2014-05-03
「未知の恐怖」が差別を生むのであるから未知ではない事を声を大にして言わねばなるまい
一般論だけどね。
「たった1ベクレルのβ線核種に汚染された微粒子でも鼻粘膜につけば鼻血が出る可能性は否定できない」とかいうレベルでよければ、「慢性肝炎患者が作った手料理で肝炎が感染する可能性は否定できない」という話も作れる。でも、その「可能性は否定できない」は意味がない。
2014-05-01 12:38:00 via web to @NATROM
そう、全然意味ないよね。
例えばハンセン氏病が隔離されていたのは仕組みが未知だったというだけではないので、既知になった途端差別がなくなったわけでもなく、ということを踏まえるともちろんあんまり単純な話とは言えません。でも、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ可能性がないとも言えないレベルの可能性を元に物事を決定するという思考は単純に差別の源です。差別解消の歴史の一角には「科学の発展による自然への恐怖からの解消」が少なからず寄与しています。
エイズにしたってさ、「この程度では」感染しないことがわかったあとでも色々と忌避されていたわけじゃん。
「可能性がある」という「だけ」で何かを怖がるという思考様式は現代人としては理性により捨てなければならないもののはずなんだけど、たかだか100年200年レベルの積み上げではなかなか徹底は出来ないものではあります。何より、未だに解明されていない自然の謎は多いわけで。なんというか、人はいつか死ぬってことを覚悟していないと思考が見苦しくなるものなのかな、と思ったりもします。
どの道、「比較的」安全安定な人生のためには十分に確からしいことに頼って生きていくのがよいんですけど、やはり目前の恐怖というのは人を迷わせます。いや、恐怖で迷っているんだったらまだ救いようはあって、そこに信念が加わっちゃうとわやになりますなあ。
このへんの話になるともうウヨとかサヨとか関係ないレベルで根本的な思考様式の問題で、それを「差別的である」と断じるのも心苦しい感じはあるんですけどね。言ってもわかってもらえないことも多いですわな。まあ科学の側は真に差別的でない代わりに弱者に冷たかったりする、というパターンもあるのでそういったところが相互に矛盾していているんだけど、それがどちらかが暴走しないための抑止力になっているとも言えるので、ある程度お互いに批判的な言説というのは有効ではありますね。
ただ、その過程で本来攻撃相手じゃないものがとばっちりで攻撃されるようなことが往々にして起きるというのは人間の限界なんでしょうかねえ。
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