍妙なものが見たい知りたいという潜在的な欲求やニーズといったものを浮かび上がらせる触媒として機能した、という面はあるのではないかと思います。
さらにその背景には、価値観の多様化という事があるかと思います。例えば今は「キモカワイイ」「ぶすカワイイ」などという相反する言葉を合体させたような言葉が生まれています。これらの言葉は近年の価値観の多様化を象徴するようなものではないかと思います。
また、昔は蔑称的なニュアンスが含まれていたオタクという言葉、今はマニアという言葉とほぼ同義語になって市民権を得たということもあり、深海魚が好き、昆虫が好き、という事をはばかる事なく言えるようになった、そういう風潮も関係しているかと思います。

しかし、へんないきもの、奇妙な生き物が人気になる前から、実は我々は奇妙な生き物に毎日のように接していたともいえます。これは本当の生き物でなく、商品や組織のイメージアップのために作られた架空のいきもの、つまりキャラクターであります。我が国はキャラクター天国というぐらいに、さまざまなキャラクターがあふれており、それが非常に奇妙な姿形をしている事も少なくありません。
そういったキャラクターは生き物をモチーフに作られる事が多いのですが、生き物そのものとはもはやかけ離れてしまっています。これは漫画やキャラクターの黎明期からすでにあることです。ギャグ漫画の始祖赤塚不二夫先生のキャラクターにウナギイヌというのがあります。赤塚先生は天才なので何描いてもかわいいですが、ではそのうなぎいぬが実際に存在したらどういう生物になるかというとこうなります。
 
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「ウナギイヌ・想像図」
 

 

 

大変気色悪い生き物になってしまうんですね。
昨今のへんないきものの人気というのは、これとは逆に現実の生物が、一種のキャラクターとして認知されたのではないか、と言えるのではないかと思います。
へんないきものに癒される、という感想があったように、異様な、変わっている、ほかと全く違う奇妙な生物が実際に存在して、体を張って生きているという事実にある種の共感を覚える人も多くいるようです。単に面白いというだけでなく、ある種のシンパシーを感じているにも思えます。
学校や職場、さまざまな組織の中での同調圧力、つまり他の人と同じように振る舞わなければならない、異質であってはならないというような暗黙のプレッシャーを多くの人が感じている、今、そんな事がよく言われます。しかし生き物たちはまったく異様な風体をしていながら他者を気にかけることなく堂々と生きている、そういう事実に今の自分は自分のままでいいんだという、いわば自己肯定の根拠を生物に投影するような、そういった心理が根底に働いているのではないかと思います。昨今、へんないきもの、奇妙な生物にとみに関心が高いのも、こういった事が無意識のレベルで作用しているのではないでしょうか。
しかし人間が生き物に対して何を思おうと、人間の思惑など全く関係なく、様々な生き物たちは、今も地球上でしのぎを削って生きているわけです。人間が生き物に、自然に何を思い何を感じようと、それは一方的なものなのであります。つまり我々は奇妙な生き物に注目しながらも、生き物たちを通じて、実は自分自身を見つめているのではないかと思います。