岩手県宮古市田老地区で食堂を営んでいた…地震発生後津波が来ると思い歩いて高台に向かいました。
赤沼さんの自宅は海の近くにあり近所に娘夫婦や孫が住んでいました。
あの日自宅で一人でいる時に強い揺れを感じます。
赤沼さんは昭和8年の三陸大津波で家族がばらばらに高台に逃げて全員助かった経験があります。
「あの昭和の時を超える大きな津波が襲ってくる」。
そう確信しました。
心配して様子を見に来てくれた家族には指定された避難場所に先に逃げるよう促します。
赤沼さんは同じ避難場所に逃げるのを断念します。
自分の足では役場の前にある階段を素早く駆け上がるのは難しいと考えたからです。
「階段を上らなくてもいい場所はないか?」。
近くの山を目指す事にします。
「津波てんでんこ」。
逃げられる場所へそれぞれが逃げる。
昭和の大津波の時と同じ行動をとります。
なんとか山の麓にさしかかったその時でした。
必死に道を急ぎますが途中で足場が悪くなり前に進めなくなります。
周りにいた人が手を貸そうとしますが赤沼さんは「みんなが巻き込まれてはいけない」と山に避難するように言ってその場にとどまります。
しばらくして津波が襲ってこない事に気が付きます。
津波は逃げてきた場所のすぐ手前で止まっていたのです。
先に避難した家族も全員無事でした。
赤沼さんは逃げられる場所へそれぞれが素早く避難する事が大切だと考えています。
2014/04/30(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「岩手県宮古市 赤沼ヨシさん」[字]
田老地区で食堂を営んでいた赤沼さん。地震の後、大きな津波が来ると確信した。指定された避難場所へ行くには自分の足では無理だと考え、近くの山を目指して歩きだした。
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した方々の「あの日」の証言。岩手県宮古市田老地区で食堂を営んでいた赤沼さん。地震の後、大きな津波が来ると確信した。家族には指定された避難場所へ行くよう促した。避難場所に行くには階段を上らなければならず、自分の足では難しいと考えた赤沼さんは、近くの山を目指して歩きだした。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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