身近にあるものほど客観的に評価するのが難しいということがありますが、これは日本の隣国・韓国にもあてはまるのかもしれません。
 著者は「あとがき」で次のように書いています。
 韓国ほど、時期によって極端に評価がぶれる国も珍しい。アジア通貨危機に陥ったときは韓国はいかにダメかという論調が支配し、危機から劇的に復活するとそれが賞賛される一方で、なぜ日本が苦境から脱せないかが嘆かれた。そして2010年代に入ると日韓関係の悪化とともに韓国をあしざまに論ずるものが激増している。
 このような毀誉褒貶は奇妙である。現実の韓国に、それほどの変動があるわけではない。(247p)

 こうした中、この本はアジア通貨危機以降の韓国政治を冷静に分析しています。
 ただ、そこで分析されているんは「親日・反日」、「親米・反米」、「親北朝鮮・反北朝鮮」という、日本で報道される韓国政治のおなじみの対立軸ではなく、主に福祉をめぐるものです。

 「なぜ福祉?」と思われる方もいるかもしれませんが、これは非常に興味深い視点です。
 日本と韓国が文化などの面で「似ている」かどうかは意見の分かれるところだと思いますが、少なくとも欧米諸国に比べて急速な経済成長で先進国(OECDの加盟国)になり、同じく欧米諸国よりも速いペースで少子高齢化が進んでいるという点は同じです。
 また、近年、経済格差が問題になっている点も日本と同じです。

 しかも、韓国では問題のいくつかは日本よりも先鋭化しています。
 少子高齢化のペースは日本以上ですし、ジニ係数や相対貧困率で見ると日本よりも格差が小さいものの貧困層の所得が相対貧困線をどの程度下回っているかを見る貧困ギャップでは日本よりもひどく、特に高齢者に関してはジニ係数、相対貧困率、貧困ギャップとも先進国で最悪のレベル(19ー22p)、また、若者の就職も厳しく、そのせいで若年層の労働参加率は25.52%と日本の42.48%を大きく下回っています(23ー24p、もちろん韓国の数字には徴兵制の影響もある)。
 
 こうした問題が深刻化した原因の一つは、アジア通貨危機以来行われたいわゆる新自由主義的な改革です。韓国はここ15年ほど米韓FTAの締結をはじめ、日本以上に思い切った改革を進めてきました。
 ところが、この間の大統領は金大中(進歩派)、盧武鉉(進歩派)、李明博(保守派)と、社会保障などに熱心な進歩派大統領の時代が長かったですし、米韓FTAの交渉も盧武鉉政権のときに進みました。
  
 金大中も盧武鉉も、IMFに強要されやむを得ず新自由主義的な改革を進めたというのが「通説」ですが、2000年にはIMFへの借金を返済し終えており、この説明は成り立たないというのが著者の見立てです。
 そして金大中、盧武鉉、李明博の各政権がそれぞれ経済や福祉に対する改革のビジョンを持ちつつも、韓国の政治情勢や社会状況の中でその改革が十分にうまくいかなかったというのです。
 この本では金大中、盧武鉉、李明博の各政権のビジョンとその挫折の理由を分析し、そこから朴槿恵政権の課題を浮き彫りにしています。 

 金大中、盧武鉉政権のキーワードは「萎縮した社会民主主義」です。
 金大中政権は、公的扶助の拡充を行い、医療保険の一元化を行い(それまでは日本と同じように職域別・企業別・地域別の組合方式だった)、国民皆年金を実現させました。これはいずれも大きな改革です。
 しかし、制度は出来たものの残念ながら中身は伴いませんでした。例えば、医療保険の一元化はなったもののの本人負担額は50%でしたし、公的扶助の拡充も不十分なものでした。
 社会民主主義的な制度ができたにもかかわらず、進歩派と保守派の対立もあってその中身は十分なものにはならなかったのです。

 つづく盧武鉉政権も、社会民主主義的な方向を目指していました。
 彼は「参与福祉」というキーワードを使って、福祉の分権化をはかり、地方自治体やNPOを通じて福祉を拡充しようとしました。また、積極的な福祉を通じて雇用の促進をはかる、いわゆる「第三の道」的な政策を進めました。

 しかし、この盧武鉉政権の改革も十分な成果を上げることはできず、むしろ年金の支給水準などは切り下げられました。狙いとは逆に「参与福祉」が福祉の拡充を阻んだのです。
 医療保険では、労働組合や市民団体が医療保険財政の問題も取り扱う健康保険政策審議委員会に参加するようになったことで、これらの団体はむしろ医療保険の抑制に動くこともありました。
 また、韓国の福祉は主に保守的な団体が担っており、進歩的な団体である労働組合などは福祉に関心は持つものの、福祉が中核的な関心事ではありませんでした。そうした中で分権化が進んでも、福祉団体の積極的なアクションは起こらず、盧武鉉の期待した「参与福祉」は実現しなかったのです。
 この辺りの事情を著者は次のように説明しています。
 福祉政策の拡大にもっとも関心をもつべき福祉団体をはじめとする全国的中核関心団体と中核的関心団体は、政府の市場介入に否定的で、福祉の拡大につながる政策を好ましいとは思っていない。結局、市民団体のがんばりで社会民主主義モデルの制度は導入されるが、その拡大は望まれず、推進もされないということになる。「萎縮した」社会民主主義が韓国特有の団体の性格を勘案した均衡点であったのだろう。(136p)

 米韓FTAの話と李明博政権の話についてはこの本を読んでもらうとして(李明博政権の政策がオーソドックスな経済学に反していたという指摘(177p)は興味深い)、この進歩的な政権でなぜか福祉の充実が進まないというのは日本の民主党政権と同じですよね。
 民主党政権に関しては社会民主主義と新自由主義の呉越同舟といった面もありましたが、責任あるポジションについたがゆえに、かえって予算制約に縛られて「萎縮した」というのは似ています。

 ただ、日本と韓国にはやはり大きな違いもあります。それが最後の第5章「朴槿恵政権の憂鬱」で指摘されている労働市場の流動性です。
 韓国の労働者の平均勤続年数は短く、226pに載っている主要国における平均勤続年数(2010年)の表では男女とも米国に次ぐ短さとなっています。
 それゆえに日本とは違い社会民主主義的な改革もしやすいですし(転職が多い社会では日本のような組合別の医療保険や年金は不便)、また同時にFTAのような貿易の自由化も行いやすいのです(この本の233ー236pでは水産物の自由化を巡る交渉に無関心な漁民たちの様子が紹介されている)。

 このようにこの本は近年の韓国の政治について教えてくれると同時に、日本の政治を考える上での比較対象を提示してくています。
 通商政策や、福祉の制度の一部(中身はともかくとして)に関して、韓国は日本よりもある意味で先行しています。その韓国の動きを知ることで日本のこれからの進路についても考えることができるのではないでしょうか。そういった意味でも非常に面白く参考になる本です。


先進国・韓国の憂鬱 (中公新書 2262)
大西 裕
4121022629