吉永小百合の野麦峠越えエピソード
最近読んだ佐滝剛弘「日本のシルクロード―富岡製糸場と絹産業遺産群 (中公新書ラクレ)」(2007年)に、『飛騨総合ポータルサイト「野麦峠を越えた少女たち」』というウェブページからの引用として、女優吉永小百合さんの野麦峠越えのエピソードが紹介されていた。検索してみたが同サイトはすでに消滅しているようだったので、一応孫引きになるがブログに紹介してみる。野麦峠の麓、野麦集落に住む奥原ちず子さんのお話。
「あゝ野麦峠」が出版されて間もない頃の夕方、リュックを背負った美しいお嬢さんが「軒下でもいいので・・・」と宿を借りに来た。見れば、吉永小百合によく似ている。(奥村さん(引用者注:奥原さんの誤記だと思われる)の)中学生になる娘さんは「お母さん、あの人吉永小百合だよ。絶対にそうだよ」と言うが、彼女は大女優が自らの足で山道を歩くことはないだろうと思い、女性に離れを貸した。
翌朝、奥原さんの主人が(中略)車で送っていくことになった。別れ際に、そういえば『あゝ野麦峠』が映画化されることになって、吉永さんが主演を演じるらしい・・・。あんたそっくりだね」と言った。女性は、「よく似てると言われます。一夜の宿を貸していただいたばかりか、遠いところを送っていただき、ありがとうございました」と礼を述べたそうだ。
女性を見送り、奥原さんが離れにおいてある帳面を見ると、宿泊代がいらないと言ったにもかかわらず、お金が帳面に挟んであり、吉永小百合と署名があった。
後日、同家を訪れた吉永さんは、先日のもてなしを感謝して、「それは私です。」と言いたかったのだが、親切を無にしたくないので最後まで伝えなかったことを告白した。(佐滝P46)
「トンネルの向こう 限界からの地域再生「工女の道、今も共感」-岐阜新聞 Web」にも同様のエピソードが紹介されていて、このエピソードは野麦峠に飲食と宿泊ができる施設が作られる一年前の、1969年のことで、上記の文章だと吉永さんだけのように読めるが吉永さんともう一人の女性の二人組だったそうだ。
「雨の中、神社で野宿しようとしていた女性2人を私の母が気の毒に思い、家で泊まってもらった。最後までその女性が、吉永さん本人だとは気付かなかったですよ」と奥原音蔵さん(78)=同町野麦=は振り返る。
吉永さんは帽子にサングラス姿で素性を隠し、歩いて峠を越えて奥原家で1泊。翌日は奥原さんが出勤途中に高山駅まで送った。
「翌日はいい天気で阿多野郷から乗鞍岳が見えて喜んでいた。ところが枕銭を包んだ紙に名前が書かれていてね、そこで初めて気が付いたんじゃよ」。後日、吉永さんは再度、奥原家を訪ね「あの時ご親切にしてもらったご恩は忘れません」とお礼を伝えたという。
細部で色々食い違いがあるがまぁ人の語るエピソードなので、それはそれということで。吉永さんに限らず、昭和の大女優伝説はときに惚れ惚れするほどの輝きを放つなぁ。昔話の一篇みたい。
ちなみに内田吐夢監督、吉永小百合主演で計画されていた「あゝ野麦峠」映画化は結局お蔵入りとなった。
中央公論新社
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