「最強主人公」と「努力型主人公」を取り巻く幻想、「主人公の周囲」の重要性

 

主人公の描き方(ラノベ読者と「最強主人公」) - Togetterまとめ

 

「負けない、悩まない、葛藤しない主人公」 | Kousyoublog

 

なんか面白い話題なので首突っ込んでみます。

 

・司波達也と空条承太郎の決定的な違い

 

「今時のラノベ」のイメージとして引き合いにされてるのぶっちゃけ「魔法科高校の劣等生」の司波(兄)だと思われます。

司波は「劣等生」と見られてるけど、本当は誰よりも最強の存在という所が賛否問わず人を惹きつける所なのでしょう。

 

この「劣等生」という名目が何をもたらすかというと、「敵が甘く見てくれること」。

テロリストとか過小評価してくれる。だから戦いやすい相手です。

最初から「分解」や「再成」を扱う戦略級魔法師にして、最優先でいかなる手段を持ってしても排除しなければならない「強敵」として見なしてくる敵の不在。

そういう点で「劣等生」という肩書は、敵が「過小評価してくれる」というオートでデバフがかかるような便利な設定だと思います。

 

 

逆に「最強主人公」でありながら、誰も「過小評価」をしないのがジョジョ三部の空条承太郎

 

 

 

 

本当に大事なのは「承太郎およびスタープラチナの強さ」ではなく、周囲の連中がそれをどう認識しているのか。

ジョジョで承太郎が関わる部での「敵スタンド使い」は、劣等生扱いとは真逆の「最も危険な脅威」として認識してきます。

まともに承太郎とオラオラぶちかまされたら再起不能にされるという事を理解した上で、策を練って嫌らしく攻めてくる(のを捌いてオラオラをぶちかます)のがジョジョ第三部です。

スタープラチナと殴り合って渡り合えるスタンド使いは、アヌビス神・ディオ・プッチ神父(六部のラスボス)くらいです。

特にディオとプッチ神父は承太郎に対する「警戒」が徹底して書かれてました。だから強い。

四部の吉良吉影は当初、手負いの承太郎を過小評価してたけど返り討ちにオラオラ喰らった事で承太郎への警戒心を強めました。

「承太郎は強い」という認識が敵にもあるから、承太郎は強いにも関わらず苦戦してるイメージが強いんだと思います。

 

「最強主人公」は、それ自体が悪いんじゃなくて周囲を取り巻く「敵」からの認識・評価が重要。

ただ過小評価してくれる敵をボコボコにするのか、それとも過大評価してくる強敵に立ち向かうのか。そこの好き嫌いではないかと。

 

そういう意味では「劣等生」の評価には、司波の「最強主人公」性よりも、敵キャラ(テロリストなど)の弱さに関して触れる必要もあるのではないかなと。

ここらへんは「敗北」を許せるか否かの問題に繋がってくるのでしょうね。

ただ強くても負けさせることは出来るんですね。それを必要とするか否か。

 

・「最初から強い主人公」だったドラゴンボール

ラノベから逸脱しますが、努力型主人公との親和性が強いジャンプ漫画の名作「ドラゴンボール」があります 。

 

 

孫悟空は「友情・努力・勝利」の体現者みたいな扱われ方をする事がありますが、登場当初の彼は地球を破壊したりする事は出来なかったとしても最初から「強い主人公」でした。

 

最初期の「ギャルのパンティおくれ」までの冒険編を例にします。

・のっけから銃弾を撃たれても弾き返す

・その後も気まぐれな子供ではあるけど誰よりも強い主人公として扱われる。

ヤムチャに負けるけど「腹が減ってた」という言い訳をする。万全の体調では殴り返す。

亀仙人が50年もの歳月を費やして編み出した「かめはめ波」を見よう見まねでパクる。

・最後の切り札が「大猿化」だけど、これも「努力」で見に付けたものではない「才能」そのもの(後付け設定なら「サイヤ人」だから)

 

こうしてみると、当初の悟空はDrスランプのアラレちゃんポジションを意識してたように思えます。

かめはめ波なんかみんなホイホイ使い始めるから感覚がマヒしがちですが、最初の登場なんか「50年もの努力をあっさりと才能でラーニングする」みたいな才能主人公のやる事そのものです。

 

ドラゴンボールが方向性を変えたのは、悟空がクリリンと一緒に亀仙人の元で「修行」を始めたころですね。

実はドラゴンボールって旧アニメの引き伸ばしの印象のせいで忘れがちなんですけど、修行シーンが意外とアッサリしてたりします。

初期のシーンでもあくまで「亀の甲羅を背負って牛乳配達」というギャグっぽい描写で悟空とクリリンが強くなったりします。

 

で、その後の悟空の天下一武道会の初参戦にて亀仙人ジャッキー・チュンと名を騙って、必至こきながら悟空を敗北させて「師匠」としての面目を保ちます。

ここで悟空は「敗北」している。むしろ悟空はこれからも何度も敗北する事になります。

結局あっさり実力は追い抜かれるけども「亀仙人のじっちゃん」が悟空の「最初の師匠」として存在感を出していく事になります。

 

以後も悟空は一貫して強キャラのイメージを保ってるんですよね。

クリリンとか悟飯とかベジータとかが戦ってて、窮地に修行していつの間にか強くなった悟空が美味しい所を持っていくようなスタイルが中心になってくる。

ただ、悟空は「敗北」する事がある。だからベジータ曰く「負けないため」に強くなる。

それが戦闘力インフレという弊害を残した所もありますが、この「強ぇ奴」と出会い続けて切磋琢磨し続けて行く所が孫悟空という男の在り方なのではないかと。

 

最近、映画化された「神と神」で悟空がベジータの家族愛による戦闘力ブーストで一時的に追い抜かれたり、「強ぇ奴」であるピルス様が出て来て強くなる余地を改めて残した事は、ドラゴンボールという作品を再確認する良い展開だったのではないかと思ってます。

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物語の可視化 - ドラゴンボールの物語と戦闘力

 

 

・成長キャラの「成長前」

 

「努力して成長するキャラ」の幻想性というのは、「成長キャラ」を求める人は「成長後」を評価して「成長前」を度外視しがちなのではないかという事です。

成長キャラの難しい所は、「成長する前」の「弱い」か「精神的に未熟(ウザい)」かという土台が無ければ成立しない。

ダイの大冒険」でポップを成長キャラとして評価する人は、ほんとに最初期の「成長する前のポップ」を度外視してるか、あるいは単なる踏み台としてしか見てない人が多いのではないかと常々思ってます。

これが今の時代だと「弱くてウザい状態」が長く続くので難しい。

 

これを解決するには、それこそ「強い主人公」と「成長主人公」を分ける事しょうか。

ダイの大冒険だと、ダイが居たから初期の「ウザい」ポップが引っ張ってもらえた部分があるのでしょうね。

 

問題はネットが発達する前ならいざ知らず、現状は少しでも失言や失態を犯せば延々とネタとして馬鹿にされ弄られ続ける事でしょう。

前述した悟空も「ドラゴンボールがあるから生き返る!」などの失言ネタをいつまでも強調されていますし。

(悟空がああいう奴だから、元は外道だったけど精神的に成長したベジータやピッコロが許されてる部分もあると思うのですけどね)

他に引き合いに出すなら「鋼の錬金術師」のロイ・マスタング大佐が、雨の日は無能という「弱点」を付加されたらいつまでもその「弱点」を弄られ続けるみたいなものです。

 

「炎上」にも通じるネタが、フィクションにも言えるわけです。

弱みを見せると延々と許されない。「成長前」の「弱さ」「未熟さ」を書くと延々とそればっかネタにされる。

その後にどれだけ成長しても、いつまでも「成長前」のネタが引き合いにされ続ける事は恐らくザラにあると思います。

「失態」を許さない土壌はネットの性質だから仕方ない部分もあるんですが、それが却って「成長前」を過剰に貶めて結果的に「成長」したように見えない。

 

あるいは作り手が精神的に成長したと言っても、それを受け手がそう受け取るかどうか分からない事もあります。

作り手が「成長キャラ」にしたにも関わらず、そのベクトルが受け入れられない人から「成長していない」と批判される事があるキャラで真っ先に思い浮かんだのが「まどかマギカ」の暁美ほむらと「カゲプロ」の如月シンタローだったりもします。

 

 

・スーパーコーディネイターの悲劇と喜劇


ガンダムSEEDシリーズのキラ・ヤマトは「最強主人公」なのだけども、彼の場合は師匠に恵まれなかった。

実際にはラクスが居たんだけど、彼女は真っ当に見ても「守る存在」だった。

CE世界でのチートキャラの一人アストレイの叢雲劾との接点は意図的に避けられている。

追従できる可能性があったかもしれないシン・アスカとは色々終わった後でようやく出会えた。

 

意図的にキラ&フリーダムガンダムよりも「強い存在」は排除されてた構造だったことが賛否両論の一因だったのではないかと今でも思います。

アスランinイージス、クルーゼinプロヴィデンス、シンinインパルスといった強機体&パイロットが捨て身で挑んでようやく機体を半殺しに出来るか否か。

 

「意図的に主人公よりも強い存在」を排除させるか出会わせない(師匠にしない)という構図は、ネット上で強烈な信者とアンチがつきやすいという構造は10年以上前から存在してたと言えます。

恐らく、この流れはもっと遡っていく事も可能でしょう。

 

ちなみに10年前の僕は、キラに対して並び立つ存在が居ない事に対して歯がゆさを覚えていた側です。

でも今になってキラは突出した事の孤独性がある種の悲劇だったのではないかとちょっと思い始めて来てます。

 

 

・エレンイェーガーから見る「努力型」≒「周囲に強キャラが居てくれる型」という説

「努力 主人公」 で検索すると、進撃の巨人のエレンが出ます。

 

【バレ注意】進撃の巨人のエレンこそおまえらが求めた努力型凡才主人公なのだが? : 進撃の巨人ちゃんねる

 

実際、エレンが調査兵団の下積みしてた時期のネタはさっくり流されてます。

立体機動での戦い方はミカサやリヴァイの方が力量的に上として設定されてますし、そもそもエレンが立体機動で巨人を始末したのはだいぶ後の話です。

 

「努力」「才能」というネタではなく、むしろ進撃の場合は「周囲に強キャラが居てくれる」ことが大きい気がします。

それこそ生身ではミカサとリヴァイ、巨人戦闘だってエレンなりの戦闘技術はあっても「巨人になれる力」自体はアドバンテージにはなり得ていない。

特にリヴァイは、過激ではあるけどもエレンの上司としてのポジションを築いています。

敵味方問わず周囲に強い存在が居る中での戦い。その概念を持ってして「これが21世紀の王道少年漫画だ!」と謳っていたのかもしれません。

 

 

・努力型主人公なんて幻想でしょ

 

結局ああいう人って何かにつけて「才能」的な要素を見出して、「これは俺が求める凡人主人公じゃない!」とか言い出す人が異様に多い気がするんですよね。

あるいは「○○は成長していない!」というレッテル張り。

僕、ああいう「成長していない!」とか言い出す人種ってネット・リアル通して大っ嫌いなんですよね。分かりやすく根本から変わらなきゃいけない。一歩ずつの変化を認めない人種。

その癖、大きく変わったら今度は「性格が変わった!」とか、本当にね……。

僕は誰かに依存してるキャラが別の仲間が出来るのも成長だと思ってるんですが、カップリング的にはその別の仲間が出来る事がウザったくなりかねないという事もあります。
ちなみに艦これの加賀さん(ケッコンカッコカリ)とカゲプロ(ロスタイムメモリー)のシンタローを思い浮かべてます。

 

そしてこれ。

 

そして完全平凡主人公から始めると、弱い主人公になるんですよね。

弱い主人公が好きなわけでもないんですよね。

その上で成長を書いたら今度は「才能あったじゃないか!」とか言い出すんですよね。

 

最強主人公、というか最初からキャラが完成されてる方が開幕スタートでの印象付けはやりやすい気はします。

ただ主人公だけ強すぎるとアクが出る。それがいい人も居れば嫌いな人も居る。賛否が分かれるだけでしょう。

かといって最初は完全平凡だったり未熟なキャラだったりすると、結局の所それでキャラの魅力を出すことは難しい。

リアルタイムによる一時的なストレスの寸止めがネットによって重たくなった気はします。

 

個人的な好みの話をしちゃえば、最強主人公でも敵が「恐ろしい存在」と考えて作者が感情移入して主人公を苦しめさせようとする展開があればなんでもいいです。

主人公と同じ力を持つ存在がたくさん居た中で、精神的な部分で立たなきゃいけないキャラも好きです。

「俺TUEEEEE」よりも「周囲YOEEEEE」の方が問題視していますね。

どうしても群雄割拠な中で足掻いてるタイプの方が好きなようです。ここはもう好みでしょう。

 

主人公より優れてる人間が居るのがストレスになるか、それとも安心するか。

その溝はたぶん埋まらないと思いますが、とりあえずフォロー入れておきます。

 

 

・今回のオチ


某所のうどんコラは好きです。

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うどん職人の方の司波さんは「蕎麦」という、うどんに対する強敵が居る事が原作との作風の違いでしょう。

 

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こういう逆境に対して「がんばれ!」と応援するには強敵が必要なのですよ! と蕎麦喰いながら力説します。

 

マルちゃん紺のきつねそば(東)89g×12個

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 蕎麦ッ!