おぞましい暴力の惨状がアフリカ中部の内陸国、中央アフリカ共和国を覆っている。

 武装集団が住民に無差別発砲し、男性をナタでたたき殺す。女性をレイプし、子供は少年兵にするため連れ去る。略奪後、集落に火が放たれる――。

 この国では昨年3月、イスラム教系の勢力がキリスト教系の政権を倒した。いらい、敵対する宗派の人びとが虐殺しあう報復の連鎖が始まった。

 人口の2割超の100万人が家を追われた。犠牲者も相当数にのぼるが、政府機能が崩壊していて概数すらわからない。

 国際社会の対応は遅すぎる。1万2千人の国連平和維持活動(PKO)部隊の展開が決まったのはつい先月。それも活動開始は9月以降という。その間も多くの命が失われていく。

 これと構図が似た惨劇が20年前にもあった。民族対立で100万人近くが犠牲になったルワンダである。PKO部隊は眼前の虐殺を止められなかった。

 ジェノサイド(集団殺害)のような過ちを、21世紀は決して繰り返すまい。そんな誓いの下に国連では05年、「保護する責任」の理念が打ち出された。

 国家が責任を果たさないならば、国際社会が取り組もう。市民を守るために、PKOの武器使用などの権限を広げよう。そんな流れがつくられてきた。

 だが、現実はどれほど変わっただろうか。スーダンで、シリアで、今この瞬間も、大勢の民間人が犠牲になるのを食い止めることができずにいる。

 米欧にはもはや、人道主義を強く率先する力はない。介入へ重い腰を上げるのは、エネルギー資源がからむ経済事情や、イスラム過激派を掃討する安全保障の理由などに限られる。

 中央アフリカのような貧困国には、そんな関心の光すら当たらない。難民救援でも、食料支援でも、国連機関やNGOに十分な資金すら集まらない。

 地球のどこであれ、荒廃を放置すれば、いずれ過激思想の温床となり、周辺地域を、そして世界全体を不安定化させる。それは9・11テロなど多くの惨禍から学んだ教訓のはずだ。

 日本を含む世界のためにも、ルワンダの悲劇を繰り返してはならない。