スズコ、考える。

ぼちぼち働く四児のハハです。twitterやりながら、140字ではかきたらないことを書こうかなと。

命の重さは同じ? ~アオムシコマユバチとモンシロチョウの幼虫の話

小2の次男が理科でモンシロチョウの勉強をしていて、学校で青虫を飼いたいからもって行きたいと言うので、近所でキャベツを作っているおばあちゃんから大量の青虫をもらって、学校へ持っていきました。

GWの間は学校でお世話できないからと、もって帰った青虫。

お休みの間、毎朝子ども達と一緒にケースを掃除して新しいキャベツを入れてせっせとお世話していました。

 

さなぎになる直前、青虫たちはケースの上へあがって、蓋の裏に張り付いてさなぎになります。たいていがそうするから、そういう習性があるんだろうな。

毎日1~2匹ずつさなぎになろうとする青虫、ある朝、その中の1匹の様子がおかしいのに気づきました。しばらく眺めていたら、その青虫のからだからたくさんの小さな青虫が出てきました。

なんだこれ!と驚いてとりあえず別の虫ケースにそれを移して色々と調べたところ、その小さな虫がモンシロチョウの幼虫に寄生するアオムシコマユバチという蜂の幼虫であることが分かり、それをこどもたちに話しました。

 

 青虫を大事に育てていた次男は「寄生された幼虫はもう助けられないの?」と悲しそう。もう無理だよと伝えると、悔しい、出てきた虫をやっつけたい、なんでそんな酷いことをするんだ!と憤慨する次男坊。

そうだね、でもその蜂は、そうやってずっと長いこと暮らしてきたし、そうしないと生き残れなかったんじゃないかな、と話をしました。しばらく話していると彼も落ち着いて、蜂がどうなるか観察したい、と気持ちが変わったようでした。

 

青虫を大事にしていた次男にとっては、青虫は守るべき存在で蜂はその敵だったんだなぁ、と、そんなことを思いながら、いろいろと調べていたらアオムシコマユバチは自然の状態では50%くらいの割合でモンシロチョウの幼虫に寄生しているらしく、モンシロチョウが増えすぎるのを抑える有力な要因になっているとか。

参考:モンシロチョウ - Wikipedia

 

モンシロチョウはひらひらと可愛いんだけど、畑を耕すものにとっては頭の痛い相手でもあります。

私も葉物野菜を育てたことがあるけど、モンシロチョウの幼虫はすごい勢いでキャベツに穴を開けちゃうから。

次男に幼虫をくれたおばあちゃんも、どんどん増えて困ると次々幼虫を持ってきてくれたのはそういう背景があったわけです。

そして、そうやって青虫の被害に悲鳴を上げている立場の方たちにとっては、寄生して青虫や成虫のモンシロチョウを減らしてくれるアオムシコマユバチは駆除を手助けをしてくれる存在でもあるんだなと思ったりしました。

畑をしている人、そして、その恩恵を受けて穴の開いてないキャベツや白菜を美味しく頂いている自分たちは知らぬ間に誰かが青虫を駆除してくれてる恩恵や、寄生して数を減らしてくれるアオムシコマユバチの恩恵を受けてたんだなぁと、目の前の青虫と、みるみるうちに繭になっていく蜂の幼虫を眺めながら思いました。

そして、野菜を食べているんだから何も犠牲にしてない、ってわけじゃないんだなと。

 

畑の野菜を食べるということは、農業やってる方が害虫を駆除していたり、益虫が害虫を殺していたり、何かの形でやっぱり命には繋がっているんだなぁと、改めて「いただきます」の意味を考え直すきっかけになったりしました。

 

よく、命の重さはみんな同じ、って言う。

でも小さい頃からずっと、その言葉そのものに何か違和感があった。

子どもが生まれて、それは更に加速したような気がする。建前としては分かるけど、でも私にとって我が子の命はほかの何より、時に自分の命よりも大事で。

 

青虫を大事にしていた次男にとっては人間にとっての益虫であるアオムシコマユバチよりも青虫の命のほうが大事で、畑を耕す人にとってはキャベツを食べてしまう青虫よりも蜂のほうが大事かもしれない。

そのときの知識や自分の立場によって、同じ重さのはずの命が、違って感じられるんだなぁ、と、そしてそれは、自分が軽いと感じていた命が誰かにとっては重い重いものなのかもしれないということでもあるんだよなぁと、そんなことをぼんやり考えたりしました。

 

おまけ。

アオムシコマユバチの寄生、虫嫌いな方にはかなりショックな図だと思うので、検索したり画像開いたりしないことをお勧めします……。特に動画はかなりグロテスクです……。