ペンを執れ、恋文を書け

いますぐペンを執れ

 メール、ブログ、LINE、twitterFacebook
 誰も彼も次から次へと更新しやがって、TLの時速は一体どこまで達するつもりなのだ。一体全体こんな速さでみんなでどこまでいくつもりなのだ。月か。月を目指しているのか。


 それで寂しさを晴らしたつもりか。
 孤独を癒したおつもりか。


 そんなことよりも、いますぐペンを執り、文を書くのだ。しかも、恋文を書くのだ。
 今好きな相手、それは誰でもよい、親でも子でも恋人でも配偶者でも不倫相手でも片思いの先生でも友達でもペットでも自分にでもいい。とにかく、恋文を書くのだ。


 それで寂しさが晴れると思うか。
 孤独が癒されるとでもお思いか。


 晴れるわけがない。癒されるわけがないではないか。
 それでもなぜ恋文を書くのか、わけは追って説明する。これは、恋文を書いたことがある者にしか分からない話だ。

恋文の作法

恋文は必ず紙の便せんに書くべし

 メールやLINEで済ませてはならない。
 まず顔を洗い、身なりを整えて町へ出よ。そして吟味して便せんを選ぶのだ。一言一句の魂を漏らさず伝えられるような、そんな便せんを選ぶのだ。
 また、封をする際のシールも重要だ。ハートマークでもジバニャンでもプリキュアでもフクロウでもなんでもいい。これぞというシールを選ぶのだ。セロテープだけは控えられたし。

ジェルインキのペンで書くべし

 字に自信が無い人ほどジェルインキのペンを選ぶのがよい。ゲルインキは自らの作った線の形がそのまま残り、字が汚い場合にはみすぼらしくなりがちだ。その点ジェルインキは少しにじむので、字を作る線が多少よれていても目立たなくなる。またジェルインキの方が同じ理由で丸みを帯びた字になるので、柔らかい印象を与えることもできる。
 片思いの相手に恋文を書くのであれば、間違っても筆ペンを選ばないでいただきたい。それは振られる。多分、絶対。

恋文は必ずしも手渡しでなくてもよし

 相手にきちんと届けば、その方法は如何様でも問題は無い。
 しかし、手紙を渡した直後は接触を避けるのがよい。とくにその場で開けられてしまうなんて言語同断だ。手紙というのは、ひとりひとりが別々の場所で互いを認識しあうために存在するツールなのだ。一緒に見てどうする。見てる姿を見てどうする。見てる姿を見てる自分を想像してる自分を認識して自ら悶絶の道を選び手紙を書けなくなったらどうするのだ。なんだそのメタ展開は。そこまで考えて手紙書くくらいだったら、寂しさや孤独くらい自力で超越しなさいよ。


なぜ紙で恋文を書くのか

 理由は3つある。

己と向き合う

 手紙を書くときにまず何をするか思い描いてほしい。机の上が汚い者は、まずスペースを作るだろう。そして紙に染みがつかないように布巾やウェットティッシュで拭くだろう。
 さて、いざ手紙を書く段だ。手紙を書くのだから、大抵は座った姿勢になる。居住まいを正す。字を綺麗に書こうとすれば、それなりにきちんとした姿勢をとる必要がある。
 手紙を書いているうちに、自分の気持ちが整理されてくるだろう。相手に何を伝えたいのか、どのように伝えたいのか、なぜそれを伝えたいのか、どうしてそのような気持ちを抱いたのか。相手に何をしてほしいのか、どのように思ってほしいのか、なぜそうしてほしいのか、どうしてそのように思ってもらう必要があるのか。
 そう、誰かに真剣に恋文を書くというのは、自分と向き合うということなのだ。

 とにかくまずは自分と向き合えというのだ。PCの画面に写ってる自分の顔じゃなくて、手紙の中に現れてくる自分の本物の顔と。

相手と向き合う

 恋文を書くのだから、自分の大切な相手に書くことが通常だ。まさか今すれ違ったおじさんに恋人を書く者もそうそうあるまい。
 その大切な相手のことを、ほんの10分でも20分でも真剣に考えたことが最近あるだろうか。ないだろう。わたしもないのだ。気が合う者同士さあペンを執ろうではないか。

 この手紙を受け取ったとき、相手はどう思うだろうか。どんなことを書いたら相手は喜んでくれるだろうか。どういう風に書けば相手にこの気持ちは伝わるだろうか。
 心に響いて一生消えないような言葉は、一体なんだろうか。

 そんなもの相手に聞けば分かるような気もするけれど聞けない。そう、聞けないのだよ、人は本当に聞きたいことは。言えないのだよ、人は本当に言いたいことは。分からないのだよ、本当のことは、なにも。
 だから想像するのだ。想像して、決めるのだよ、自分の態度を、覚悟を、気持ちそのものを、一生懸命相手と向き合った上で。

 とにかくまず想像しろというのだ。空リプで腹のさぐりあいをしてどうする。目を閉じて相手の顔を思い浮かべてみればいい。いや、にやけんな。

相手も返事を手紙でくれることが多い

 恋文を書いたことがある人にしか分からないのだが、手紙で告白をすると、振られる場合であっても手紙で返してくれることが多い。手紙で告白してふられた回数3回のわたしが言うのだから間違いは無い。
 これは、告白をするような恋文ではなく、親兄弟、友人や恋人に贈る手紙であっても同じだ。メールがきたらメールで返信するのと同じように、手紙をもらったら、人はついつい手紙を返してしまうのだ。別に嬉しくなくても。

 そしてそれは、相手も手紙を書いたときの自分と同じように、便せんを選び、シールを選び、己と向き合い、相手(手紙を書いた自分)と向き合って、作り出してくれた手紙なのだ。
 LINEでそれができるか。鼻くそほじりながらTL流しっぱなしにしているtwitterでそれができるだろうか。わたしはSNS肯定派だが、こればっかりは譲れぬ。譲らぬ。
 

向き合うことは大切にすることだ

 少しの時間、ほんの10分20分でよいのだ。自分や相手と向き合うことは、自分や相手を大切にすることなのだ。
 たとえ告白の結果がNOであっても、その10分や20分、相手は自分のことだけを考えて、一生懸命答えを出してくれたのだ。

 寂しさは晴れないかもしれない、孤独は癒されないかもしれない、でもわたしたちは、大切にしあうことはできるのだ。返事が無くても、たとえ自分ひとりでだって。人間、なんてことなの!


いずれにしてもお前が言うなよって感じだよね

 1日に何回もブログ更新する日とかあってすみません。
 1日に200ツイートとかしてて本当にすみません。(お前の謝罪の記事だったのかよ)



 手紙じゃなくて日記書いてみるのもいいと思うよ。自分との交換日記(・w・)


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