フジテレビのバラエティ番組で、小保方さんをネタにしようとしたところ、批判が殺到し放送が見送られたとのこと。
笑いと嗤いは違う
フジテレビ系「めちゃ×2イケてるッ!」(土曜、後7・57)が3日放送され、当初番組公式サイトで予告し、批判が集中していた小保方晴子氏をネタにしたコントはオンエアされなかった。
ネット上では「これを批判する人間は笑いを理解していない」という声も見かけるのですが、それこそ笑いを理解していないでしょう。
「笑い」と「嗤い」は違います。「小保方晴子氏をネタにしたコント」は嘲笑、あざけり、嗤いに属するものでしょう。これを健全な「笑い」だと言い張るのは、いじめっ子がいじめられっ子をクラスの面前で「いじって」、侮辱するようなものです。いませんでしたか?みなさんの小学校にも。「嗤い」で人をいじめるのがうまい子ども。
こうしたネタが「笑い」の域に達するためには、「相手が傷つかないこと」がまず求められます。イギリスの皇室ネタとかは、この前提があるといえるでしょう。Mr.ビーンが皇室をネタにしたところで、皇室の人々は社会的なダメージを受けないわけです。
次に、「対象に対するケア(愛情)」が求められます。愛情を装うのは簡単ですので、ここは注意深く見る必要があります。ネタの相手を消費するような態度では、「笑い」の域に達することができません。その「笑い」によって、相手の人生を前進させるようなケアが求められます。
最後に、誰かを不快にした時点で、それは健全な「笑い」とはいえません。ぼくは実際、このニュースを聞いて不快になりました(放送を取りやめたのは、望ましい判断だと思います)。「不快な笑い」というのは語義矛盾でしょう。
相手を傷つけ、何のケアのもなく、観客を不快にさせるようなネタは、「笑い」ではありません。それは、基本的に恥ずべき「嗤い」です。「これからみなさんの前でパフォーマンスするのは、下衆で最低なブラックユーモアです」という前提をしっかり共有すれば、そういう「嗤い」もありだとは思いますが…。
大人たちがこういう「ネタ」を「笑い」として容認すれば、子どもたちは彼らの社会で、その「笑い」真似をするようになるでしょう。いじめっ子がいじめを追及されたとき、「オレはアイツをいじってるだけだよ!みんな笑ってるじゃん!」と。
「笑い」と「嗤い」は違うこと、「嗤い」は強い暴力性を持ちうるということを、ぼくら大人は伝えていかなくてはいけません。
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