いやはや
すっかり更新が止まっているブログです。
で、久しぶり、と思ったらタカラヅカに関係ない事書きますが!
大好きなジャズピアニスト、キース ジャレットの大阪公演に行って参りました!
ああもう、素晴らしかった……
いままで、レコードでしか知らなかった。
今回、生キース初めて見たけど、想像以上の人でした。
人というより、え、ピアノの精?ピアノが友達?て感じだった。もしやリアルピアノ魔デスカ?
10/17大阪公演、フェスティバルホールの舞台には、ピアノのみが置かれていた。
照明も演出も、いっさい無し。舞台の真ん中にピアノだけ。
大阪には今ではフェスティバルよりもっとずっと良い音響のホールがあるだろうに……という疑問はこの際置いといて。やっぱ伝統、雰囲気か?
もう30年も前になる、伝説のケルン・コンサートの頃は、音でのイメージは尖った感じがしていて、ピアノと共に生き、戦い……みたいな、ギリギリ感があったのです。あくまでわたしの主観なんですが、こう背を丸めて、ピアノのみと対峙しているイメージ。
ところが登場してきたキースは、なんだかスゴク可愛らしい人で!
まるでプラッとたまたま舞台にやってきたオッチャンかのような自然な風情。
奏でだした音は、ずっと丸く、優しくなっていて、人生の余裕が感じられるようだった。
キースのなかに、音が降りてくるのを待っている 間 が感じられるようだった。
キース ジャレットとピアノの30年の時間だ。
そんなキースの音だ。指が何本あるんだろう?いや技術どうこうの話じゃなくて、ピアノが話し、赤裸々に、惜しみない感情を吐露していた。広がりのあるイメージで。
ところが一部の途中で、客の誰かのケータイが鳴った!(大きなのっぽの古時計!)
オイ!!と誰もが思った瞬間。
ロマンチックそうなメロディをまさに奏で始めようとしていたキースの指が、止まった。
凍り付くホール。
キースはジッと鍵盤を見つめ、次の音がくるのを待っているようだった。
怒ったの? 気が削がれた? イラッとした?
再び指が動き出したときは、そんな感じの音をサラッと弾いたが、その中にもある種の愛嬌と言うか皮肉と言うかユーモアがある感じ。なんて面白いんだろうと思った。
そのピアノで語る事。語るさま。触れ合い、遊ぶさま。言葉無くてもピアノがあれば。ああなんだか、ある意味理想の世界に生きてるひと。
そしてわたしたち俗人は、キースがピアノをもって降ろしてきてくれた音楽を聴いて、感動している〜!
一部のラスト。
キースは、ひとしきり弾き終わると一礼し、その音の余韻のままに、スッと下手にはけていった。
まるで自然に。
まだわたしたちはピアノの上にキースを見ていた。音を感じていたのに、キースはフッといなくなった という感じ。
わたしの席は上手側だったので、のんびり歩いて去っていくキースの背中が見えた。
その、あまりにもナチュラルな様が、ひどく印象に残った。
二部のラストはアンコールの嵐、嵐。
最後なんか客電が付いて、館内放送がかかりだしても鳴り止まぬ拍手。
そしたら、館内放送、途中で止まって、キースがまたふらりと出てきてくれた! また暗くなる客席!
もう、客席はスタオベとどよめき。二千人だか三千人だかが、同じ空間と感動を共有して、唯一のひとに拍手を送った。
結局、6回くらいはあったかな? アンコールに応えて弾いてくれただけでも3回か4回あった。
サイコーの、素晴らしいコンサートでした。
ほんとは、ジャズ(というかだいたい音楽全般)は身近なライブ感、躍動感を大事にしたいので、大きなコンサートホールで聴くという事に一抹の不安と抵抗を感じていたんです。わたしの中でジャズちゅうのは呑んだり吸ったりしながら身体をゆらして真剣に怠惰に聴いたりするものだったんですが。
そんなんどーでもいーとブッ飛ぶキースの音楽、逆にライヴハウスの喧噪でなく、あのコンサートホールの静寂の息を呑む感が良かった、それが必要だった。
キース、最高!!
というわけで、東京まで追いかけてゆく予定な訳です。
で……
東京といえば、いま、あのひとがいる訳です……
ああ、行くんだろうな、日比谷へ……。
今、ようやくガイチさんのいない生活に慣れつつあるのに……(別の言い方:逃避している)
スカステに対する気持ちの整理もつけたのに……(なんだそりゃ)
行ってしまうんだろうなあ。
そして行ったら、また愛しさと切なさと心弱さが逆戻りなんだろうな〜
だが、それでいい とか力強く誰か言って!!頼むよ前田慶次!!
てゆうかフツーに日比谷で過ごす(であろう)一日、スケジュールに余裕入れてるもんね、すでに。
ああ、行くともさ!