女子大生の感覚
女子大で教えていれば,思いがけない反応をしてくれることがあります。本日,私の『キーワードからみた労働法』(日本法令)の第7話の「合理的配慮」を素材に,障害者雇用について講義をしました。例年にないような思わぬ反応があって,ちょっと驚きました。雇用率に達成した事業主に調整金が支給されるということについて,障害者を雇ってお金をもらうというのは「汚いやり方」と発言する女子大生が相次いだのです。こちらが唖然とするのですが,雇用率を達成しない事業主がお金を払って雇用義務を免れるほうが問題では,という言い方をしてみても,お金を払っているからいいのだ,と言うのです。「たくさん障害者を雇っているから立派ではないか,何が汚いの?」と尋ねても反応は鈍く,お金をもらうということに対する何か嫌悪感があるようです。ただ,だから現在の雇用率制度がダメということでもなく,結果として,仕方がないんだけれど,たくさん障害者を雇っている企業がそんなに立派なことではない,という感じなのです。
こちらは必死で説得(?)です。業種によっては障害者を雇いやすいところと,雇いにくいところがあるよね。そう言うと,それにはみんな納得です。だから雇いにくいところはお金で貢献するんだよね。そこもOKです。逆にたくさん雇っているところは,お金をもらってええやん。そうなると,首をかしげるわけです。もっと人道的な気持ちをもって雇わなければあかん,ということのようです。
障害者雇用の問題を扱うと,彼女たちのなかにある,避けがたい偏見と,しかし教育によって教えられている,ある種のノーマライゼイションの考え方との間に葛藤が生じ,そういうなかで具体的な障害者雇用促進策の適否を問うたときに,その問題の難しさに立ちすくみ悩むところが,教育の効果があまりにもダイレクトに感じられて面白いところです。大学というのは,難しいことを考えるところなんだよ,というのが,そこでの私の決まりのセリフです。
結論として,30名くらいのクラスですが,彼女たちはみんな雇用率制度には賛成でした。障害者雇用促進政策は,健常者への逆差別では,という問いには,そんなことは全くないということでした。企業の負担はどう考える,と問うと,それはあっても「障害者は自分のせいで障害者になっているわけちゃうし,働きたいと思っているなら,働かせてあげな可愛そうやから,企業はがまんしなあかん」というのです。関西の普通のお母さんになっていくであろう彼女たちの意見は,どことなく動物的な(?)感覚があり,私にはとても勉強になりますし,エリートとされる頭でっかちの人は,こういう意見を馬鹿にしてはならないのだと思います。
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