渋谷のファッションビル「109」の開業35周年を記念したファッションショーが先日開かれたという。ルーズソックスを履いたコギャル女子高校生や「アムラー」など、1990年代の渋谷の若者文化を振り返り、当時青春を過ごした世代が昔を懐かしんだそうだ。
いま、渋谷にいったところで、こんな感じの女の子はほとんど見かけない。たまにいても、茨城県あたりからヤンキーナイズされた女子がはるばる上ってきたケースだろう。
産経新聞によると、ギャルが激減したのは商店街が排除に取り組んだ効果が上がっているためのようだ。10年前までは数十人規模のギャルが道路上に立ち止まったり、ダンスをしていたのだが、今ではほとんどいなくなったようだ。
ギャルが渋谷に集結し、大勢でダンスを楽しむなどする「ギャルサー」は若き日の新垣結衣が主演のドラマにもなった文化だが、これも以前見たワイドショーによると衰退してしまったそうだ。
2012年には全国20以上の支部を有する巨大ギャルサーの代表が逮捕される事件もあった。最盛期には1万会員が、ギャル雑誌にコネをもつベテランDJの代表者のもとに集まったようだ。
同じ2012年には円山町のクラブが一斉摘発される事態もあった
クラブカルチャーは渋谷の若者文化の象徴の1つである。この街から最先端の音楽が生まれていた時代もあったのだが、この物騒な時代に若者はクラブ離れをしてしまい、クラバーの高齢化が発生していると指摘する欧米メディアもある。
なお「渋谷系音楽の聖地」だったHMVは2010年に閉店。2008年には、ライブハウス「パルコクワトロ」の物販フロアが営業を終了し、複数のロック音楽のショップなどが閉店した。現在、HMVはファストファッションの「フォーエバー21」に、パルコクワトロ物販フロアは「ブックオフ」になっている。
かくして20年の歴史を築き上げた地元の音楽文化の記念碑的な場所が相次いで格安全国チェーンに変貌してしまったのだ。
もはや渋谷は「若者の流行の発信地」ではない。そこに独自の磁場はないし、ただのその辺の繁華街の1つに過ぎない。町田や横浜駅西口と同じである。
目につく大型店といえばヤマダ電機やTSUTAYAやユニクロやブックオフと、その辺の国道沿いと同じで、TOHOシネマズもある。そこばかり若者が集まっていて、もはやこの街は田舎のジャスコ同然なのだ。
渋谷カルチャーが衰退した理由は、やはり「縛られた」ことにあると思う。
商店街の排除にせよ、国家権力によるギャルサーやクラブへの介入にせよ、それらが若者を委縮させ、だんだんと「渋谷っぽいもの」を疎ませ、衰退を招いたように見えるのだ。そうしてここに集う若者は、田舎のジャスコみたいな無難な全国チェーンに落ち着いてしまったのだ。
渋谷駅前で見かける地元学校に通う女子高校生たちはむしろみな優等生に見え、ここがコギャルの集積地だったことがウソのようだ。下手をすればコギャルは彼女らの親世代なのだ。
ギャルサーを紹介する記事が「アイドルや清楚ブームの今」と明記しているように、こうした常識を覆したのはAKB48界隈だろうと思われる。
彼女らのキャラクターは基本的に「コギャルの正反対」であり、表面上は不健全性を一切排除したような風貌だ。都市部なら平成生まれが高校生になった頃には既にこれがスタンダードになっていた。
AKBには当局に疎まれる要素は一切ない。むしろ、国営放送NHKはマイナーだった結成当時からゴリ押しし続け、何かと政治や行政に利用され続けている。
コギャル全盛時代の国民的アイドルのモーニング娘。がNHKに一切出なかったことを考えると、かなり異様だ。だが、メンバーみんなが「恋愛禁止」という10代には厳しいルールを守り抜き、たまにならず者が出れば丸刈りで謝罪会見を行い、海外の人を驚かせるような誠実さが評価されているのだろう。
ちなみに往時のモーニング娘。はAKB界隈よりもかなり個性豊かでハデな子が多い。
私は小学生の時に「華やかな渋谷」を体験している世代なのだが、たぶんあの街はもう蘇ることはないのだと思う。
流行の発信地はAKB48劇場のある秋葉原に移り、アイドルやアニメなどのオタク文化が若者らしさのシンボルになったのが2000年代から今に続く傾向だ。それらはクールジャパン政策のダシとして使えることから、おカミのお墨付きを得ており、コミケに次ぐオタクの祭典となった「ニコニコ超会議」では主要政党が政治PRを行った。自民党の痛車の上でのわが国の宰相が演説に、詰めかけた大勢の若者が熱狂したのである。
いかがわしさがゆえに潰されたのが渋谷のチャラいような若者文化だった一方、いかがわしさが解毒され、公的存在のお墨付きを得ることで「国民現象」に引き上げられたのが秋葉原オタク文化であった。この明暗はとても感慨深いものがある。