震災で両親がいなくなった震災遺児を引き取り暮らしている男性がいます。
ただいま。
出来た!一丁あがり。
18歳と13歳の兄弟。
村上さんの甥っ子です。
2人が一緒に暮らしていた祖母と両親は津波に襲われました。
3年前それまで年に数回顔を合わせるだけだった3人の生活が始まりました。
それからの山あり谷ありの日々。
どうだった?よし!
(一同)おめでとう!ああうまいな!喜ぶ時には思いっきり喜ぶ。
よしいかったいかった。
怒る時には本気で怒る。
親代わりとして成長を見守ってきました。
そしてこの春。
弟は16歳になりました。
兄は村上さんとお酒が飲める年に。
ハハハハハハ!
(3人)・「ハッピーバースデートゥユー」震災遺児の兄弟と伯父。
3年の日々を見つめました。
津波に耐えた奇跡の一本松。
3人が一緒に暮らし始めたのは震災からちょうど3か月の事でした。
村上さんはこの日避難所に2人を迎えに来ました。
兄の…専門学校に通っています。
弟の…中学2年生です。
村上さんも津波で自宅を流されました。
親戚も駆けつけ荷物が運び込まれました。
4畳半2間と台所。
村上さんこれまでほとんど家事をした事はありません。
熱い〜!やってんだから一生懸命これでも。
突然甥っ子を預かる事になった村上さん。
10代の子どもにどう接したらいいのかなかなか分かりません。
弟の昌朋さんは多感な中学2年生。
兄の貴裕さんも自分から話しかけてくる事はほとんどありません。
(貴裕)何やってんだ!
(昌朋)どうせセーブしねえべ。
(貴裕)何するんだよ〜。
自分たちの部屋に籠もりゲームをしてばかりです。
2人は自分の身に起きた現実を受け止められずにいました。
祖母和賀子さんと父誠志さんは遺体で見つかりました。
母きわ子さんは行方が分からないままです。
村上さんも心の整理がつかない毎日を過ごしていました。
時折思い詰めた表情を見せる事がありました。
実は妻せつ子さんが津波に襲われ今も見つかっていないのです。
37年共に暮らしたせつ子さん。
3人の子育てを終え夫婦2人の生活を楽しみ始めたところでした。
(鈴の音)震災の4か月後死亡届を出しましたが気持ちの整理はつきません。
がれきの中から唯一出てきたのはせつ子さんが使っていた財布です。
これだけさ。
これだけ見つかったのさ。
ごめん…。
村上さんの気持ち甥っ子にも伝わっていました。
誕生日19歳おめでとう。
ありがとうございます。
それじゃあ昌朋歌っこ歌え。
「ハッピーバースデー」。
はいせ〜の!
(3人)・「ハッピーバースデートゥユーハッピーバースデートゥユー」・「ハッピーバースデーディア貴裕」・「ハッピーバースデートゥユー」
(拍手)おめでとう。
ありがとうございます。
「菅野昌朋平成10年3月3日生まれ」。
「おめでとう」。
震災から2年がたちました。
2人の家事もすっかり板についてきました。
村上さんがずっと心配していた事がありました。
弟昌朋さんの高校進学です。
勤め先で結果を待ちます。
合格していればすぐに連絡が来る事になっています。
5分過ぎたもんなあ。
こんなに時間かかる訳ねえな。
自分の番号わ〜っと見ればいいだけでな。
何だ?よこさないところ見るとあれでねえのか。
大丈夫かよ。
30分たっても電話が来ません。
かけるのは…かけてみっか。
待ってるのも楽でねえからさ。
どっちにしても。
ねえ。
どうだった?え?何だ電話すぐしたらいいべ。
待ってたぞずっと。
とれたのか?ああよかったよかった。
よしよし。
無事合格していました。
うんうん。
じゃあ気を付けて帰るんだぞ。
親戚もやって来て合格祝いです。
お〜来たぞ。
挨拶しろよ。
報告。
よし!
(一同)おめでとう!
(拍手)合格を祝って乾杯!乾杯!
(一同)おめでとう!ああうまいなあ。
うまいうまい!よしよしいかったいかった。
3人の距離が少しずつ近づいていました。
一緒に暮らして3度目の夏。
村上さんは子どもたちが自分の手を離れる時の事を考えるようになっていました。
兄の貴裕さんは二十歳になりました。
自動車整備工場で働き始めています。
よろしくお願いします。
貴裕さんこの仕事に特別な思いがありました。
父誠志さんと同じ仕事を選んだのです。
一緒にお酒を飲めるようになりました。
村上さんには貴裕さんへの期待がありました。
仮設を出るまでに兄弟だけで暮らせる力を身につけてほしい。
そういう期待です。
心配な事が出てきました。
高校生になった弟の昌朋さん。
眉毛をそってしまいました。
食事も村上さんと一緒にとる事はありません。
黙って部屋に入ってしまいました。
このころ昌朋さんの部屋は散らかし放題になっていました。
祖母と両親の位はいに水や花を供える事もありません。
部屋の壁に大きな穴が開いていました。
(取材者)自分で?兄の貴裕さんも夜な夜な出歩く事が増えていました。
震災から3度目のお盆。
親戚がやって来ました。
貴裕さんベッドに寝たままです。
夜更かしがたたっていました。
ようやく起きてきたと思ったらまた遊びに行くと言いだしました。
何さ?夜出るのもいいがな昼間きちっとやってから夜も出ろ。
昼間もきちっと…遊びっ放しだぞほんだらば。
どこまでも。
何も言わず出ていってしまいました。
(カーステレオ)やり場のない思いを抱え続ける2人。
多くの人たちに支えられてきました。
おはようございます。
父方の祖父も津波で自宅を失いました。
大きくなったと目を細める祖父。
一緒に写真を撮りました。
笑いがあふれるひとときとなりました。
突然両親がいなくなった悲しみが癒える事はありません。
それでも少しずつ前に進もうとする2人です。
3度目の3月11日。
この日も弟の昌朋さんはゲームをしていました。
ところが1つ違っている事がありました。
位はいに両親が好きだったビールと缶コーヒーを供えていたのです。
兄貴裕さんは仮設住宅を出る準備を始めました。
この場所に兄弟の家を建てる事にしました。
弟が高校を卒業したら2人だけで暮らしたいと考えています。
(一同)お願いします。
はい座って。
今月弟の昌朋さんは高校2年生になりました。
そうですよね。
さすが。
拍手。
この日三者面談が開かれました。
兄の貴裕さんが仕事の合間を縫ってやって来ました。
どうもすみません。
はいどうも。
お疲れさまです。
あっどうもお世話さまです。
すみませんお忙しいところ。
貴裕さんは伯父の村上さんを心配させまいと自ら保護者の役を買って出ました。
先生は将来に向けてしっかり準備をしておくよう自覚を促しました。
昌朋さんは真剣な顔で話を聞いていました。
じゃあどうも。
失礼します。
昌朋さんは作文を書きました。
「3年間くらしてきておじさん兄貴にはとても感謝しています」。
「おじさんには自分達兄弟を引き取ってくれてとても感謝しています」。
「これからの自分は2人に今までの分をしっかり返したいと思うししっかり自分の足で進んでいきたいと思います」。
三者面談の4日後。
2人は将来の考えを村上さんに伝える事にしました。
そうかい。
はい。
「がんばっぺし」そう励まされた2人。
すっかり頼もしくなっていました。
3年前まだあどけなさが残っていた2人の甥っ子。
一つ屋根の下で暮らす中で少しずつ成長してきました。
昌朋器返してきて。
ごちそうさまです。
2人ならきっとどんな困難にも立ち向かっていける。
共に歩んできた伯父村上恭一郎さんの今の思いです。
2014/04/29(火) 09:05〜09:50
NHK総合1・神戸
特集ドキュメンタリー「甥(おい)っ子よ がんばっぺし!〜震災遺児と伯父の3年」[字]
震災で妻が行方不明になった伯父と、両親を失った二人のおいが仮設住宅のひとつ屋根の下で暮らして3年。悲しみを抱える三人が支え合いながら、前に進もうとする日々の記録
詳細情報
番組内容
岩手県陸前高田市で、震災で妻が行方不明になった伯父と両親を失った二人のおいが仮設住宅のひとつ屋根の下で暮らして3年。NHKはその日々を記録してきた。この3年で、高校生と中学生だった子どもはそれぞれ社会人、高校生になったが、難しい年ごろの子どもたちの面倒を見てきた60代のおじにとっても手探りの日々だった。悲しみを抱える三人が時にぶつかりながら、それでも支え合い、前に進もうとする日々を記録した。
出演者
【語り】風吹ジュン
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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