インタビュー ここから「アスリート・佐藤真海」 2014.04.29

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったIOCの総会。
招致の決め手の一つになったのが佐藤真海さんのスピーチでした
自分の人生を支えてくれたスポーツの力をアピールしました
トーキョー。
(歓声)
数々のつらい経験を乗り越えてきた佐藤さんの人生が東京招致へとつながった瞬間でした。
佐藤さんはチアリーディングをしていた20歳の時骨肉腫のため右足の膝から下を失いました。
そんな佐藤さんに生きる希望を与えたのがスポーツだったのです
パラリンピック日本代表アスリート佐藤真海が誕生した「ここから」に迫ります

佐藤さんは障害者スポーツの世界最高の舞台パラリンピックに3大会連続で出場。
アジア記録を持つ走り幅跳びの第一人者です。
出身は宮城県気仙沼市。
小学校の頃から水泳や陸上に打ち込むなど体を動かすのが大好きな少女でした
中学では陸上部に入り長距離の選手として活躍しました
上京して早稲田大学に進学。
母校で話を聞きました
小学生の時にスポーツづけ。
毎日毎日こう…。
なんでそんなに一生懸命やってたんですか?まずスポーツという感覚がない状態。
小さい時からスポーツをしていたんですよね。
2歳上に兄がいたりあと近所も同級生が男の子ばっかりだったんですよね。
なので外で遊んでばっかりいてドッジボールやったりローラースケートやったり木に登ったり鬼ごっこしたりそういう事をする中で自然にスポーツが好きになっていきましたね。
周りの育った環境が佐藤さんにスポーツをやらせるような…。
自然にそうなっていましたね。
やらされた感じは全くないですし。
水泳も自分で「習いたい」と言って行きましたし。
それが気付いたらもう週1回から週5回に変わっていて毎日厳しい練習になって放課後遊ぶ時間もなくてという生活に変わっていたという感じですね。
もう小っちゃい頃からず〜っと何かに打ち込んで特にそれはスポーツだったのかなという気もするんですけれど。
そうですね。
ずっとスポーツで目標を追い続けていましたね。
それくらいもうスポーツづけの毎日でしたか小っちゃい頃から?そうですね。
何もない時がすごく…。
「何したらいいんだろう」みたいな感じで思っちゃうぐらいやっぱり何か目指してる方が自分らしくいられるんですよね。
大学では小学校の時から憧れていたチアリーディング部に入部しました
入学式に臨んですぐこう目にしたのがチアリーディング?そうですね。
まずは入学式でステージ上で踊ってる方を見てチアリーダーを見て。
あとはワーッといる校舎の中にいる新歓デモンストレーションの中で応援部のチアリーダーを見てこれだと。
ハハハッ!「これだ!」って決められた一番の魅力ってどんなところにあったんですか?みんなと協力し合って0から1つのものを作り上げるという過程はすごく面白かったですよね。
しかし充実していた大学生活は長くは続きませんでした。
大学2年の冬医師から骨のガン骨肉腫と告げられ入院。
抗ガン剤投与の副作用で髪の毛が抜けつらい治療が続きました。
そして3か月後右足の手術を行いました
現実を受け入れるっていうのはやっぱり難しい事ですよね。
まだベッドの上にいて…。
う〜ん…まあでも理解はしてましたね。
なかなかそのあとすぐに義足を作るっていうわけにもいかなかったのでしばらく自分の力で外に出れないとか車椅子でしか出れないとかそういう時期はさすがに…何なんだろうって思いましたね。
そういう時期に自分がやっていたチアリーダーの仲間が早慶戦で踊っていたりっていうのをテレビで見ちゃって。
「なんで私だけここにいるんだろうな」っていうのは正直…悔しかったですよね。
じゃあ病気が分かってから1年くらいは自分らしさっていうのはやっぱり消えてた…?退院してから2〜3か月間っていう時に弱い自分とそれを客観的に「せっかく今退院できて学校生活戻れてるんだからしっかり残された命を輝かせなくちゃ」っていう事とかすごく葛藤してた時期ですよね。
退院して1か月。
チアリーディング部に復帰したものの佐藤さんは以前のように体を自由に動かせない自分に寂しさを感じました。
将来に希望が持てずふさぎ込む毎日。
生きがいを見つけたいともがいていました
スポーツをもう一回やろうと新しい道を探そうって思うにはどれくらい自分の中で気持ちをためにためてたんですか?気持ちをためてから再スタートっていうよりは気持ち的に外に出たくないって出ないでばかりいるっていう落ちるところまで落ちたっていう時に何か立ち上がるきっかけが欲しかったんですよね。
そういう時に趣味は何かこれまでしてきた事何かっていうとやっぱりスポーツだったんですよね。
何ができるか分からないそういう情報もない。
でもとりあえず探してみようっていう気持ちで。
「探してみよう」で動きだしたっていう感じですか?そうですね。
「落ちたからそれやるしかないじゃん」っていう感じですね。
佐藤さんはまず義足で歩く練習を始め入院中落ちていた筋力を鍛え直しました
そのころ出会ったのが…
スポーツ用の義足を作る国内の第一人者。
足を失った人たちがスポーツを始める手助けを数多くしてきました
臼井さんが月に1回義足の人たちを集めて陸上クラブをやっているんですよね。
そういう時に見学に行こうと。
臼井さんに会いたいなっていうふうに思って足を運んで。
そこで義足で颯爽と走る先輩たちの姿を見て「ああかっこいいな」って純粋に思って。
でも自分はまだ歩く事もままならない状況だったのでそこを臼井さんに相談しようと。
でもその日に「真海ちゃんも走ってみなよ」って感じでサラッと言われて「できないですよ」って言いながらも格好は悪いんですけど不格好ながらも走って風を少し感じて。
なんかこれから走るっていう事を通してしっかり気持ちとしても乗り越えていけるかもって思ったんですよね。
可能性が開いたっていうか。
一番実はスポーツの中でもできないと思っていた走る事を「何だやってみればもしかしたらできるのかも」って。
それを支えてくれる人がいるっていう事で。
一気に可能性が開きましたね。
「取り戻す」っていう言い方がいいのか分からないですけれど自分らしさっていうのをどんどんどんどんまた前向きに…。
最初は自分らしさを取り戻すっていう感じだったんですけども新しい自分を作っていくっていう感じに変わってきましたよね。
延長線上ではなく…
義足で走り始めてから11年
義足を自分の足そのものにしようとこれまで走り込んできました。
今でもスポーツ用の義足をつけると気が引き締まると佐藤さんは言います
表情も変わりますもんね。
そう…みたいですね。
自分では意識してないですけど。
ある意味戦闘態勢に入りますね。
シャキッと。
もう切り替える瞬間かもしれないですね。
中途半端な気持ちで走るとケガしたりバランスとれなかったり。
一本一本が本気なんですよね。
もちろん跳ぶ時もそうですけど走る時もそうで。
適当に走れないですよ。
気を抜いたり違う事考えたりするとバランスも崩れちゃうしそこはもう集中して。
足の手術後もう二度と走れないかもしれないと諦めかけていた佐藤さん。
再び走るきっかけをくれたのが臼井さんでした
臼井さんがまだ走った事ない佐藤さんに「走ってみる?」っていうような感じで勧めてくれた?それまでにいろんな人が一歩を踏み出してきたのを臼井さんがそっとサポートしてきたからだと思うんですよね。
それはすごい難しくない事だと。
その一歩を踏み出す勇気がまず必要だっていう事を教えてもらったと思うんですけども。
きっと佐藤さんならできるっていうふうに臼井さんもその時思っていたって事ですよね?その時すぐにできるとはもちろん思ってないですけども今後そういう事をやっていくんじゃないかなってもしかしたら思ったかもしれないですね。
でも心の中ではまだもちろん走った事がないから怖いっていう恐怖心もあるかもしれないけれど走りたかった?そうですね。
走れるなら走ってみたいなっていうのはありましたね。
そうやって背中を押してもらってその場で踏み出してみるわけですよね?そうですね。
それまで走る事その行為をしようともしなかったのでそういう点では臼井さんの言葉にグッと押されましたね。
義足で走るには2〜3年かかるといわれる中佐藤さんは少しでも早く大会に出たいと毎日練習を重ねました
(臼井)さっきよりさっきより駄目じゃん。
走る時は歩く時の3倍以上の体重が義足にかかります。
その時の痛みやバランスを崩す恐怖と闘いながら臼井さんの作った義足を信じて必死に練習を重ねました
スムーズに走れるようになるには痛みもあったし頑張らなきゃいけないっていう肉体的にもつらさもあったと思うんですけれどそのつらさを乗り越えて走るっていうのは…?乗り越えて走るっていうよりは…何か痛いっていう苦痛じゃなくて「生きてるんだ」っていう感じですよね。
「体動かせてるんだ」って。
だから痛みもあるし。
でもうまくなおしながらケアしながらやってけるなっていう程度だったので。
痛みを感じるのもそれは…。
「生きてるな」っていう感じでしたね。
臼井さんとの出会いっていうのは佐藤さんにとってどれくらいの大きさのものなんですか?いやぁ…もし臼井さんとの出会いがなければというかもっと何年も後だったらどうやって最初立ち上がったのかなっていうか。
まず普通に歩く事そして走りだす事全て臼井さんと一緒にという感じだったのでそれが幸いにも退院して数か月後だったのでそこはほんとに早めに出会えてよかったなっていう感じですよね。
ただ歩けるようになるだけじゃなくてプラスアルファ走ったりする事によって精神的にも回復が早くなるという事は臼井さんもおっしゃっていて。
初めて一気に殻を一つ破れたなって感じでしたね。
走り始めてから半年後。
自分ができる可能性を更に広げたいと走り幅跳びに挑戦しました。
走るだけでなくジャンプして着地するという難しさが佐藤さんの挑戦心をかきたてました
1つ目標をつくろうというところですよね。
それを目指した方がやっぱり自分のやる気ももちろん湧いてきますし。
そういうのが子供時代からのスポーツ経験で感じていたので。
佐藤さんというと目標を立てたら必ずそれをクリアする。
がむしゃらに絶対そこに向かっていくっていうイメージが私は強いんですけれど。
そういう事をしてるのが多分好きなんでしょうね。
一番自分らしくいられるというか。
充実感がありますよね。
それを楽しめるようになったのはもしかしたら…具体的にパラリンピックを目標にしよう。
世界大会のそれも4年に1度のトップの大会ですからそれを目標にするというのは?パラリンピックを目指してる選手たちがすごく自信に満ちていて。
もちろん障害である事を感じさせない卑下していない。
そういう生き方がすごくかっこいいなと思ったんですよね。
その人たちが出場してるパラリンピックっていうのはどんな所なんだろうっていうふうに純粋に自分も行ってみたくはなりましたね。
2004年の…
佐藤さんは競技を始めて僅か1年半で出場しました。
この大会で佐藤さんはパラリンピックと出場する選手に対する意識が一変したといいます
初めての大会行った時どういうふうに感じましたか?やっぱりこう…当時10年前ですからパラリンピックってまだまだリハビリの延長でっていうイメージが少なくとも私にはあったので。
それが世界大会で陸上見て他の種目の選手たちを見て肉体を見て…トップは5m4cmぐらいかな。
私は3m95だったので1m以上開きがあるわけで。
戦えてないんですよね。
その中でもまずはこのスタートラインに立てたんだっていう。
アスリートとしてのスタートラインかもしれないんですけどもある意味…いいスタートになったなっていう感じでしたね。
逆に後でパラリンピックっていう最初の出場がなければそのあと続けられていたかも分からないですしある意味…「こうなりたい」っていう感じで。
それはどういうところにそういうふうな?それはパラリンピック一人一人の選手たちの輝きですよね。
表情姿勢。
それが選手村とか競技会場というのはそんな人たちばっかりなので。
4年に1度っていうそこを目指して…だからすごく独特の空気感というのがやっぱりありますし。
それは3大会出て毎回そういう大会に行くと「ああそうだったな」って感じさせてくれるそれくらいエネルギーがある?そうですね。
最初…もう今はそう感じないというか自分がもうそっちに来れたので。
最初はこういう生き方こういう考え方をしたいなっていうふうに思ってた場所に自然に目指す過程の中でなっていきましたね。
後ろを振り返らない。
そしたらすごく感謝の気持ちが湧きますし一つ一つできるようになる事も純粋にうれしいですし変わりましたねそういう意味では。
自分がこれまで感じてきたスポーツの力をより多くの人と分かち合いたい。
その思いをスピーチに込めました
自分のしてきた本当の話じゃなければもしかしたら伝わらない話になってたかもしれないですしほんと人生って分からないものですし。
一つ一つの出来事がつながってくんだなというのを感じさせてもらった経験でしたね。
佐藤さんがそのスピーチの中でも訴えていた「スポーツの真の力」っていうのはどんな力ですか?自分自身が走り始めてスポーツに救われて。
実際に見てきたパラリンピックっていうのは想像以上にすばらしい世界だった。
シンプルにそこに行って自分が感じてきたスポーツの力そのもの。
長く続いた喪失感もスポーツをしながらそういうパラリンピアンという憧れの存在を近くに感じる事によって完全に乗り越える事もできましたし。
つらいからっていってじっとしてたらどんどんつらくなっていったのでそういう時こそ…シンプルですけどそれが一番大切だっていうふうに思ったんですよね。
この10年間の中で2度大きく感じてきたスポーツの力そのものをもっともっといろんな人と分かち合いたいと思いましたし。
オリンピックだけじゃないパラリンピックを行う事の意義というのはすごく深いと思うんですよね。
目に見えるバリアフリーを増やしていくのはもちろんですけども人の心に2020年以降に残っていくものっていうのがすごく大きいかなと思っていますね。
その2020年もあと6年ですよね。
どういうふうに佐藤さん自身は関わっていきたいというふうに考えてますか?やっぱりパラリンピックの持つ力…活用していきたいというか。
実際にどういう役割があるかはこれからですけども。
もちろん今はアスリートを続けながらそうですね…。
どうしてるんでしょうね。
分かんないけど必ずそこで…。
世界中から来るアスリートだったりお客さんだったりすごく楽しんで帰ってもらえるようにできる事を微力ながらしていきたいなっていう感じですね。
東京オリンピック・パラリンピックの成功が佐藤さんの次の大きな目標です
2014/04/29(火) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「アスリート・佐藤真海」[字]

パラリンピック選手の佐藤真海さん。19歳のときに、骨肉腫のため、右足を失った佐藤さんは、辛い経験をスポーツの力で乗り越えてきた。その佐藤さんの原点に迫る。

詳細情報
番組内容
2020年の東京五輪、パラリンピックの開催が決まった去年9月のIOC国際オリンピック委員会の総会で、東京招致を訴えるプレゼンターを務めた、パラリンピック選手の佐藤真海さん、32歳。そこで訴えたのが「スポーツの力」。19歳のときに、骨肉腫のため、右足を失った佐藤さんだが、つらい経験を「スポーツの力」で乗り越え、チャンスに変えてきた。人生を変えた「スポーツの力」とは何か、佐藤さんにインタビューで迫る。
出演者
【出演】パラリンピック代表…佐藤真海,【きき手】一柳亜矢子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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