昨年の建国記念日では邪馬台国について触れてみたが、その記事の中で次回の建国記念日には邪馬台国九州説について述べたいと言ったが、それは変更します。理由としては考古学まで調べる時間が満足に無いと言う事があるが現在の進捗状況では邪馬台国九州説を述べるほどのものが書くほど材料を完全に集めきっていない点があるのは平にご容赦頂きたい。
その代わりに、日本人・文明のルーツを今年は述べたいと思う。日本のルーツを紐解くカギとしては、現在に於いては科学的考古学、DNA解析が必要不可欠であると思う。
先ず、縄文・弥生時代に日本に伝来したとされる稲作だが、従来は朝鮮半島経由で入って来たとされるのが一般的であったが、近年の考古学では完全に否定されている。つまり、多くの日本人が学校教育で習って来た縄文・弥生時代と最新の考古学研究では大きな乖離があると言う点を先ず指摘しなければならない。
支那長江文明が日本文明のルーツ
先ず日本人の大半を構成する大和民族についてだが、 DNA調査の結果からすると
◆北方系縄文人:樺太から北海道へ
◆南方系縄文人:沖縄から九州へ
◆弥生人:江南(長江南岸地域)から九州へ
大凡、以上の三つのルートから入って来たと考えて差し支えない。結果的に狩猟を基本とする縄文文化は緩やかに稲作を持つ弥生文化に吸収されたことを考えれば、弥生人を文化的にも人種的にも大和民族・日本文明の祖として差し支えないと言える。(狩猟民と農耕民では人口増加率が圧倒的に農耕民の方が高い面を指摘しておく)
弥生人のルーツは、長江文明とされるが長江(揚子江)と聞くと支那を思い浮かべるが中国人の大多数を占める漢民族は黄河文明にルーツを持つ民族なので異る。と、言うよりも、司馬遷の「史記」に拠れば漢民族の最古の王朝・夏の堯・瞬・禹という三代の王が、中原(黄河流域)から江漢平野(長江と漢水が合流する巨大な湿地帯)に進出し、そこで三苗と戦いこれを攻略したとされる。
三苗は分裂したものの漢族には同化せず南東へ移住するが、漢族の版図拡大に伴い、六朝時代(三国志終了直後の時代)に苗族は貴州・雲南など西南中国へ移動した。これが中国の少数民族の苗族(ミャオ族:苗族自身はモン族を自称)になった。少数民族とは言え苗族の人口は500万人ほどである。…人口500万人では少数民族と呼べるのか??と、思うがw
東アジアでの稲作は長江流域が起源で約1万2000年前に遡り水田は発掘された遺構では6000年ほど遡るが長江文明≒稲作文明であった。日本では稲作は発掘によって6000年ほど前に遡るが、朝鮮半島では3000年前しか遡ることが出来ず発掘された稲のDNAでも揚子江流域と日本の関連性が証明されたが、山東半島・朝鮮半島と日本では一部遺伝子が検出されないので、稲作の伝来自体が揚子江流域→日本列島となるので、従来の朝鮮半島経由説は殆ど説得力がなくなってしまっている。
苗族の大本であった三苗の一部が日本に渡り稲作を伝え定住したと思われ、一時期、卑弥呼の鏡と言われた「三角縁神獣鏡」は呉(江南地方)様式の鏡であることが中国の考古学者から指摘される。また、長江江南と日本列島の土器は酷似している。
また、日本語の発音は「呉音」がベースで、「呉音」とは奈良時代以前に既に定着していた発音を言うのだが遣隋使や留学僧が長安から漢音(漢族の発音)を学び持ち帰ったことによって区別されるが、言葉や考古学的な出土からすると長江文明と呉との古くからの関連性は否定出来ない。また支那・朝鮮半島では倭人を「呉の太伯の子孫」とする説がある。
共通性:温和な農耕民族(高床式倉庫、棚田)だが戦争をさせると無茶苦茶強い(明代では苗族と100回を超える軍事衝突があり明軍は軍勢20万を投入)。
文化:味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。小正月に赤飯を食べる。主なタンパク源は魚であり、鵜飼い漁(支那≒漢族に鵜飼を伝えたのは日本)、歌垣、民話(花咲か爺さん、桃太郎、カチカチ山etc)、原始的な刺青文化が無い。
宗教:太陽信仰と鳥信仰に精霊信仰(御神木信仰も含む)
ただ、苗族と一口に言っても、民族衣装を観るだけでも非常に多彩で日本人の感覚からすると本当に同じ民族なのか??と、思ってしまう部分があるが、中国の少数民族設定には政治色が強い為、苗族と言う括りの中にも多少の誤差は有る可能性は有る。文明のルーツとしては長江文明の三苗であるが、人種としてはDNAでも大凡9系統あるそうだが、個人的に人間のDNA解析はサンプル数も少なく未だ途上段階にあり更に一部の国では政治的意図で事実を曲げている可能性も少なくないと考えるので、本稿では控える。
その理由としては、朝鮮民族には全くない染色体が大和民族にはあると言うデーターもあれば、大和・朝鮮民族は非常に近いとするデーターもあり、この点については現在判断をしかねる面があるからである(朝鮮では日本を近縁にしたいと言う意図が発表される研究結果から感じる事が出来る)。特記すべきはDNA的には日本人は西蔵族と非常に近い系統も少なくない点である。
苗族は中国の少数民族の中でも最も歴史的、文化的に近く共通点も非常に多く、稲作などの長江文明を日本列島にも齎したのは、黄河文明(漢民族の祖先)に敗れた苗族の先祖である三苗の一党が日本列島に落ちのびて、それを伝えたのであろう。結果的に狩猟を基本とする縄文文化は緩やかに稲作を持つ弥生文化(長江文明の亜流)に吸収されたことを考えれば、弥生人を文化的にも人種的にも大和民族・日本文明の祖として差し支えないと言える。
尚、かつて考古学にDNA鑑定などの科学的手法が取り入れられるまでは、稲作などは支那(雲南省)で発祥し朝鮮半島を経由して日本列島に伝来されたと思われていた。これは、中国、南北朝鮮、日本での考古学的発掘のサンプルが少なかったことと、科学的な手法が無く出土品と文献が主体に研究されており、日本でも歴史的に朝鮮半島との結びつきは稲作伝来に始まり非常に強いものだと思われてきたが、これは科学によって否定されてた。
これは隣国とは言え文化・民族が全く異なると言う好例も言えるが此処で思うのが、地理的要因のせいもあり仏教や儒教・陽明学などの中華文明を共有していることから日朝は歴史的に兄弟的な要素も多々あると思い込んでいたが、大和民族と朝鮮民族が人種としては近縁種ではなく兄弟どころか赤の他人に近い人種であると言う事も、今回副次的に判明した事(朝鮮民族はツングース系民族が根源で中世の蒙古の蹂躪によって民族としてはツングースと蒙古の混血種になった。詳細は省く)であるが、これだからで考古学は非常に面白いところも有ると思うが、コラムニストを辞めて考古学者にでもなりたいと思う次第である。(小田康和)
(小田康和は、ZRのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)
◆北方系縄文人:樺太から北海道へ
◆南方系縄文人:沖縄から九州へ
◆弥生人:江南(長江南岸地域)から九州へ
大凡、以上の三つのルートから入って来たと考えて差し支えない。結果的に狩猟を基本とする縄文文化は緩やかに稲作を持つ弥生文化に吸収されたことを考えれば、弥生人を文化的にも人種的にも大和民族・日本文明の祖として差し支えないと言える。(狩猟民と農耕民では人口増加率が圧倒的に農耕民の方が高い面を指摘しておく)
三苗は分裂したものの漢族には同化せず南東へ移住するが、漢族の版図拡大に伴い、六朝時代(三国志終了直後の時代)に苗族は貴州・雲南など西南中国へ移動した。これが中国の少数民族の苗族(ミャオ族:苗族自身はモン族を自称)になった。少数民族とは言え苗族の人口は500万人ほどである。…人口500万人では少数民族と呼べるのか??と、思うがw
東アジアでの稲作は長江流域が起源で約1万2000年前に遡り水田は発掘された遺構では6000年ほど遡るが長江文明≒稲作文明であった。日本では稲作は発掘によって6000年ほど前に遡るが、朝鮮半島では3000年前しか遡ることが出来ず発掘された稲のDNAでも揚子江流域と日本の関連性が証明されたが、山東半島・朝鮮半島と日本では一部遺伝子が検出されないので、稲作の伝来自体が揚子江流域→日本列島となるので、従来の朝鮮半島経由説は殆ど説得力がなくなってしまっている。
苗族の大本であった三苗の一部が日本に渡り稲作を伝え定住したと思われ、一時期、卑弥呼の鏡と言われた「三角縁神獣鏡」は呉(江南地方)様式の鏡であることが中国の考古学者から指摘される。また、長江江南と日本列島の土器は酷似している。
また、日本語の発音は「呉音」がベースで、「呉音」とは奈良時代以前に既に定着していた発音を言うのだが遣隋使や留学僧が長安から漢音(漢族の発音)を学び持ち帰ったことによって区別されるが、言葉や考古学的な出土からすると長江文明と呉との古くからの関連性は否定出来ない。また支那・朝鮮半島では倭人を「呉の太伯の子孫」とする説がある。
共通性:温和な農耕民族(高床式倉庫、棚田)だが戦争をさせると無茶苦茶強い(明代では苗族と100回を超える軍事衝突があり明軍は軍勢20万を投入)。
文化:味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。小正月に赤飯を食べる。主なタンパク源は魚であり、鵜飼い漁(支那≒漢族に鵜飼を伝えたのは日本)、歌垣、民話(花咲か爺さん、桃太郎、カチカチ山etc)、原始的な刺青文化が無い。
宗教:太陽信仰と鳥信仰に精霊信仰(御神木信仰も含む)
ただ、苗族と一口に言っても、民族衣装を観るだけでも非常に多彩で日本人の感覚からすると本当に同じ民族なのか??と、思ってしまう部分があるが、中国の少数民族設定には政治色が強い為、苗族と言う括りの中にも多少の誤差は有る可能性は有る。文明のルーツとしては長江文明の三苗であるが、人種としてはDNAでも大凡9系統あるそうだが、個人的に人間のDNA解析はサンプル数も少なく未だ途上段階にあり更に一部の国では政治的意図で事実を曲げている可能性も少なくないと考えるので、本稿では控える。
その理由としては、朝鮮民族には全くない染色体が大和民族にはあると言うデーターもあれば、大和・朝鮮民族は非常に近いとするデーターもあり、この点については現在判断をしかねる面があるからである(朝鮮では日本を近縁にしたいと言う意図が発表される研究結果から感じる事が出来る)。特記すべきはDNA的には日本人は西蔵族と非常に近い系統も少なくない点である。
苗族は中国の少数民族の中でも最も歴史的、文化的に近く共通点も非常に多く、稲作などの長江文明を日本列島にも齎したのは、黄河文明(漢民族の祖先)に敗れた苗族の先祖である三苗の一党が日本列島に落ちのびて、それを伝えたのであろう。結果的に狩猟を基本とする縄文文化は緩やかに稲作を持つ弥生文化(長江文明の亜流)に吸収されたことを考えれば、弥生人を文化的にも人種的にも大和民族・日本文明の祖として差し支えないと言える。
尚、かつて考古学にDNA鑑定などの科学的手法が取り入れられるまでは、稲作などは支那(雲南省)で発祥し朝鮮半島を経由して日本列島に伝来されたと思われていた。これは、中国、南北朝鮮、日本での考古学的発掘のサンプルが少なかったことと、科学的な手法が無く出土品と文献が主体に研究されており、日本でも歴史的に朝鮮半島との結びつきは稲作伝来に始まり非常に強いものだと思われてきたが、これは科学によって否定されてた。
これは隣国とは言え文化・民族が全く異なると言う好例も言えるが此処で思うのが、地理的要因のせいもあり仏教や儒教・陽明学などの中華文明を共有していることから日朝は歴史的に兄弟的な要素も多々あると思い込んでいたが、大和民族と朝鮮民族が人種としては近縁種ではなく兄弟どころか赤の他人に近い人種であると言う事も、今回副次的に判明した事(朝鮮民族はツングース系民族が根源で中世の蒙古の蹂躪によって民族としてはツングースと蒙古の混血種になった。詳細は省く)であるが、これだからで考古学は非常に面白いところも有ると思うが、コラムニストを辞めて考古学者にでもなりたいと思う次第である。(小田康和)
(小田康和は、ZRのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)
※本稿では"支那"と云う単語を使っているが、本来の用法の通り"漢人の国家やその文化"に対してであり、歴史用語として使用しているので所謂右派が使う"シナ"と云う蔑称のつもりは無いことを断わっておく。