佐藤達弥、田井中雅人
2014年5月4日13時00分
「占領軍の素人が数日間でつくり、押しつけた憲法」。改憲を求める人々は、現行憲法をこう批判する。だが、「素人」が国のかたちを決める法に関わってはいけないのだろうか。憲法の源(みなもと)をたどると、普遍的な理念や体験に根ざした理想を憲法に盛り込もうとした、普通の人たちの姿が浮かび上がる。
東京・五反田。哲学者の東浩紀(あずまひろき)(42)が主宰する喫茶店「ゲンロンカフェ」で3日夜、憲法記念日に合わせてイベントが開かれた。東は参加者に語りかけた。
「国民が国家を憲法で縛るのが立憲主義なら、言葉は分かりやすくなければ。憲法学者のような専門家の手を借りずに国のかたちを考えたい」
東は2011年、自民党が憲法改正草案の準備を進めていると聞き、「自分たちも憲法をつくろう」と呼びかけた。社会学者やIT企業幹部らと「憲法2・0」をまとめ、翌12年7月に発表。経済のグローバル化やIT社会を意識し、外国人の政治参加やネットを通じて国民の意見を国会に反映する規定を入れた。
「アマチュアリズムを生かし、憲法の意味を問い直したい」。そう語る東が触発されたのは「五日市憲法草案」だ。自由民権や憲法制定運動が盛り上がった明治前期、東京・西多摩の教師や商人ら数十人が欧米の憲法や人権思想を学ぶ勉強会で討論を重ね、まとめられた「私擬(しぎ)憲法」だ。こうした草案が当時各地で100以上つくられた。
草案は46年前、東京経済大教授だった色川大吉(88)と学生らが東京都あきる野市の土蔵で見つけた。基本的人権の尊重や言論・信教の自由などが204カ条にわたり、和紙24枚にしたためられていた。発見に立ち会った専修大教授の新井勝紘(かつひろ)(69)は「白熱した討論で民の知恵が凝縮され、草案が生まれた。私たちが戦争という遠回りを経て手にした憲法と共通するものがある」と話す。
最近、五日市憲法草案の意義を語った人物がいる。
美智子皇后陛下は昨年10月、79歳の誕生日に際し報道各社の質問に答えた文書で、草案を展示する五日市郷土館(同市)を視察した際の思いに触れた。
「近代日本の黎明期(れいめいき)に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」
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