ご機嫌いかがでしょうか?「NHK短歌」司会の濱中博久です。
第1週の選者小島ゆかりさんです。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
今日の冒頭の一首は?青葉の季節になりましたので欲深い私の青葉の歌をご紹介しました。
欲深い日の方が青葉は美しい?はい。
何か命がむらむらとして。
欲深き日の方が生命力があるという事ですかね。
そのようにも思えますね。
さて今日の「NHK短歌」ゲストをお迎えしております。
俳人の高野ムツオさんをお迎え致しました。
ようこそお越し下さいました。
よろしくお願い致します。
高野さんはご存じのように宮城県にお住まいで結社小熊座主宰としてご活躍中でございますが数多くの句集が出ている中で去年発表されました句集がこちらでございます。
「萬の翅」読売文学賞を受賞。
そしてつい最近蛇笏賞も受賞されました。
平成14年から24年までの足かけ11年にわたっての作品を年ごとに時系列で収められているという句集でございますが長くかかりましたね。
そうですね11年ですから普通の句集から比べれば随分長いですよね。
みんな私たち待っていたんです。
ありがとうございます。
いろいろな事があった11年ですね。
東日本大震災もありましたし…。
大きなご病気もありましたよね。
そうでしたね。
そんな事のいろんな思いが籠もった句集です。
長年の憧れの俳人ですので。
とんでもない。
どう読まれました?この句集。
ひと言で言えば名句が怒とうのように押し寄せてくる句集ですが挙げるときりがないですが好きな句は今日は特に印象に残ったこの句をご紹介したいです。
「日本ってどういう国?」って言った時にこの句ほど十全に表現しえた作品はないんじゃないかと思いますね。
雛人形というのは例えば日本的な哀れ古典的な哀れの象徴ですよね。
それに対して原子炉というのは近代の驚異のようなものでその2つが何か矛盾なく2つながら抱え込んでいるのが今の日本という国だと思うんですよね。
散文でも難しい内容です。
まして短歌でできないですね。
それを17音の俳句でこんなに表現できるんだという事にちょっと瞠目した句です。
名句めじろ押しとおっしゃいました。
恥ずかしい。
さて高野さんこの短歌の番組にお招きを致しました。
短歌とのご縁はいかがでしょうか?大学時代にもちろん俳句を熱心にやってたんですけど短歌や詩にも関心ありまして短歌のサークルにも実はちょっと顔を出した事があります。
初耳です。
あんまり人には言った事ないんですけど。
これは…?「国学院歌人」といって私の出た大学の中にある一つの短歌のサークルですね。
ここにちょっとお邪魔して歌会をやったり歌を作ったりそれから文章も書いたりしていました。
という事は学生時代高野さんは歌作があるという事ですか?実はあったんですけれども。
それはどこへ?何十年たって私の本箱のどこかにしまい忘れてなくなってしまって残念ながら作品は覚えてない。
思い出せない?それは惜しいですね。
是非発掘して頂きたいところですよね。
頑張って探します。
今日はですね短歌についてどんなイメージをお持ちなのかゲストの方に短い言葉にして頂いてるんですが高野さんはどんな言葉になりましたでしょう?いろいろ考えたんですけども…。
ヒラヒラ飛んでるんですかね?そんないいものではありません。
羽の破れた…私などは。
いえいえそんな事ありません。
その心あとで詳しく伺います。
どうぞよろしくお願い致します。
それでは今週の入選歌をご紹介致しましょう。
題が馬または牛でございました。
小島ゆかり選入選九首です。
一首目。
早速高野さん伺いましょう。
最初から話しにくいんですけどこの歌からは春ののんびりとした田園風景それが見えてきますね。
紫雲英田があって草を食べている牛があってその中の牛の一頭の目が見える。
ここまでは現実の風景ですよね。
ところが一番最後の七音で「僕達もいた」という事で一気に過去に戻っていくと。
この転換が大変見事だと思いましたね。
そして懐かしさが一気に湧いてくる。
そんな魅力的な歌でした。
「いた」という最後の口語表現もよかったですね。
とてもいいご鑑賞ですね。
私は「いた」というのはまさに存在したという存在の表現なんですがその存在の表現によって逆に失った今ないという不在が照らし出されてくる。
それがこの歌のいいところだと思いますね。
恐らく今は紫雲英田も牛もまたそのころの僕達もいない。
これが主題であるというふうに思います。
若々しいですよね。
若々しいですね。
では二首目にまいります。
これも高野さんから伺いましょう。
何だかずうずうしいですね。
続けていきます。
これは現代の農村風景それが見えてきますね。
厩があってしかしもう馬はいなくなってそして梅が外では咲いている。
その側でおばあさんが耕運機を使っている。
その情景がカメラが移動していくように一コマ一コマ見えていくんです。
そして最後に「耕運機の音」と音に思いを象徴するというか余韻を持たせてにぎやかな音なんですけど随分寂しさも感じられてそんな音が聞こえてきます。
「老婆」というのが寂しく懐かしくたくましいという感じですね。
静かな光景のどかな光景の歌なんですがその奥に過疎化とか機械化とかそういう時代の変化がしまわれている歌かと思います。
「厩」「馬」「梅」というう音もいいですね。
「う」が続いてますね。
では三首目にまいります。
洗われている馬の存在感口取るをとこの存在感この2つがやがて一つの輪郭になっていくというところが非常にうまい歌です。
「馬しづかなり」という二句切れが大変生きていると思います。
では四首目に移ります。
随分懐かしいにおいがしてくる歌ではありませんか。
「芍薬は肥食ふ花」というような教え自体に時代とかその土地とかそういうものが込められていて子供の頃の思い出ですかね?そうですね。
この馬糞から凸凹道も見えてきますよね。
芍薬立派な花がエネルギーを吸っちゃうんですかね?そのようですね。
花が終わったあとで肥やしをあげる事をお礼肥というんだそうですけどたっぷり肥やしをまいてそして来年またきれいな花を咲かせてほしいと。
馬糞がお礼ですね。
それでは五首目にまいりましょう。
かつては生き物の命あるものの懐かしい響きがし今は人口の煌めきに飾られているというやはりこれも時代の変化ですね。
「丘は今」という中心になる言葉これがよく働いてると思います。
次が六首目です。
高野さんどう鑑賞されました?これも懐かしい場面ですよね。
多分校庭でしょう。
子供たちが馬とびをしている。
これ動きのある場面ですよね。
そしてその越えた日を思い出したのは何かというと大空がいつまでも晴れているその情景だという事がここで展開をしてそして静かなしかも広がりのある情景に収めている。
この流れがとても印象的ですよね。
地上から天空へとこの形ですね。
すばらしい鑑賞ですね。
まさに動から静へというのでね。
「どこまでも晴れ」という言葉の中にはその時には未来がまだどこまでも未知としてあったというそんな気持ちもあったんじゃないですかね。
目の輝きも見えてきそうですね。
それでは続いて七首目です。
「スーッと涼しき眼を向ける」というところに牛のゆっくりした動きそしてこっちに顔が向いてくる感じがほんとによく描かれてますね。
「背負わせし」それから「下ろしやれば」というこの表現にも牛に対する思いやりが感じられますね。
牛への慈しみというんですかね。
では続いて八首目です。
まだ柔らかい草ですね。
そこに今にも触れそうなほどたっぷりと乳房が膨らんでいるんですね。
穏やかな光景ですけど「触るる」とか「膨らめる」「ふ」の音と「ら行音」がリズムのうえでも真ん中が豊かに膨らんでる。
そんな歌ですね。
静脈も太くて。
この静脈ここでは健康的な静脈ですね。
生命感があふれてますね。
健やかなね。
それではおしまいの歌九首目です。
作者の方は「五十年の間」と音を合わせられるかもしれませんが私はあえて字余りでも「間」と読みたいなと思います。
五十年前に描いた絵の中に馬たちが佇ってるんですね。
ずっと五十年間雪の牧場に佇ってたんだと思った時に気付いたという事なんですよね。
気付いたという事の背後に作者ご自身の五十年の歳月がにじんでくる。
そんな歌だと思います。
以上入選九首でした。
ではこの中から小島さんが選んだ特選三首です。
まず三席からです。
三席は山下裕美さんの作品です。
続いて二席の発表です。
二席は板東徹さんの作品です。
ではいよいよ一席の発表です。
一席は大下カヅヨさんの作品です。
もう大好きな一首ですね。
いろいろゴチャゴチャ言ってませんけど馬への愛しさが本当によく出てる。
牛ですね。
あっ牛。
以上今週の特選でした。
さて今回ご紹介しました入選歌とその他の佳作の作品はこちら「NHK短歌」のテキストにも掲載されます。
是非こちらもご覧下さい。
さあそれでは「うた人のことば」ご覧頂きましょう。
岡部桂一郎さんは結社にほとんど所属せず70年にわたり短歌を作り続けてきました。
太陽を空気銃で撃つというのがはやったんですよ昔。
何を撃ったかというと真っ赤になってる…あらわとなってるというのは裸になってあなたに話したいという気持ちを伝えてるの。
続いては「入選への道」のコーナーです。
たくさん頂戴するご投稿歌の中に少し手を入れるととても良くなるというのがたくさんございます。
今日は一首小島さんに取り上げて頂きます。
今日はこの作品です。
「桜肉」「野焼きの灰」「阿蘇の宿」こんな言葉が響き合っているなかなかいい歌なんですね。
ただ「桜肉とふ花ならで」と続いていってしまいそうな錯覚が少し起こりますので二句目は切っておきましょう。
こんなふうにしました。
二句でキチッと切れましたね。
これで入選です。
皆さんもどうぞ参考になさって下さい。
それでは投稿のご案内を致しましょう。
それでは選者小島ゆかりさんのお話「うたを読む楽しみ」今日は「眠る子の風車」です。
大隈言道という人は幕末の歌人です。
福岡の商家に生まれた歌人なんですがこの歌の「妹」というのは奥さんや恋人という意味ではなくて赤ちゃんを背負っているお母さんを慈しんで妹と呼んでいるんですね。
うつらうつらお母さんの背中で眠っている子が辛うじてまだ手に風車を持っていてもうすぐ落ちちゃうと思いますけどまだ手にあってふるふると巡っている。
そんな日常の中のほんとに何でもない優しい光景です。
こういう歌は和歌が貴族のものであった時代にはない光景です。
言道は日常の中の親しみやすい光景をたくさん歌に詠んでいます。
言道にかぎらず近世の終わりぐらいの歌人たちはやがて来る近代の和歌革新につながっていくようななるべく日常的な歌を作ろうとそんなチャレンジをしているんです。
その中の一首です。
選者のお話「眠る子の風車」でした。
どうもありがとうございました。
それではゲストにお迎えしている高野ムツオさんにいろいろお話をして頂きますがまずは最初にお書き頂きました短歌についてのキーワードをもう一度ご披露頂きます。
この心をひとつよろしくお願いします。
例えば俳句は俳人同士で吟行会と称してたくさん大勢集まってそして俳句を作り歩きますよね。
何やってるかうろうろしてて分からないような感じですよね。
それに比較して短歌は高い所から華やかに歌い上げるというかそういうイメージがあるんですよね。
軽々としてなおかつ流麗で恋の歌も多いですからね。
チョウチョが2匹空に舞っていてランデブーをしている。
そんなイメージが私は短歌にあるんですね。
少し短歌への憧れのようにも聞こえますがそうなんでしょうか?それももちろんあるんですがでも求めてるものは一緒なんですよね。
アリもチョウチョも花の蜜。
花の蜜はそのまま詩の蜜…それを求めてる。
地上からやって来るものと空から舞ってくるその違いはあるんですけどね。
同じものを求めているんだと思います。
高野さんそうおっしゃりながら今日はチョウチョのブローチなんです。
映りました。
おしゃれですね。
小島さんはこれでいうとヒラヒラチョウチョで飛んでいらっしゃる。
いや〜そうは思いませんが。
そうおっしゃる高野さんでございますが一首歌を挙げて頂きましてお話を進めて頂きましょう。
どんな歌を今日はご披露頂けますでしょうか?さあこの歌は?これは私が高校生の頃駅から電車通学をしていましてその駅のポスターにあった歌なんですね,栗駒山というのは私のふるさと宮城と岩手の境にある山です。
このみちのくの栗駒山というどこにでもある山なんですけどその山を歌枕にしながら恋の歌とても流麗な歌に仕上げてるんですよね。
こんなふうに都の人はかつて詠んでくれたんだなそんなふうに詠まれているすばらしい所なんだなというふうな思いを感じながらこの歌を覚えていました。
高校生の頃でいらっしゃいますでしょ?「君が手まくら」なんてどのように?羨ましかったです。
早熟な…。
この歌は「夫木和歌抄」という歌集に入ってるんですが藤原長清が選をした歌集ですが言ってみれば勅撰歌集から漏れた歌それをいろいろたくさん集めてるんですね。
36巻にもなる歌集ですが万葉集でいえばちょうど東歌のような非常に豊かな幅広い作品がありますね。
この歌象徴的ですけれども言いたい事は「君が手まくら」かわいいあの子と共寝したいよとただそれだけなんですけどそれを言うのに「みちのくの栗駒山の朴の木の…」とずっと。
広い所から狭い所に入ってきれいな手が見えてきたってそういう感じがよく伝わる。
そして地方の固有名詞をちゃんと入れて作るというね。
こんなふうにかつてみちのくは憧れの地として歌に歌われた。
皆さんそういうふうに思って歌ってくれたんですよね。
同時に「みちのく」という言葉はもともと道の奥一番外れの方という意味ですからね。
ちょっと差別的ですよね。
そんな意味もあると思うんですね。
ずっとそれから1,000年以上もたってますから電車も通り飛行機も飛び情報もさまざま飛び交うようになった。
だからみちのくと都あるいは東京の違いはなくなってきたのかなというふうにも思われるんですけど今度の東日本大震災の時はやっぱり東京や関西それからみちのく東北とのまだ違いはあるんだという事も実は実感しているところですね。
だからそんな中で私はみちのく宮城に住んでいるわけなのでそこから発信できる言葉というのを探して同じみちのくという言葉を使いながらもしかし都のみちのくではなくて地元のつまり地方に住んでる人間としての立場からのみちのくの在り方というのを発見したい。
言葉でそれを表現していきたいと思っていますね。
今度の句集なんか特にそうですよね。
これまでも高野さんは自分のふるさとという事でずっと俳句を作ってこられたんですけど私たち歌人にとってはみちのくというのはいわば歌枕というか歌語歌の言葉だったんですね。
今も「みちのくの栗駒山の」っていうと調子がいいわけですね。
そういう言葉だったんですがはっきりと大震災以降言葉の軸が変わったというか軽はずみに語調を整えるとかそんな事では使えない言葉になりましたね。
自然や未来を見る目というのもまた変わってきましたのでね。
そういうところから新しい俳句や短歌の在り方というのが今問われてるんだと思いますね。
高野さんはこれからもみちのく東北にいらして新しい句が生まれてくるという事なんでしょうね。
私なんか微力ですけど私一人じゃなくて俳句や短歌は大衆のものですからね。
みんなでそれぞれの立場でそれぞれの内容をたくさんの形で描いていければというふうに思いますね。
今日は俳人高野ムツオさんをお迎え致しました。
どうもありがとうございました。
小島さん来月もどうぞよろしくお願い致します。
「NHK短歌」時間でございます。
ではごきげんよう。
2014/05/06(火) 15:00〜15:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「馬または牛」[字]
選者は小島ゆかりさん。ゲストは俳人の高野ムツオさん。句集「萬の翅」で読売文学賞、蛇笏賞を受賞した高野さん。東日本大震災を記録した句集として高い評価を受けている。
詳細情報
番組内容
選者は小島ゆかりさん。ゲストは俳人の高野ムツオさん。句集「萬の翅」で読売文学賞、蛇笏賞を受賞した高野さん。東日本大震災を記録した句集として高い評価を受けている。
出演者
【出演】高野ムツオ,小島ゆかり,【司会】濱中博久
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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