仕事で悩んだり壁にぶつかったり。
そんな皆さんに大きなヒントをくれるのが歴史上の人物のさまざまな知恵。
それを味わって頂く当店「知恵泉」は本日も休まず営業中。
今宵は悩ましい人間関係を乗り切る知恵をご賞味頂きます。
いやぁ井森さん人生っていろいろありますよね。
いろいろありますよ。
そうですよね。
そんな人生の機微を感じさせるような一品を今日は仕入れてきたんですよ。
どんなものですか?井森さんのデビューシングルです。
井上さんよくそれ手に入りましたね。
苦労しました。
この時のキャッチフレーズ「16歳まだ誰のものでもありません」。
あの〜正確には…人間関係もいろいろあったでしょう。
確かにありますよ。
ここからもう二十数年たってますので。
社会の荒波っていうんですか?もまれながらどうにかこうにか今日ここにたどりつきました。
実はねあちらにその人間関係でいえばプロフェッショナルの方いらっしゃるんですよね。
田中さんよかったら一緒に飲みませんか?田中健一さんでいらっしゃいます。
実は関西で「伝説の経営者」と言われてる方なんですよね。
うわっ!こんなべっぴんさんの隣。
ラッキー!うれしいですね。
今軽く新手のナンパかなと思いながらちょっとうれしかったです。
繊維会社や商社の社長を歴任してきた田中健一さん。
その人生は波乱の連続でした。
30代でマレーシアの工場へ突然の左遷。
その後も子会社や関連企業へ出向。
しかしその度に手腕を磨き63歳の時負債1,000億円の会社を任されたった1年で再建を果たします。
田中さんと共に読み解くのは「こじれた人間関係解消法」。
難しい人づきあいを乗り切るための知恵です。
実は田中さんなんですけれども40年間のサラリーマン生活の中で実に20年間も出向いろんな会社に行かされてかつそこで成果を上げてきたすご腕の方なんですよ。
えっ?40年間のうち20年間も出向…。
出向イコール左遷というような感じも今あるじゃないですか世の中で。
その時の上司が「飛ばしてやった」と直接おっしゃったんでそうなんでしょう。
最初がマレーシアの工場で。
いきなりもう国外にって事なんですか?そうです。
しかしそこで頑張りましてねそこの実績が評価されて次は本社の花形部署に栄転させて頂くんですよね。
じゃ戻るという事ですか?ええ戻った。
そこで順調に出世街道を歩み始めたらまたやっちゃって上司と。
今度は出来たばっかりの小さい子会社に飛ばされたんですけどその時は全社で話題になるぐらいの大左遷っていうか…。
強烈な左遷だったわけですよね。
あの時は僕もこたえましたねぇ。
一度目よりですか?ええ。
でもねそうやって人間関係につまずいてもつまずいても成果を出してきたという田中さん。
今日はそんな知恵味わってみたくないですか?味わいたいですね是非!そんな井森さんに今日はうちから特別なメニューご用意しましたよ。
はいこちら!えっ!大きいですねこれ。
器の大きい人間になってもらいたいと思って直径30cm。
だから器が大きいんですね。
でもね中を開けて下さいよ。
中身もぎっしりです。
はいこちら。
薩摩の黒豚の角煮と薩摩揚げ。
そしてのりで顔を作ってます。
これあれですか?薩摩って事ですか?そういう事になりますね。
となったら丼だし…そう。
「西郷丼」なんですよね。
え〜すごい。
この器の大きな大きな「西郷丼」。
西郷さんのたっぷりの知恵おなかいっぱい味わっていって下さい。
今宵ご紹介するのは明治維新の立て役者西郷隆盛。
実は西郷は若い頃上司との人間関係でとってもつらい思いをしてきたんです。
時は幕末。
黒船が日本に押し寄せこの国のあり方が問われた時代。
薩摩藩の下級役人だった西郷は名君と名高い藩主島津斉彬によって大抜擢。
斉彬の側近としてエリートコースを歩み始めます。
ところが突如斉彬が急死。
新しく藩の実権を握ったのが…西郷はこの久光と本当に反りが合いませんでした。
ある時久光が中央の政治改革に乗り出そうとすると西郷は思わず本音が。
もちろん久光は激怒。
こうした衝突や行き違いが度重なりついには西郷は久光により沖永良部島へ一生涯の島流しに。
まさに左遷でした。
絶海の孤島で捕らわれの身となった西郷。
その獄中生活とは?死寸前死ぬ寸前?復活を目指して行動を始める西郷。
その鍵となるのが手紙子どもそしてお米?人間関係で行き詰まった西郷はどんな知恵で復活を遂げていくのか?現代のすご腕経営者が読み解きます。
いや〜西郷さんも人間関係かなり苦労なさったんですね。
見ていて驚いたのが今でいう上司って事ですよね?上司に「田舎者」って言う…「上様は田舎者ですから」みたいな発言あったじゃないですか。
あれはねなかなか言えないですよね。
その時の左遷というのはね田中さんつらいものですよね。
いやいやもうこたえますこたえますほんとに。
この英雄大西郷にしてね上司との間で苦労されたと聞いて親近感を覚えますね。
今晩はしっかり勉強させて頂きたいと思います。
もう遅いけれど。
こんばんは。
いらっしゃいませ。
西郷さんの話をするとこの方でございます。
作家の北さんです。
どうぞどうぞ。
北康利さん。
西郷隆盛をはじめ近現代に大きな足跡を残した人物の評伝を数多く著しています。
しかしながら西郷さん久光という上司とはそれだけ反りが合わなかったという事なんですか?そもそも西郷を抜擢した…恩義を感じていた元の上司の敵じゃないかというその人につかなくちゃいけない。
そういう状況になってくる。
え〜複雑ですね。
かと言ってつかないわけにはいかないですもんね。
そうですね。
上司ですからね。
それから「田舎者ですから」というふうに言ったというのは?「斉彬さんだったらできる。
しかしあなたはね…」という事ですよ。
でも言っちゃいましたよね。
はっきり言ってましたもんね。
島流しの直接的なきっかけというのは命令違反ですよね。
幕政改革をしようと京に上ろうとするんですね。
その時に先遣隊として隆盛に対して「下関で待て」というふうに言ったと。
ところがですね京の過激派が久光さんを倒幕の首領として祭り上げようとするわけです。
そうすると俺じゃないと抑えられないというんで京に向かうわけですよ。
ところがよかれと思ってやった事ですが行ったら「命令違反だ」と。
久光は「田舎者」まで言われてますからもう逆鱗に触れたわけですね。
でも西郷さんは好きで命令を破ったわけじゃないんですね。
よかれと思って。
その辺は誤解とかが…。
おっしゃるとおりなんですけどケンカを上司に売ってしまった。
「田舎者」と言ってしまった。
それがやっぱり大きかったんだと思うんですが実は国家老に宛てた久光さんからの手紙が残ってましたね。
それは「一生返さない流罪に決した」というんですよ。
どれだけ怒りが激しかったのか。
それを示してると思いますね。
上司に嫌われ左遷されてしまった西郷なんですけれどもどうやって復活を果たしていくかというところが今日の知恵です。
この知恵は今回私自ら仕入れに行ってまいりました。
青い空青い海!沖永良部島が近づいてきました。
旅行だったら最高なんですけれど西郷さん島流しですからね。
どんな暮らしぶりだったんでしょうか?鹿児島市からおよそ550km。
奄美諸島の南西部に位置する沖永良部島です。
ここは江戸時代薩摩藩の流刑地。
最も重い罪を犯した者が流されました。
この絶海の孤島で西郷はどんな囚人生活を送ったんでしょうか?大山さんでいらっしゃいますか?よろしくお願いします。
井上と申します。
訪ねたのは御年91歳…西郷の島での様子を長年研究してきました。
牢屋ですか?牢屋に捕らわれてたんですか?案内してもらったのは復元された牢屋です。
中をのぞくと…。
あっ中に。
あれは西郷さん?
(大山)座像です。
そこにいたのはなんとげっそりと痩せた西郷さん。
僅か7m^2の狭い牢に閉じ込められ食事も粗末なものしか与えられませんでした。
皆さんご存じ上野の西郷像と比べてみるとまるで別人です。
いやぁ痩せちゃって…西郷さん。
死寸前死ぬ寸前?いや〜予想を上回る狭さですよね。
床だって竹を敷いただけですよ。
数か月間ここで暮らしたというのはちょっと信じられないですね。
過酷な状況の中で西郷は一編の漢詩に思いをつづります。
かつては藩主の側近にまで取り立てられながら気付けば急転直下罪人に。
漢詩にはそんな境遇への嘆きが歌われています。
そういう時の気持ちがここに。
何ていうんでしょう人間西郷さんの無念さというか現実を受け止められないというか諦めなのかも分からないけどそんな思いが伝わってくるような気がするんですよね。
この時点で「よしもう一回逆転してやろう」と果たしてこう思えたんですかね?投獄から2か月。
衰弱していく西郷を見かねた牢の番人土持政照が待遇を改善するよう上司に嘆願します。
すると西郷は民家を改修して作られた座敷牢へと移され少しずつ健康を取り戻していきます。
ここから西郷は復活を目指して行動していきます。
西郷がまず行った事それは手紙を書く事でした。
当時沖永良部島周辺には定期的に薩摩の役人が派遣されていました。
西郷は彼らに手紙を送り薩摩を取り巻く政治の状況など情報を入手しようとしたのです。
そんな中事件が起こります。
文久2年薩摩藩士が大名行列の前を横切ったイギリス人を斬り殺す生麦事件が勃発。
翌年その報復として最新兵器を備えたイギリス艦隊が大挙して薩摩に襲来します。
薩英戦争です。
事件の一報を聞いた西郷はすぐさま情報収集に動きます。
「イギリス船の襲来について詳しく教えてほしい」。
そして薩摩の危機に居ても立ってもいられない気持ちをぶつけます。
その熱意に押され役人たちも西郷にひそかに情報を寄せていきました。
西郷はいつ復活できるか分からない中でも少しずつ人間関係をつないでいったのです。
実際私もあの牢に入ってみたんですよ。
牢とはいえほんと野ざらしですよ。
風はビュービュー入るし海沿いだから波も入るし。
西郷さん数か月いたというんですけど私もう5分で限界でした。
ほんとに過酷です。
相当寒いですしね。
痩せていましたもんね。
そうなんですよ。
食事も粗末なものでほんとに過酷な状況だったんですよね。
座禅を彼は若い頃からやってたからなんとか耐えられたというのがありますね。
ほんとに亡くなる寸前ぐらいまで追い詰められた。
田中さんこういう状況はどうご覧になりました?私もねマレーシアにいた時の事を後から考えたら最初はですね仕事の取っかかりもないし雨が多いとこですわ。
ザーザーザーザーね毎日毎日ねオフィスの窓から雨眺めてね。
ちょっと気分もめいっちゃう時もありますね。
それで希望は捨てなかったんですか?行ってここで崩れちゃったら「やっぱりあいつは所詮これだけの男だったんだよ」と。
そこでくさっちゃったらという事ですよね。
自分とか上司は左遷だと思ってても神様から見たらねものすごい自分を磨く機会をお前に与えてやってるんだという事かもしれない。
西郷隆盛というのはまさに島流しの間にそれを練っていったんだと思いますね。
先ほどすばらしい書が…漢詩があったじゃないですか。
あれ実は島流しの間にものすごく練習をされて書も上手になっていって漢詩も作るようになっていって。
これって大して西郷隆盛という人の政治力とか関係ないように思うかもしれないですけどもこういう深い教養というのがいつか役に立つ。
何か人間力になって結び付くんですね。
あと先ほど薩英戦争の場面がありましたよね。
情報取ろうとするわけです。
手紙を送るんです。
西郷さんという人は斉彬に抜擢された最初「御庭番」から始まってるんですね。
これは何かというと要するに情報収集分析係なんです。
そういう意味では西郷さんの手紙がものすごく量が多い。
それから内容の分析がすばらしい。
彼はちゃんと自分で判断する材料を集めてたという事なんですね。
ある意味冷静にいろんな事を分析する時間が設けられたという事なんですか?そうなんです。
ただこれだけではやっぱり薩摩に帰る事はできないんですね。
どうやって「一生返さない」という命令を覆していったのかという事なんですよね。
ここでちょっと忘れてましたね。
これ実は「西郷丼」の付け合わせにと思って用意したんですけれども。
このお漬物実はこれパパイヤなんですね。
沖永良部の家庭とかでは一般的なものなんですよねこのパパイヤの漬物というのは。
実にこの「西郷丼」とこのパパイヤの漬物というのはベストマッチなんですよね。
西郷もこの丼と漬物の関係のように地元にマッチしていくわけです。
そういった知恵を次はご覧頂きましょう。
上司島津久光が命じた沖永良部への島流し。
捕らわれの身でありながら西郷は島の人々のために心を砕いていきます。
これはどういう状況だろう?西郷さんがいて周り子供たちですかね?地元の役人の計らいで雨風をしのげる座敷牢へ移された西郷。
すると子供たち相手に塾を始めます。
別名「牢屋塾」。
昼夜を問わず20人以上の生徒に「論語」や「孟子」の講義を行いました。
西郷の生徒たちへの気配りをうかがわせる手紙があります。
「四五日の間塾を休みにするので皆に伝えてほしい」と頼んでいます。
宛先は16歳の少年坦勁。
丁寧に「様」をつけています。
こういう律儀なお手紙を書く西郷さんだからこそ人が集まってきたんでしょうね。
そうですね。
更にこんな文書がありました。
「非常時の備えを説いた文書」と書いてありますね。
西郷が書き残したこの「社倉趣意書」は島の生活を支えるうえで大きな働きをします。
薩摩から遠く離れ物資の補給を受けづらい沖永良部島は台風や干ばつに見舞われると度々食糧不足に陥っていました。
西郷は豊作の年に米を蓄えておき食糧不足の時に払い出す協同組合の設立を提言したのです。
提言を受けて島ではこうした高床式の倉に常に米が備蓄されそれが明治30年代まで非常時の食糧供給を支えます。
他にも西郷は島の人々と政治談議をしたり自作の釣り具をプレゼントしたり時には牢を出る事を許されて相撲に興じる事もありました。
極め付けはこちら。
なんと仲良くなった地元の役人と義兄弟の契りまで結んでしまうのです。
島の人々に支えられ島のために尽くした西郷。
その事が彼を復活へと導いていきます。
そのころ薩摩は動揺していました。
外国を打ち払う攘夷か開国か。
藩をまとめるリーダーが求められていました。
その時名前が挙がったのが西郷でした。
西郷の復活を望んだのは薩摩本土の人間だけではありません。
島での西郷の活躍を知る役人たちも任期を終えて戻ると西郷復帰を求める活動に加勢したのです。
ある薩摩藩士の言葉です。
西郷を一生涯の島流しとしていた上司の島津久光も西郷を呼び戻す事にしぶしぶ了承します。
久光は悔しさのあまりくわえていた銀のキセルを歯形が付くほどかみしめたといいます。
周囲の力がこじれた人間関係を覆す。
こうして西郷は再び薩摩の地を踏む事ができたのです。
「一生返さない」と言われていたところからの逆転ですよ。
倍返しですよほんとに。
気持ちいいですね。
ほんとそうですね。
でもキセルをククーッてかむぐらいの思いだったという久光どんな気持ちで帰したんでしょうかね。
もう大変な屈辱ですよ。
要するに「久光公では無理ですよ。
西郷さんが帰ってこないと」と言われてるわけですから。
自分の部下から言われて…。
「あなたじゃ駄目ですよ」と。
「無理だ」と言われてるわけですよ。
でも私は久光という人も度量の大きい人だったと思いますよ。
リーダーというのは「君子は豹変す」と言うぐらいに「こうで」と言っても「やはり違う」と変えれる事がリーダーの資質だと思います。
私は久光という人も西郷ファンぼろくそ言いますけど大した人だったと思いますよ。
田中さんもご自身の経験とつながるところあるのでは…。
マレーシアの工場でやっていくといってもまたそこで人間関係一からきちっと築いていかないと仕事スタートできないので。
たまたま私の子供が通ってた幼稚園そこでうちの子が仲良しになった子がいるんですね。
中国人だったんですけど。
その人のお父さんがですねなんとそこの工場のオーナーだった。
まさにラッキーなんですよ。
そうすると彼がですね「今うちの会社はこんな問題点抱えてるんだよ」と。
田中さんがいたマレーシアの繊維工場の一角には製造過程で余った布がうずたかく積まれていました。
その布地を工員が勝手に持ち出しひそかに流通させていたのです。
そこで田中さんは人を雇い種類別に布地を整理させそれを商品として販売。
利益を上げる仕組みを作ったのです。
一定の値段で売れたから彼大喜びでね。
「君なかなかやるね」というようなもんですよね彼にしてみたら。
私もそんなの前の立派な会社でそんな事学んだわけでもなんでもないですけれどね。
でも現地に溶け込もうとして一生懸命考えたわけですね。
テーマもらったから何かないかなと考えてやる。
次にはまたもう少し大きテーマ来るんですよ。
また大きなテーマ。
3つぐらいしたらあらゆるもの任せてくれました。
ですからその中国人がうちの本社の人にね「おたくとか何十人何百人も人来たけどあれはなかなかよくやりますよ」という話をしてくれるわけです。
そうすると僕がいくら「こんな手柄立てました」って手紙書くよりはずっと効果大きいんですよ。
実はマレーシアから本社へ引っ張り上げてくれた人は私を飛ばした上司なんですよね。
え〜!周囲の声の強さっていうのはすごいわけですね。
かもしれませんね。
マレーシアに行ってなかったら私どうなってたかといったら鼻持ちならない人間になってたんです。
苦労を知らないから。
苦労を知らないから。
会社が強いから強い商品持ってるから勝手に売れていくわけですよ。
そうすると「俺の販売力で売れてんだ」なんて誤解しますよ。
周囲の人にきっと鼻持ちならない人間になってた。
間違いない。
これは間違いない。
ですから西郷さんも死ぬ思いまで牢屋に入れられてされた。
そこで座禅組んでね肝を磨かれたと。
僕はそこまではいってないにしてもやはりそういう苦労をさせて頂いたという事が間違いなく大きなプラスになったのははっきりしてますね。
実は西郷という人はこんな最初から大人物器大きいじゃなかったんですよ。
子供の頃はそもそもカッとしてすぐケンカした。
要するにここら辺に傷痕あって結構ケンカの傷痕はある。
あとね勉強嫌いだったんです。
あと久光とぶつかって「田舎者」と言うわけですね。
言ってみたら人づきあいの極意分かってなかった。
それは例えば自分で座禅を組むとかあるいは苦労しながら自分というものを抑えて人格を磨いていったという事なんですね。
自分の欠点を知っていたと…。
それを自分の力で直した。
よく「あの人30ぐらいからあの性格変わらないね」みたいな話になりません?「あの人こうでさ」みたいな話になった時。
でもそうやって自分で変える事ってできるんですね。
沖永良部というのがまさに極め付けの苦労だったわけです。
そこで実は彼は磨いて磨いてある境地に到達するんですよ。
大将あれ出してもらえます?これですねヨイショ。
大きい!これ何と読むか。
「敬天愛人」ですよ。
西郷隆盛といえばこの言葉。
まさに「天」っていうのは何となく自分を謙遜する謙譲の美徳というのも得る。
それだけじゃない。
「人を愛する」。
これは何を意味してるかというと私怨恨みそういうものを捨ててやっぱり人を許す愛す。
そういう気持ちですよね。
ちょっと引いて物事を考えてみたら「もっと大きく自分は構えよう。
むしろ日本全体を」って。
そうなって帰ってきたというのが私は西郷さんのこの島流しの最大の効用だったんじゃないかと思いますね。
北さんもう下ろしてもいいですか?かなり重い言葉ですよね。
いやいやいや…。
店に来たお客様はポロリと心の声をこぼしていきます。
いつか力になりたいと私は帳面に書きつけておりました。
その名も…。
今宵は「こじれた人間関係」についての悩みを3人のエキスパートにぶつけます。
それぞれビジネスの世界芸能界歴史の専門家の立場からアドバイスを頂きます。
最初のお悩みはこちら。
30代女性。
「私はデザインの仕事をしています」。
どうですかね?こういうような人間関係の悩み。
どう喝はちょっと嫌ですよね。
そういう上司っていっぱいいるわけですよ。
それこそ織田信長に対してどういう方向でみんなやっていったのか考えたって例えば豊臣秀吉は草履温めて徹底的に尽くしたわけですね。
あるいは柴田勝家のように軍功をちゃんとあげてとか。
あるいは「もう駄目だ」と言って明智光秀みたいにバサッとやるとか。
いろいろなやり方があるわけですけどもこの人に私アドバイスしたいのはまず自分は…あと自分の将来像はどう思ってるのか。
とりあえず1年我慢しろと。
1年我慢するうちにこれ優秀な上司じゃないですか。
いっぱいノウハウを得るのともう一つは転職する先の事務所と仲良くなっておけと。
そうすると1年後になったら能力が上がってる。
ひょっとしたら上司が見る目が変わってるかもしれない。
継続できるかもしれない。
あるいはここで変わらなければ転職できるかもしれない。
だから必ず選択肢を…優秀な人というのは1本じゃない。
いくつか持っておいてそれをある程度の時間の中で自分の将来像と譲れるもの譲れないものを考えながらその間に選択肢を増やしておくと。
今お仕事一緒にしてても選択肢がたくさん増えていく過程かもしれないですよね。
私も新入社員の時の上司がよくできる方でねでも厳しかった。
心底思ってましたよ。
酒癖も悪くて酔ったら殴ったりするんですよ。
でもよくできる方。
離れてからですよ。
自分が仕事やってるのを見たら全て彼から教わったとおりやってるんですよね。
あんだけ嫌だったのに。
だからこの方もおつらいだろうとは思うけども居心地よくて無能な上司とついていくのつらいなという有能な上司だったら長い人生考えたら絶対この上司の下で何年か辛抱なさるのがいいんじゃないかなと思います。
そういうできる上司に甘える上手に。
「仕事教えて下さいよ」と。
「私そこちょっと分からないんだけど」というね。
僕ももっとそうやって反発するよりはもっと擦り寄っていってゴロニャーンってかわいくやった方がよかったかなと僕は今でも思うんですよね。
来られたら悪い気しないですもんね。
いい知恵仕入れられましてありがとうございます。
次のお悩みなんですけれどもね40代の男性の方です。
「最近昇進して部下ができたのですが…」。
「確かに彼は優秀ですが…」。
北さん歴史上で見るとこんなケースってどういうふうに。
難しいですね。
いろいろなリーダーのタイプいますからね。
私は織田信長なんか見てて思うのは人事の要諦というのは…例えば秀吉があるいは明智光秀がものすごく軍功をあげるわけですよね。
それはみんなの前でやってて何人でどう戦っててこれは大変だったかあるいは楽勝だったかって分かるわけじゃないですか。
だからあんまり不満は出ない。
みんなで納得して一つの案件はどう解決できたのかという事をみんなで議論する。
それというのは例えば案件のノウハウの蓄積にもなるしどうソリューションされたのかどう解決されたのかみんなで共有して。
それぞれのマンパワーどれだけ力を入れてるかどれだけの能力持ってるかという事も分かるわけですし。
そういうのが必要なんじゃないかと思います。
理を説いてあげたらいいんじゃないかと思うんです。
「理を説く」というのはどういう事かといったら「お前はこれからどんどん上へ行ける力のある男だ。
上へ行くには絶対に人を使いこなしていかなきゃいかんのだよ。
人を味方にしないと大きな仕事できないよ」と。
「別に酒をおごる必要もない媚び売る必要もない。
『これはねあれが助けてくれたから』とたったひと言言うだけじゃないか。
こんな簡単な事で味方になるか敵になるか変わるんだぞお前」と。
「お前『周りのおかげだ』とひと言言え」と。
そう。
「ありがとう」って言われるだけで嫌な気がする人っていないじゃないですか。
何かした時には「ありがとうな」とかっていうフォローとかしてあげる事が…。
こっちから言ってあげる。
次頑張ろうとかって思えるしこの人の力になろうとかって思えますよね。
日々の言葉のキャッチボールって結構大事ですよね。
(笑い声)最高!キャッチボールをして透明にしていく。
そして人への感謝を忘れるなという事を教えてみる。
いい知恵頂きました。
ありがとうございました。
そうそう忘れてました。
私が沖永良部島で仕入れてきた西郷隆盛のとっておきのエピソードご紹介します。
こちらは明治35年に建てられた西郷を祭る南洲神社です。
境内には西郷の銅像も。
100年以上たった今も慕われ続けているんですよね。
西郷の行動は島の発展に大きく貢献しました。
牢屋塾の生徒操坦勁はその後成長し村長を務めます。
西郷は島の指導者となる人材を多数育成しました。
島に残る西郷の着物。
地元の人からもらった上等な品物だったんだそうです。
島の人々から愛された西郷。
ちょっと意外な話も耳にしました。
これ何だと思います?手拭い?そう。
手拭いなんですけれどもこれね島の風習で女性から男性に思いを打ち明ける時にこの手拭いをあげると。
今でいう告白する時ですね。
そうそう。
ラブレターですよね。
実は西郷さんたくさんもらっていたと。
えっ!?女子からですか?そうなんですよ。
え〜!でも置かれてる立場が罪人なんですもんね。
罪人なのにモテモテという状況だったんですよ。
一筋縄ではいかない人ですねやっぱり。
つまり男女問わずあるいは老人子供問わずみんなから人望があったという事なんですよね。
みんなに幸せを分け与えてたという事なんですよねきっと。
ですけれどね今日は最後に井森さんにこれをお渡しして…。
えっ?この男性陣3人の中で今日誰が一番器が大きかったのか人望が厚かったのかというのを選んで頂きたいなと思いまして。
男性陣みんなはい!ちょっとちょっと…。
私を取り合うという絵面が久々なんでどうしたら…。
3人の仲が…。
これはですね…。
3つに切りますか?切りますか。
ちょっとじゃあ月火水木金土みたいな。
どうしましょうね。
ちょっと宿題でもいいですか?まだまだちょっと…。
2014/04/29(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)▽西郷流!こじれた人間関係解消法(前編)[解][字]
幕末のカリスマ、西郷隆盛。実は若き日にソリの合わない上司と衝突、島流しの刑に処せられていた。困難な人間関係を解きほぐし、奇跡の復活を遂げた西郷さんの知恵に迫る。
詳細情報
番組内容
幕末のカリスマにして、明治維新の立て役者、西郷隆盛。器の大きい人間のイメージがある西郷だが、実は若き日にソリが合わない上司と激しく衝突し、絶海の孤島に島流しの刑に処せられた過去がある。まさに、現代で言うところの左遷。「一生返さない」とまで言われた島流しから、どのようにして奇跡の復活を遂げたのか? 難しい上司との人間関係のこじれを見事に解消した、若き日の西郷隆盛の知恵を読み解く。
出演者
【出演】東レインターナショナル元社長…田中健一,作家…北康利,井森美幸,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0×0808)
EventID:26142(0x661E)