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諏訪耕平の研究メモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-05-06

コミュニケーション能力≠万能である

最近は最初に結論を書くのがマナーのようなので結論から。

1、コミュニケーション能力=理解する力+伝える力

2、社会(≒会社)が本当に要求しているのはコミュニケーション能力ではなく、事務能力

ではひとつめから。

コミュニケーション能力が何よりも大事と叫ばれて久しい。私もそう思って生きてきた。

にもかかわらず、相変わらずこの言葉は定義されていない。「コミュニケーション能力が重要⇒コミュニケーション能力という言葉が定義されていないので、この言説は曖昧です」というやりとりはネット上に散見される。

なので、本稿ではこの言葉を定義する。コミュニケーション能力=理解する力+伝える力。すなわち、相手の言いたいことを理解した上で、自分の伝えたいことをしっかり相手に伝える力。この2つが備わっていると、人間関係での苦労は減る。私がこれまで大勢見てきた「この人はコミュニケーション能力が高いなあ」という人は、この両者の力を持っていた。

このへんで反論が来るかもしれない。「そんな単純なものではない」。それはそうかもしれない。ただ、正直なところ、物事を複雑にとらえたがる人々こそが、生きることを複雑にしていると私は感じている。彼らは「そんな単純ではない」と言った後思考停止する。どのように複雑かを説明してはくれない。

彼らが望んでいるのは、「物事を曖昧なままにしておきたい」ということである。彼らは何故そう望むのか。それは、彼らがたとえば「コミュニケーション能力と呼ばれる何か」についてそれほど苦労していないからである。そして、彼らはその「何か」を言語化できていないからである。平たく言えば、なんとなくできている。だから彼らは、その何かが言語化されることを恐れる。曖昧なままにしておけば、それは彼らの専売特許のままで残る。彼らはそれを望んでいる。

あらゆる概念は、人々が平易に理解できるようになると、その価値を失う。火を起こす技術、冬の次には春が来るという事実。これらが曖昧であった時代、この理屈を理解している人間は他者の称賛を得ることができた。そして誰もがその理屈を理解するにつれて、そのことを理解しているだけでは食べていけない世の中になっていった。この構造は今も変わらない。

コミュニケーション能力とは何か。そろそろ我々の所属するこの社会は、この問題に決着をつけて、次のステージに進んだほうがいいように思う。

分割することによって、コミュニケーション能力は理解可能なものになる。相手の言いたいことを理解する能力。言葉でもそう、文字でもそう。彼、彼女は何を伝えようとしているのか。これを理解することはコミュニケーションの出発点である。まずは相手の意図を理解しないことには、コミュニケーションは始まらない。

ただ理解するだけでは不十分。現代は、特に高学歴層に、「相手の言いたいことは理解できるが、コミュニケーション能力は不足している」という人材が溢れている。彼らに足らないのは、「伝える力」。彼らは、この能力の重要性を伝えられぬまま、ひたすら勉強に邁進してきた。

「言われたことを理解し、実行する能力」。社会人にとって非常に重要に思えるこの能力で何が足らないかと言えば、ひとえに「相手がその人のことを理解できない」ということに尽きる。我々はコミュニケーションを欲している。すわなち、一方通行を忌避しているのである。相手も貴方のことを理解したい(そのほうが仕事は円滑に進む)。貴方自身の物の考え方を伝える力がないと、徐々に相手は貴方とのコミュニケーションに疲労を感じるようになる(何を考えているか分からないから)。

改めて、身の回りの人物を眺めなおしてみてほしい。コミュニケーション能力が高い(と感じさせる)人は、理解する力と伝える力、この2つの能力を併せ持っているはずである。

さて、ここらへんで2つ目。コミュニケーション能力<事務能力の話。

コミュニケーション能力一辺倒に見えるこの社会で、新卒は、当然コミュニケーション能力を磨くことに邁進してきた。そして会社に入って3年、4年経って、彼らは気付くはずである。「コミュニケーション能力だけでは、会社では通用しない」ということを。

人と接する力はとてつもなく重要なものであり、確かに現代社会はその能力なしに渡り歩くことは難しい。ただ、それは必要条件であって十分条件ではない。仕事とはすなわち、「やるべきことをやりぬくこと」である。本稿では、この能力を事務能力と呼ぶ。

コミュニケーション能力≠万能という事実を認めることが肝要。コミュニケーション能力>事務能力で偉くなれる事例があったら是非教えてほしい。上に立つ人間はおしなべて事務能力に長けている。貴方の周りに、事務能力には不安があるが、コミュニケーション能力が非常に優秀で、その結果人の上に立っている人がいるならば、その人がその先もそのような地位において安泰に見えるかどうかを教えてほしい。

やるべきことをやる力。約束を履行する力。私はそろそろ、社会が要求する能力とやらがこちらを重視する世の中になってほしいと思う。それはそれで歪なところはあるだろうが、コミュニケーション能力一辺倒よりは、例えば大学生が努力しやすい社会になるのではないか。

コミュニケーション能力≠万能という構造が伝えられれば、本稿の目的は達成される。

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