ヴィーナス批判に辟易している方も多いことでしょう。
しかし、一番辟易しているのは、読んでいる側ではなく、書いている側です。
本当は、私も綺麗事が言いたいんです。
「喧嘩両成敗です」「人間関係を大切にしましょう」ってね。
でもね。
私は、偽の霊言を書く人を許し、あるいは放置してまで、綺麗事を言う気にはなれないんですよ。
経典『クローズアップ国谷裕子キャスター―NHKの“看板”を霊査する―』で、国谷裕子氏の過去世が与謝野晶子であることを知りました。
確かに、戦争に反対し、平和を唱えるのは良いことです。
できれば、私もそういう綺麗事が言いたいです。
でも、今、その反動が自虐史観となって現れて、逆に反省を求められていますよね。
なぜなんでしょうか?
私はBloggerを利用していますので、いつも海外からのアクセスを意識しています。
先日は、ウクライナからアクセスがありました。
やはり、日本の信者が何を言っているのか気になるのでしょう。
私がここまで露骨にヴィーナスを批判したのは、海外の信者がヴィーナスの霊言を読んで、地元の信者に広めてもらっては困るからです。
海外の信者の多くは、日本の神話の知識なんて持っていないと思います。
だから、ヴィーナスが「天照大神はレイサー様」なんて書いたら、次の日には、「長女はレイサー様なんだって」なーんて広まってしまうかもしれないんですよ。
でも、それでは困りますよね?
だから、私は抽象的な表現を使わずに、あえて直球で批判したんです。
綺麗事を言いたければそれでも結構です。
しかし、それは、アメリカの信者や、ロシアの信者や、ウクライナの信者への影響を考えてのことなんでしょうか?
誠に申し訳ないのですが、私の頭は日本国内で完結していないんです。
Bloggerを利用しているのは、翻訳機能があるからです。
写真を貼っているのは、分かりやすくするためです。
海外の信者まで視野に入れて書いているんですよ。
それだけは分かっていただければと思います。
ああ。私も綺麗事を言いたいなあ…。