2014年05月05日

生命科学研究での考え方1「論理:アブダクション」

 生命科学の研究と向き合う時にどのように物事を考え、どのように研究を進めていくか。

 この問いに答えるのはとても難しい。研究内容や研究対象といった科学的事柄についてはきちんと体系化され、知識としてまとめられている反面、一段階上の研究手続きや考え方といったものはあまり体系化されていないからだ。研究室内で一子相伝よろしく、直属の上司から教わる形で伝わることがほとんどであり、おそらく研究室や研究者によって千差万別なのだろう。

 そこで、生命科学研究における考え方について、自分なりに思索したものを4つのエントリーに分けて、書いてみようと思う。ただ、あくまで一個人の私見であるので、参考程度にしてほしい。

 第一弾となる、このエントリーでは、全ての考え方の基本となる「論理」の話からしていく。

論理の種類


 実験科学で用いられる論理には大きく分けて、3つの種類がある。演繹、帰納、そしてアブダクションの3通り。

演繹


 「AならばB、BならばC。したがって、AならばC」と理論を積み重ねていくことで、推論していく論理。理論だけで成り立っているので、「アイデア」と考えると捉えやすい。先日始まったNHKの「ロンリのちから(参考)」でも解説されている論理体系だ。

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帰納


 データを元に理論を組み立てていく論理。データを無作為に多数取ることのできる学問分野でよく使われる。「調査やサンプリング」と考えると分かりやすい。

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アブダクション


 データと理論の関係を考えるのは「帰納」と同じだけれど、「アブダクション」では推論の向きが異なる。無作為にデータを取ることが現実的でない、多くの実験科学で用いられている推論形式だ(参考)。日本語では仮説形成が良い訳になる。

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 アブダクションでは、まず「仮説」を立て、その仮説から予想される「データ」を想定する(上図①)。

 次に、実際に実験などを行い、得られた「データ」と「想定」とを比較する。実際のデータが想定と異なれば、最初に立てた「仮説」を修正し、再検討する。予想通りのデータが取れた場合は「仮説」は確からしいと言える(上図②)。

アブダクションの大きな欠点とその対策


 上図②で「確からしい」と"らしい"を付けて言ったのには、実は理由がある。それはアブダクションには論理上の大きな欠点があるからだ。

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 この図が示すように、同じ結論を導く複数の仮説があった場合、結論からどの仮説が正しいかを判定することができない。具体例を挙げてみよう。

私はインフルエンザにかかっているとき、ノドが痛くなる。
今、私はノドが痛い。
だから私はインフルエンザにかかっている。

後件肯定 - Wikipedia


 当たり前の話だが、「喉が痛い」という結論から「インフルエンザ」という仮説は成立しない。喉が痛くなる原因は他にもあるからだ。したがって、上の引用は論理的に間違っている。このように、アブダクティブな推論は論理学の用語でいうと、「後件肯定」という形式的な誤謬になっている。

 では、実際に研究を進めていく時、「後件肯定」を排除するにはどうしたらいいのか。それは想定している仮説から導き出されるデータを、異なる観点から複数追加して検証することでその可能性を低くすることが出来る。

slide5

 上記の「喉が痛い」の例で言えば、体温を測る、血液を採取して検査する、といったデータを追加することで、より精度が高まる。

 もちろん、データA、データB、データC…という全てのデータを満たす別の仮説の可能性は消えない。しかし、そうした可能性を考えていたらキリがない。ある程度のところで妥協点を見出すのが科学研究上の手続きだし、論文の査読はそうした線引きの判断としても働いている。

 また、誠実な科学者が「科学は100%と断言することは出来ない」という発言をよくするのは、こうした理由による(と思う)。

STAP細胞の論文をアブダクションの観点から見てみる


 では、アブダクションの観点から実際の研究を考えてみよう。そこで読んだ人も多いであろう、STAP細胞の論文(参考)をアブダクションや後件肯定といった観点から捉えてみることにする。STAP細胞論文(Nature Article)冒頭Figure1の論理は次のようになる。

  1. 細胞が多能性を獲得すると、Oct4が発現する
  2. Oct4が発現した
  3. したがって、細胞は多能性を獲得している


 ここで指摘すべきなのは、Oct4を発現させる原因には多能性以外にもあるかもしれない、ということだ。例えば、酸をかけて細胞が死に瀕すると、多能性獲得とは無関係にOct4の発現が上昇する・・・のかもしれない。そうした可能性を排除するために論文では、テラトーマの形成やキメラマウスを作製したデータを追加し、掲載していた。

 しかし、御存知の通り、テラトーマやキメラマウスのデータについて、現時点ではその信憑性が疑われてしまっている。したがって、STAP細胞の論文の中で信頼出来るデータは酸刺激によるOct4の発現データだけであり、それを元に考えると、後件肯定に陥ってしまっている可能性が高い。

おわりに


 生命科学系の実験について論理的に考える時は、以下の様な流れを意識すると良い。

  1. まず仮説を立て、そこから適切な実験系を選ぶ
  2. 実験を行う
  3. 実際のデータが想定と異なっていた場合、最初の仮説を修正し、1からやり直す
  4. 仮説通りのデータが出た場合、(一度冷静になって)そのデータを導いてしまう他の仮説の可能性を考える(後件肯定の可能性を考える)
  5. 後件肯定に陥らないよう、複数の観点から観察し、さらに仮説を検証または修正していく。
  6. 仮説をその都度修正しながら、ほぼ1つの仮説に収束するところまで繰り返す


 理論系の学問をしている人にとっては、いつまで経っても100%確定に到達しない、煮え切らない論理かもしれないが、一般に実験科学で用いられる論理はこのようなものである。また、アブダクションについては、先日ぱんつさんもブログに喩え話を書かれていたので、そちらも参考にすると良いと思う(参考)。

 次のエントリーでは、推論する前の一番最初の仮説を立てる段階で、生命科学ではどういう視点に基づいた考え方があるのか。その着眼点の話をしたい。

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