2014年05月05日

去勢。

ワガママって何だ?
幼少の頃、『ワガママはダメだ』と学んだ。

多分、祖母が言ったひと言で、私は去勢された。
『一人っ子は、言うことを聞いたらダメだ!』、『ワガママになり、甘えっ子になる!』と。
まったく、『人権侵害』な話だ。(笑)

私はいつも、『いとこ達は一人っ子でなくていいな〜』と思っていた。
『一人っ子』…。嫌な響きだ。
そして私は、人との関わりにおいては、自分の意志・思いに、忠実になれなくなった。
幼少の頃の私は、いつも、『自分は一人っ子だから、ワガママなのかもしれない、甘えっ子なのかもしれない』と不安に思っていた。

一人の時は、問題ない。
だが、何か人の同意が必要な時には、無意識ではあるが、『ワガママ』、そして『甘えっ子』という言葉が、頭の中で鳴り響いていたのかもしれない。
勿論それは、『大人度』とも言えるものだ。
そしてそれは、つつましいとも、奥ゆかしいとも、謙虚だ、遠慮がちだ…、とも言える。
でも私は、それで、『子供度』(無邪気さ)というものを失った。

母親は言った。
『お前は手のかからない子だった』(笑)
違う違う!
私は、子供でいられなかっただけだ。

でも、私の本音はいつだって存在しているし、無くなるはずもない。
今も昔も。
大人になってからは、更に『我』(ガ)が強くなった。
決して譲らない。
子供の頃の反動かもしれない。
そして、もしかしたら私は、今頃反抗期なのかもしれない。(笑)

本当に私は頑固だ。
決して自分の意志を譲らない。
だから、私の気持ちを100%尊重してくれるサラには、本当に感謝している。
サラは、どんな私も否定しないし、嫌わない。

いや嫌う。
私が、遠慮している時、気を使っている時、自分に正直ではない時は嫌う。
とことん嫌う。
つまり私は、遠慮をし、気を使い、自分に正直でないと、サラに嫌われるということだ。
サラは、100%本音の私は、嫌わない。
でも、1%でも私に遠慮があると嫌う。
私は、このままでは、どんどん生意気な、強引な、自分勝手な、独りよがりな人間になっていく。(笑)

でも、何故だかサラは、それを喜んでいる。
サラは、私のことを、100%愛してくれている。
私を育てたいのだろうか?
改造したいのだろうか?
彼女の母性なのだろうか?
彼女は、本当に無条件に、100%私のことを信頼してくれています。
だから私は、新たに、すっかり『ワガママ男』に去勢される。(爆)

でも、私はこれまでの人生で、一度もそんなことを望みも、経験したこともなかった。
そんな自分が存在しているなんて、全く思いもしなかったことだ。
こんなことを思ったのは、感じたのは、知ったのは、本当に初めてなのだが、これらは全てがサラのお陰です。
私は今やっと、遠い昔の去勢が元に戻ったようでもあり、今やっと、『普通の人間』になれそうな気がしています。

人間は、去勢次第で、どうにでもなるものなのですね。(笑)
ありがとう。

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2014年05月04日

予感。

自分の引き出す世界。
この私の人生の全て(100%)が、自分の引き出している世界だ。

でも、私は本当にややこしい世界ばかりを、引き出してきた。
今でも、その意味を、全ては説明出来ない。
でも、説明しようとも思わない。
その必要もない。

全ては、『直感』で分かっていることだ。
今は、自分のいるところが、それとは明確に違うということが分かる。

とにかく、『今』が全てであり、大切なのは『今』です。
私のストーリーに登場してくれた、お付き合いいただいた、パラレル・リアリティの、そのバージョンのあなたたち。
お疲れ様。

でも、ありがとうは言わない。
今でも、やっぱり嫌いだから。(笑)

私はまだ、それらを細かく説明は出来ないけれど、でもとにかく、私は大きな何かを終えたのだという気がしています。
もういちいち、嫌いな世界、心地良くない世界を、引き出して経験することはないと思います。
なぜなら、今私は、完璧に変わっているからです。

今までは、ワクワクすることをすると言っても、何となくネガティブなことばかりを考える私でした。
でも今は、初めて、ワクワクすることだけをしていくという世界に、健全な、清々しい喜びと、開放感が感じられます。
ワクワクすることを、いつでも全て自由に、心から自分に許すということ。
それで、人生を創っていくという世界が、やっと見えてきたような気がしています。

ワクワクすることだけで人生を創っていく、それだけで人生を創っていけるという『予感』に、ワクワクしている自分がいます。

不思議ですが、本当に有り難いことです。
そんな風になれた『自分』に、心から感謝します。

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2014年05月02日

人のこと。

人が、何を考えていようと、どんなことをしようと、何を企もうと、どんなに醜かろうと、それはその人の問題であって、私の問題ではない。
私には、全く無関係なことだ。

人の隠された本性(醜さ)は、その人がどんなにそれを隠していようと、たとえ長い年月を経たとしても、やっぱり必ず公になるものだ。

だが、私は自分を、自分の人生を、肯定して生きているので、その人のその『怖れ』や、その物事の本質にある『観念』の影響を受けることは、全くない。

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2014年05月01日

肯定。

愛と怖れ。
バシャールは、それらを、『どちらも同じエネルギーである』と教えてくれた。

自分とその自分の状況を、肯定的に捉えると、安心・安らぎ・平和・情熱・好奇心という愛(ワクワク)になる。
しかし、自分とその自分の状況を、否定的に捉えると、不安や怯えという怖れになる。

だから、どんな状況にあっても、必ず自分とその状況を肯定していくことだ。
信じていくことだ。
疑いさえ持たなければ、否定さえしなければ、安心と安らぎという喜びの中にいれるからだ。

常に、(自分が)自分に与えるもの、許すものだけが、自分の受け取るものになる。
自分の引き出す世界は、常に自分自身の許可(選択)なのだ。

そして、人のことは、私と同じく、その人自身が面倒をみることだ。

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2014年04月30日

未知なる世界へ。

昨日、また一つとても大きな断捨離(ダンシャリ)をした。
今までの人生では経験したことのない、本当に大きな断捨離だ。
住所不定・無職。
本当に実現してしまう。(笑)

何も持たない、抱えない、潔い人生が、本当に始まった。
自分の観念(怖れ)を、私はこんなにも大きく変えたということなのだろう。
この6年間の、私の身の回りの変化の凄さよ。
そして、ここ最近のもの凄さよ。

有り得ないことを、立て続けに引き起こし、経験している。
こんなことが出来てしまう自分に、本当に驚いてしまうが、これが間違いなく今の私なのだ。
本当に豊かな人生となった。
スピリチュアル(バシャール)さまさまだ。

『決める』と世界が動くということ。
そんな自分に驚くとともに、宇宙のサポートの凄さというものに、本当に驚きます。
自分に感謝し、宇宙に感謝し、今まで味わったことのない本当の自由さと豊かさを味わっています。
この豊かさは、結構いけてると思う!
いつも、『必ず先頭で旗を振る!』と言っていた私らしい?(笑)

ありがとう。

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2014年04月29日

愛している。

変わらず愛している。
自分のことを。
いつも愛している。
自分のことを。

だからどんな時でも、必ず私は全てがうまくいく。
どんな時でも、必ず宇宙がサポートしてくれる。

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2014年04月27日

本音。

午前中は長々と気取ったことを書いた。
でも本音は違う。

みんなのことが嫌いだった。
それだけのことだ。
お客様だけに限らずにね。

誠実にやってきたが、私なりにある判断をしたから店を畳んだ。
ただ、それだけのことだ。
ただ、『時』が来たということだ。

『変化』はいつも、突然、自動的にやってくる。

そして今私には、尊敬する愛しい偉大なサラがいる。
それが、今の私の、『人生の全て』だ。
これでいい。

I love you , Sara ….

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【 回想 】

本当に沢山の人が次々と店に来た。
お連れのお友だちと、お食事や珈琲を楽しまれ、お店の中でリラックスしてくれた人たちが沢山いた。
そんな時私は、厨房の中で、その人たちの楽しい会話の様子を眺めながら、ただぼおーっと一人幸せなひと時を感じていた。
何らかの事情で紛れ込むようにして来店した、たった一度きりの出会いの人たちも沢山いた。
でもほとんどの人たちは、お店に興味があり、『決意して』やってきて(そうとう入りづらい・敷居の高い雰囲気だったらしい…笑)、でも私との会話に安心してくれて、繰り返し訪ねてくれるようになった。

でも私はいつしか、人の荷物ばかりを背負うようになってしまった。
独りよがりなのだけれど。
でもそのスタンスを変えることが、なかなか出来なくなっていた。
求められる『役割』に生きてしまったからだ。

人を元気づけようと、いつも思っていた。
いつも励ましていた。
辛い人、苦しい人、淋しい人…。

そして、お客様たちにも協力していただきながら、お店で温かい『人の輪』を創ろうとしていた。
お客様同士の。
でもそれは、残念ながら実現しなかった。
皆、最終的には自分のことしか考えていないし、私に協力するために店に来ているわけではなかったからだ。
私は、どんな時も、ただ一人『孤独』で頑張っていた。
何の利害もなく、私の思っているレベルでそれに連なってくれたのは、サラだけだった。。

私の店は、表面は音楽の店ということにもなっていたが、音楽は限定された世界でもあり、人によっては全く必要なかったし、逆に邪魔だった。
私の店は、年配の人も多かったし、音楽を聞かない人も多かったからだ。
音楽目当てのお客様と、それ以外のお客様に対する、対応のバランスを取ることは大変だった。

でも、どうあれ私は、それぞれの人に、いつもいつも私なりの渾身の愛を注いだ。
『何百人』 対 『私一人』 の世界だ。
私の『自分との戦い』でもあったが、負けることはないと、初めから分かっていた。
私には元々、『大きな自信』があったからだ。
そして、サラが途中からそれに加わってくれた。

誰もが皆、私の温かい誠実な対応の『とりこ』になった。
居心地がいいからだ。
当たり前だ。
私は偉大だから。
こんな店など、どこにもない。
だから、店を訪ねた人たちは、すぐに皆、繰り返し毎週・毎日と、定期的に通う常連となった。

私は、自分の誠意ある対応に、相当の自信を持っていた。
自分が自分のことを、一番よく知っている。
実際、百発百中だった。
それだけの応対が簡単に出来た。
カメレオンのように。
人それぞれに。
それぞれの『心のヒダ』に沁み込むように。

でも、店内にお客さんが一人の時は良かったが、店内に複数居ると正直困った。
勿論それは、私の問題ではない。
私にかまってもらえないと、トーン(元気)の下がる人が多いのだ。
私を独占出来なくなることで淋しくなり、つまらなくなり、不機嫌になる人も少なからずいた。
皆、自分勝手なものだ。

それでも私は、とにかくいつもいつも人の話を聞いた。
音楽のこと、趣味のこと、仕事のこと、家族のこと、昔のこと、今のこと。
その人が嫌がる話題以外の話は何でも何度でも。

その会話の中で、その人が自分の今いる所(自分の位置)というものを、掌握・確認してくれればいいと思っていた。
私がその人の話を聞くことで、私がそれを誉めることで、その人は自信を持つことが出来た。
だから私は、とにかくその人を誉めるために聞いた。
聞いては、その人を肯定した。
いつも、共感してあげるために聞いた。
その人の歌う歌(弾き語り等)についても、全く同じです!!

でもそれは、常に私が一方的に与える世界だった。
私がその対応に 『NO!』 を表明しない限りは、全てが何の問題もなく流れていった。
皆、私のそばに来て、いつもいつもくつろいでいた。
でも皆、いつしかそれが当たり前になっていった。

感謝を忘れなかったのは、サラだけだった。
常にサラは、私が何をしているのかということをよく知っていた。
私が何も言わなくても、私のきめ細かい心の動き(気配り)というものを、常に瞬時に、敏感に察知していた。

でも私の愛を、最終的には、無意識に、無造作に『利用』する人が多かった。
善意を分からない、感謝を知らない人たちに、私の心が泣いていることがあった。
お殿様やお姫様たちも、本当に多かった。
私のしている対応を、商売なのだから…と、心の中では私を見下し、軽蔑し、私のことをださい奴隷のように思っていた人も多かったのかもしれない。
それは分からない。

私は、本当に誠実で優しい奴だ。
だから、私はその人たちを、いつもいつも見守っていた。
いつか本当の親友になれるようにと。

でも残念だけれど、私から厳しい言葉を浴びせられた人は、数え切れない。
でも私は、その人との関係を、何とかそこから前進させようとした。
表面的な偽善の付き合いなどするつもりはなかったし、そこには本音の人間関係というものがなかったから。
そして、残念だけど、中には最後まで、私の本音を伝えることの出来なかった人もいる。
でもそれは、悲しいが、私のせいではない。
そして、その理由は明かさない。

そして私は、ネガティブな世界に生きている人には、とことん厳しかった。
店の健全な空気を、いつも保ちたかったからでもある。
その人のネガティブな世界を、標準にされるのは困る。
皆、色々あっても、精一杯頑張っているのだから。
でも、人の選んでいる世界は、変えることは出来ない。

私は、商売でその人たちと関わりを持っているなどと、思ったことはない。
小さな店をしてると、そうは思えないものだ。
皆、繰り返し通ってくれている『有り難い人たち』ばかりだ。
皆、私の友人であり、家族だと思っていた。
でも、私のストレートな言葉に、ショックを受けて去っていった友は多い。
皆、愛に慣れてない。

逆ギレした人もいた。
私に、個人的に愛されているつもりの『勘違いの女性たち』、すきがあれば愛されたいと企んでいる『自惚れた女性たち』も沢山いたからね。
本当の愛を知らない、受けたことない人たち。
素直でない、プライドの高い、独りよがりの、幻想の、妄想の、ずるい、したたかな、下品な、卑怯な、淋しい、怯えた女性たちの何と多いことか。

また、そんな私の店に来る女性たちを目当てに、そして更には、常にお店にいるサラを目当てに来る困った男性たちもいた。
そんな人たちがいると、店の空気が下品になり困った。
そして、そんな人たちにも、私は厳しい言葉を投げかけた。
そうでもしないと、収集がつかないからだ。
また、サラがその人たちに、直接厳しいパンチ(態度・言葉)を食らわせることもあった。

こんな経験を積み重ねながらも、私は自分のネガティブな見方を、なんとか変えようと思い頑張ってきた。
でも、全ての人の全ての行動を許すことは、最後まで出来なかった。
自分にとって心地悪いもの・嫌いなものがあるからこそ、自分の好きなもの、心地良いもの・求めるものが分かる。
私には、私の選ぶ心地良い世界がある。
でもそれも、自分を大切にするからこそだ。

どうあれ私は、どんな時も、自分自身に対する『精一杯の愛』に生きた。
だから、全てがこれで良かったと思っている。
人のネガティブな観念の影響を受けることは、一度だってなかったし、そんなヤワな自分ではない。
淋しくもない。
常にその時の自分に合った人が引き寄せられるということを、私は知っているからだ。
変化は自動的に起こるものだ。
全てが私次第だ。

店のことは本当に、語っても語っても、語り尽くせない。
本当に、私の魂の全て(愛情)を注ぎ込んできた。
本当に、長い長い旅だった。

今日は、ちょっとネガティブな回想になってしまいましたか?
機会があれば、今度は素敵な思い出もご紹介しますね。
そちらも、無限にありますからね。
今日はこの辺で。

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2014年04月26日

漕がないということ。

オールを漕がないということ。
流れにまかすということ。
手放すということ。

抵抗しないということ。
受け入れるということ。
全てを許すということ。

頑張らないということ。
戦わないということ。
自分でしないということ。

働きかけないということ。
あるがままということ。
ただ起こるにまかせるということ。

全てが自動的に起こるということ。
全てのタイミングが完璧だということ。
全てのタイミングを信頼するということ。

自分を信頼するということ。
人生を信頼するということ。
全てを肯定するということ。

判断しないということ。
安心するということ。
リラックスするということ。

漕がないということ。
漕がないということ。
漕がないということ。

漕がない人生ということ。
本当の人生ということ。
本当のパワーということ。

大いなるすべて(創造・CREATION・無条件の愛)ということ。
大いなるすべてのパワーということ。
信頼したあり方ということ。

心を休めるということ。
体を休めるということ。
完璧に完全に永遠に休むということ。

あり方を整えるということ。
今はそれが許される状況なのだということ。

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2014年04月25日

『いま・ここ』という感覚のある場所。

さて…。
時間というもの。
時間の経過とは、本当に存在しているのだろうか。
時間とは、本当に一瞬一瞬を積み重ねた『量』(幅)のことだろうか。
『時を積み重ねる』ということが、本当にあるのだろうか。

もしかしたら、あるのはいつだって常に、『この一瞬』だけなのではないだろうか。
同じ一瞬を、ただ色々な窓・位置・メガネから見ているだけに過ぎないのではないだろうか。
過去もただ、今というこの一瞬の『どこか別のところ』に存在しているだけなのではないだろうか。
変化(動き)とは、全てがただ錯覚(幻想)のようにも、私には思えます。

時というものの不思議。
私たちが生きているのは、いつだって常に『いま・ここ』という感覚のある場所だ。
風景は違うけれど、昨日(過去)も確かに『いま・ここ』という感覚の場所に生きていたし、明日(未来)も多分『いま・ここ』という感覚の場所に生きるはずだ。
この同じ『いま・ここ』という感覚は、一体何なのだろう?

どうあれ、私が存在できるのは、いつだって『いま・ここ』という感覚のある場所だ。
私は今も、『いま・ここ』という感覚を感じています。
そして、私の『いま・ここ』という感覚は、あなたの『いま・ここ』という感覚と、同じですか?

見ている立場や景色・感情は、当然全く違うだろう。
でも、『いま・ここ』という感覚は、私のものもあなたのものも、きっと全く同じなのでしょうね。
ほんのちょっと前も、ほんのちょっとこれから先も。
昨日も明日も。
遠い過去も、遠い未来も。
常に、いつも、いつも…。

この感覚が、生きてるということなのだろうか。
これが、『有』(存在)というものの証なのだろうか。
有が無には絶対になれないのだとしたら、私たちはきっと姿・形は変わっても、必ずこの『いま・ここ』という感覚は、常に持っているのでしょうね。
眠っていても、死んでいても、たとえもしまた生まれ変わって生きたとしても。
『いま・ここ』という感覚(意識)が途絶える(死ぬ)ことは、きっと永遠にないのだと私は思います。

そして、『いま・ここ』という感覚は、別の言い方をするならば、『私は在る』という感覚とも言える。
それが、『時』(一瞬)というものの別名なのでしょうか。
『有』というものの不思議。
そして、『存在』というものの不思議。
私は、『時を駆ける』ということではなく、『一瞬という刹那な世界』を、『様々な窓』(視点・景色)から同時に見てみたいと思っています。

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2014年04月24日

『無防備』という名の最強の武器。

高学歴に優良企業への就職?
公務員志望?
高収入に地位と名声?
出世と肩書き、栄光と成功、そして繁栄?

ブランド・ギターにブランド・バッグ、高級オーディオ、そして舶来の最高級車?
結婚、出産、子育て?
マイホームの建築、庭いじり、そして家族でお庭でバーベキュー?
そして、次に手にするものは何ですか?

みな、毎日なかなか忙しい。
でも、人生って一体何だろう。
社会や人に合わせ、振り回されると、自分というものが分からなくなる。

みな、頑張らなくてはいけないと思っている。
みな、何かを必死で追い求めている。
人より偉くなり、人より裕福になり、常に人に負けないようにと。
生き残るために?
でも、勉強なんて、したい人がすればいい。
人生に対する価値観は、本当に無限なのだから。

みな、無様にはなりたくないと思っている。
でもそれは、全てが『怖れ』というものだ。
人生は、決して外側に何かを築かなくてはいけないものではない。
何か武器を持つこと・築くことが、人生の目的なのではない。
『無防備でいれるあり方』こそが、人生最大の武器だ。
私は、そう思っている。
何も怖れがないということ…。

いや、勿論、全ては個々人が自由に選ぶことだ。
だから、その人にとっては、どの道を行こうと、何も誤りはないのだが。

でも、無様になりたくないからと言って、人に負けたくないからと言って、暇は嫌だ・不真面目は嫌だと言って、心の空白・空しさを埋めようとして、何かに没頭していくのは、私的には違う。
なぜならそれは、逆に自分を『抹殺』していくようなものだから。
私は、常に自分を大切にして、自分の『怖れではない本音(真実)』に生きたいと思っています。

心地良いものを感じていくということ。
心地良いこと以外しないということ。
疲れることはしないということ。

いや、心地悪いものを感じる必要はないということ。
心地悪いことはしなくてもいいのだということ。
疲れることはしなくてもいいのだということ。
それらを知ることが、とにかく一番大切だ。

私はどうあれ、この世界で唯一の存在だ。
世界に、宇宙に、たった一人の私というもの。
私は、これからも私の中に、素敵な世界・心地良い宇宙を、もっともっと築いて(創って・感じて)いきたいと思っています。
常に、私の内側にね。

もうこれ以上、虚栄に生きたくはない。
自分を見失うことは、これ以上もうご免なのです。

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2014年04月20日

愛こそがすべて。

私はただ、その人の愛が知りたい。
ただそれだけだ。
地位も、名誉も、学歴も、家柄も、お金も、美貌も、飾りは何も私には不要です。
そう思って、私はいつも、人と接している。
ただ全ての虚栄を剥ぎ取った、丸裸のその人の愛の大きさ・素敵さ・素晴らしさを、私はいつも教えてほしいと思っている。

でも、私は実は、とてもクールで腹黒い男だ。
いつも、人の愛というものを、自分という『ものさし』で量っている、したたかな人間だ。
人は、なかなか自分の醜さや、小ささ、冷たさを、人に現したりはしない。
逆にそれを、悟られないようにと、皆必死だ。

でも、私はいつも真っ裸で、人と『愛比べ大会』をやっている。
私は、人のぶら下げた勲章(見栄・虚栄・虚像・幻想・不誠実さ)が大嫌いだ。
そして、この6年間で私の愛に勝つ人は、残念だけど誰一人いなかった。
皆、誰も本音を語らないし、自分の本音を感じてもいない。
皆、虚栄で自分を慰め、ごまかし、人をたぶらかしながら生きている。

でも、私に虚栄は通じない。
私は、丸裸だからだ。
でも、私には、同じレベル(潔さ)のサラがいる。
サラは、本当に凄い人だ。
サラがこの世に存在してくれていたことが、私の何よりの幸せだ。

でも、心の友(味方)が、6年間で一人だけでは寂しい…?
でも、サラに会うまでは、私はずっと一人ぼっちだったのだ。
だから、今は毎日が本当に幸せだし、魂は既に満たされ、癒されている。
前にも書いたが、0 と 1 では全く違う。
1 は実は、『無限』ということなのです。
外側に、『自分の分身を出現させる』ということの意味(その凄さ)を、あなたは知っていますか?

そして、人の愛を何で量るかって?
それは、間違いなく言動…!
始まりは、言葉…。
そして、最終的には行動…。
愛は、いくら心で思っていてもダメだ。
行動(実践)のない人は愛がない!、と私は厳しく断定します。

私のする行動のレベルが全ての基準です。
私ならこうするというレベルを、いつもきちんとやってくるのはサラだけだ。
自己否定はいらない。
自己否定と愛は、完璧に一致しないからだ。
そして、謙虚の人、謙遜の人、自己嫌悪の人は、人を救えない。
人を見殺しにする人であり、泥をかぶらない、勇気のない、自分を選ぶ人・怖れの人であって、つまり愛の人ではない。
まだ、前に進むべき『道のり』があるということだ。
そんな気取った偽善を、私は嫌います。

私はとても優しいから、とことん人を信じてやりたい奴だ。
いつも魂(真心)を込めて、全ての人にそうしてきた。
でもそれも、もうまもなく終わる。
でも、6年で学んだことは、全てが一発勝負でいいいということだった。
私の直感ということ。
そして、人の失態(失敗)ということ。
人の謙遜=傲慢(自我)ということ。

『泥をかぶりながら…』
私たちは、いつもそうだものね…、サラ!
一発の失態でも、本当は失格は失格なのです。
そして、失態を取り戻すことをしないということが、最終的なその人の失態であり、私たちへのその人からの『最後のメッセージ』(別れのご挨拶)ということになる。
それが、厳しいリアルな現実であり、乗る電車の違い、そして、私たちの『譲れないものさし』というものでもある。

今日は、自分という『ものさし』を確認する作業を完璧にやってきた、これまでの私の結論(今の私の立ち位置)というものを書いてみました。
久々の天狗男登場…?(笑)
でも、ここに嘘はないのです。
そしてこれは、悲しいかな私が創造している世界であり、でも私の引き出す世界は、私にとっては、いつも本当に『肯定的な世界』(意味のある完璧な世界)なのです。
これでまた、先へと進むことが出来るからです。

※ 追記
書き忘れました。
私は愛の人なので、求められたとしても、時には行動しないこともありますよ。
何故なら、それも私の愛の形(選択)というものだからです。
あしからず。

posted by IN MY LIFE の神様。 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | I love Sara | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月19日

それでもなお。

そこには、もしかしたら、おかしな世界があるかもしれない。
でも、状況は問題ではない。
ただ、私のあり方だけが問題だ。

私は、ただ私の望むあり方に生きればいい。
人生に、自分を遮るものは何もない。
私はいつも、ただ胸を張って、軽やかに歩む。
私の人生に、他人の荷物は必要ないから。


以下は、『 それでもなお、人を愛しなさい 』 ケント・M・キース 著 より。

≪ 逆説の十カ条 ≫

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
  それでもなお、人を愛しなさい。

2. 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

3. 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
  それでもなお、成功しなさい。

4. 今日の善行は、明日になれば忘れられてしまうだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

5. 正直で率直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。
  それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落とされるかもしれない。
  それでもなお、大きな考えをもちなさい。

7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後ろにしかついていかない。
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8. 何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れ去るかもしれない。
  それでもなお、築きあげなさい。

9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
  それでもなお、人を助けなさい。

10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
  それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

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2014年04月15日

受け取ることは与えること。

私は、常に人にとことん尽くしたい人間だ。
それは、人にとっては、とてもお節介なことなのだけれど。
でも、それが私の性分であり、それが私の幸せでもある。

与えることと受け取ること…。
そもそも、誰も誰かのお世話になろうとか、助けてもらおうなどとは思ってはいない。
だから、お節介は誰にとっても余計なお世話だし、ある意味迷惑だ。

でも、信頼できる人からの適時のサポート(支え)は、本当に有り難いものだ。
勿論、自分にできる誠実なお礼を、きちんとすることは当たり前のルールだけれど。

でも、それもシンクロなのだと思う。
私がサラから受けている無条件のサポートは、本当に有り難いものだけれど、それが彼女という存在を助けてもいる。
そして、私のサポートを彼女が受け取ってくれることで、私自身が本当に助けられている。

受け取ることが、与えることになる…。
受け取ることのできない人は、人に与えることはできない。
つまり、『愛のない人』は、受け取ることができない。
だから、人に与えたかったら、抵抗しないで、ただ有り難く感謝して、素直に受け取ればいい。
その人の『愛』(好意・親切)を受け取らないことで、その人を傷つけ、悲しませることにもなるのだから。

シンクロした人間関係は、『受け取ることが与えることになる…』ということを、私はサラとの関係から学んだ。
私が受け取らないために、私は何度も彼女を失望させ、傷つけた。
でも彼女の愛は、決して取引や駆け引き、見返りを求めるものではなく、ただ本当に純粋で美しく、無条件なものだ。
そして、サラにはそれまで、それを受け取ってくれる人がいなかった。
彼女が、どれだけ大きな愛を注いだとしでも。
それを怖れず、そして感謝して受け取ることのできる人が…。

互いに『与え合う愛』、『注ぎ合う愛』が、私たち二人を、互いに生かしています。
少しの無駄もなく、響き合っている。
二人の間に起きる出来事の全てが、二人の流れを、更に勢いづけるように働いています。
でも、今はもう私は、そんなことには全く驚かないし、全く不思議とも思わなくなった。

昔に比べると、『こんな人生もあるんだなあ…』と思うことも、まだたまにはあるけれど、今は過去の自分も、過去の自分の人生もどんどん忘れてしまって、今は常に、『今』だけに生きるようになっています。
だって、昔を思い出したところで、何にもならないのだから。
ふと気づくと、瞬間瞬間、『今・ここ』に対する、感謝だけが拡大しています。

そして、これでいい。
これが、私の魂の望む人生だったのだから。
いつも、本当にありがとう。

posted by IN MY LIFE の神様。 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | I love Sara | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

これから。

愛。
こんなにも愛がある。
私は、こんなにも愛に居る。
抑え切れない幸せが、溢れ出る。

そして、愛とはテレパシーだ。
私と同じ愛の人とはテレパシーで分かりあえる。
周波数(波動)が同じだから。

人の面倒はみない。
人の面倒は、その人自身がみるものだし、その人にしかみれない。
私はただ、自分に生きる。
人のために尽くす人生は、もう畳んだ。

6年間、私より大きい愛の人に会うことはなかった。
無意識で生きている人が多い。
必死で何かを追い求めている人でさえも。

きっと、それを意識したくないのだろう。
意識したところで、どうにもならないと信じて(絶望して)いるから?
でも、それもいいさ。
どうあれ、宇宙の愛は、常に完璧なのだし、無条件なのだ。

だから、私は待つことをやめた…。

でも、私はサラと出会った。
2年が経った頃だ。
そして、私の愛に語りかけてきたのは、後にも先にもサラだけだった。
それはとても神秘的で、そしてとても奇跡的なことだった。
サラは、すごい人だ。
神様が私に与えてくれた。

だから私は、サラを讃える。
サラを謳うことは、私の喜びだ。
私はただ、自分とサラを謳いたい。
今私は、静かにそう思っています。

これから、そんなブログを書いていこうかなとも思う。
気が向いたらだけどね。
ただ自分のためだけにね…。

posted by IN MY LIFE の神様。 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | I love Sara | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする