理研の問題は、論文不正ではなくて、研究員の高齢化だ。このせいで研究水準が大幅に低下している。
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STAP細胞問題で論文の不正が議論されている。「これをきちんと是正しないと研究がまともに進まない」というような趣旨。
しかし、理研に関する限り、最大の問題は、論文の不正ではない。研究員の高齢化だ。60歳を超えた研究員がかなりいるし、研究所を牛耳っているのは 70歳以上だ。そのせいで、若手の登用が制限されて、研究の新陳代謝が進まない。
ここに理研の最大の問題がある。
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具体的に例示すると、こうだ。
(1) 野依 良治
理研全体を統括する理事長であるが、75歳という高齢である。このまえは小保方さんの事件で、頭を下げて詫びた。だが、詫びるべきは、自分自身がいつまでも居座っていることだ。
2003年7月に就任してから、10年を越えて居座っている。いくら何でも長すぎる。彼がなすべきことは、自分がその職を辞して、若手に委ねることだ。
また、理事長には任期制を導入して、3年×2期を上限とするべきだ。また、定年として 70歳定年制を導入するべきだ。
ノーベル賞受賞という座にあぐらをかいているとしか思えない。頭がボケて晩節を汚した、としか言いようがない。
(2) 利根川進
理化学研究所脳科学総合研究センターセンター長であるが、74歳という高齢である。これも高齢過ぎる。2009年に就任したということだが、すでに5年だ。長すぎる。また、それ以前に、高齢過ぎる。
こちらも、定年として 70歳定年制を導入するべきだ。つまり、とっくに勇退しているべきだ。
(3) 甘利俊一
元・独立行政法人理化学研究所脳科学総合研究センターセンター長だ。2代目。現在はその職を辞して、ただの研究室長だが、77歳( or 78歳)である。この年齢で研究室長をしているというのはどう考えてもおかしい。
なるほど、甘利俊一というのは、非常に大きな業績を上げた人である。私も 20〜30年ぐらい前には、この人の業績をいろいろと読んだものだ。しかしそれは 20〜30年ぐらい前のことだ。その後は、この人の業績は以前ほど華々しいものではない。現時点では、引退すべきとまではいわないが、一介の研究員として細々と研究していればいいだけだ。理研としては、過去の業績をかんがみて、平の研究員ぐらいの処遇は与えてもいいだろうが、研究室長として多大な権限と予算を行使するというのは、明らかに行き過ぎだ。なぜなら、その分、若手による研究が阻害されるからだ。
こんな 80歳近い老人に権限を委ねるよりは、若手の有為な研究者に権限を委ねるべきであろう。
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理研のサイトで、研究室長の年齢を調べようとしたが、調べてもわからない例が多すぎる。やたらと頭の毛の白い人が多いようなので、とりあえず、この人を調べてみようとした。
→ 田中 啓治
しかし、年齢がわからない。略歴には、誕生年も、大学卒業年も書いてない。情報公開が不足しすぎている。
端的に言えば、今の理研は「研究者のための老人ホーム」みたいになってしまっている。そして、外部のチェックが入らない。
聞いたところによると、権限はすべて理事長やセンター長などのトップが握っており、独裁体制に近いようだ。だから、若手を登用することも不可能に近いらしい。
それに比べれば、30歳の小保方さんを登用したり、30代で若くして副センター長になった笹井さんがいたりした理研・神戸は、まだマシな状況だった、と言える。まずい状況もあったが、少なくとも改革の意図はあった。
ひるがえって、もっとひどいのは、和光その他にある、理研の本家の方だ。そこではやたらと老人が組織を牛耳っている。そこでは、特にひどい失敗は起こらないが、かわりに、画期的な研究も起こりにくい。老人が数十年前のテーマで研究している、というようなことが多い。
ちなみに、利根川さんの最新研究は、これだ。(検索結果一覧で見つかる。)
→ 「記憶 連想 利根川」 - Google 検索
この検索1番目にあるページを見ればわかるように、この研究は(重要ではあるが)かなりピンぼけである。
この件は、大事な話なので、別項で論じる。(下記)
【 関連項目 】
→ 脳科学の現在と未来 (次項)
【 関連サイト 】
理研には、いくつかの問題がある。そのことは、下記のサイトを見てもわかる。
(1) 研究費
研究費の詳細が公開されていない。ごくおおざっぱな大略が公開されているだけだ。
→ http://www.soumu.go.jp/main_content/000228876.pdf
しかしこれでは、血税がどう使われているか、あやふやすぎる。研究テーマごとの研究費の詳細も公開するべきだろう。
(2) 選択と集中
研究については、「選択と集中」という方針で、ことさら一部の分野に研究費を重点的に投入しようとしている。
しかし、研究というものは、かけた金に比例して成果が出るものではない。むしろ、広範な分野で研究することが大切だ。その意味で、「選択と集中」という方針は、かえって無駄なのである。
→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38941
60歳を超えた研究者は、後進のサポート(教育)に回すのが効率的でしょう。学識と経験を次世代に
伝えることは、国家にとっても重要な仕事です。
一方、現役の研究者が、教育に多くの時間をとられるのは、もったいない。教育は、実は大仕事です。
準備を含めて多大の時間とエネルギーを必要とします。しかし、教育は重要です。いわば、愛ですね。
ピーター・ドラッカーは、カリフォルニア州クレアモントのクレアモント大学院大学教授を93歳になる
まで勤め、教育に尽力しました。
日本は多くの若い人を任期付き研究者の待遇にしていますが、競争競争で追いまくれば、成果が出
るというのは幻想では。将来の生活設計もたたない状況で、次回の契約更新を案じながら、日々思い
存分研究に打ち込めるとは考えにくい。
最初の任期中に研究者としての資質を評価された人は、向こう20年間、年収300万円保障とする。
その後は、成果を出せば、段階的にアップする制度など、工夫することは無数にあるのでは。
研究者に向いていない人まで、保障せよという訳ではありませんが。