ごきげんよう。
さようなら。
400年の伝統を誇る有田焼の窯元の当主として職人たちを率いてきた。
濁手と呼ばれる乳白色の生地に余白を残して描かれた枝垂桜。
鮮やかな赤が十四代のトレードマークだ。
数々の作品を残し去年6月がんのためこの世を去った。
78歳だった。
十四代の最後の作品作りの舞台となったのが九州を巡る豪華寝台列車ななつ星in九州。
亡くなる間際まで制作に打ち込んだ作品が車内を飾る。
赤い菊の花が印象的な照明スタンド。
壁には蜂の巣の飾り物。
今にも動き出しそうな小さな蜂まで全て磁器で作られている。
そして一番の大作洗面鉢。
列車の最高級のスイートルームに置かれた。
水をためれば魚や藻が生きているかのように揺れ動く遊び心あふれる作品。
病と闘う十四代を支え続けたのが長男の浩だった。
父と二人三脚で作品作りに挑む事になった。
父は息子に厳しい言葉を浴びせ続けた。
命を燃やした親子の闘い。
有田焼の人間国宝十四代酒井田柿右衛門の最後の挑戦に迫った。
豪華列車のデザインの責任者…この日初めて柿右衛門に会える事になっていた。
佐賀県有田町にある柿右衛門窯。
江戸時代からの伝統を誇る窯元だ。
出迎えたのは窯の当主。
水戸岡は列車の調度品作りに参加してもらえないかと切り出した。
水戸岡が考えた列車のコンセプトは懐かしさと新しさを併せ持つデザイン。
最新技術で作る列車を日本の伝統文化の魅力を伝える舞台にしたいと考えていた。
そんな車内を彩る調度品をゼロから作ってもらえないかと頼み込んだ。
(水戸岡)こちらこそチャンスがあれば参加して頂きたいんであって。
すごいうれしいですねこういうの…びっくりしますね。
全然最後は可能性がないと思って来たんですよ。
水戸岡が持ち込んだ突然の依頼。
十四代はその場で引き受けた。
江戸時代から続く有田焼の伝統をおよそ400年もの間守ってきた柿右衛門窯。
窯の当主は磁器のデザインから仕上げまで全ての工程に責任を持つ。
土をこね形を作り線を描き色をつける。
40人ほどの職人が分業して作業している。
水戸岡の依頼を受けた十四代は試作品作りを始めていた。
どんな調度品を作ればいいか。
例えば文鎮。
車内で手紙を書く乗客へのささやかな心配り。
食器一つにしても客を楽しませる工夫を込められないか。
職人たちを前に度々口にした言葉は「遊び心」。
もっと面白いものが作れないか。
水戸岡からの依頼を受けて3か月後今度は十四代が会いにやって来た。
いやいや僕も…すいませんこの前あっけなくて…。
鉄道の魅力を広く知ってもらおうと水戸岡が開いた展示会。
その中には進行中の豪華列車に関する展示もあった。
こうやって電車の椅子を置いたりですね…。
この日十四代は資料を用意していた。
江戸時代に柿右衛門窯で作られた磁器の写真。
すごいですねひょうたんで。
江戸時代に作られたひょうたん型の器。
水筒や酒を入れる器として使われるひょうたんをデザインに取り入れた遊び心ある焼き物。
これは江戸後期に作られた有田焼の花瓶。
酒に浮かれた中国の空想上の生き物が持つ酒つぼ。
そこに水を入れ花を生けるというユーモラスな磁器だ。
かつて焼き物は単なる器ではなく暮らしに遊び心を吹き込むものだった。
そんな焼き物を現代によみがえらせてみたいと十四代は提案した。
いいですよ。
実は1か月ほど前十四代はがんの手術を受けていた。
しかしその事は公にはせず作品作りを続けていた。
それから1か月後。
十四代は水戸岡を窯に招いた。
工房のテーブルには出来上がったばかりの素焼きの試作品が100点近く並べられていた。
文鎮や小物入れなどはかつて柿右衛門窯で作られていた古い磁器。
窯の蔵に残されていた型から復刻した。
そうした型の一つを職人が見せてくれた。
これは大正時代に作られたという石こうの型。
窯には古くは江戸時代のものから1,500近くの型が保存されている。
そこからはかつてどんな磁器が人々の暮らしを彩っていたかがかいま見える。
現れたのは手拭いを頭に巻いたこっけいな姿の人形だった。
蔵に眠っていた小物の数々。
水戸岡が目をつけたのが蜂が巣に留まっている様を模した磁器。
かつて香木などを入れる器として使われていたものだ。
使い手に遊び心を届ける焼き物。
この日十四代は確かな手応えを感じていた。
柿右衛門窯を巻き込んだ豪華列車のプロジェクト。
トータルデザインを任されたのが…水戸岡はユニークなデザインの観光列車を数多く手がけヒットさせてきた。
九州の博多と大分の由布院を結ぶ「ゆふいんの森」号。
人々が自由に集い景色を楽しむ広々としたサロンスペースを設けた。
熊本の阿蘇を走る…親と子が一緒に座れる親子シートを配置し車内に子どものための遊び場を作った。
それまでの列車のイメージを変える空間デザインを提案し続けてきた。
その集大成ともいえるのが今回の豪華寝台列車。
全国そして海外からやって来る乗客を満足させるために車内をどうデザインするか。
オリエントエクスプレスコピーしてもしかたないんで。
車体は新たに特注で造り居住性を高める事に力を注いだ。
前方に大きな一枚ガラスの窓を設け景色を楽しめるようにした。
天井はドーム状に高く作る事で空間を確保し圧迫感をなくした。
更に水戸岡はこの車体のデザインに古来日本家屋で用いられてきた伝統技術を取り入れる事にした。
大川は400年続く家具の町。
日本家屋の室内装飾に使われる幾何学模様の組子細工で知られている。
釘を一切使わずに小さな木片を組み合わせ複雑な模様を作り上げる組子細工。
江戸時代から続く職人技だ。
組子細工は障子や欄間間仕切りなどに使われてきた。
複雑さが織り成す美しい模様を通して一日の光の変化や季節の移ろいを室内に取り込む日本ならではの繊細な技術だ。
近年組子細工をしつらえる和室は減り需要は少なくなっていた。
今回水戸岡が職人に依頼したのは組子細工としては驚くほどシンプルなデザインだった。
これは障子。
3枚立ての。
水戸岡が列車の客室のために考えた組子のデザイン。
客の目が留まる中央のポイントにだけ複雑な組子を配置した。
日本の伝統技術がモダンなデザインでよみがえった。
外光を優しく車内にいざなう組子の障子。
職人技と水戸岡のデザインとの出会いは伝統工芸の新しい可能性を生み出していた。
豪華列車のデザインに挑む水戸岡には日本の伝統技術の力を広く伝えたいという強い思いがあった。
椅子の上に置かれているのは江戸時代に起源を持つ手織りの敷物緞通。
この伝統の技を受け継ぐ織物工房。
各地で手織りの技術が消えていく中今も14人の職人が働く。
この工房が手がけた手織りの織物は国会や迎賓館などに納められてきた。
国立劇場の舞台を飾る緞帳。
日本の四季が350もの色の糸で織り上げられている。
木の幹を覆うコケの質感。
一つ一つ異なる紅葉の色合い。
季節の移ろいが繊細なグラデーションで表現されている。
手織りの織物は時間がたっても柔らかな感触を失う事がなく何世代にもわたり使い続ける事ができる。
水戸岡はそうした日本人の美意識までをも取り入れたいと考えていた。
伝統の技に新たな光を当てる豪華列車のデザイン。
その中心に水戸岡が据えたのが柿右衛門窯の作品だった。
400年かけて培われてきたものづくりの中にこそ時代を超え人々の心を捉えるヒントがあると考えていた。
それをやろうとしてるからそりゃあ大変ですよ。
柿右衛門窯では豪華列車の調度品で一番の大作となる作品作りに取りかかっていた。
客室にしつらえる洗面鉢。
列車の乗客は旅の途中洗面鉢を幾度も使いそのつど有田焼の魅力を堪能できる。
洗面鉢にどんな図柄を描くべきか。
十四代はこの日初めてアイデアを口にした。
ちょっと洗ってみるか。
海の中の藻の。
ちょっとどっかに汚れておかしくないぐらいのとこ。
地紋も描くと。
幅とか角度とかこのくらいとか…。
このころ十四代は体調のすぐれない日が続いていた。
(取材者)よろしくお願いします。
手術したがんが再発し抗がん剤の治療が始まっていた。
しかしその事はごく一部の関係者にしか知らされていなかった。
工房では素焼きした洗面鉢を薪でたく作業に入っていた。
十四代の下で修業する一人息子の浩。
柿右衛門窯では代々長男が跡を継ぐ。
父は跡継ぎとなる浩に常に厳しく接してきた。
浩は幼い頃父に抱き上げられた記憶もないという。
成人し職人として窯で働き始めた浩を十四代はあくまで当主としての姿勢を崩さず指導した。
作品の設計図ともいうべき洗面鉢の図案の下書き。
体調が悪化した十四代に代わって浩が行う事になった。
十四代が決めたのは洗面鉢の中を魚が泳ぐ図案。
父ならどんな魚を描くだろうか。
父は浩に1つの作品を示し「これを参考に描き進め」とアドバイスした。
それは父が十四代襲名前の若き日に描いたデザインだった。
十四代が洗面鉢の下書きの上がりを見にやって来た。
下もちょっと空けた方が…。
上に上げて。
(浩)はい。
もうちょっと動きばつけて…。
(筆の落ちる音)すみません。
年寄りの遊びで描いたごたとしとっと。
若か者が…この日十四代はいつにも増して厳しかった。
「まねはするな。
自分が面白いと思うように描いてみろ」。
そう言い残し去っていった。
浩はもう一度魚を描き直す事にした。
この時はまだ父の体調はやがて持ち直しまた昔のように筆を握ると浩は信じていた。
十四代の容体は急激に悪化し入院。
食事もとれない日が続いた。
それでも十四代は病室から制作の指揮を執ろうとしていた。
この日洗面鉢の下絵の出来栄えを写真で確認した。
(取材者)あの酸素吸われてた…。
はい。
洗面鉢の納期は5日後に迫っていた。
浩は窯に戻ると早速修正に入った。
下絵を写した写真に十四代は修正箇所を詳しく書き込んでいた。
「魚の口はとがりすぎ」。
「藻が岩から生えているように描けていない」。
「小供より絵の美意識がない」。
修正は時間との戦いだった。
焦る気持ちを抑え浩は職人たちに修正点を細かく伝えていった。
色を塗る前の線描き。
図案を修正する最後のチャンスだ。
慎重に線を描き直していく。
この日洗面鉢が焼き上がった。
十四代不在の中出来上がりの最終判断は浩がするほかなくなっていた。
やり直しには丸一日かかる。
納期を2日後に控えぎりぎりの判断だった。
色を塗って一度焼き上げたものを再び焼き直せば絵の具が割れ作品をダメにしてしまうおそれがある。
それでも浩は焼き直す決断を下した。
翌日の早朝。
洗面鉢が再び焼き上がった。
親子が二人三脚で作ってきた洗面鉢が完成した。
豪華列車のために作られた調度品が窯から発送されていく。
この日の10日後十四代は完成した作品を見る事なく病室で息を引き取った。
十四代の死から7か月余り。
柿右衛門窯で襲名披露が行われた。
今日ですね朝から役場の方に行きまして改名届を提出させて頂きまして無事柿右衛門になりましたのでご報告という事で集まって頂きました。
浩は十五代酒井田柿右衛門となった。
(拍手)今7月に開催する初の個展に向けて作品作りに励んでいる。
十五代は伝統的な松の図柄を大きく伸びやかに描いていた。
「自分が面白いと思うように描いてみろ」。
父の言葉を胸に新しい作品を世に問う。
2014/04/29(火) 08:15〜09:00
NHK総合1・神戸
有田焼・人間国宝 最後の挑戦〜密着・豪華列車 知られざる舞台裏〜[字]
去年6月亡くなった有田焼の人間国宝第14代酒井田柿右衛門。遺作の舞台となったのは豪華列車「ななつ星in九州」だった。命を燃やした柿右衛門親子の制作の日々を描く。
詳細情報
番組内容
去年6月に亡くなった有田焼の人間国宝・第14代酒井田柿右衛門さん。豪華寝台列車「ななつ星in九州」の調度品が遺作となったが、その制作現場には常に息子の浩さんの姿があった。父の死から半年あまり。浩さんは今年2月、第15代を襲名。新当主として初の個展に向けた作品作りに力を入れている。列車製造の舞台裏で行われていた親子の共同作業。命を燃やした柿右衛門親子の壮絶な制作の日々を未公開映像を交えて描く。
出演者
【語り】山崎岳彦
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
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