(ナレーション)
自らの姿を自ら描いて悟りを求めながら庵の戸越しに夜明けを待っていると音はなくとも風の気配を感じる
和歌書画茶の湯に通じ江戸時代の京都に足跡を残した文化人
「寛永の三筆」として知られる松花堂昭乗である
京都市の南西に位置する八幡市
平安時代都の裏鬼門にあたることから男山の頂に神社が創建された
都の鬼門を守る比叡山延暦寺と共に国家鎮護の社としてあがめられてきた
祭神は…
貞観元年西暦859年豊前国の宇佐八幡大神の託宣によって創建された
かつて石清水八幡宮には48の宿坊がありその中に瀧本坊という寺があった
その瀧本坊の住職を務めていたのが松花堂昭乗その人である
天正10年昭乗は摂津国堺あるいは大和国春日で生を受けたとされている
17歳のとき瀧本坊の実乗のもとで得度
46歳のとき住職を任される
54歳のとき昭乗は瀧本坊の近くに庵を結び隠棲する
その庵は「松花堂」と名付けられた
男山の麓にある泰勝寺
大正時代に開かれた臨済宗の禅刹である
昭乗はこの寺の一角で眠っている
寺には昭乗が愛用していたとされる茶碗と茶杓が伝わる
泰勝寺から南へおよそ4キロの場所に松花堂庭園がある
手入れの行き届いた庭が四季折々の表情を見せる昭乗ゆかりの空間である
園内には30種類の竹が植えられている
茶の湯を愛した昭乗をしのび三つの茶室が造られた
梅隠は千宗旦好みの茶室
躙口を開けると内露地が現れる
瀧本坊にあった茶室を再現した松隠
昭乗の茶の湯は瀧本坊で培われた
瀧本坊では先代の実乗先々代の乗祐ともにお茶に通じてまして代々伝統的に茶の湯があるいうことが大きな要因になっているかなと。
それともう一つ小堀遠州…松花堂昭乗の友でありまた茶の湯の師匠である小堀遠州との交流が大きな役割を果たしているのかなというふうに思います。
昭乗は石清水八幡宮の社僧にして茶人
そして書画にも秀でていた
墨の濃淡を使い分けた…
古木からまっすぐに伸びる枝が印象的な…
昭乗は近衛信尹本阿弥光悦と共に「寛永の三筆」に挙げられる能書家
その書は松花堂流と呼ばれ人々に愛された
書風としては青蓮院流というのを学びましてそれをベースにいろんな書風を覚えていくなかで修練を積まれて松花堂流という自身の書風を編み出されたというふうに聞いてます。
好きになる字。
字を書くのを…この字を書いたら楽しいんじゃないかなと思わすような非常にこちらもワクワクするような字ですかね。
昭乗が開いた茶会を自らしたためた記録である
寛永8年から10年にかけて開かれた30回分の記録が残っている
寛永9年9月24日の茶会である
茶入茶杓香盒
茶会では瀧本坊伝来の茶道具が使われた
それらの中にはいわゆる名物として高い評価を得ているものもある
「松花堂」の銘が入ったこの四方釜は後の時代に作られたものである
寛永9年9月24日の茶会には大徳寺の江月和尚小堀遠州らが招かれている
記録に残る参加者は延べ84人に及び貴族大名町人など階層を越えた人々が集まった
非常に…江戸時代の士農工商がはっきりした時代に大変珍しいことだというふうに思うんですけどもおそらくいろんな方が集まることによっていろんな情報がそこに集まる者に享受されたでしょうし交流を深めるとともに新しい情報が入ってきてあるいはまたそれぞれの…一緒に集った者がそれぞれの教養を深めるための文化サロンのような交流の場としてお茶会にかなり重きを置いていたんではないかなというふうには感じますけど。
松花堂庭園では毎月第2日曜に月釜会が開かれている
はんなりしとやかに茶の湯の時間が流れていく
松花堂庭園のほぼ中央この庭園の象徴ともいえる建物がある
十尺四方の小さな庵
昭乗が男山に結び隠棲した松花堂が移築された
2帖の間と床そして土間があるだけ
昭乗は56歳のときこの庵に隠棲し2年後この世を去った
それからおよそ100年後瀧本坊の茶会の席で春慶塗の煙草盆が用いられた
中を十文字に仕切った煙草盆は松花堂好みとして今に伝わる
こうした煙草盆の形状を利用して松花堂弁当が考案された
寛永文化を代表する人物として歴史に名を残す松花堂昭乗
その生涯を男山が見守っていた
2014/05/04(日) 06:15〜06:30
MBS毎日放送
美の京都遺産[字]
「松花堂昭乗」
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
福祉 – 文字(字幕)
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