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ロンドン電波事情

ロンドン電波事情

欧州の組織はなぜ従業員を丁重に扱うのか

2013.12.21

African woman slave trade
By Attributed to Isaac Cruikshank, 1756-1811 [Public domain] via Wikimedia Commons

そろそろ年末年始の休暇の時期ですが、欧州においては労働時間が長い、と言われているイギリスでもこの時期は2−3週間の休暇を取るのが当たり前です。取引先も何処も休みですから、さっと休んでしまう人が多いのです。欧州大陸の方でも大体同じです。上役も経営者も「働け働け」と休暇取得を妨害したり、仕事を無理強いすることはマレであります。

欧州の組織は北米や日本に比べますと、産休や病欠なども従業員に恵まれた仕組みになっております。もちろん国による規制があるから、罰則が厳しいから、というのもありますが、抜け穴がないわけではありません。しかし、法令には従う組織の方が多く、また、法令以上の好条件を準備する組織もあります。

そういうことを書きますと「そうか、欧州は博愛主義で人間主義だから従業員を丁重に扱うに違いない」という意識の高い脳内お花畑様が湧いてきます。

確かにそういう一面もあるかもしれません。

しかしワタクシは、これは経営者としての冷静な計算に沿ったものなのではないか、と日々感じております。

そのように考える理由は、欧州の経験してきた歴史です。

欧州の歴史に関する物を読んでおりますと、どうしても避けて通れないのが、奴隷史であります。欧州大都市の貴族の館や城は奴隷貿易や植民地経営の上がりで建てられた物もありますので、嫌でも目に飛び込んでまいります。嫌よ嫌よといってもあの悪趣味な石の固まりは、目の前にあるのです。あんなもの古くさいから爆破してしまえというワタクシの望みはなかなか伝わりません。さらに、この地に住んでいるの人々の中には、先祖が奴隷であった、という人もいます。毎日立ち寄るタバコ屋の人がそういう事を言いますので、もう避けようがありません。

奴隷というのは紀元前2000年ぐらい前からいたと言われています。ローマでは市民一人に対し20人の奴隷がいたと言われています。欧州では奴隷が中世には農奴に置き換わりますが、労働力不足のためスラブ諸国や北アフリカに安価な労働力を求めて遠征します。15世紀に入ると、アフリカ西部を探検していたポルトガル人がアフリカの黒人を奴隷として売る事を思いつきます。

以後欲に目のくらんだスペイン、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、北欧諸国などが奴隷貿易に関わり、400年に渡って1200−1500万人のアフリカの人々が奴隷として船で運ばれました。そして皆さんご存知の通り、奴隷売買やプランテーションがもたらす富は、欧州における産業革命を可能にしました。

ベルバラに登場するお城、騎士が大好きな腐女子の皆さんが萌えるあの町並みは、船から海にポイと捨てられた奴隷の死や、プランテーションで背中がボロボロになるまでむち打たれて死んで行った奴隷の皆様の労働の結果であるわけです。しかし意識の高い脳内お花畑様が好きなのは、天草四郎様のフリルだらけの服とか、アントワネット様の靴がどうだとか、そういうことですから、そんな後ろ向きな事は知りたくもないのでございます。

フランス人研究者であるJean Meyerの奴隷と奴隷商人という本によれば、奴隷商人というのは極悪人やヤクザではなくその辺の人々でありました。貴族から庶民まで様々な階層がおり、18世紀に欧州で啓蒙思想が盛んになるまでは、自分達は単なる商業活動に関わっているだけで、むしろ、アフリカの人々を他の土地に移動する事で、彼らを救うと信じていたそうであります。そう思いながら、船から弱った奴隷を海に投げ捨て、プランテーションでは奴隷の手足を切り落としていたわけですから、単なる二枚舌にすぎないわけですが、この人達の思考というのはこうだったわけです。

奴隷の人々には希望がありませんでした。子供が自分と同じ運命になるなら子供なぞいらない、ということで、奴隷の間では出生率が高くありませんでした。まるで現在のどこかの国のお話の様です。奴隷の数が増えない上、奴隷は病気や自殺で死んでしまうため、プランテーションでは7−10年毎に大人の奴隷を買ってきて入れ替えるのが当たり前になっていました。子供は生まれない上、生ませて育てるのも面倒なので、最初から働ける大人をどこかから買ってきたわけです。まるでどこかの意識高い外資系企業の様なお話です。

1808年にアメリカで奴隷売買禁止になりますと、奴隷の価格は高騰します。そこで、困った奴隷主達は、持っている奴隷に出産させることを考えつきます。しかし子供を産ませて育てるには、酷い扱いをしているだけではなかなか難しい。そこでこの頃になると、様々な土地で奴隷の扱いが緩くなって行きます。

さらに、奴隷の反乱も勃発していたので、安くはない資産である奴隷を丁重にあつかって働かせた方が得ではないか、という損得勘定が働いたわけです。その反乱とは、日本国内の農民一揆などとは比較にならない規模で、国を作ってしまおうというレベルの反乱でありました。奴隷主達は当然のごとく襲われ、八つ裂きにされたのです。そして奴隷を殺してしまう物はバカモノでありました。奴隷は値段の高い資産であり、増やすのにも訓練するのにも銭がかかったからです。奴隷が病気になるまで働かせるのも決して賢いやり方ではありませんでした。病気になれば生産性が下がるのです。

さて、現代の欧州組織の話に戻りましょう。現代では名目上奴隷というのはおりません。奴隷売買も奴隷制度も禁止されております。しかし、多くの働く人々は、住宅ローンや生活費というもので、足かせをはめられています。

欧州の支配者の頭の中には「丁重にあつかって働かせた方が得ではないか」が遺伝子として染み込んでいるのです。それは欧州が経験してきた歴史の結果です。現代の奴隷は賃金の対価として働きます。産業は複雑になっているため、同じ奴隷を安価に調達する事は難しくなっています。そして反撃の方法も昔に比べたら巧妙です。元々軍事技術であったインターネットという発明は、紙のチラシの配布に比べたら数万倍の破壊力を持っています。奴隷頭は奴隷をいかさず殺さず、なるべく反撃しないように、うまくマネージし、生産性を最高に保たなければならないのです。

ここでは二枚舌である事は、より良い社会生活を送って行く上で最も重要な事の一つです。本音は冷酷な計算であっても、自由・平等・博愛という言葉を駆使できる者が富を築くことができるのです。

奴隷を酷使してしまい、時には殺してしまう日本の経営者の皆様は、賢い奴隷頭とはいえないのかもしれません。


谷本 真由美(たにもと・まゆみ)
NTTデータ経営研究所にてコンサルティング業務に従事後、イタリアに渡る。ローマの国連食糧農業機関(FAO)にて情報通信官として勤務後、英国にて情報通信コンサルティングに従事。現在ロンドン在住。

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