本番直前の舞台袖
黒柳徹子さんは自分が一番好きな場所舞台の上へと向かいます
見つかった〜!
黒柳さんは舞台女優です
今まで50年以上にわたり舞台に立ち続けてきました
1989年にスタートした海外コメディ・シリーズはこれまでに28作品を上演
黒柳さんはテレビドラマや映画の仕事は断り舞台女優であり続けてきました
あーっ!演技は舞台でと。
そしてテレビに出ます時には私自身で出るものとはっきり決めまして。
黒柳さんは笑いだけではなく…
最後には大きな感動を呼び人生を豊かにする喜劇にこだわります
この俺は…!
カメラは舞台女優として生きる黒柳さんを18年間追い続けてきました
どうしたの?怒ってるの?
(司会)この髪はどうなってるんでしょうね?浮く事が出来るんですね。
舞台を通じて人生を楽しみ…
うおーっ!すごいこれ!おおっ!おっすげえ!舞台があの人の…あの方の生きがいだと思います。
あの方は舞台に出た時って人が変わりますもんね。
時間を惜しむ事なく徹底して役作りを追求する黒柳さん
(サラ・ベルナールの音声)
いくつものつらい別れもありました
長年演じ続けてきた大好きな劇場の閉館
尊敬する先輩
舞台を愛した共演者たちの死
そして2014年
劇場を銀座から六本木へと移し気持ちも新たに稽古に取り組み始めた矢先…
50年以上の年月をともにした演出家高橋昌也さんも失いました
心の支えを失った黒柳さんはかつてないほど苦悩します
やっぱり生き残った者の使命っていうのはあるなと思って。
(萩本)
そして僕も観に行きました今年の舞台
私欽ちゃんこと萩本欽一です
僕も長年舞台をやってきましたが3月の明治座公演をもって大きな舞台からはこれで引退
そんな僕にとって黒柳さんは先輩であり恩人
実はコント55号がブレークするきっかけを作ってくれたのは黒柳さんだったんです
あれから50年
黒柳さんが今も舞台にこだわり続けているのはなぜなのか?
話を聞きに行ってきました
さあ幕が上がります
舞台女優黒柳徹子さんの18年間の記録です
取材が始まったのは1997年3月
『幸せの背くらべ』の稽古場でした
黒柳さんがなんと92歳の老婆を演じたこの作品
その演技に早速驚かされる事になりました
演技のキーポイントになっていたのは声
今日はねぇ…。
今日は…。
あっ今日は今日よ。
ねえ!ハハッそのとおり!おばあさんって案外高い声を出すんだなってある日発見したのね。
でね私が研究した結果によるとわかんないんだけどねシワがね声帯にも多分寄るだろうなって思ったわけね。
パンッてしてないわけだから。
だから声帯にもシワが寄ってくるからそれだからコントロールもつかなくなってくるから。
それであの…。
「だってそうじゃありませんか」っていうふうになって。
それでなんとなく上擦った声も出て。
そして「ねえだから」ってなって。
それで…ちょっと今やるとあれなんですけど。
「私91なの」っていうふうに作ったんです。
さらに黒柳さんは脚本分析から独自の理論を導き出していました
なんか頭の中にA線とそれからB線とが一応あるっていうふうに設定してるわけ私。
このA線が成長っていうかここでまあお話しして…。
それからB線が思い出。
要するにボケてるように昔の事を話すのね。
でもやってみてわかったけどやっぱり老人をやるのは俳優としてはものすごくエネルギーがいるのね。
本当の老人になったらやっぱり舞台でこんなに長い…1時間ほとんどしゃべりっぱなしでしょ?それで頭の中がこう乱れてる人。
だからそういう人をやるのにかなり一応研究はしました。
私は見事に出来ました。
あの人とはねパーティーで知り合ったのよ。
まあ向こうじゃ私の事をずっと前から知ってたらしいんですけどね。
あの頃あの人はバツイチ…いえバツ2ね。
高橋昌也さんは黒柳さんの舞台を初めて演出した時意外な一面に気づかされたと言います
どこかぶきっちょなところが他のまあ器用と言われる女優さんに比べてですねぶきっちょなところがすごくいいところになってるのかなというようなところもあったんですけど。
それが…あっこれほどのやっぱり技術を持ってる人なのかなっていうのを…。
初めて一緒にねまあ演出家と女優という形でお付き合いしまして感じたんですけども。
ちょっと今日何日?3月19日。
まさか!
1996年黒柳さんはこの『幸せの背くらべ』とオペラの女王マリア・カラスを演じた『マスター・クラス』の2つの舞台で日本の演劇界最高の名誉である読売演劇大賞と毎日芸術賞を受賞
(拍手)
毎回その役柄を徹底的に研究し嘘のない芝居を追求してきた黒柳さん
これまで様々なヒロインを演じてきました
賛美歌だけでも弾かせてください!
1997年『ライオンのあとで』で演じたのは黒柳さんが敬愛するフランスの舞台女優サラ・ベルナール
片足を失いたる女神に捧げる詩。
作サラ・ベルナール。
負傷で右足を切断し片足になっても演じる事を諦めなかった女優サラ・ベルナール
70歳の頃の実話に基づく物語です
黒柳さんは同じ女優を演じる難しさを感じながらも本人に少しでも近づくためのヒントを探していました
演技にリアリティーを持たせるためリハビリセンターの先生にお願いし動きを見てもらいます
自分で立つという事は恐らく難しい…。
なんかこう…こういうところに手をかけてという形のほうが僕自然かなというふうに思うんですよね。
今のは介助しないという状況の中でやってますよね?だから介助なくてもいいんですけどなんかこう…何かにすがりながら上がるみたいな。
でないと…。
義足があっても。
はい。
最初からは立てないと思うんですよね。
これは重心っていうのは後ろにこう…前?
(田村さん)やっぱり自然と前…。
前?前へこういう感じ…。
じゃあ前のほうが正しい。
さらにサラ・ベルナールの肉声の入った資料を手に入れ細かい分析をするため音声スタジオに持ち込みます
なるたけ彼女の肉声っていうものを知りたいっていうのは私の希望なんですが。
はいわかりました。
いいですか?ちょっと。
じゃあこれでお願い致します。
(サラ・ベルナールの音声)
サラ特有のセリフの言い回しをどうすればつかめるのか?
(サラ・ベルナールの音声)なんでこんなに長い…息が続くのかなと思って今私。
ねえ息継ぎがね。
(男性)ブレスがないですよね。
ブレスがないですよね。
しゃべりの間がない事に特徴を見出した黒柳さん
息継ぎのタイミングを探ります
今のとこしましたね1回。
ええ。
(サラ・ベルナールの音声)でそこから…。
(サラ・ベルナールの音声)してますよ今してます。
今のとこでしてますよね。
してますしてます。
2秒か2秒以内…。
やっぱりものすごくうまい!ものすごく細かいところで…。
2秒ぐらいでもう2言ぐらいで息してますね。
(サラ・ベルナールの音声)だからなんとかドゥッていう音がする時は特にドゥッて彼女は吐きながらもう息してますもんね。
そうだ彼女は息継ぎがうまかったのね…。
こうした研究の積み重ねが黒柳さんの迫真の演技を生んできました
誰も話しかけないで!しかるになんと奇怪なるあの俳優めらただ仮初めの作り事の悲しみに涙し我と我が心の底まで揺り動かし顔色は青ざめもの狂わしく取り乱し声も途切れ途切れに身も心もその果てまでその人物になりおおせているではないか!なのに俺はこの俺は…!
(拍手)
1989年に始まった黒柳さん主演の海外コメディ・シリーズは昨年までの25年の間に20演目27作品が上演されました
愛着のあるこの劇場での最後の公演となったのが2013年5月に上演された『ステラとジョーイ』
千秋楽本番前のステージに出演者スタッフ全員が集まり写真撮影が行われました
ブロッコリー!
(カメラのシャッター音)
25年間休む事なく喜劇を披露してきた劇場
しかしビルの売却に伴いこの日を最後に閉館します
チケットはいつもどおり完売
いよいよ最後の上演です
そろそろ行きます…。
大勢の敵を蹴散らすんだぞ!あなたの手紙は言葉のカーニバル。
私の貧しい泣き言や小言では到底太刀打ち出来ません。
黒柳さんと大森博史さんが贈る二人芝居『ステラとジョーイ』
劇作家バーナード・ショーと女優ミセス・パトリック・キャンベルが実際に交わした往復書簡を元に40年間に及ぶ2人の交流を描いた物語です
「もう一度会える日がくるのかしら?」「ステラより」そういう話はあっちでゆっくり。
(観客の笑い)だって…。
(観客の笑い)
(拍手)
終演後鳴り止まない拍手の中黒柳さんが話し始めました
あの…まあ…私も子供の時から戦争で育ちましたので色んな別れをたくさん…。
まあ本当にね泣かないつもりだったんですよ今ね。
皆さんもそうだと思いますけど戦争というものはひどいもので…。
本当に大変な色んな事を経験致しました。
だからそういう事から考えるとこういう素晴らしい劇場を与えられたんですから。
26年もそこで芝居が出来たんですから。
これ以上もっとやりたいなんて思うのは本当に…なんて言うんですか…。
欲張りという事になるんですね。
まあ泣かないでもう前へ進むしかありません。
ここでやりましたマリア・カラスの言った言葉で締めくくりたいと思います。
マリア・カラスが「オペラで一番必要なものはなんですか?」と聞かれた時に…オペラ歌手としてですね。
(観客の笑い)私もその言葉を信じて出来れば修練と勇気とあとはゴミという暮らしをしたいと思うんですけど。
やっぱりちょっとパンダが…と思っちゃったりするんで…。
そこが私とマリア・カラスのちょっと違いだと思いますけど。
本当にありがとうございました。
(拍手)そして来年の春またお目にかかりましょう。
さようなら。
(拍手)
この日の楽屋には1枚のファクスが届いてました
書かれていたのは黒柳さんとスタッフへの感謝の言葉
差出人は俳優兼演出家の高橋昌也さんでした
昌也さんはこの劇場で17年間にわたり海外コメディ・シリーズの演出を務めてきました
舞台女優黒柳徹子を長い間一番近くで見守ってきた存在です
劇場を締めくくる今回の作品では演出の昌也さんが特別に黒柳さんと共演する予定でした
ところが直前に肺炎にかかり降板を余儀なくされたのです
昌也さんもすごくガッカリしてるらしいのよ。
でもまあ来年の春にねまた芝居やる時の演出やんなきゃいけないんで。
なんか一命取り留めたっていうファクスを頂きましたから相当一頃悪かったのかもしれないと思うんだけど。
まあそんなんで…。
今度は昌也さんと一緒に出来なかったけど。
いつかまたこれ短い期間でね出来る時が来ればいいなって思ってますけど。
黒柳さんと昌也さん2人の出会いはラジオドラマで夫婦役を演じた60年前
当時黒柳さんはNHK放送劇団に入団したばかりの新人女優でした
その後昌也さんは映画やドラマなどを中心に活躍
黒柳さんは文学座研究所で演技を学びつつ司会もこなすマルチタレントとして人気者に
しかし38歳になった黒柳さん全ての仕事をキャンセルしニューヨークへ
メリー・ターサイ演劇スタジオで本格的に演劇を学びます
そこにあったのは抑える事の出来ない舞台への想いでした
まあ一番根本私は舞台が好きだって生まれて始めて舞台に出た時に…。
出た時っていうか…NHKの劇団でセリフもない役だったんですけど。
ただ立ってるだけだったんですけど…その時にああなんて居心地がいいんだろうと思いました。
舞台がもう一番好きだと思いました。
1987年昌也さんは新しく出来た銀座セゾン劇場の芸術総監督に就任
これを機に黒柳さんに声をかけます
昌也さん私が芝居好きだとかそういう事もよく知ってました。
私もアメリカ行って勉強したりなんかして。
まあそういう事があったりしたもんですから。
昌也さんは私のものよく見に来てくれてたの。
それでこの芸術監督になった時に出ないかとおっしゃってくだすって。
そして1989年今に続く海外コメディ・シリーズが始まります
第1回は飯沢匡さん演出の『レティスとラベッジ』
吟味した海外の喜劇作品を翻訳し黒柳さんが主演するこのシリーズは大きな評判を呼びます
1994年黒柳さんにとって師とも言える存在だった演出家の飯沢匡さんが亡くなり芸術総監督の昌也さんが演出を引き継ぐ事になりました
それから17年間黒柳さんと昌也さんは同志として喜劇を作る喜びと苦しみをともに味わってきました
どうもありがとうございました。
今日はもうみんな総立ちでしたね。
今年記念すべき25周年を迎えた黒柳さんの海外コメディ・シリーズ
2014年からは場所を銀座から六本木へと移します
新設されたEXTHEATERROPPONGIです
ここですか。
すごーい!
3月の上演を待ちきれない黒柳さん
一足先に劇場の下見に訪れました
私が映ってるのかここに。
あっ!面白い!!私がお面被っちゃうのね。
すごいサービス。
タラッタラッタラッタッ。
あっ今度はこういうのになるんだわ!すごいサービスね。
えー面白い!いよいよ劇場の客席。
わあ!え〜!こんにちは。
へえ〜。
これあっちからイスが出るんですか?そうです。
わあ!へえ〜!
着席で920人を収容
最新の音響照明設備を備えた劇場です
ああよく見える。
本当によく見えますね。
うん…。
すごく近いでしょここ。
お客様の顔が見えちゃう。
そうですね。
ここでやるんだと思うと不思議な気がします。
この場所で黒柳さんの新たな挑戦が始まります
しかし…
新しい舞台の顔合わせ
慣れ親しんだ稽古場は深い悲しみに包まれていました
いつもの席に演出家高橋昌也さんの姿はありませんでした
稽古場を包む深い悲しみ。
いつもの席に演出家高橋昌也さんの姿はありませんでした
呼吸不全のため83歳で急逝
稽古が始まる直前突然の訃報でした
あの…悲しい事に高橋昌也さんの追悼公演という形になってしまいますがいい作品にしたいと思いますので皆様どうぞよろしくお願い致します。
あの…どうも皆様よろしくお願い致します。
100歳まで舞台出るんだって私冗談に言ってましたら昌也さんがそれじゃ僕も100まで生きなきゃいけないなっておっしゃったんでね…。
昌也さんがいないと芝居出来ないので100歳まで絶対生きてくださいねってお願いしてたのにこんな早くって…。
生きてる者が残ってやる務めというものもあると思いますのでせっかくこうやって皆さん一緒に集まって芝居が出来る機会が与えられてるんですからみんなで心を合わせて面白い喜劇を作っていければというふうに思っています。
どうも成功を祈っててください。
稽古が始まりました
いつだって穏やかで思いやりがあったのに…。
今回の作品は2011年に上演した『想い出のカルテット』の再演
かつてのスターオペラ歌手たちが集まる老人ホーム
そこにひときわ人気者だったプリマドンナのジーンが入所してきます
バラバラだった4人の登場人物たちが失われた若さを感じながらも舞台に立つ事を決意する…
昌也さん自身がもう一度見たい…そう願い選んだ作品です
プリマドンナジーン役の黒柳さんをはじめキャストには前回と同じメンバーが揃いました
かつてジーンと9時間半だけ夫婦だった事のあるレジー役に…
少しボケてしまったものの天真らんまんなシシー役…
お調子者で女好き。
けれど実は一途なウィルフ役に…
長年昌也さんの演出を支えてきた前川さんが遺志を継ぎ作品をまとめます
ねえ。
私たちは2人ともここに暮らさなきゃならないのよ。
ねえどうしたらいいの?
大黒柱だった昌也さんがいない…
皆が大きな不安を抱えたまま舞台が動き始めました
稽古が始まって10日目
立ち稽古が始まっていました
あら皆様ごめんあそばせ。
あらあらお揃いで。
黒柳さんは台本を手にしています
多分ね。
実は黒柳さん毎回ギリギリまでセリフを覚えません
もう全部過ぎた事じゃないの。
知らない!
これまでもセリフを覚えない黒柳さんと昌也さんの軽妙なやりとりは稽古場おなじみの光景でした
動きが全部決まったら。
(高橋さん)はい?動きが全部決まったら。
(高橋さん)動きが全部決まったら。
動きが全部決まったら。
(高橋さん)大まかな動きがね。
そう。
そうです。
こんな時黒柳さんが昌也さんのご機嫌をとる手段として恒例だったのが名物貢ぎ物作戦
買収ですね。
これが…入りましたの。
貢ぎ物ですな。
こんなに手に入りましたから。
いいでしょ?
時には珍しい貢ぎ物もありました
寝ながらテレビを見るやつ。
だから昌也さんここで寝るでしょ。
えっ?昌也さんここで寝るじゃない。
こうやって寝るでしょ。
稽古を見る時に…。
こうやってると…ここで見えなきゃいけないんだけど…。
これでやって。
で寝て。
あそこのあれが見えます。
鞄やなんかが。
あっ見えます。
昌也さんがテレビ見たまま寝ちゃうもんだからね体の背中が変な具合に中立ち状態で寝てるんだっていつも。
だからこれがあれば寝る時にこれ掛けちゃえばいいじゃない?もうね…すごい変な人。
2009年の稽古ではセリフのあまりの多さに思わず弱音が飛び出しました
こんなに覚えても覚えてもセリフがあって…。
見ますか?この台本。
こんなですよこれ!昌也さんこれ私ね少ししゃべりすぎてませんかね?全然ね…。
いらないんじゃない?これ。
いります?昌也さん。
書いてない事も言ってるんでね。
2人の些細なやりとりがいつも稽古場の雰囲気を明るくしていました
しかし今回の稽古場には昌也さんはいません
昌也さんにねちょっと…。
昌也さん…まあ一応ちょっとここに置きますので召し上がって頂ければと思います。
台本もここにあります。
ん?来る?「ランララランランラララララン」「ランラララーララーララーララーン」どうしたの?何?怒ってるの?どうしたの?しばらく遊ばなかったんでね機嫌悪くしたの?どうしたの?怒ってるの?「タッタラッタラッタラッタラッタラ…」
この日は黒柳さんの衣装合わせが行われました
黒柳さんの舞台でずっと衣装を担当している…
1997年の『ライオンのあとで』では舞台芸術で特に功績があった人に贈られる伊藤熹朔賞を受賞しています
衣装は劇場に来てくれたお客さんに楽しんでもらうためにも極めて重要な要素です
扮装っていうのはもう絶対ですよね。
もう扮装で…。
まずそれからあとのとかそういうもんでしょうかね。
そのぐらいですよ。
黒須さんは丁寧に台本を読み込みスケッチを描き起こします
そして物語の世界観に合う素材を厳選し…
(黒須さん)爽やかなほうがいいのかしら?
形にしていきます
(黒須さん)もう若干広めにね。
その舞台でしか見る事が出来ない特別な衣装が毎年生まれてきました
では今まで海外コメディ・シリーズを彩ってきた衣装の一部をご覧頂きましょう
実際にサラ・ベルナールが着ていた衣装を再現した『ライオンのあとで』
私が誰かわかる?合図だけでもして…。
『マレーネ』では女優マレーネ・ディートリッヒが舞台で使ったという白鳥の羽根のコートを模した衣装
抵抗の色血の赤!
『レティスとラベッジ』の深紅のドレス
そうやってみんながハッとして息をのんで見守りました。
余計なお世話!
『ポンコツ車のレディ』では車の中に住むホームレス
きれい好き大賞だって頂いた事あるぐらいなんだからねぇ。
『ブロンドに首ったけ』ではアメリカでセックスシンボルと言われた往年の大女優メイ・ウエストの衣装を再現
「もっと私の全て」あーっ!
稽古場では特殊メークの巨乳で黒柳さんが大はしゃぎ
あまりと言えばあまりなんですけどこれ片っぽベロって取れた時のこの位置なんですけどこのぐらいでいいかどうかって。
(スタッフの笑い)ちょうど今真ん中なんですって。
スペシャルサービス。
失礼致します。
自堕落。
巨乳だけではありません
ハリウッド仕込みの特殊メークでいくつもの役に変身
92歳の老婆を演じた『幸せの背くらべ』では静脈の浮き出た手を作りました
学校でも男の子よりも背が高くてとっても嫌だった事を覚えてる。
思い出は行ったり来たり。
オペラの女王マリア・カラスを演じた『マスター・クラス』では特徴的な鼻
こういう鼻をつけてマリア・カラスらしいっていうほうが私はやっぱりいいと思うの。
マリア・カラスになれっこないんですから。
やっぱりねマリア・カラスって実際に見た人がいるのでね。
こだわり抜いた扮装と徹底して追求した演技が舞台の迫力を生み出します
セシリア・ソフィ・アンナ・マリア・カルゲロプーロス彼女だけよ。
そんな黒柳さんとともに喜劇を作り上げてきたのが豪華な共演者たちです
私ね今学校行ってるの。
コンピューターとかインターネット色々新しい事。
あなたは?ところでこの芝居の題名は?セックス!セックス?今は私とこの人の2人だけの時間なの!
文学座の同期江守徹さんとは50年以上の付き合いの中で初めての共演でした
長年にわたるコメディ・シリーズ
亡くなってしまった方も少なくありません
お母さんと慕われた山岡久乃さん
昭和を代表する喜劇人フランキー堺さん
2004年『ローズのジレンマ』で共演した岡田眞澄さん
感じる…。
感じる。
またあなたを感じる事が出来るなんて…。
これずーっと彼女とあそこで抱き合ってね最後に顔を見合わせて…。
これ20年昔だったら僕は結婚しちゃいますね黒柳さんと。
左右間違えないようにって…。
楽屋ではお子さん手作りのスリッパを見せてくれました
明かりを吹き消す…。
70歳…早すぎる死でした
そういう亡くなった方たち…。
みんなもっと続けたいもっと芝居やりたいと思ってるだろうなと思う人たちがたくさんいるっていう事は本当にねつらい事ですよ。
出て行く時に。
だからそういう方たちが出たいだろうって思う気持ちも背負って客席に座ってて応援してくれてるだろうなと思うのと同時にみんなやりたかったのに残念だなって思ってねそう思って出て行く時よくあります。
稽古は大詰め
この4人で一緒に歌えるなんて最高だと思わない?嫌だって言ったでしょ!絶対に嫌!どうせさ4匹の盛りのついた猫がニャーニャー鳴いてるようにしか聞こえないのに決まってんじゃないの!
(ウィルフレッド)うまい言い方だね。
(レジナルド)ようし決をとろう。
舞台のラストはオペラで最も美しいと言われる『リゴレット』の中の四重唱を歌うシーン
かつてスターだったオペラ歌手たちが老いのために歌えなくなってしまった歌を巧みに口の動きを合わせ歌うふりをします
(スタッフ)ちゃんと聴き込んで…。
高橋昌也さんが一番見たかったのがこのラストシーンだったと言います
昌也さんの薫陶を受けて育ったっていうかそういった僕自身が亡くなられた高橋さんに対して感謝の気持ちを込めながらよりいい舞台を捧げたいっていうそういう思いでやってるわけですから普通のなんていうんでしょう再演とはちょっと…事情が違いますんで。
もうすぐ劇場入りです
朝お客様がカーテンを開けておおきれいだねとおっしゃるとお姉さんがお茶いれながらねえそうでしょう?この山の名前を聞いたバカがいるんですよ…。
(観客の笑い)きっとさ静岡のお水とかあるんじゃない?あっあるやっぱり「富士山の天然水」。
ねえ「伝線しにくいストッキング」ってこんなの見た事ある?すごいわね「シャワーが出来ない時やスポーツのあとに」…。
「体拭きウエットタオル」へえ〜。
わあすごい。
夕張メロンのパン。
メロンパンだって。
こんな大きいの見た事ある?電気的に開くのかと思ったら開かなかったもんでビックリしちゃった。
それからこれサラダ。
それからねこれは1回でね体を拭くっていう…。
そういうものが売ってるって知らなかっんだけど。
あと氷これは。
それとあとはね安いの売ってました。
パンティーストッキング。
これはまあいいんですけど。
あとはね…。
こんな大きなシュークリーム生まれてこのかた見た事ないものだから。
ここからここまでが半径…。
別に今晩全部食べるわけじゃないです。
明日の朝も食べますので。
喜劇にこだわる舞台女優黒柳徹子18年の記録
2014年舞台の幕がもうすぐ上がります
マスコミと関係者に向けたリハーサルが行われました
私たちに『リゴレット』の四重唱を歌ってくれないかって言ったのよ!冗談でしょ?やってみようよとにかく。
時間だけはたっぷりあるんだからさ。
ねっ。
とうとう明日は本番
黒柳さんは最後までラストシーンの出来にこだわっていました
本当に歌うんだったらハーッとこういうふうにやるんだけどハーッてね合わせようとすると遅れちゃうの。
だからハーッて…。
それをずいぶん稽古しました。
休む間もなく記者会見へ
黒柳さんは今までにない特別な気持ちを抱えて初日を迎えます
やっぱり生き残った者の使命っていうのはあるなと思って。
まあ私わかんないけど舞台にこうやって出させて頂けるっていう事はいくつまで出れるか…自分は90とか言ってますけど。
それわからないけれど見てくださる方がやっぱり楽しかったとか元気もらったとかね皆さんおっしゃってくださるんですけど。
何しろあの歳までああやって台詞覚えて舞台に出られるのねって。
私たちの歳でも出来るんだわって思ってくださったり。
そういう事が出来るとすればそれはやはり一種の使命じゃないかなって思いますよね。
あんた回虫がこんな丸まってさドサドサッて出てきたんだってさ。
スープ美味しい?
(観客の笑い)1日一緒にいたらどういう暮らししてらっしゃる…見てみたいよね。
いやいや…でも旅行くとそういう機会もあるわけじゃない。
(田中)うん…。
これじゃあ来る前だからここだけの話で言っとくけど…。
これ回してくれていいですよ。
旅公演でね…やっぱり…。
「今日も昼からどこ行くの?」って聞かれるから今日はもう別にいいやと思って「ちょっとねパチンコです」。
絶対来ないと思ったら「あっそう」ってついてこられた事あるの1回。
しょうがないからとりあえずそこは現金…。
もちろんカードのとこもあったんだけどカードを買ってそれやるほど…。
多分すぐ飽きるだろうなと思ってとりあえず5000円か1万円を500円にして。
それでパチンコ台ってのはこういうふうにあって普通右にこうやってハンドルがあるから左手でここに500円とか入れるとここからパーッと玉が出てきてそれでこうやって打つわけじゃない。
1回やればわかるわけでしょ。
僕はここに座って…。
「ここですよここに500円入れるとここに出ますからね」って言って。
「ああそうなの?」「うるさいわね」とか色んな事あって。
それでその500円すぐ終わるじゃない。
そしたら手に持った500円どういうわけかここに入れちゃうの。
隣?そしたら「あら何?」っつって1個隣に行くのよまた。
それなくなるとまたここで入れるからまた隣なのよ。
一番端にね打ってるおじさんがいたのよ。
もう積んでるのよ箱。
それがもう2台目ぐらいから気になって見てるのこうやって。
そしたら徐々に徐々に…。
次入れたらおじさんのひざの上までいっちゃって俺こうやって連れ戻した事あるの。
ちょっと学習してくださいよ…。
マジ?それ。
どうも遅くなりました。
ごめんください。
どうも…。
お疲れさまでした。
どうもお疲れさまでした。
どうも。
いやいや…。
(笑い)
満員のお客さんが開演を待ちます
あっごめんなさい。
ちょっと靴履いてくる。
靴履いてない…。
裸足で歩いております。
でもいいでしょ…。
お客さんもほら新しい劇場だとちょっと緊張してるんじゃ…。
わかんないんですよ今あれが聞こえないからね。
(スタッフ)空気はいい感じです。
お客さんの。
初日の幕が上がりました
(鼻歌)
舞台袖
才能はある。
それって素敵な事ね。
出番を待つ黒柳さんがお客さんの様子を気にかけていました
バーへ行って…。
(セシリー)レジーウィルフ。
黒柳さんは舞台へと歩みます
皆さんごめん遊ばせ。
(セシリー)私たちはみんなガタがきちゃったのにこの人は昔のまんま。
娘時代のまんま。
ピッカピカ!ありがとう。
あなたさ自分のサイズ甘く見てない?そんな事ないわよちゃんとサイズ出したんだから。
そうね私も清らかな乙女っていう役だからさ。
ステッキ持ってるとちょっとおかしいかもしれない。
そう人の心を揺さぶる事が出来なければ心を開く事が出来なければ芸術は無意味だからです。
私たちが無駄にした日々をここでこれから取り戻すんだわ!
老いのためにかつてのようには歌えなくなってしまった四重唱
それでももう一度舞台に立ちたいと願った4人は口パクで歌うフリをする事を決めます
失われた若さと巻き戻す事の出来ない時間を知りながらも心を一つに口パクを揃え美しき四重唱を全力で歌います
(拍手)
黒柳さんは今の自分自身をこの役に重ね合わせていたのかもしれません
(手拍子)
(拍手)
鳴り止まない拍手
黒柳さんは天を指さしました
(拍手)どうもお疲れさまでした。
でも本当にねいつもと同じような感じのお客様がいらっしゃってね。
本当に同じなのかもしれないんだけど場所違うのにね。
なんか…。
ただね昌也さんがいないのだけなんですよ。
今までやってる時にそう思わなかったのにお辞儀した時に「ああ昌也さんいないな」ってね。
いれば終わったあと昌也さん来てね色々…。
「君はいつもリハーサルの時はちょっとわからない時もあるんだけど本番になると必ずいくね」って「本番に強いね」っていつも言ってくださったんですけど。
そういうのってね…。
まあ他の方がおっしゃってくださるでしょう。
連日続く公演
君みたいな男に我慢したもんだね。
黒柳さんに1本の映像を見てもらいました
私はやっつけきれないよ。
だまされてもだまされても男が好きなんだから。
第一お金がないわ。
そう!それは僕が補充しよう。
2012年に亡くなった森光子さんと舞台『放浪記』で共演した時の記録です
お京!やめなさいあんた!お芙美おめでとう。
「私あの役ね一度やってみたいの」っておっしゃったのがその京子さんの役なんですよ。
なんべんも見てくださってるんですけれどお出になった事はなくて。
でも興味はおありになったんですね。
森光子さんは黒柳さんがデビュー当時からの先輩であり友人
女優としての目標でもありました
あっこれはどうも。
あの雑誌の方たちどう致しましょう。
そして記録された映像には森さんから黒柳さんへのメッセージが残されていました
私もね本当に好きです。
私やっぱり黒柳さんは私を目標なんておっしゃらないでもう今までもなさったようにご自分に合う脚本を見つけて…。
大体それがニューヨークとかロンドンへいらしてご覧になった芝居をもとになさってるけどそれとても正解だと思います。
他の女優さんでいらっしゃるかもわからないけれども翻訳物をなんの…ちょっとおかしいかなとかっていう事もなく自然におやりになれるのは私は数少ない女優さんの一人だと思ってますし。
今のまんまの黒柳さんでいてほしいしそれから私との友情は私にとって今あなたの友情がなかったら生きていけないわって思うほどに大切な大切な人です。
これからもファクスのやり取りを欠かさずあなたとする事を楽しみにしてるしあなたの友情は絶対変わらないものだと信じてるし同じ道を一緒に走りましょう。
…とおっしゃってください。
(スタッフ)ありがとうございました。
いいえどうも。
泣いちゃう…。
こういうふうに森さんが私の事をおっしゃってるの知らなかったから。
森さん本当にかわいがってくださった。
初めて会った時からね。
でも芝居の事について森さんがこんなふうに私の事をおっしゃってるのを初めて見たので。
それとねやっぱりもうしばらく…1年半ぐらいか2年近く森さんと会ってませんよね。
だからすごく懐かしく…。
時々フッとねああ森さんに会いたいなと思う時あるんですよ。
なんの理由もなくね。
でも今の見るとやっぱり…。
森さんって本当にいい方だったんだなって思いますね。
先輩でね。
森さんにありがとうございますっていう気持ちでいっぱいです。
東京での公演も終盤
お疲れさまでした。
お疲れさまです。
この日黒柳さんにとって特別なお客さんが楽屋を訪れました
(近藤)お疲れさまでした。
あどうもどうも。
近藤さん。
お疲れさまでした。
早い…随分早い。
近藤真彦さんは黒柳さんの舞台には欠かさず足を運ぶ大の海外コメディ・シリーズファン
いかがでした?なんかおっしゃって。
黒柳さんそのものって感じで。
いやしかし黒柳さん。
え?タフですね。
タフ?元気?元気ですね。
ああよかった。
それが一番。
はい。
もうね私なんかの場合はねもうねこうとかこうとかっていうよりもやっぱり元気かどうかで決まるんでね。
元気です。
おばさんたちが見てるんですよ。
あのぐらい…80ぐらいになったらあのぐらいだったらいいのかなと思いますよ。
いやあ元気で…。
そう?はい。
よかったです。
まだ先はありますよね?近藤さんがね私にねもう辞めたら?っていう引導を引き渡す人になってるからね。
引退したら?っていう。
僕のが先だって話なんだよ。
いやいや…。
俺のが先に元気なくなっちゃうんじゃないかっていうぐらい。
黒柳さんに舞台の引退を告げる役割は近藤さんに託されてるようです
末にはい。
例のね。
例のやつで。
はい。
舞台があの人の…あの方の生きがいだと思います。
あの方は舞台に出た時って人が変わりますもんね。
本当に。
あんた私がもうダメだっていう時には誰も言ってくれないからあなたが言いなさいねって言われてるんだけど。
当分平気そうですよね。
当分お元気ですよ。
もうずっと長く続けててもらいたい。
ずっとなんかこう笑わせてねもらえたらなと思います。
そして私も観劇に行きましたよ
黒柳さんの舞台はえー…品のある喜劇?
いい加減にしろよ!映画はひとまず置いといて僕の話聞けよ。
そうですよ。
全く…。
黒柳さんと僕の出会いは50年前
当時すでに有名人だった黒柳さんが無名の新人だった僕たちのコントを面白がってくれたんです
コント55号が世に出るきっかけを作ってくれた大恩人というわけです
舞台を終えた黒柳さんにお会いしました
どうもありがとうございます。
お忙しいのに…。
いえ…。
どうも…本当に嬉しかったです。
言ってみれば高級老人ホームのお話でしょ?そうですそうです。
ちょっと私に…文句を言わさせて頂ければ黒柳さん若すぎですよね?いやいやいや…若作り。
若作り…。
若く見えました?いやいや!やっぱりセリフがもうなんか明るいからじゃないですかね?そうかもしれない。
でも笑って頂けましたか?いくつか。
あなたのような喜劇の天才がいくつか笑ってくださいましたか?だからあの時にプッと吹きましたよね。
老人ロードって言った時にね…。
あれはね老人バードでしょ?老人バード。
そうそう。
老人バード。
あれはね…。
僕が気になったのは1つのセリフ
黒柳さんのアドリブだと思ったこの言葉の言い換え
このセリフでお客さんの空気が変わりました
これ前のやった時にね老人バードって私がね偶然出たのそれが。
でしょう?バージンロードって言うのが老人バードって言って…。
そうそうそう…。
それが面白いので…。
でもそれを演出家にいいですか?って聞いて演出家がいいですって言ったからそのままやってるんです。
僕なんかもうあれ台本だろうか?いや黒柳さんが考えたんじゃないかなってずっと思ってましたよ。
よく私言われるんですよ。
いいですね好きな事勝手に言ってるんでしょ?あれひと言も勝手に言ってないんですよ。
嘘!?ひと言もやだ…嘘!えっ!?嘘でしょ?私好きに言ってたと思ってらした?だってアドリブの…あれ?1つも…。
アドリブなんて1個も言ってないですよ私今日。
嘘でしょう?それはあなたさまがおやりになるものはほら自分のこう感覚で好きな事言っていいじゃない。
ああいうのはダメなんですよ言っちゃ。
元々言葉の達人だと思ってるからあのセリフもみんな考えてるんじゃないかなと思わせるっていうのがすごいじゃないですか。
でも嬉しいそれ。
本当に嬉しいですよ。
だって自然だって事でしょ?すごくね。
そして話はいまだに忘れる事の出来ない僕と黒柳さんが出会った時の事に…
僕一番最初に黒柳さんにお会いした時の黒柳さんがねずっとこう残ってるの。
あ55号!55号!つってね。
NHKで。
そうそうそう…。
忘れられない。
私ねとにかくコント55号が面白いっていうので私とにかくそういう面白いものが好きだから日劇にとにかく行ったんです。
もしかしたら1人で行ったのかもしれないの。
そしたらねあまりにも面白くて。
すごい面白かったんですごく面白いと思ったらNHKで…末盛さんって『夢であいましょう』やってた人がホールでものすごい大きいショーをやろうとしてたわけ。
私にも出てって言ってね。
そしたらね絶対コント55号がいいって私がすごい説明したの。
絶対今だったらコント55号。
絶対面白い。
それで末盛さんが日劇見に行ってそれでNHKに出てって言ったでしょ?そうそう…その時に黒柳さんにお会いした時に私が…私が絶対絶対絶対だからねって言ってね。
そうそう…。
そうそう…。
だからねある種のね55号のねはしゃいでくれたね一番…目立つ人がはしゃいでくれたんで。
でもね私本当に面白かったの。
嘘じゃなくてね。
今ほら私割と色んな番組で私が笑わないって芸人の人が言ってね。
私にひどい目に遭ったってさ。
ズタズタにされたとかみんな言うそういう番組があるぐらいなんですよ。
『アメトーーク』っていう番組で。
だからあんなに私が笑ったって事は本当にあなた方面白かったんだと思うよ私。
だってなかなか笑わないんだから私。
今笑わないってみんなから言われちゃってるんですもん。
本当に。
褒められたようで嬉しいんですが実は僕萩本欽一今年をもって大きな舞台から引退したんです
今日だけ随分あるんだ。
(観客の笑い)
ちょっと寂しいけどね
本当にお辞めになるつもりなの?うん。
寂しいでしょ?みんなが。
いやいや寂しいたってだって…。
ダメなの。
動かないとダメですもん僕なんか。
動いて笑いを作ってきたわけですね。
ええ。
動かないと…動かないとねなかなか大きな笑いが出来ないと思ってたから。
動けなくなったんで大きな笑いにならないの。
でも今だったらそんなしないでも座ってるだけでもなんかおっしゃったら笑うでしょ。
ダメ?だから僕の場合ずっと動いてきて作ってきたから。
最初からねそうやってセリフで。
わかります。
私なんかそのコント55号で笑ったのは…。
あれがおかしかった。
駅弁になっちゃうとかあるでしょ?こういうのがだんだん駅弁になっちゃって。
わあーってあなたが走るとこっちからだだだだーって向こうまで行ってだだだだーってこういうふうに走るの。
そうそう。
先生。
何をしとるんだ!君は。
やり直すからもう一度やりない。
バカ者が。
先生…。
これも我々が考えた。
腑に落ちなーい。
俺なんで弁当売ってるんだよ。
わかりました。
僕のね言葉をこうさせてください。
私が最初に黒柳さんにあなたたちのだーっと走るのがだーっと…。
あれが好きだったのって言ったの。
黒柳さんにね笑ってもらうためにはですね大きな舞台辞める事にします。
こうしとこう。
黒柳さんのせいにしよう。
ハハハ…!あら!でもあれでしょ?これだけ長く喜劇やってらしてやっぱりお客様の笑い声って好きでしょ?いいですよね。
ねえ。
そうだ。
あの声聞くともう1つなんかなんか…ね?笑い足したいなと思う。
そうですよね。
私は卒業しましたけど黒柳さんはまだまだこれから
でも20年後もう一度インタビューしたいな
さて黒柳さんが何十年ぶりかにこの素晴らしいアリーナの…。
こちらのほうに頭を向けられて。
ポカンと。
(木原)はい。
この髪はどうなってるんでしょうね?
(観客の笑い)こういうふうにポカンと浮く事が出来るんですね。
このまま…。
でもこのままずっと浮いててもしょうがないですよね。
すごいでしょ?どうしてああいう事が出来るのかっていうのをこれまた不思議なんですよね。
本当に…。
インドの方がやってるの見ててそんなに難しい…。
私は10年水中ヨガの研究をしてまして。
インドの人が。
こう下に書いてあったんでテレビで見て。
そんなにかかるのかなと思ってちょっとやってみたら出来たからなんだ出来たじゃんなんて思ってたら…。
遅れてるのにいいの?水中ヨガをね…どうしてもやらなきゃならない事があって水中ヨガをやっておりました。
ウーマンズ・スイム・フェスティバルっていうのでちょっと…どうしてもと。
こう水の中に入ってそれでこういうふうにしてるだけなんだけど。
こうやって…すごい格好ですけど。
東京で始まった舞台『想い出のカルテット』
大千秋楽は大阪梅田のシアター・ドラマシティで迎えます
千秋楽の前日黒柳さんにこれからの話を聞きました
冗談言ってるみたいだけど命懸けでやってるものをここでこうやって見て頂けるものをね。
同じ空気の中で…それでひと晩でなくなっちゃう。
一瞬にして終わるものが演劇だと思うんですけどそういう時心に染みるものが何かあったらいいっていう。
そういうものを皆さまに見て頂きたいなと思うので
黒柳さんは喜劇が好きです
悲しい事も多い世の中劇場にいる時間だけでも皆の心を笑いと喜びで満たしたい
それを自分の使命と背負いながら初めて舞台に立った日のあの居心地のよさを今も感じています
(拍手)
4月16日亡くなった高橋昌也さんを囲む会が開かれました
黒柳さんはこれまでたくさんの同志を失ってしまいました
一番の理解者だった昌也さんももういません
これから黒柳さんの喜劇はどうなるのか?
皆少しの不安を抱えていました
黒柳さんは昌也さんと喜劇を愛する仲間たちの前で宣言します
あなたのいらっしゃらない道をどうやって歩いていけばいいのか考えています。
でも昌也さんあなたの天性の明るさは十分に受け継ぎました。
若い人たちとやっていきます。
みんなを守ってください。
どんなに私たちがあなたを好きだったか今わかってくださっていると思います。
長い事本当にありがとうございました。
(拍手)2014/05/04(日) 13:55〜15:20
ABCテレビ1
喜劇が好き!〜舞台女優・黒柳徹子18年の記録〜[字]
18年に渡って女優・黒柳徹子を追いかけた秘蔵VTRを大放出!普段見ることのできない素顔やハプニング、心の葛藤、多くの仲間との別れ…。そして最後に涙のワケとは…。
詳細情報
◇出演者
黒柳徹子、萩本欽一、近藤真彦 ほか
◇ナレーター
萩本欽一 ほか
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32723(0x7FD3)
TransportStreamID:32723(0x7FD3)
ServiceID:2072(0×0818)
EventID:58744(0xE578)