ザ・シミュレーション生活保護2030
芸人の母親が生活保護を受給していた問題に端を発する「有名人親族による生活保護受給問題」は、その後、芸人以上に浮き沈みの激しい政界にも波及。複数の議員の親族に生保受給者が発覚したことにより、この問題は国を挙げての大論争となった。
「有名人なのに親を養わないなんて、けしからん!」
道徳心に富み(他者の)不正を憎む国民の怒りは野に満ちた。
「親族扶養義務の厳格化」掲げる自民党が大勝
そんな中、野党第一党である自民党は「生活保護不正受給の徹底した取り締まりと、親族扶養義務の厳格化」を掲げ、総選挙で大勝。この運動の提唱者であった片山さつき厚生労働大臣のもと、ついに国は、
「一定の年収がある人が3親等内の親族がいた場合、原則としてまず親族が扶養すべし」
という形で生活保護法改正を実現した。それまでは基準のない倫理規定に過ぎなかった扶養義務を、明確な基準と共に明文化したわけだ。
目安としては、年収600万円というラインが設定された。当初は年収1000万円以上が想定されたものの、「そんな基準に設定したら、ほとんどの国民が対象になってしまう」という厚労省の強い反対によって、サラリーマンの平均賃金に近い水準が採用されることとなった。
「よっしゃあ! 吉本ざまぁ!」
生活保護法改正のニュースに、32歳会社員の山本君は、部屋で一人ガッツポーズを決めた。彼も、ネットで吉本たたきに熱を挙げた一人だ。
テレビに出ているだけの芸人が、自分の何倍もの年収を貰えるのは許せない。まず親族が面倒をみろ。一族の家でも車でも売り払え。それでも無理なら、税金で面倒見てやってもいい。それが彼の持論である。
「あーすっきりした。これで寄生虫どもも一掃だね」
大企業が「親族の生保受給者」を調べ始める
ただ、実際にはこのニュースは世界では驚きを持って伝えられた。
「成人に対して親族による扶養義務化だって? オゥ、ジャパンは相変わらずクレイジーだ」
先進国で成人後の大人の扶養義務を国民に課している国は日本くらいだ。ビル・ゲイツの親兄弟だって、生活に困ったら公的扶助を受けられる。
成人したら完全に個人として扱い、そのための原資は所得に応じてみんなで負担する。それが近代的社会保障の原則であり、他国はそうやって古い社会から開かれたオープンな社会へと進化してきたのだ。
そんな中、まるで戦前に先祖返りするかのような日本の決定は、他国からは奇異の目で見られた。とはいえ、山本君のような国民の多くは、そんなことも知らぬまま、有名人が謝罪会見を開くたびに歓声を上げて騒いでいた。
やがて社会はゆっくりと、だが確実に変わり始めた。親兄弟が貧乏であることは重大なリスクだ。リスクは排除しなければならない。女性誌は堂々と「親族に生活保護受給者がいるオトコの見分け方!」という特集を組むようになった。実家が貧乏だったり、兄弟姉妹にニートや引きこもりがいる人間は結婚対象外だ。
大企業も、社員の働きぶりに影響が出ることを恐れ、面接時に親族の生保受給者を調べるようになった。結婚相手や求職者の身辺調査が一般的となり、興信所はかつての活況を取り戻しつつあった。結局、実家が貧乏な人間は結婚も就職もしにくい社会になった。
もっとも、お互い貧乏人同士なら、相手の親族に生保受給者がいようがニートがいようが気にする必要はない。上流家庭出身者は大企業に入って同じ階層出身者と結婚する一方、貧乏家庭出身者はブラック企業に就職し、同じように貧乏な人と結婚するようになっていた。社会には目に見えない壁ができつつあった。
役所から連絡「52歳の兄の扶養経費を補助しなさい」
さて、時は流れて2030年。山本君もいまや50歳のいいオッサンになっていた。2人の子どもも順調に育ち、家のローンも終わりが見えてきた。順風満帆の人生と言っていい。
そんな彼のもとに、役所からある日1通の督促状が届いた。
「貴殿のお兄さんが生活保護を申請され、本人に生活能力がないと判断、今月から支給がスタートしました。つきましては唯一の3親等内親族である貴殿には、お兄さんの扶養経費の補助として、これから毎月10万円ほどを納付していただきます」
2歳年上の兄は、ずっとフリーターとして暮らしていたはずだが、もう10年以上会っていない。慌てて役所に電話した山本君に対し、役所の職員はそっけなく答えた。
「年収500万円以上の親族は扶養できない特別な理由が必要なのです。あなたは昨年度の年収600万円の正社員で、マンションの資産価値および預金残高からも、十分な扶養能力ありと判断した次第です」
以前なら、子どもが2人いれば年収1000万円未満の人間なら扶養義務は免除されたらしいが、財政危機が顕在化する中、自治体は裁量的に運用基準を引き下げていた。
「し、しかし……」
「支払っていただけない場合、会社に差し押さえの通知が行くことになりますが、よろしいんですね?」
「わ、わかりました……」
日本中で、同じことが起きつつあった。
日本の年金制度はサラリーマンを中心に設計されているため、非正規雇用労働者が職にあぶれ出す50代以降、彼らの多くが生活保護に殺到するだろうという予想は、早くから多くの識者がしてきたことだ。だが、年金制度の一元化等、抜本的改革に反対する自民党が政権復帰したことで、この問題は放置された。
「時限発火式ナマポ爆弾」が大爆発
もっとも、今にして思えば、親族扶養義務化が彼らなりの対案だったのかもしれない。また、団塊世代の親が亡くなったニートも、続々と生活保護に流入し続けていた。もちろん、最優先でその費用を負担するのは、彼ら自身の兄弟姉妹である。
高齢フリーターやニートによるナマポ申請の波は「親族の扶養義務」という防波堤に阻まれ、彼らの家族のもとに流れ落ちていった。
本来は、もっと早い段階で、年金制度の一元化や積立方式への移行等、社会保障制度自体の持続可能性を高める抜本改革に着手しつつ、そこから古い「家制度」の名残を一掃しておくべきだった。そういった抜本改革をやらないまま、芸人叩きでお茶を濁した結果がこれである。
いうなれば、山本君は「20年後に大爆発する時限発火式ナマポ爆弾」を自分で自分にセットしたようなものだった。もちろん、元々バリバリの上流家庭出身の片山、世耕両議員は、ナマポ爆弾なんてものとは無縁の余生を楽しんでいる。
ところで「親族の扶養義務強化」によって、不正受給者は減っただろうか。不正受給率0.4%という数字自体は横ばいのままだ。当たり前の話だが、もともと収入のある親族がいたからといって生保受給するのは違法でも何でもないのだから、そこを締めあげて不正受給が減るわけがない。
こっそりバイトをしつつ受給する人間、他人名義に変えたマンションや車を持ちつつ受給する人間、裏社会で仕事をしつつ受給している人間など、本物の不正受給者たちは、ホッと胸をなでおろし、その後も平和なナマポライフを謳歌している。
彼らにとって、有名人の親族絡みのドタバタは、問題の本質から目をそらしてくれる格好の煙幕になったわけだ。
自殺者が増え、日本中で貧乏が再生産される
そうそう、不正受給自体が減らなかった一方で、一つだけ増えた数字がある。自殺者数だ。
「子どもさんや兄弟はいらっしゃるんでしょう? でしたら、まずはそちらに相談してください」
という強力な武器を、行政は惜しみなくフル活用した。
もちろん、不正受給者や平気で戸籍を抜くような図太い人間は自殺なんてしない。自殺するのは、常識のある人や気弱な人、そして子どもに迷惑はかけられないと思うごく普通の日本人である。
結局、山本君は嫁と相談した結果、下の子どもを大学に進学させることを諦めた。もともと勉強のできる子ではないから、本人も納得している。
でも、もしこの子が将来フリーターになって、50代になって生活保護を申請したとしたら……。長男はその重みに耐えられるのだろうか。日本中で、貧乏が再生産されつつあった。
「これじゃあ、おちおち子育てもできないな。だいたい、生まれによって人生の選択肢が決まってしまう社会なんておかしいよ。国は親族に頼らなくても済むような新制度を早急に作るべきだ」
話を聞くだけだった嫁が、ぽつりとつぶやいた。「でも、それって昔の生活保護制度と何が違うの?」(城繁幸)