【コラム】今、子どもたちをいかに教育すべきか

 数日前、親しい知人からこんな話を聞いた。普段、校則を破ったことがない真面目な中学生の娘が、学校で罰を受けた。最近では、学校で罰を受けたということも保護者に伝えてくれるらしい。罰の理由は「制服の着こなしに違反があったため」だった。「どうして罰を受けるようなことをしたのか」と娘をとがめると、娘は「今から校則を破る練習もしておかないと、セウォル号みたいなことが置きたとき、助からないから」と答えた。知人は、何と言うべきか、言葉が見つからなかったという。

 全羅南道珍島沖で起きた今回の事故では、出港から事故、そして捜索などの事故対応に至るまで、筆舌に尽くし難く歯がゆい場面が極めて多い。中でも特に歯がゆいのは、大人の指示をよく守った生徒たちが大勢犠牲になったということだ。「今の場所(船室)から動かないように」という案内放送に従って、生徒たちが救命胴衣姿で互いに手をつなぎ大人たちの救助を待っている場面は、正視に堪えない。

 教師たちも、最初は案内放送に従うよう促したことだろう。脱出せよという放送があったのは午前10時15分。船が沈み始めてから1時間以上も経過した後だ。余りにも遅かった。自己判断で甲板に出た一部の生徒は助かり、大人を信じて客室にとどまった生徒は多数命を落とした。

 犠牲になった生徒と同じくらいの年ごろの子どもを育てていて、自分が大人だという事実をこれほど恥ずかしく思ったことは、これまでなかった。最近は、家で子どもたちと目を合わせるのを避けている。かつて、今回ように大人の指示を信じて守った大勢の生徒が惨事に巻き込まれたというケースがあったかどうか、いくら記憶を探っても見つからないように思える。

 珍島沖の事故に直面してもなお、子どもたちに「校則はちゃんと守るべきだ」と教えることができるだろうか。少なくとも当分は、そんなことは言えないだろう。ある高校の教諭は「生徒たちが、職員室の外でボール遊びをして騒いでいるのが窓から見えたため、いつものようにしかりつけようと立ち上がったものの、『どの面下げて…』という思いから、そのまま座り込んでしまった」と語った。

 それでも、最後までセウォル号の船内に残り、乗客を助けて命を落とした乗組員のパク・チヨンさんや、どうにか甲板まで上がったものの、再び船内に戻り、教え子を避難させて死亡した檀園高校のナム・ユンチョル教諭のような大人もいたが、もしそんな大人すらいなかったとしたら、どれほど絶望的だったことだろう。

 しかしセウォル号の惨事は、あまりに無責任過ぎる一部の大人たちの犯罪がもたらした結果であって、校則をしっかり守ることで事故を防止するケースの方がはるかに多い-と信じたい。192人が死亡した2003年の大邱地下鉄火災でも、小学4年生の子どもが、大人から学んだとおりに実践して助かったという例がある。この小学生は「『火事のときはハンカチを水で濡らし、口と鼻をふさげばしばらく耐えられる』という父親の話を思い出して、学んだ通りにやった。できるだけ体を低くして、大人の腰をつかんで後ろからついていった」と語った。

 今のような状況では、こういう事例を挙げても、子どもたちをたやすく説得することはできないかもしれない。それでも、今後こうしたケースを一つずつ積み重ね、子どもたちの信頼を回復していくのが、大人世代のすべきことなのだろう。

キム・ミンチョル社会政策部次長
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連ニュース