中央高速道路とお伝えした箇所がありました。
失礼しました。
次回は水野倫之解説委員と共にお伝えします。
ぜひ、ご覧ください。
(テーマ音楽)古代インドで生まれた仏教。
そのうねりはガンダーラを超えシルクロード中国を経てアジア全体に仏像世界を花開かせました。
日本にたどりついたほとけたちはどのようにして生まれ育まれ心と形を築き上げてきたのでしょうか?仏像のなぞを解きほぐす「ほとけの履歴書」。
開講です。
日本仏教のふるさと…世界最古の木造建築です。
1,400年前聖徳太子によって創建されました。
仏教が伝来した飛鳥時代の面影を今に伝える伽藍や仏像。
釈の教えがどのように伝わったのか肌で感じる事ができます。
釈の遺骨である仏舎利を安置する仏塔です。
五重塔の1階部分にあたる初層壁面には釈にまつわる物語が表現されています。
(籔内)お釈様の亡くなる大涅槃の時ですね。
北面を飾る国宝「涅槃像土」。
涅槃に入ろうとする釈が横たわり羅漢たちが激しく泣き叫んでいます。
釈涅槃の情景が土で造られた塑像でリアルに表現されています。
彫刻で造られているのは非常に珍しいですね。
たくさんのお像があるからそれがきれいに残っているというのはあまりないですね。
絵ではたくさんありますよ。
足元の後ろの方に阿修羅がいるのは見える?
(篠原)あ〜ほんとですね!足元に。
へえ〜!小さなこの空間ですけどすごく大きな物語の始まりが見えてきますよね。
およそ2,500年前古代インドで誕生した仏教。
その起こりはこの「釈」と呼ばれた実在の人物から始まります。
先生今回の「ほとけの履歴書」は?「釈如来」です。
わ〜きました。
この釈如来っていう方がいらっしゃらなければ仏教はなかったわけです。
はい。
お釈様ですね。
わ〜!もう…。
こちらは実在したお釈様が悟りを開かれたあと…?そうですね。
本名はゴータマ・シッダールタさんというんですね。
「ゴータマ」というのが姓です。
「シッダールタ」というのが名前なのね。
実は古代北インド・カピラ王国っていうそこの王子様としてお生まれになったと言われています。
釈の物語は石の浮彫や仏像の姿で表現され世界各地に残されています。
そうした彫刻を見ながら人間釈の生涯をたどってみましょう。
釈は紀元前500年前後に北インドにあったカピラ国で生まれました。
現在のネパールルンビニーの地で釈族の王子として誕生したのです。
生まれてすぐに7歩歩き右手で天を指し「天上天下唯我独尊」と宣言したと伝えられます。
当時の古代インドは厳しい階級制度を持つバラモン教が支配していました。
釈は王侯貴族の生活を送っていましたが城の外の民衆が苦しむ姿を見て人間の在り方に思い悩みます。
「人が生まれるという事生きるっていう事がこんなつらい事なんだろうか」。
あるいは「老いていくというのはどういう事なんだろうか」。
「病に苦しむってどういう事なんだろうか」。
そして「死んでいくってどういう事なんだろうか」という事をこの青年の釈はずっと思い煩うわけだ。
そして29歳になった時…もう既に結婚もして子供もいたんです。
今まで着ていた王族としてのいろんなきらびやかな装束をみんな従者にあげちゃう。
従者にあげて「糞掃衣」と言われるぼろっきれを縫い合わせたような一枚の布を身にまとってそして出家修行者としての生活を始めるわけですね。
それまでの身分を全部捨てて旅に出るんですね。
出家した釈は6年間厳しい苦行を続けた後ブッダガヤーの菩提樹の下で座禅瞑想に入ります。
自分の心の内なる闇と闘った釈は見事この世の真理を悟ります。
大悟です。
この時釈35歳。
そしてお釈様は仏陀として得た知恵をですね…。
この5人いるでしょ?苦行林で一緒に苦行をした仲間に最初にお話しした。
悟りを開いた釈はサールナートで苦行した仲間に向けて初めて仏法を説きました。
「初転法輪」と呼ばれます。
仏法の事を「法輪」と呼び釈の教えが広まる様を象徴的に表現しています。
その後釈は「悟ったもの」という意味の「仏陀」と呼ばれるようになります。
多くの弟子や信者が集まり仏教教団が出来上がりました。
そしてお釈様は実は80歳になられた時にある一人の…鍛冶屋さんだったというんですけどね。
鍛冶屋さんの人がお釈様に供養…お布施をした食べ物にあたって食中毒で亡くなるの。
ええ〜。
そうだったんですね。
お釈様は亡くなるまで一人の人間であったわけだ。
はいそうですね。
そして最後に…お釈様が亡くなられる時の姿。
これが。
うわ〜!すごい!もう勢ぞろいですね。
ほとけさまのワールドがここにありますね。
梵天様もいらっしゃるし普賢文殊もいるしね観音様もいるしね。
帝釈天もいる四天王もいる。
45年間にわたって仏法を説いた釈80歳。
婆羅双樹の下で涅槃に入りました。
涅槃の地クシナガラには8mの涅槃像が静かに横たわっています。
人間釈80年の生涯。
その教えは2,500年にわたって広められてゆく事になります。
先生仏教が出来上がってすぐに仏像は出来たんですか?いやいや。
あのねお釈様が亡くなられてたくさんの弟子たちがそれを文字に書いたりするお経にしていったわけですね。
ですけど随分ず〜っと長い間釈の像いわゆる仏像というものは造られなかったんです。
「仏像はすぐには造られなかった」。
それでは…釈が入滅して500年もの間釈の姿は法輪や蓮華釈の足をかたどった仏足石などシンボルで表現され仏像で表わす事は禁じられていました。
じゃあ仏像が生まれた歴史というのをたどってみましょう。
この辺がねガンジス川流域。
この辺を主にお釈様は教団を率いて布教の旅をするわけですね。
釈の像あるいは仏像っていうものは長い間生まれなかったの。
実は仏像が生まれるのはこっちの方のギリシャローマの影響が非常に強い。
紀元前300年代マケドニアのアレクサンドロス大王が北インドにまで東方遠征します。
この遠征によってユーラシアに一大帝国が建設され中央アジアにギリシャ文明がもたらされました。
東西の文化が融合し「ギリシャ風」という意味であるヘレニズムの文化が誕生します。
現在のアフガニスタンからパキスタンにかけて広がっていた…石材彫刻が盛んなこの地はギリシャ文化の影響を強く受けました。
紀元1世紀の末ごろガンダーラに都を置いたクシャン朝のカニシカ王はこの地方に伝わっていた仏教を保護しました。
インドで「仏像」という彫刻を持たなかった仏教がガンダーラという所でヘレニズムの影響を受けてここで初めてお釈様の像が刻まれる。
こうして紀元1世紀の末ごろガンダーラで釈の像が誕生します。
同じ頃北インドのマトゥラーでも仏像制作が始まりました。
まず仏塔などの表面を飾る浮彫レリーフに釈の姿が登場します。
この浮彫は王子の位を捨て出家する時の様子を表わしています。
その後釈の姿の仏像が誕生します。
西洋風の衣装を身にまとい鼻筋の通った彫りの深い面だち。
ギリシャ彫刻のような如来像です。
2,500年前に生まれた仏教がヘレニズムのガンダーラという所で仏像が生み出されるまでに大体500年ぐらいかかってるって言われるのね。
そしてこの500年を経て大体3世紀とか4世紀とかって言われますけど中国へ入ります。
仏像はシルクロードに沿って西域から中国へと伝わっていきました。
北魏の皇帝文成帝をかたどったと言われています。
新羅時代の傑作です。
そして釈誕生からおよそ1,000年後飛鳥時代の日本に仏教が伝来します。
仏教が伝来した頃の仏像に出会える寺です。
現存する日本最古の伽藍…内陣に入るとりんとした空気に包まれます。
須弥壇の中央に鎮座するのは本尊…聖徳太子の冥福を祈り太子の等身大に造られた金堂仏と伝えられます。
中心には悟りを開いた釈の姿を表わした如来像。
その両脇には2体の菩薩像が配置されています。
これを三尊形式と言います。
中央の「如来」とは釈が悟った真理を偶像化したものです。
如来は真理そのものなので「動かないもの」とされます。
左右に控える「菩薩」とは如来を補佐し実際に人間の元へやって来て救いの手を差し伸べるほとけです。
特徴は冠をかぶりきらびやかな衣装や装飾品を身にまとっています。
菩薩は王子時代の釈の姿を表わしているといいます。
これから日本の仏像というのはどんどん様式を変えていく…さまざまな時代様式を繰り返していくわけですけどその出発点となる飛鳥時代の法隆寺様の釈。
ものすごく穏やかな感じがしますね。
日本人がどういう思いでお釈様の像を日本に迎えたかっていうのがすごくよく分かる雰囲気がありますよね。
その当時にこれまでの美しさを放って…。
何かこうお釈様から放っている感じもあるんですがどこか守られているような美しさもありますよね。
このお顔は日本人という形ではあんまりないですよね。
最近ではあんまり言わないですが「アルカイック・スマイル」とかね「アーモンド状の目」とかっていうふうな表現を昔からされていますけど安らぎの空間だと私は思いますね。
面長でほほ笑むような口元アーモンド形の目太い耳たぶ大陸風の顔だちです。
よく見てほしいんですけど結構衣が厚いの。
中国の北の方の寒い地方の装束服制を表わしているという。
まるで衣がオーロラみたいになびいて踊ってるようにも見えますし。
この時代で仏師として知られている人は朝鮮半島からやって来た人たちの一族止利一族という…。
その人たちの中の代表者として止利仏師という人がいて「飛鳥大仏」もそうだしこちらの法隆寺の「釈三尊」をはじめたくさんの仏像を造る…その総棟梁ですよね。
恐らくその止利仏師が造ったんだと思うんですけどデザイン的にもう考え尽くされたっていうかな。
法隆寺には数多くの菩薩像が安置されています。
平成10年に開館した法隆寺の大宝蔵院。
その中にある百済観音堂。
先ほどの金堂の「釈三尊」。
厚手の衣を着てしかもちょっとずんぐりしてたでしょ?こちらの観音様はいかがですか?へえ〜!また違ったお像ですね。
像の高さは2m余り。
一木の楠で造られています。
人間の体に近い自然な表現が特徴です。
「釈三尊像」とは明らかに雰囲気が違いますね。
ほっそりとしていて長身ですね。
お顔だちは似てるんですよ。
いずれもアルカイック・スマイルだしあんず形の目っていう。
ただお釈様の像は非常に厚手のねごっつい衣を着てたでしょ?でもこちらの観音様は非常に薄手の衣ですね。
雰囲気として非常に…南の方の暖かい所の要素をこのお像の中で表わしているんじゃないかなと思いますね。
百済国から渡来した天竺製の像であると伝えられます。
スラリと背が高く薄手の衣を着足の先まで繊細で緩やかな曲線。
優美な立ち姿です。
「百済観音」の造形や素材は「釈三尊像」と明らかに違います。
なぜなのでしょうか?法隆寺のほとけさますごかったね。
はい。
時がこれだけたっても色あせない力強い美しさがありました。
ガンダーラで仏像が生まれてアフガニスタンを通ってシルクロードを通っていわゆる西域という所から中国へ入るわけですね。
中国は黄河流域と揚子江流域という2つの地域に分かれています。
仏像は中国の北と南で違った様式を生み出しました。
そして朝鮮を経由して日本へと伝えられます。
黄河流域から新羅を経て日本へ伝わった北ルート。
もう一つは長江流域から百済を経て伝わった南ルートです。
この北と南の仏教の様式が実はこの法隆寺で出会ってたんじゃないかな…そういうふうに考えてます。
同じ時代でも随分ほとけさまのお姿違いましたもんね。
北の方で造られた仏像をそのまま持ってきたわけじゃない。
南の方で造られた仏像をそのまま持ってきたわけじゃなくて要するに2つの様式が日本に入ってきて奈良の地でその2つの様式でもって仏像が造られていた時代があったんじゃないかな…そういうふうに考えています。
何かこう仏教がたどりついたっていうのが本当に手を合わせたい物語だなと思いましたね。
そこまで分かってもらえればうれしいです。
ありがとうございました。
ユーラシアで花開いた仏像はその地域ならではの仏像様式をつくり出し2つのルートを経て日本に伝えられました。
釈が誕生してから1,000年。
法隆寺に至る壮大なほとけの道があったのです。
今回の内容はこらちのテキストに詳しく紹介されています。
どうぞご参考になさって下さい。
今後の放送予定も掲載されています。
(テーマ音楽)2014/04/30(水) 10:15〜10:40
NHK総合1・神戸
趣味Do楽 籔内佐斗司流 ほとけの履歴書〜仏像のなぞを解きほぐす〜第5回[解][字]
仏像の謎を解きほぐす「ほとけの履歴書」。第5回は、いよいよ仏教の祖、お釈迦様の人生と仏教伝来の物語。法隆寺五重塔には、釈迦の生涯の物語が刻まれていた!
詳細情報
番組内容
仏像の謎を解きほぐす「籔内佐斗司流 ほとけの履歴書」。第5回は、いよいよ仏教の祖、お釈迦様の人生と仏教伝来の物語。法隆寺五重塔には、釈迦の生涯の物語が刻まれていた!釈迦の人生物語は、2000年以上前から、常に仏の教えとして仏像や浮彫り(レリーフ)絵画として表現されてきた。人間釈迦がどのようにして「釈迦如来」となっていったのか。仏教がシルクロードを通って日本にたどり着くまでの流れとともに見ていく。
出演者
【出演】篠原ともえ,【講師】彫刻家・東京藝術大学教授…籔内佐斗司,【語り】徳田章
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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日本語(解説)
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