HERV-1

 今年になって、Neuronのという一流の科学雑誌に日本の研究グループが統合失調症の病因に関する論文を出した。人類のDNAに組み込まれているウイルス断片であるレトロトランスポゾンが原因なのだという論文である。今回は人のDNAに組み込まれているレトロトウイルスについて触れてみたい。
 
 まず、その論文であるが、「Increased L1 Retrotransposition in the Neuronal Genome in Schizophrenia」というタイトルである。日本語に訳すると、「統合失調症の神経細胞のゲノムではL1レトロトランスポゾンが増加している」ということになろう。

 論文が有料なため本文が見れないのだが、抄録や他のHPの紹介記事を参照すれば、L1レトロトランスポゾン(LINE-1)のコピー数の増加が、統合失調症の死後脳や、 22q11が欠損した患者(SZと診断されたケース?。2名)からiPS細胞を作成して神経細胞に分化させたサンプルで確認されたようだ。その所見から、環境要因によってLINE-1が複製され、そのLINE-1がシナプス機能や統合失調症に関与する遺伝子に再挿入され、その正常な機能の混乱をもたらすことでSZの病因として寄与しているのかもしれないと考察をしているようだ。これは画期的な発見かもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%B3

 しかし、上の論文の所見には異論もあるが(LINE-1の再挿入という現象は頻回には生じないだろう、など)、日本の研究者の論文だけに今後のさらなる進展に期待したい。

 なお、トランスポゾンにはDNA型とRNA型の2つがあり、RNA型ではコピーされたシークエンスが挿入されていくため、トランスポゾンのコピー数がだんだんと増えていくことになる(LINE-1もRNA型である)。
 
トランスポゾン
 
 一方、人のDNAの中にはレトロウイルス断片が数多く組み込まれていることが既に分かっており、その中でも、特に、ヒト内在性レトロウイルス、(HERV)が神経・精神疾患との関連性で注目を集めてきている。人の全ゲノムの8~9%がHERVであり、膨大な数のウイルスが人類のDNAの中には住み着いていることになる。

 HERVには多くの種類があるのだが、その中でも、特に、HERV-Wという内在性のレトロウイルスと統合失調症との関連が指摘され注目されてきている。HERV-Wはインフルエンザなどの感染症の際に活性化され、HERV-Wがコードするタンパク質が翻訳され生成されると、炎症性のサイトカインなどが誘導されてしまい、神経細胞を障害する方向に作用する。もし、母親が妊娠中に何らかの感染症に罹患し、胎児のHERV-Wが活性化するといった現象が起これば、胎児の介在ニューロンの減少という変化を生じさせ、後の統合失調症の原因になることには間違いないだろう。さらに、トキソプラズマ感染などの出生後に生じた感染症によってもHERV-Wが持続的に活性化されてしまうことが分かっており、もし、HERV-Wが活性化された状態が続けば、神経の炎症が続き、その結果、統合失調症などの精神疾患を発症させてしまうことになるであろう。精神疾患を予防するためには、感染症を予防することが、HERV-Wの活性化を防止する上でも、非常に重要なことになるのは間違いないであろう。
HERV-2

 なお、人とHERVとの関わりは非常に深く、最近、人の細胞の多能性にはHERV-HというHERVの一員が深く関わっていることが報告されている。すなわち、人の細胞内部ではHERV由来の物質を細胞のいろいろな機能を維持する上で利用しているのである。従って、もし、HERV遺伝子をうまく制御できなければ、逆に、細胞の様々な重要な機能が障害されることになる。

 今回は、ヒト内在性レトロウイルスが統合失調症の原因かもしれないということを発見するまでの物語を紹介する。4年前の雑誌の記事であり少々古くはなっているのだが、非常に面白い記事なので紹介したい。

狂気を呼ぶウイルス
「The Insanity Virus」

 統合失調症は、長い間、両親のせいにされてきた。両親の育て方が悪いと非難していたのは、統合失調症の患者の発育過程を間違えて解釈していた精神科医のグループ達である。しかし、統合失調症の真犯人は、一人一人のDNAに既に組み込まれているウイルスだったのである。

 スティーブン・エルモアとデイビッド・エルモアは一卵性双生児として生まれたが、この世界での最初の日は、二人の間では何の違いもなかったはずである。デイビッドは一週間後に病院から帰ってきた。しかし、スティーブンは、4分後に生まれ、ICUに収容された。1か月の間、彼は、医師から危険なウイルス感染だと診断されて、発熱に苦しみ、インキュベーターの中で死んでもおかしくない状態で推移した。スティーブンは回復したが、彼は双子の兄よりも遅れをとってしまった。スティーブンは目を覚ましたが、殆ど泣かない赤ん坊だった。デイビッドは鏡のように母親に笑顔を返したが、母親が微笑んだ時、スティーブンはうつろな目で母親を見つめていただけだった。数年後にスティーブンは歩き始めたが、よくバランスを失い、テーブルに顔をぶつけて、唇を怪我するようになった。

 これらの初期の違いは遠い記憶に消えたかに思えたが、その双子の兄弟は、その後の生活の中で、新たな大きな違いが生じた。小学校に入った頃にはスティーブンは能力を発揮し始めたように見えた。双子の兄弟のDNAは全く同じようにコピーされているように見えた。彼らは背丈も同じだったし、金髪だった。血液型はB +。彼らは、同じようにバスケットボールをこなした。スティーブン・エルモアは、厳しい人生のスタートを克服していたかに見えた。しかし、その後、17歳の時、幻聴が始まった。

 幻聴はスティーブンが車を運転中に聴こえてきた。幻聴はガールフレンドを見つけられなかったスティーブンを嘲笑した。車の窓を開けたり、ラジオの音を出したが幻聴は消えなかった。自宅では他の声がスティーブンを攻撃してきた。家の窓から3人の幻聴が聴こえた。2人の怒った男達の声と、男達の口論を停止させる1人の女性の声だった。さらに仕事の後でステレオのスピーカーから別の声が聴こえてきて、スティーリー・ダンやレッド・ツェッペリンの曲の解説を単調に語り始めた。彼の神経は擦り切れてしまい、彼は壊れてしまった。彼は爆発し、数週間以内に医師から統合失調症と診断されて精神科病院に入院した。

 このスティーブンの双子の物語は、統合失調症における長年にわたる謎の1つ(双子でも統合失調症の一致率は100%ではなく、70~80%である。)を反映している。統合失調症は最もありふれた精神疾患の1つであり、人口の約1%に発症する。長い間、統合失調症は、冷たい母親の養育態度のせいにされていた。最近では遺伝子異常に原因があると考えられている。しかし、両者の解釈は、多くの重要な事実とは矛盾しているのである。

 統合失調症は、通常、15歳から25歳の間に診断されているが、統合失調症を発病した人は、子供時代に、怠慢であり、恥ずかしがりであり、不器用だったという、健常な子供との違いがしばしば指摘される。家族のビデオの研究にて、これらの事象が確認されている。さらに、不可解な、いわゆる生まれた月の影響が指摘されている。冬や春先に生まれた人は、その後の人生で、統合失調症になる可能性が高くなる。それはわずかな増加(5~8%)ではあるが、250もの研究で一貫した所見である。そして、同じようなパターンが、双極性障害や多発性硬化症を持つ人々にも見られるのである。

 「生まれた月の影響は、統合失調症における最も明確にされた事実の1つである」と、メリーランド州のスタンリー医学研究所の所長であるフラー・トーリーは言う。「それは遺伝子によって説明することも困難であるし、悪い母親で説明するのも困難である」。

 統合失調症の事実は非常に特有なものであり、トーリーらの多くの科学者に疾患の原因のこれまでの説明を放棄させ、驚くような他の原因を認識させ始めている。トーリーらが言うには、統合失調症は心理的な疾患として発症するのではない。統合失調症は感染症によって発症するのである。
 
 感染症が原因であるという考え方は、当初は懐疑的に思われたが、十数年後に、トーリーらは、最終的に感染性の病原体を発見した。それは「狂気ウイルス」と呼ばれることがある。もし、トーリーが言うことが正しければ、犯人はウイルスであり、このウイルスは幻覚を生じさせ、作家ジャック・ケルアックや数学者のジョン・ナッシュや数百万人の人々の生活を引き裂き、それは人の体の中に組み込まれているウイルスなのである。「一部の人々は統合失調症の感染症仮説を笑い信用していない」と、スイス連邦工科大学で神経免疫学者であるウルス・マイヤー博士は言う。「しかし、統合失調症の感染症仮説が研究者に与える影響は5年前よりもはるかに大きくなってきている。そして、私の予測では、それは将来的にはさらに大きな影響を及ぼすことであろう」。感染症の影響は甚大である。トーリーやマイヤーや他の研究者は、妄想が始まる前には十数年間の期間があり、統合失調症の根本的な原因に対処することができるかもしれないという希望を持っている  
 
 この統合失調症を引き起こしているウイルスへの薬物治療(モノクローナル抗体)の臨床試験が既に進行中である。その臨床試験の結果によっては、統合失調症だけでなく、双極性障害や多発性硬化症への意味のある新しい治療法につながる可能性がある。しかし、疾患を越えて、もし、狂気ウイルスが証明された場合は、「我々」と「ウイルス」、すなわち、病原体とホストの間の境界を曖昧にし、人類の進化に関する基本的な見解に挑戦してくるような存在になることであろう。
  
 トーリーと統合失調症との接続は1957年に始まった。夏が終わる頃に、彼の妹であるローダは、だんだんとおかしくなっていった。彼女は、ニューヨーク州北部にある家族の家の芝生の上に立ったまま遠くを見つめていた。彼女はつぶやいた。「イギリスの・・・」と彼女は言った。「イギリス人が来ている」。ローダは大学が始まるわずか数日前に統合失調症と診断された。医師は家族関係の機能不全が彼女のメルトダウンを引き起こしたのだと、嘆き悲しむ家族に向かって語った。彼の父親は既に亡くなっていたため、トーリーは感情的な負担を一手に背負いながら大学で学ばなければいけなくなった。

 トーリー所長は今は72歳になるが、彼は今でもその年の出来事を思い出し、眼鏡の奥の顔の表情が曇る。「統合失調症は軽視されていた」と彼は語る。

 トーリーは精神医学のトレーニングを終えて、1970年にワシントンD.C.にある国立精神衛生研究所に赴任した。当時の精神医学はフロイトの精神分析が全盛であり、ローダのような人々には何も提供できなかった。トーリーは、統合失調症の研究の機会を探し始めた。彼は、当時の主流の精神医学からは決別し多くのことを学んだ。

 統合失調症の患者は精神の障害だけでなく多くのことに苦しんでいることが、シンプルな神経学的検査を行っただけでもトーリーには分かった。患者の多くは、つま先や踵で直線を歩く標準酩酊テストでうまく歩行できなかった。閉眼の患者にトーリーが同時に顔や手に触れた場合、多くの患者の場合、2箇所に触れていることが識別できなかった。さらに、統合失調症の患者は、白血球が感染症と戦っている炎症の所見を示していた。「もし、あなたが統合失調症の人々の血液を見ると、単核球症で見られるような、多くの奇妙なリンパ球があることが分かるだろう」とトーリーは言う。彼は、スティーブンとディビットのような一卵性双生児のペアにCATスキャンを実行した時に、統合失調症を発症した双子の片方の脳では、組織の喪失と大きな脳室を有することを見出した。

 その後の研究で、これらの奇妙なことが確定的となった。多くの統合失調症患者は、慢性の炎症所見を示し、時間をかけて脳組織を失い、これらの変化は、症状の重症度と相関していた。トーリーは言う。「この所見は、統合失調症は心理的な問題ではなく脳の疾患であることを私に確信させた」。

 1980年代、これらの症状を説明し得る病原体を探索するために、彼はボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学の感染症の専門家であるロバート・ヨルキンと伴に研究を始めた。2人の研究者は、統合失調症では、しばしば、家の猫で媒介される寄生虫であるトキソプラズマに対する抗体や、単核球症を引き起こすエプスタイン・バーウイルスに対する抗体、サイトメガロウイルスに対する抗体を有ることが分かった。これらの人々は、明らかにどこかの時点で、これらの感染性病原体に晒されたはずだが、患者の体内では病原体自身は発見されなかった。感染症は、常に数年前に起こっていたように見えた。

 感染は、実際には幼児期に発生した可能性があるのではとトーリーは疑問に思った。統合失調症は冬と早春の間に多く見られ、感染症が疾患の端を発したとするならば、誕生ヶ月の効果を説明することができる。「私は、心理的な原因を唱えていた精神科医は自分自身が精神病的だった思うが、いくつかの精神科医は、まだ、そのままである」とトーリーは述べる。

 トーリーとヨルキンは自分の理論を追いかけていたが、他の科学者は知らず知らずのうちにその争いの中に加わった。エルヴェ・ペロンは、フランスのグルノーブル大学の大学院生だったが、博士号を取得できずにドロップアウトしてしまい、より挑戦的で物議を醸し出す1987年のプロジェクトに参加することにした。彼は、RNAからDNAに変換するウイルスが多発性硬化症(MS)に関係する可能性があるのではという新しいレトロウイルスに関する考えを学びたいと思った。

 メリーランド大学の人間ウイルス学研究所の所長であるロバート・ギャロはHIVウイルスの共同発見者であるが、彼は、このHIVウイルスは、多発性硬化症における麻痺性の脳病変を誘発するかもしれないと推測していた。研究者らは、既に疾患の原因として、ヘルペスウイルス(HHV-6)、サイトメガロウイルス、エプスタイン・バーウイルス、レトロウイルス(HTLV-1、HTLV-2)を見出そうとしていた。しかし、彼らはいつも空振りに終わっていた。
 
HIV encephalopathy

 ペロンは彼らの失敗から学んだ。「私がそれを見つけたいのならば、事前の考えを持つべきではないと判断した」と彼は言う。他の研究者がしたような1つのウイルスを探すことよりも、それが科学に知られていたかどうかに係らず、任意のレトロウイルスを検出することを彼は試みた。彼は、MS患者の脳脊髄液を採取抽し、レトロウイルスによって運ばれる逆転写酵素と呼ばれる酵素について全て検査した。案の定、ペロンはレトロウイルス活性のかすかな痕跡を見つけた。まもなく彼は、レトロウイルス自体のファジー電子顕微鏡画像を得ることができた。

 彼の発見は興味深いものであったが、決定的な結論を得るには遠かった。彼は、その発見はまぐれではなかったことを確認した後、その遺伝子の配列を決定する必要があると考えた。そのため、彼はリヨンにあるフランス国立科学研究センターに移動し、日夜、週末もレトロウイルスの配列の解析に従事することになった。彼は、配列を決定するために、MSを持つ人々からの無数の細胞を培養し、謎のウイルスを十分に成長させた。MSは不治の疾患であり、ペロンはレベル3のバイオハザードの実験室で研究をしなければならなかった。彼は、この気密のラボで働き、使い捨てのマスクと手袋という人生を送っていた。

 研究開始から8年後に、ペロンは最終的にレトロウイルスの遺伝子配列の解読を完了した。彼が1997年のその日に見つけたものは誰もが予測しなかったものであった。彼の前に他の多くの研究者が失敗していた理由を即座に説明していた。私達はウイルスと言われれば、唾液や、鼻水や、精液によって、海を越え、人から人へと感染するウイルスを想像するが、ペロンが解析したバグは我々の中に潜んでいたのであった。それは最も深いレベルで私たち人体のDNAの中に永久に住みついていた。バイオハザードラボから離れてから数年後、ペロンは、誰もが多発性硬化症を引き起こすウイルスを持っていることを悟った。

 他の研究者は、ペロンが発見したレトロウイルの重要性を完全に把握していなかった。1970年代、研究者らは妊娠したヒヒの胎盤の電子顕微鏡画像を見てショックを受けた。健康にみえる動物の胎盤の細胞から滲み出てくる球面のレトロウイルスを見出した。その後、健康なヒトにもレトロウイルスが存在することが発見された。このようにして、進化生物学の奇妙な章が始まった。

 インフルエンザや麻疹のようなウイルスは、感染する際に、宿主の細胞を殺す。しかし、HIVのようなレトロウイルスが細胞に感染する際には、彼らはしばしば宿主細胞を殺さずに宿主のDNAに自分自身の遺伝子をスプライスして侵入させる。感染した細胞が分裂すると、分裂した子孫の細胞の双方がレトロウイルスの遺伝子を運ぶことになる。

 過去数年間で、遺伝学者はペロンが発見したレトロウイルスがどのようにして我々のDNAの中に組み込まれたのかを繋ぎ合わせた。6000万年前、猿や人類の祖先であるキツネザルはそのレトロウイルスに感染した。しかし、疾患を起すことはなく、精子や卵子の細胞に侵入した。そして、精子や卵子に分化する生殖系の細胞の1つの内側に侵入し、精子や卵子のDNAに組み込まれた。キツネザルの子孫が生まれると、そのレトロウイルスは幸運にも精子や卵子のDNAに乗って、次の世代へと、世代から世代へに渡って移動した。「それは、非常に稀な、ランダムで偶然の出来事だった」と、イギリスのオックスフォード大学の進化生物学者であるロバート・ベルショウは言う。「人類に進化する1億年の間に、レトロウイルスが我々のゲノムに侵入して組み込まれて増殖するという出来事は、おそらく50回はあっただろう」。
 
HERV-3

 しかし、そのような遺伝子への侵入は非常に長い時間をかけて起こなわれる。従って、人類のDNAではこの内在性のレトロウイルスがぎっしり詰まって埋め込まれている状態になっている。第6染色体第7染色体上の特定のアドレスに、ヒト内在性レトロウイルス-W(HERV-W)と呼ばれるペロンが発見したウイルスの数十ものコピーが存在する。

 もし、我々人類のDNAは、飛行機の機内持ち込みバッグであったとしたら(本質的にそうであるが)、バッグの中身はヒト内在性レトロウイルスであふれんばかりであろう。私達は自分のDNAの中に約10万種ものレトロウイルスのシーケンスを持ち歩いており、ヒトDNAの40%以上(~45%)がウイルスに関連する遺伝的な寄生体で占められている(下図)。我々の体は、タンパク質という頑丈な構造物でこれらのDNAを固く結び付けることで、DNAの中に潜むウイルスを沈黙させているが、時々、そのウイルスは外に忍び出てくる。そして、内在性レトロウイルスにスイッチが入ると、そのDNAがコードしているタンパク質の製造が開始される。産生されたタンパク質は、細胞の中からレトロウイルス粒子として滲み出て、レゴブロックのように自分自身を組み立て始める。
人DNA

 内在性レトロウイルスは、長い間、遺伝子の化石であり、何もできないDNAだと考えられていた。しかし、ペロンの啓示によって、少なくとも10件もの研究によって、 MSを有する人々においてはHERV-Wが活性化されていることが見出されている。
 
 ペロンが彼のレトロウイルスを発見をした頃、トーリーとヨルキンは統合失調症の原因となる病原体を探し約15年が過ぎていた。彼らは、決してバグではない抗体の多くを発見した。その後、ヨルキンのラボでポスドクだったホーカン・カールソン は、レトロウイルスがAIDS患者において精神病を誘発していることに興味を持ち始めた。研究チームは、他のレトロウイルスが統合失調症などのAIDS以外の疾患でも症状を引き起こす可能性があるかもしれないと疑問に思うようになった。そこで、彼らは、まだカタログ化されていない1つのウィルスだった場合でも、逆転写酵素をコードする配列を検出することで、全てのレトロウイルスをチェックするというペロンと同様の実験を行うことにした。そして、2001年、ついに統合失調症を引き起こす犯人を逮捕した。なんとそれはペロンがMS患者から発見したHERV-Wであった。

 他のいくつかの研究でも、統合失調症を有する人々の血液や脳脊髄液中にHERV-Wと同じような活性要素が見出されている。1つは、2008年にペロンによって発表された論文であり、健常人の血液ではわずか4%しか検出されなかったが、統合失調症の人々の血液からは49%ものHERV-Wを検出した。「統合失調症の多くがHERV-Wを有していた」とペロンは言う。「そして、統合失調症の多くが炎症を有してした」。彼は今、HERV-WがMSと統合失調症の双方の多くのケースを理解する鍵だとして考えている。「私は何年も前から疑っていた」と彼は話す。「今は確信している」。

 注; ヒトゲノムではHERV-Wの複数のコピーが存在する。HERV-Wのgag、pol、envの遺伝子の大部分は、ウイルスタンパク質をコードする能力を失っているが、染色体7q21上の要素は無傷のenv遺伝子を含有することが知られれている。このenv遺伝子のコードするタンパク質はシンシチン(syncytin)と呼ばれ、人では胎盤形成に重要な役割を果たすが、胎盤以外で発現するとMSやSZを引き起こすことになる。さらに、統合失調症ではHERV-Kとの関連性も指摘されている。さらにHERVの発現はステロイドホルモンによっても増強されることが知られており、ストレスなどが誘因となりHPA軸が変調したままになれば過剰なステロイドホルモンによってHERVの発現が誘導されてしまうことになる。
Syncytin

 トーリーとヨルキン、そして、ジョンズ・ホプキンス大学でエピジェネティクスを研究しているサーバン・サバンシアン(Sarven Sabunciyan)は、内在性レトロウイルスがどのようにして大惨事をもたらすことになるのかを理解する研究に取り組んでいる。彼らの研究の多くは、ワシントンD.C.の近くにあるスタンリー医学研究所で行われているが、目立たないレンガ造りの建物の中では、統合失調症や双極性障害の世界最大の脳のサンプルを所有し管理されている。さらに、故人から科学の目的のために寄贈された死後脳が何百も保管されており、1から653までの番号が付けられている。脳は左右の半球に分割され、半分は約103°F(華氏)で凍結保存されており、もう半分はホルムアルデヒドで保存されおり、ジャグジーサイズの冷凍庫で部屋が埋めつくされている。トーリーのチームが、統合失調症の脳内でいつどこでHERV-Wが目覚めたのかを正確に同定するために脳を調べ始めると、ファンの轟音によって空気の洗浄が始まる。

 高速でDNA配列を解読する新しい技術(次世代型超高速シークエンサー)がこの研究を可能にしている。ジョンズホプキンス医療センターの窮屈な部屋にある冷蔵庫の大きさの機械は、検体の遺伝子配列を高速で解読する。機械の電子の眼は、数分ごとに切手サイズのガラス板上のデジタル画像をスキャンする。そのプレートには3億磁気ビーズが固定されており、それぞれのビーズにDNAの単一分子が付着しシーケンシングされる。1週間で機械は6ヒトゲノムを解読するが、40ものコンピュータのハードドライブを埋めるには十分な情報量であり、DNAデータを大量生産することで有名である。

 これらの配列データがサバンシアンのデスクに到着した時から大変な作業が開始される。20億ものG、A、T、Cといった文字からなる遺伝子コードを含むフィルムをスクロースさせながら(混乱してしまうような作業だが)、「私達は2009年にこれらのデータを得た」と、2009年8月にサバンシアンは言った。「私達は未だにそれを見続けているのだ」。

 サバンシアンは、脳には予想外の大量のRNAが含まれており、その約5%は「ジャンク」DNA(内在性レトロウイルスが含まれている)から生産されたRNAであるということを発見した。RNAはDNAのメッセンジャーであり、タンパク質を作るためのステップであるため、内在性レトロウイルス由来のRNAの存在は、考えられていたよりもHERV由来のタンパク質がより頻繁に体内では製造されていることを意味するのかもしれない。

注; 現在では、ジャンク(意味がない)DNAだとは考えられてはいない。

 この研究を通じて、HERV-Wがどのようにして、統合失調症、双極性障害、MSといった疾患を引き起こしているのかという点に興味が集まってきている。人間の体自体は厳格な管理の下に、その内在性レトロウイルスを維持して封じこめているが、出産前後の時期の感染症がこの厳格な管理体制を不安定にしてしまう(HERV-W transactivation)。ヨルキンの研究室では、マーカーボードには、HERV-W-を目覚めさせる感染症のリストが書き込まれているが、それには、ヘルペス、トキソプラズマ、サイトメガロウイルス、など1ダースもの既知の感染症の名前が書かれている。これらの病原体の感染が起きると、新生児の血液や脳脊髄液にはHERV-Wのウイルスがコードするタンパク質が注ぎこまれるが、それは乳児の免疫システムを激怒させる可能性がある。その後、白血球は、脱獄したHERV-Wを取り押さえる機動隊のように動き始め、免疫細胞を集め、サイトカインと呼ばれる炎症性分子を吐く出す。これは人体には有毒に作用する。
http://jvi.asm.org/content/early/2014/01/24/JVI.03628-13.abstract
HERV-w transactivation

 ペロンが行った1つの実験があるが、その実験では、MSを持つ人々からHERV-Wウイルスを単離してマウスに注入した。マウスは、麻痺したり、不器用になったり、脳内出血で死亡した。しかし、T細胞として知られている免疫細胞を枯渇させたマウスの場合は、HERV-Wとの遭遇を生き延びた。それは極端な実験ではあったが、ペロンによって重要なポイントが作り出された。MSや統合失調症にまで発展する上で、免疫系(特に細胞性免疫やサイトカイン)がHERV-Wに対してどのように応答するかに依存してもよいはずだとペロンは言う。MSでは、免疫系が直接脳細胞を攻撃して死滅させ麻痺を引き起こす。しかし、統合失調症では、間接的に神経細胞が過剰な刺激を受けることで、ニューロンが炎症性の損傷を受けるのであろう。「ニューロンは神経伝達物質を放出している。これらは炎症性刺激によって励起される」とペロンは言う。「あなたが、幻覚、妄想、パラノイア、自殺傾向を開発する時に、このHERV-Wによる炎症反応が生じている」。

MS cytokines

 トキソプラズマ症やインフルエンザ(それによるHERV-Wのその後のフレアアップ)という極めて重要な感染症は、出生前や出産後に発生することがある。これによって誕生月の影響が説明できるだろう。インフルエンザの感染は冬に多く発生する。最初の感染によって、HERV-Wが目覚めているようなパターンに設定され、その後の感染症により炎症が惹起され、最終的に症状を引き起こすことが可能になる。統合失調症では徐々に脳組織を失うが、このプロセスをも説明できる。統合失調症という疾患では慢性感染症のように漸減して衰えていくが、この理由も説明できる。一部の統合失調症患者は、なぜ、ミステリアスな伝染性単核球症のような病気の後で最初の精神病エピソードに苦しむのかも説明できる。

 注; ヨルキンらは、直近に発症したSZの患者では、HERV以外の感染性のレトロウイルスがコードするgag、pol、envという3種のタンパク質への部分抗体が増加していることも見出している。人ゲノムとの相同性分析では、人の複数の領域で相同性を有することが判明したと報告されている。なお、gagタンパク質が最も相同性が高かった

 さらに、感染症理論は、統合失調症の遺伝子研究では知ることができないことを我々に説明できる。人は、疾患はシナプスや神経伝達物質を制御する遺伝子に関連されることを期待するかもしれない。しかし、三大医学雑誌であるNatureに掲載さた論文では別の話を教えてくれている。統合失調症はヒト白血球抗原(HLA)と呼ばれる免疫遺伝子と関連するが、HLAは侵入する病原体を検知する能力の中心となる。「それは理にかなっている」、とヨルキンは言う。「なぜAさんは、統合失調症を発症してBさんが発症しないのかという理由は感染因子への応答だと言える」。

 遺伝子研究では、統合失調症やMSのような疾患への簡単な説明を提供することができない。しかし、トーリーの理論はその理由を簡単に説明する。遺伝子は、ある特定の環境因子と一緒にキックして作用するのかもしれない。我々のゲノムに潜む数千にも及ぶ寄生虫が、そのキックの一部となり得る。

 「環境トリガーや毒性の病原体に反応する『遺伝子』はゲノムのダークサイドである」、とペロンは語る。HIVを含むレトロウイルスは、感染症によって生じる炎症や、タバコの煙、飲料水中に含まれる汚染物質によって目覚めることが知られている(このストレスへの反応は、寄生DNAの基本的な進化の戦略の中に書き込まれているのかもしれない。それ故、ストレスを受けている宿主は、この寄生DNAのせいで容易に感染症にかかる可能性があるのかもしれない)。「内在性レトロウイルスや一見して不活性に見える他のゲノムの部分を遺伝子の化石として切り捨てるような時代は終わりに近づいている」とペロンは言う。「それは、ジャンクDNAや死んだDNAなどでは全くない」と彼は断言する。「それらは環境と相互作用する信じられない程の大きなソースとなる」。 これらの相互作用は、我々が今まさに想像し始めているような方法で、疾患を引き起こす引き金になる可能性があると言えよう。

 トーリーの妹は治療するのが困難であった。彼女が病気になった時は、統合失調症の治療は限られていた。彼女は、早い段階で、電気ショック療法や血糖値を低下させる昏睡を引き起こすインスリンショック療法を受けた。ローダ・トーリーは病院で40年を過ごした。統合失調症という疾患は、彼女のわずかな一部分だけを触れないままで残した。彼女が疾患になる前の短い人生の時間、半世紀も前の学校のダンスや外泊の記憶は、彼女には未だに鮮明に残っている。

 スティーブン・エルモアはローダ・トーリーよりも幸運だった。彼が病気になった時には既に薬物療法が利用可能であり、未だに時折幻聴を聞くこともあるが、彼はうまく過ごせている。彼は今は50歳となり、結婚し、養子と義理の息子の世話をし、フルタイムで働いている。薬物療法によって、彼は当初、40ポンドも体重が増加したが、糖尿病といった薬の副作用は避けることができた。

 トーリーとヨルキンはこの物語に新しい希望に満ちた章を追加したいと願っている。ヨルキンの妻である、フェイス・ディッカーソンは、ボルチモアのシェパードプラット保健システムの臨床心理学者である。彼女はアルテミシニン(Artemisinin)という抗感染剤が統合失調症の症状を軽減することができるかどうかの臨床試験に参加している。この薬剤がHERVを目覚めさせる感染を消すことで、間接的にHERV-Wを撃つことができるかもしれない。「我々がトキソプラズマ症を治療することができる場合は」、トーリーは言う、「我々が今行っている14のステップからなる治療は、神経伝達物質の異常を処理する治療よりも良い結果を得ることができるだろう」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%B3
Artemisinin

 将来的には、より適切な妊婦管理や予防接種をすることによって、統合失調症への道に入り込んでしまうような早期の初回感染症を防ぐことができるだろう。精神疾患になるリスクの高い赤ちゃんへの早期治療は二十年後に生じる精神病を防ぐかもしれない。スイス連邦工科大学の神経免疫学者であるウルス・マイヤーやその同僚であるジョラム・フェルドンの最近の研究では、この点に着目している。彼らは、ウイルス感染を模倣したRNA分子を妊娠したマウスに注射すると、生まれてきた子マウスは統合失調症のようにふるまう成人のマウスに育った。そのマウスの記憶や学習は障害されており、驚愕刺激となるノイズに過剰に反応し、そのマウスの脳は萎縮していた。しかし、今年3月、マイヤーとフェルドンは、その赤ちゃんマウスを抗精神病薬で処置すると、大人になってから生じるこれらの異常のいくつかを防ぐことを報告した。

 ペロンは、HERV-Wをターゲットとする治療方法を開発するバイオテクノロジーの会社であるGeNeuro社をスイスのジュネーブに設立した。GeNeuro社は、HERVのウイルスタンパク質を中和する抗体(GNbAC1)を作成しており、それは実験室ではMSマウスに作用している。「我々は素晴らしい効果を持っている」とペロン氏は言う。「この抗体を注射すると、HERVのエンベロープ蛋白質によって誘導された脱髄という脳病変を有している動物では、このプロセスが劇的に停止することを観察した」。彼は、今年の終わり近くに、MSを持つ人々へのフェーズ1の臨床試験を開始する予定である。統合失調症への臨床試験も、2011年に開始されるかもしれない。
 しかし、多くの研究が成された今でさえも、多くの医療専門家が、何百万年も前に起こったウイルスの侵入によって、どれだけの多くの人間にMSや統合失調症という疾患が生じたかを未だに疑問に思うことであろう。もし、人への臨床試験が動物実験と同様に機能している場合は、統合失調症の幻聴がその抗体によって完全に沈黙すれば、その疑問も完全に沈黙することだろう。

(紹介記事おわり)

 GeNeuro社のHPによれば、この記事で紹介されていた抗HERV-ENVモノクローナル抗体の統合失調症への最初の臨床試験が2014年度に開始される予定である。ただし、HERVのENVタンパク質などが血中に検出され、HERVが関与している可能性が高いケースに限定して行われることになろう。統合失調症の40~50%にHERVのENVタンパク質が検出されるようであり、もし、この抗体が有効であるならば、統合失調症の5割くらいの患者さんが抗HERV-ENVモノクローナル抗体によって救われる可能性がある。ただし、進行は確実に停止するであろうが、失われた神経細胞が多いと抗HERV-ENVモノクローナル抗体だけでは完治にまで導かれるかどうかは分からない。失われた神経細胞を回復させるには、神経幹細胞移植が必要なのかもしれない。しかし、薬物療法を上回るような有力な治療の選択肢が増えることは、多くの統合失調症の患者さんに希望を与えることであろう。なお、MSでは既に人へのフェーズ2Aまでの治験が完了している。

GeNeuro