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2014年5月7日(水) NEW

古代日本と朝鮮半島 明らかになる交流史

鈴木
「日本と朝鮮半島の古代史についてです。」

阿部
「九州、そして海を挟んで向き合う朝鮮半島南部それぞれで、今、興味深い発見が相次いでいます。
古代から交流が盛んと言われてきたこの地域で、これまで知られていなかった、より深い交流を伺わせるものが見つかっているんです。」

鈴木
「こうした発見から、歴史の新たな一面が見えてきています。」

韓国で新発見! 希少な“倭系甲冑”

古代史を塗り替える発見は、韓国南西部の小さな島の沿岸部でありました。
ベノルリ古墳。




今から3年前、現地ではこれまでほとんど出土した例のない甲冑(かっちゅう)、よろいやカブトが見つかったのです。
2年ががりの保存処理が終わり、ようやく撮影の許可が下りました。



カブトが作られたのは、5世紀ころとみられます。
そのころの日本、倭国で使われていたカブトとよく似ています。
倭系甲冑(わけいかっちゅう)と呼ばれます。



右側の日本の古墳から出土したものと比べると、朝鮮半島から出土したカブトは、形もそこに用いられている技術もよく似ています。




倭系甲冑の出土は、かつての百済の領域、韓国南西部の沿岸に集中しています。
この発見は韓国の研究者に、驚きを持って迎えられました。



トンシン(東新)大 文化財研究所 イ・ジョンホ教授
「これはびっくりする。
(甲冑は)倭系だとは思っている。
こちら(韓国南西部)では、このような甲冑は作られてはいない。」


韓国の考古学者、パク・チョンスさんは、倭系甲冑が日韓の交流史に新しい光をあてるものと注目しています。
パクさんは、こうした甲冑は朝鮮半島から近い北部九州の倭人がもたらしたものだと考えています。
精巧な甲冑は、当時ヤマト王権が、地方の豪族に与えたものでした。

この古墳からは、倭系甲冑とともに百済に関連する意外な品も出土しました。
百済王権の中で高い地位を示す金銅製(こんどうせい)の冠(かんむり)。
パクさんは、これが百済が北部九州の軍人を受け入れていた証拠と考えています。


キョンブク(慶北)大 パク・チョンス教授
「このような人物はヤマトの王にも属してるし、百済の王にも属している。
両属しているような関係じゃないかなと思う。
今の国家とか民族意識で古代を解釈する必要はないと思う。」

九州でも発見! 豪華“新羅系”馬具

一方海峡を挟んだ九州でも、去年(2013年)大きな発見がありました。
その舞台は、福岡県古賀市でした。
ここで去年、朝鮮半島製とみられる金銅製の装飾馬具が大量に発掘されたのです。


「反射してますね。」

「きれいですね。」



出土した装飾馬具は、6世紀末(すえ)から7世紀初頭にかけて、聖徳太子が生きた時代のもの。
これだけまとまって出土するのは、極めてまれです。
福岡大学教授の桃﨑祐輔(ももさき・ゆうすけ)さんは、精緻な加工の様子から、当時、朝鮮半島南東部にあった国、新羅の技術で作られたものだと考えています。

当時、百済と結んでいた倭国は、新羅と敵対していました。
そうした中で新羅は倭国との対立を避けるため、外交に影響力を持つ北部九州の豪族に馬具を贈った可能性があるといいます。



福岡大学 桃﨑祐輔教授
「当時はむしろ九州が、朝鮮半島との関係をデザインして、ヤマト政権はやっぱりそれを当てにしながらじゃないと、国際関係を維持できなかったと思う。」


掘り出された品(しな)は200点近く。
詳しい解析調査が始まりました。
土の塊を透視できるX線CTスキャナを駆使して、元の姿を探ります。
すると、意外な発見がありました。

話:福岡大学 桃﨑祐輔教授
「なにかこれ、すごい。
かつて例がないモノなんじゃない。」

3Dプリンタを使って謎の物体の復元が行われました。

福岡大学 桃﨑祐輔教授
「おお!
へえーっ、こうなったんですか。
なるほどね。」

再現されたのは、最高級の技術で作られた雲珠(うず)と呼ばれる装飾馬具です。

馬が歩くたび、キラキラ輝きを放つ装飾馬具。
なぜ王族しか持てないような、こうした高級な品が、新羅から九州の豪族に贈られてきたのか。
新たな発見がまた、大きな謎を生んでいます。

動き出した 日韓の共同研究

こうした中、日韓の研究者による共同研究が始まりました。
日本の研究者は最新の発掘成果を持っています。
それに対し韓国の研究者には、馬具についての長い蓄積があります。
両方を付き合わせることで、研究を深めようとしています。


今年(2014年)3月には、韓国の研究機関と日本の国立歴史民俗博物館が、協定を締結。
日本と朝鮮半島の古代のつながりを明らかにするため、韓国南西部の研究を共同で行います。


大韓文化財研究院 イ・ヨンチョル院長
「なぜこの地域(韓国南西部)から、日本と関係のある資料が多く出てくるのか。
こうしたモノ(倭系甲冑など)が形成された構造を知りたくて共同研究を始めました。」

国立歴史民俗博物館 高田貫太准教授
「日韓の研究者の間で話し込んでいくこと、議論し合うことができれば、非常に大きい。」



鈴木
「およそ1500年前の歴史が、3Dプリンタなど最新の技術も駆使して蘇ってきたんですね。」

阿部
「ねえ。
教授も『おお、ええ?』ってびっくりされてましたよね。」

鈴木
「ねえ、興奮されてました。」

阿部
「ご覧頂いた発見は、日本と韓国で偶然同じ時期に重なったことで、両国の研究者の間で情報交換が活発になり、研究を加速させていると言うことです。」