スポーツ酒場“語り亭”「プロ野球 先発エース」 2014.05.02

番組で紹介した投稿者には僕のエコバッグをプレゼントするよ。
この動画をもう一度見たい方は番組のホームページへ。
歓声に沸くスタジアムのすぐそば。
愉快なお店がオープン。
夜な夜な交わされる白熱のスポーツ談議。
お酒は出さずにトークで酔わせます。
「スポーツ酒場語り亭」。
私ミッツ・マングローブが皆様を魅惑の世界へいざないます。
今年もプロ野球開幕!チームメートの信頼を勝ち取った投手に与えられるエースという称号。
日本にプロ野球が誕生して今年で80年。
名だたるエースたちが数々の名勝負を繰り広げてきました。
「スポーツ酒場語り亭」。
今宵の肴は先発エース。
伝説の大投手村田兆治さんの来店に語り亭は大混乱。
(村田)いいから早く座れ!ミッツママとサンデー兆治の戦いはいかに!?春らんまん。
「語り亭」も装い新たに2年目を迎えました。
語り亭へようこそいらっしゃいました。
さあ2014年も早いもので4月。
新年度でございます。
セットも変わってますね。
新装開店しましたからね。
あっ天井に魚が!
(古田)すごいなあ。
4月といえばプロ野球シーズンの開幕でございますけれども。
さあいよいよ来ましたね今年も。
僕らにしても本当に待ちに待った時期がやって来ましたね。
体もたないですよ。
朝から早起きしてねメジャーリーグ見て仕事してまたナイター見て。
寝る時間ないですよね。
なるほど。
そんなねタイガースファンの代表のダンカンさんも今日お迎えしてますけれども。
ちょっと変わったものがありましてね。
ちょっとこれ野球ファンマニアの人は喉から手が出るんじゃないかな。
まずは恒例のお宝自慢。
ダンカンさんが取り出したのは野球のスコアブック。
ある伝説のエースのサインが書かれています。
読めますかね?読めない。
「権藤権藤雨権藤」。
権藤博ですよ。
(ミッツ西島)はあ〜。
申し訳ないけどMC2人意味が分かんないでしょ。
ちょっと若干…。
「はあ〜」とは言ってしまいましたけど。
(古田)すごい伝説の言葉です。
「権藤権藤雨権藤」。
新人で入った年に35勝あげるんですよ。
35勝!そのローテーションを言い表してるんですけど。
「権藤権藤雨で休みのまた権藤」というね。
これは大げさな話じゃなく実際に本当にそうだったんですか?はい。
監督もそういう起用をしてたんです。
雨天中止以外は数多くの試合で先発していた事から「権藤権藤雨権藤」の流行語が生まれた元中日のエース権藤博。
1961年プロ入り1年目からシーズンの半分以上69試合に登板し35勝をあげる大活躍。
現役引退後は監督として横浜を38年ぶりの日本一に導くなど指導者としても手腕を発揮しました。
権藤さん何年やりましたかね?横浜を。
3年ですかね。
3年だったかな?監督。
3年間のミーティング全部合わせた時間権藤さんの。
…を次に就任した森監督が一日で超えたんですよ。
本当ですこれ。
ミーティング好きだったっていう。
野村監督も一日で超えて。
そのとおりなんですね。
じゃあ古田さんから見て…。
そうだ。
エースの球を…。
キャッチャーから見てエースというのはどういう存在でしょう?例えば日米野球であったりオールスターであったり大体の名投手1990年代から2000年にかけては大体の名投手は受けましたから。
やっぱりね…こんばんはいらっしゃいませ。
語り亭に古田さんと同時代に活躍した2人のエースがご来店。
華やかだわ〜。
どうもどうも!元中日ドラゴンズエース今中慎二さん。
速いよな。
厳しいコーナーをつくキレのいいストレート。
打者のタイミングを狂わす…50キロ近い球速差で強力打線を手玉に取り1993年には沢村賞も受賞。
球界を代表する左腕でした。
そして元日本ハムエース西崎幸広さん。
抜群のルックスで多くの女性ファンをとりこに。
トレンディーエースと呼ばれました。
バブルだな。
たくさん見に来てますね。
もちろん実力も一流。
鋭く曲がるスライダーで入団2年目の1988年には最多勝を獲得します。
一時代を築いた2人がエースの魅力をたっぷりと語ります。
まずはね今中さんは私ね。
ちょうど…だから長嶋さんがジャイアンツの監督やっている頃で結構巨人戦ね投げられてましたよね?ほとんどですね。
ほとんど。
だからすごい見てたイメージがあって私ね…ママのタイプなんですか?かっこよくない!
(古田)かっこいいですよ。
私初めてね不毛だなと思いつつも…今中さんを録画したくてだったんですよ。
ありがとうございます。
(ダンカン)あらあら。
阪神にもめちゃくちゃ強くて。
顔を見るのも嫌でしたもん。
今中さんと一緒に飲んだ時に今中さんここに座らせて俺が話をしてる間に…今中さんのですか?
(ダンカン)肩をどうにかしてやろうと思ったら…
(古田)ヤクルトにも強かったですから。
全然打てないんですよ。
腹が立つでしょ?あの球投げられたら。
タイミング合わないとかじゃなくてもう見えた時に打ちたくてしょうがないんです。
腹立つから。
お会いできてうれしいです。
本当に。
そして西崎さんのトレンディーエース。
トレンディーエース。
西崎さん覚えてますよ本当に。
(古田)ありました。
本当にトレンディーエースって呼ばれてましたから本当に。
女性ファンがすごかったですよね。
すごかったんですよ本当にね。
ちょうど私中学生の頃でしたから。
野球なんか見ないだろうみたいなクラスの女子とかが西崎さんには「キャーキャー」言って。
何か下敷き持ってたりとかそういうね。
いろんなグッズがありましたからね。
いろいろね。
アイドルグッズ的なものが。
今日は用意したんですその写真。
こちらです。
これ西崎さん覚えてらっしゃいますか?はい覚えてます。
オーストラリアで撮ったんですか。
自意識150%ぐらい…。
振り切ってますね。
(古田)西崎さんがトレンディーエースって呼ばれた頃僕はのび太って呼ばれてましたからね。
1つしか年違わないんですけどそういう時代だったんですよね。
でもかっこよさばっかり目立ってますけどピッチャーとしても本当にここのところがね…実力も伴って。
あのスライダー一本だけでしたからね。
いやあのスライダーは打てないですよ。
大学時代に23三振取った事あるんですよ。
23三振。
(古田)ママ分かるかな?27しかアウトがないんですよ。
すごいですね。
とんでもないですね。
そういうところも女がほっとかないようなね。
ほっとけない感じのかわいらしさ「好き」みたいな。
スポーツ選手のカラダの秘密興味な〜い?あなたに代わって調べてさしあげましょう。
という訳なんですみません何かいろいろと。
長年の思いもこっちにはあるんですけども。
そうだった。
ママから今日もハート光線が止まらない。
そういう事を言うとね最近ここの人たち「ピピピピッ」とか入れるから余計な事を言わないでね。
絶対入れないでよ。
ミッツママのボディーチェック。
野球中継をビデオにとるほど好きだった今中さんと手の大きさを比べてみる事に。
じゃあ失礼していきますよ。
えっ?
(ダンカン)えっ?ちょっと下合わせて下さい。
ここ。
そのぐらいですかね。
(古田)ミッツでかい。
2関節ぐらい大きいかもしれない。
ちっちゃいですもんね。
小さい方だったんですか?
(西崎)いや普通じゃないの?多くのエースは商売道具である手のケアを欠かしません。
しかし今中さんは…。
今でもそうですけど。
かみ癖があるんですか?癖あって…爪切りが怖い。
今でもかんじゃうんで。
ちょっとショックですよね。
スローカーブどうやって握ってたんですか?スローカーブってただのカーブですけど。
ちょうどここ手術した所があるんですよ。
骨折して。
傷がここに。
骨折してリハビリの時にこうやってボール投げるキャッチボールはちょっと痛くて。
カーブ投げるとここはあんまり伸ばさなくていいので。
こうやってキャッチボールをずっとしてたら急に何か曲がるようになって。
プロ入り当初はストレート主体のピッチングだった今中さん。
スローカーブ習得のきっかけはプロ入り4年目の事。
開幕直後の巨人戦。
打球が直撃し左手首を骨折。
手術が必要な大ケガでした。
練習再開後のキャッチボール。
軽くストレートを投げても手首に痛みが走ります。
しかしカーブを投げた時だけは痛みを感じません。
これがスローカーブを投げるきっかけでした。
実戦で試すと相手打者はタイミングを崩しバットが空を切ります。
スローカーブを物にした今中さんはライバル巨人を相手に本拠地ナゴヤ球場で11連勝を記録。
巨人キラーと呼ばれるようになったのです。
もしもあのケガがなくて最大の武器である…どうですかね?多分…緩い球だから投げられると思う人いるんですけどね。
遅いから?そうなんですよ。
やっぱりあれは…だからすごいやっかいでなかなか投げられる人間はプロでもいない球をそれを自由自在に投げてるんで。
でもそれはやっぱりテクニックなんですよね?もちろん。
確かにカープ投げる時はまっすぐ以上に腕を振ろうという意識はすごく持ってましたから。
バッターの反応とか見て使えるのかなっていうのはあったので。
それからは何かカーブを投げる自信じゃないですけどいつでもストライクゾーンの近くには行くだろうという感覚があったので。
そんな今中さんにとって忘れられない試合がリーグ最終戦で優勝が決まる大一番。
「10.8決戦」と呼ばれる1994年10月8日中日対巨人。
今中さんはここまでの4年間本拠地名古屋では巨人戦11連勝中。
エースとして絶大な信頼を背負いマウンドに上がりました。
1回。
いつもどおりの緩急を使ったピッチングで巨人打線を三者凡退に抑えます。
しかし2回。
打席にはかつてのチームメート4番落合。
1球2球とストレートのあとの3球目。
内狙った?
(今中)内です。
今中さんは落合に対して一球もスローカーブを投げませんでした。
3回再び落合。
またもストレート勝負。
(古田)落ちるのよこれが。
打ち取った当たりがタイムリーヒットに。
今中さんにとって今も忘れられない一球です。
4回にも2本のホームランを浴び5失点でまさかの途中降板。
エースが打ち込まれた中日は優勝を逃しました。
忘れたくても忘れられないですかね?あの2打席目のタイムリー。
あれでもう…そこですね。
それは集中力とかですか?その前にホームラン打たれている分には全然何ともなかったんですけど。
落合さんとはドラゴンズで一緒に何年かやってて最後はジャイアンツにFAで行く前に…お前の球を打つのは…言うんですよ。
やっぱり大きかったんですね?あの10.8はいろいろ。
その後にも影響しましたか?影響っていうよりは僕は逆に負けたからよかったのかなって当時は思ってましたし。
そのあとも次のシーズンもこういう詰まったヒットとかね自分ではいい球投げたのにヒットになったっていうのはスパッと割り切って…切り替える事はできるようになったんですね。
さあさて続いて西崎さんですけれども。
今日は西崎さんの開幕投手の回数のボードを用意したんです。
元日本ハムのエース西崎さん。
入団2年目に開幕投手を任されると以降10年間で8回も開幕戦のマウンドに。
これは日本ハムの球団記録です。
ほとんど。
開幕は定番だったんです。
逆に1992年と1996年は…?多分1回雨で流れたんですよ。
1996年は?ハハハハ…いろんな事情が…。
(古田)嫌われるっていう意味でいうともっと前から嫌われてた部分が…。
結構やっているタイプですからね。
軋轢生んでるタイプですから。
ちょっとケガもあったので。
それなので多分飛ばされたと思うんです。
正直ねライバルもいなかったんですチーム内に。
ナンバーワンですから。
誰が見てもナンバーワンですから。
そんな西崎さんが忘れられない試合は1995年7月5日のノーヒットノーラン。
相手は当時パ・リーグ最強を誇った西武でした。
初回フォアボールを許しますがその後は変化球を厳しいコースに集め西武打線につけいる隙を与えません。
味方も好守でエースをバックアップします。
西崎さんには過去2回苦い思い出がありました。
1回目が入団3年目の1989年4月。
同じ西武を相手に7回までパーフェクトピッチング。
しかし8回。
西武の主砲清原に夢を砕かれます。
2回目は1995年4月。
相手はまたも西武。
この日も7回までノーヒットピッチング。
迎えた8回。
完全に打ち取ったデストラーデの打球をセンターが見失い記録は三塁打。
試合後センターの大貝は泣いて謝ったといいます。
それから3か月。
再び巡ってきたチャンスで西崎さんは8回までノーヒットピッチング。
連続三振で2アウトを奪いあと一人。
張り詰めた雰囲気に味方も緊張の表情。
そして…。
3度目の挑戦で手にした大記録でした。
今までずっと7回ぐらいまではね何回かあったんですけどもそれからチャンスがなかなかなくてホント今日はうれしいです。
これからも応援よろしくお願いします。
どうもありがとうございました。
すごい。
いやすごいですよ。
ヒーローインタビューも憎たらしいですね。
爽やかすぎて。
でも…そうか。
対西武で2回達成し損なっているんですね。
最初のね清原君に打たれたのは失投ですからしかたないなっていうのはありますけれども。
でも2回目の…。
(西崎)センターがボールを見失った。
慣れてないのか。
あれがだから1995年の4月なんですね。
その同じ年の7月にやったので…意識はね…8回の頭。
8回ぐらいになって…7回までは何回もやってるんで。
だから8回になんとか先頭を抑えればと思ってたんです。
あと…ちょっと気を遣って。
あ〜そっか。
ホント…
(古田)周りもね経験がないから分かんないんですよ。
どうしていいか自分たちも分かんなくて。
ここでちょっとブレーク。
からくりどーるさん!お邪魔しま〜す。
あれれれれれ?新年度です。
あら〜?語り亭が誇る流しのマジシャンが球界のエースたちに勝負を挑みます。
今回披露してくれたのはエースにまつわるマジックです。
これを持ってて頂いていいですか。
それ開けないで下さいね。
スペシャルでございます。
そのまんまでございます。
トランプがございます。
トランプです。
大丈夫ですか?大丈夫です。
バラバラってやりますからお好きなところでストップっておっしゃって頂いてよろしいですか?どうぞ。
(古田)ストップ。
よろしいですか?これでございます。
これでございます。
ちょっと軽く切って頂いていいですか。
あっ今の瞬間1枚減ったの分かりました?いきますよいきますよ。
覚えたカード何だったですか?ハートのエース。
やっぱりエース級の方はハートのエースでございますよね。
あるかどうか見てみます。
あったらあったって言って下さい。
ハートのエース。
あるかな〜。
ないかな〜。
ハートのエースが見当たりません。
一体どこに行ってしまったのか?待って下さい。
あんな所に封筒を持っている方がいらっしゃいます。
この中から出てきたらすごいですよね。
すごいですよね。
むりで〜す!
(ダンカン)この野郎!今めちゃめちゃ期待しましたね。
期待しました?期待しました。
じゃあどこに消えちゃったかお教えしましょうか。
ゆっくり…。
持ってないですよね持ってないですよね?え〜ゆっくり握って頂いて。
(ダンカン)えっ?手をゆっくり開いて。
うそだ。
どこに行ったか。
いいお客さんいるよ今日。
VTR止めていいですか?一回だけ殴らせて下さい。
お見せしますどこに行ったか。
どこに行ったかお見せします。
ゆっくりママ後ろ向いて下さ〜い。
私ですか。
ほ〜ら!
(からくりどーる)あらいいママで〜す!ちょっと…。
ありがとうございます。
お邪魔致しました。
からくりどーるでございました。
ありがとうございま〜す。
マジックで一息ついたところで続いてのお客様は…。
こんばんは。
元ロッテの村田兆治さん。
昭和の大エースのご来店にみんな直立不動でお出迎え。
村田さんいきなり全力投球です。
体全体をダイナミックに使った…そこから繰り出される150キロを超える…更に分かっていても打てない落差のあるフォークボール。
40歳の引退までこだわり抜いた先発完投。
数々の村田兆治伝説に迫ります。
引退までずっと先発にこだわり続けたっていう村田さんなんですけれどもそのこだわりっていうのは…?こだわりはやっぱり一つ…常に私は…だからまず追いつき追い越せ。
阪神タイガースの村山。
村山さんとダブるところがあります。
村山実さんも決して体は大きくなかったんです。
170そこそこなんですよ。
ただプレーボールの声がかかると同時にゲームセットまで体全体を使って全力投球だったんですよ。
ただフォームがね年齢重ねてったら技術もある訳だからもう少しコンパクトなフォームにしようっていうふうな技巧派…考えはなかったんですか?それは何度も言われたんですけどここまで来たんだから…だから研究をすごいするんですよ。
そのためにフォームを改良しなきゃいけないねって。
人より走らなきゃいけないね。
人より体を鍛えなきゃいけないね。
エースになっても何年もって。
だってこういうエースと投げ合っていく訳ですから。
今思いましたけどね…
(ダンカン)まずいですよ西崎さんこれ。
隣にいるのに…そうだった。
(古田)すごいピッチャーだったんですけど…今中さんにとっては村田さんっていうのはどんな存在なんですか?大きいですか?いつも会う度に…現役の時から。
私はもうずっと世代交代っていう事も考えて。
西崎もすごくいい印象がある。
西崎さんはどうですか?オールスターでいきなり「腹筋背筋」とか言われてさ。
僕は絶対にいい選手じゃないと言ってないよ。
それは本当なんですよ。
オールスターで他チームじゃないですか。
だからアップとかは全部バラバラなんですけれども村田さんがいきなり「おい西崎一緒にやれ」って。
「アップ一緒にやるぞ」。
「分かりましたお願いします」。
走ってたら「よしじゃあ腹筋やるぞ」って。
「腹筋やるんだアップで。
すごいな」って。
「背筋やるぞ。
また腹筋やるぞ」って。
それがアップです。
オールスターこれ見よがしに疲れさせて潰そうとしたんじゃないですか?村田兆治さんが残した伝説。
その一つが伝家の宝刀フォークボール。
プロ9年目の1976年憧れの村山実からフォークのコツを伝授されると次々と三振の山を築きます。
その数歴代9位の2,363個。
その一方で歴代1位の記録といえば…。
暴投数。
しかも鋭く落ちるフォークをキャッチャーにノーサインで投げていたというからびっくり。
袴田だったら止めてる。
そんな村田さんに最も泣かされたのが袴田英利捕手。
正確に捕球できず指を脱臼する事もしばしば。
なぜ村田さんは袴田捕手にノーサインで投げ続けたのか?やっぱりその前は先輩が守っているじゃない。
それは古田さんみたいにずっと何十年もやってくるといきなり新人が入ってもなかなか追い越すのは…。
ゲームに出たいってなったら何度も止める気だったらねやっぱりコンチクショーじゃないけれど止めるってなってくるとピッチャーは安心して投げるの。
もしワンバウンドフォークボールしてもまた次投げたらまた止める。
現役時代の話をしているうちに熱い気持ちが抑えきれなくなった村田さん。
(村田)捕るのは左手。
そこ動かしちゃ駄目よ。
いい?お〜!すごいすごい!なんと袴田捕手を鍛えたという特訓をミッツママにも実践。
何回も聞いたら…村田さんの辞書に手加減という言葉はありません。
そしてついにノーサインでママに投げ込みます。
ノーサインでいくよ。
うっ…。
(ダンカン)ドスッていったよドスッて…。
ママにも意地があります。
捕ります。
捕ったら終わり。
(拍手)ナイスキャッチ!そうですね確かに。
腹立つんだよ。
「何くそ!」ってなります。
だからその時に結局…目がやっぱりある意味では止めてやろうって。
コンチクショーもあるんだよ。
ただでも先ほどの話ではノーサインっていうのは例えばフォークボールが来ると思ってたらキャッチャーは構えながらなんですけど来るって予測してますのでワンバン止めようっていう準備ができるんですけどその速い球が来るかもしれないワンバウンドが来るかもしれないそのコンマ何秒の世界なので…村田兆治さんが残した伝説。
続いては…パ・リーグを代表するエースになった村田さんにアクシデントが襲いかかったのはプロ入り15年目の1982年5月17日。
近鉄戦の初回。
ハリスに投じた瞬間右ひじにこれまで経験した事のない痛みが走ります。
先発完投にこだわった村田さんが野球人生で初めて自ら降板を申し出ました。
不自然に腫れ上がった右ひじ。
血がたまってるんですね。
そうだから腫れて…。
選手生命の危機。
痛みの原因はじん帯の損傷。
当時日本にこのケガを治せる医師はいませんでした。
村田さんは僅かな望みを懸けてアメリカに渡ります。
後に数々の日本人投手の手術を手がけたジョーブ博士との出会いが奇跡を起こします。
左手首の腱を右ひじへと移植。
手術は成功しました。
しかし手術の3か月後に再開したキャッチボールの距離は僅か10m。
そこから月単位で距離を延ばすという気の遠くなるような練習メニュー。
精神を鍛えるために滝にも打たれました。
つらいリハビリに耐える事ができたのは絶対にエースとしてマウンドに戻るという強い思い。
そしてあのケガから3年。
1985年4月14日日曜日。
川崎球場は超満員。
村田兆治の復活を見ようというファンが詰めかけました。
鋭いフォークと剛速球。
(歓声)マサカリ兆治がよみがえりました。
8回球数が100球を超えたところで稲尾監督がマウンドへ。
この試合医師からは100球の球数制限が課せられていました。
しかし村田さんはボールを渡しません。
「お前100球以上超えたらもう駄目だ」って言って「投げさせるなって言われてるから」って言ったら「大丈夫です。
とにかく楽しいんですからもう少し楽しませて下さい」って言うんですよ彼はね。
「だけどこれで投げて駄目になったらどうするんだよ?」って言ったら「それで本望です」って言ったんですよ。
村田さんはこの試合球数制限を大きく超える155球の完投で3年ぶりの勝利。
この年17勝をあげ完全復活を果たします。
日曜日の度に登板しサンデー兆治と呼ばれました。
そして40歳となった1990年。
現役最後の登板も完投勝利。
投げきる事にプライドを持ち続けた23年間のプロ野球人生でした。
いや〜すごい。
いかがですか?ちょっともう今中さん。
(今中)恐れ入ります。
(ダンカン)ただ村田さんって精神論の塊みたいな…。
もちろん努力もなさっているのは分かっています。
だけど…。
精神論はね…だけど実はあの当時でピッチャーがひじ肩にメスを入れるなんて事はありえない事だったんですよ。
それを先駆者として入れた時の気持ちっていうのはどこが決断させたんですか?その時は私は32歳の時でその前に最多勝を取っているんです。
開幕から11連勝でオール完投で。
それで156勝やっててね計画どおりであと2年したら200勝通過点だっていうそういう頭の中にしっかりとビジョンを持っていてそれを今度は断念しなきゃいけない。
タオルを絞っても痛い。
もう投げられない。
自分の存在感がない。
今はもう全然ないけど。
もうね何度も泣いても…よく言うじゃないですか受け入れなきゃいけないその…。
事実を?自分を。
それで最後の手術へ私は行ったの。
(ダンカン)でも分からないところは10mから始めてだんだん距離を無理をしないようにっていう事ですごく冷静な計画書の下に復帰する訳じゃないですか。
それが何で155球も投げるんですか?むちゃじゃないですか。
それはこの試合を…稲尾監督に…
(村田)我慢してきたんだから。
そう言ったら稲尾さんはずっとこうやって「うん」って。
その部分で155球になって。
やっぱり影響はあったんですね。
それはね体にメスを入れるっていうのはすごい負担がある。
でもその先も先発っていうポジションにずっとこだわり続けたんですよね。
この間フランク・ジョーブ博士が亡くなりましたけどね…最大の賛辞を僕は頂いたんです。
そこから多岐にわたって野球の奥深さも見えるしスタミナとかいろんな全部が見えてくると思いますからね。
そうですね打たれに行けば…。
そしたら私また…うそか誠か世界中を大捜索。
スポーツ界の都市伝説を紹介します。
こよいは投手なら誰もが憧れるノーヒットノーランにまつわる伝説のメニューをご用意しました。
まず1つ目から…。
「28人目の悲劇」。
その主人公は今現役で最も200勝に近い男西武の西口文也。
まず最初の悲劇が2002年8月のロッテ戦。
9回2アウトまでフォアボール1つのノーヒットピッチング。
28人目のバッターは小坂。
(歓声)あと1人で逃した大記録。
しかしまだ笑う余裕がありました。
2度目の悲劇は2005年5月。
巨人との交流戦。
この日も快調に飛ばし9回2アウトまでノーヒットピッチング。
打席には清水。
またしても28人目のバッターでした。
(歓声)思わず愚痴がこぼれます。
そして3度目。
2005年8月の楽天戦。
ナイスボール。
この日も西口のピッチングはさえ渡り一人のランナーも許さないまま迎えた9回2アウト。
ついに大記録達成!…かと思いきや味方打線も点を取れず試合は延長戦へ。
そして10回表。
28人目のバッターは沖原。
大記録ストップは全て28人目。
西口は現役引退までに28人目の呪いから逃れる事ができるのか。
(古田)すごい。
毎回28人目ってその方がノーヒットノーランよりすごくない?難しいかもしれないですねもしかしたら。
(古田)28人目までチャンスがあるやつがそういませんからね。
それを3回もやっているってすごい事ですよね。
二度ある事は三度あったんだから今度は新しくもう一回いけばやるかもよ。
こういうのが繰り返しあると何か一つこだわりっていうか何か出来て強くなっていくものなんですかね?ピッチャーって。
(西崎)でもねピッチャーの中で…「ここにきたか」っていう…。
先ほどね「またかよ」って言ってましたよね。
という事はその前を覚えているから言える言葉であって…。
(村田)どの辺から意識するかの問題だよね。
ずっと8回の呪縛があったんでしょうね西崎さんは。
それで「三度目の正直」だったんですもんね。
そのただでさえ難しいノーヒットノーランを「えっ!3回も!?」やった人がいるそうなんですよ。
1度でも大変な大記録を3度も達成したすごい男がいます。
剛速球とカーブを武器に広島のエースとして活躍した…最初は入団1年目の1965年10月2日阪神戦。
先発2戦目で成し遂げたノーヒットノーラン。
実はこれがプロ初勝利。
外木場はお立ち台で「もう一度やりましょうか」と言い放ちました。
2度目の偉業達成は1968年9月14日大洋戦。
打者27人を114球で抑え込み…しかも当時のセ・リーグ記録16奪三振のおまけつきでした。
3度目の偉業達成は1972年4月29日。
当時V9時代の真っただ中にあった巨人を相手にノーヒットノーラン。
3度もノーヒットノーランを達成したのは戦前の沢村栄治と外木場の2人だけ。
まさに伝説の記録です。
外木場さん。
外木場さん3度も。
すごいですねデビューのあとのあの言葉「もう一度やってみましょうか」。
なかなか言えませんね。
言えないですよね。
(ダンカン)あの当時は広島カープとサンケイ…今のスワローズはもうお荷物チームみたいな。
ほとんど勝たないんですから。
その中にあって外木場さんのダイナミックなフォームで…。
しかも僕は阪神ファンですから巨人がやっぱり憎い訳ですよ。
巨人からノーヒットノーランやる訳ですよ。
カーブなんかすごいですよねネット裏で見ると。
「え〜」って。
では続いて3つ目のメニューにまいりましょう。
普通野球は9人でやりますけれども野球は1人でできるっていうのを体現したエースがいたそうなんです。
シーズン401奪三振やオールスターでの9連続三振など数々の大記録を持つ江夏豊。
その江夏の独り舞台ともいえる試合が1973年8月30日の阪神対中日戦。
中1日の登板にもかかわらず延長11回をノーヒットピッチング。
その裏打席に入った江夏。
(実況)これでジャイアンツと阪神が並びました。
打ち上げた。
ライトフライ大きいぞ大きいぞ!入った!自ら試合を決めるサヨナラホームラン。
フラフラになりながらダイヤモンドを1周する江夏。
延長戦でのノーヒットノーラン達成は後にも先にも江夏だけです。
いいですね〜。
すごい。
こんな事あるんだ。
(村田)よく言葉の中で一匹おおかみとか何かそういう中に自分からやって試合を作ってなおかつ自分で決めたっていうね。
実際に野球は1人でできるというふうな言葉は直接は言ってないって江夏さんは言いますけれど…やあ〜すごいものをいろいろ見せて頂きましたけれどもこうなるとねいやおうなしに今シーズンのプロ野球も盛り上がって楽しみになってきますけれどどうですか?皆さん今年の期待のエースっていうのは。
やっぱり日本ハムOBとしては大谷をどういう使い方をするのかここが気になるところですね。
やっぱり157キロとか投げられるピッチャーっていませんから。
やっぱりピッチャー。
ぶっちゃけどうなんですか?ピッチャーとしての素質がすばらしいのかそれともバッターとしてなんですかね?両方素質はありますけれど…。
本当にそうなんですか?本当に二刀流なんですか?僕としてはピッチャーを優先してほしいなと。
やっぱり田中将大はどれだけやるのかなっていう期待はありますよね。
どういうものなんですか?環境が変わるっていうのは。
恐らく登板間隔がまずね中4日というローテーションになるのでその辺ではちょっと難しいですけれど慣れればいけると思いますけど…。
器用なダルビッシュでさえちょっと時間かかったので田中君も早い段階で自分の力が出せるような環境になればやってくれると思いますね。
溶け込むのは早いと思いますからやってくれるでしょう。
野茂から始まっていって…いや〜本当にそれにしてもね…。
ありがとう。
みんな帰るよ。
じゃ最後に乾杯だけ。
今シーズンもプロ野球そしてメジャーリーグの方で野球がどんどん盛り上がりますように。
乾杯。
(一同)乾杯!「スポーツ酒場語り亭」こよいはこれにて閉店。
皆様またのご来店お待ちしていますね。
(村田)このお店ママがいないとやっていけないでしょ。
それは無理ですね。
私が権利証持ってますから。
2014/05/02(金) 02:40〜03:30
NHK総合1・神戸
スポーツ酒場“語り亭”「プロ野球 先発エース」[字]

テーマはプロ野球の先発エース。装いも新たになった「語り亭」に、往年のエースやファンが来店。ノーヒットノーラン秘話や忘れられない名勝負など野球談義に花が咲く

詳細情報
番組内容
酒は出さずにトークで酔わせる「スポーツ酒場・語り亭」。テーマは、プロ野球の先発エース。装いも新たになったミッツママの店に、往年の名投手やファンが来店。エースの魅力や忘れられない名勝負の舞台裏を語る。“巨人キラー”の決め球、スローカーブ誕生秘話。“トレンディーエース”感動の大記録。200勝投手の先発完投への驚きの執念。さらに、ノーヒットノーラン伝説やマジックも飛び出し、野球談義で盛り上がる。
出演者
【出演】ミッツ・マングローブ,【ゲスト】村田兆司,西崎幸広,今中慎二,古田敦也,ダンカン,からくりどーる,【司会】西島まどか

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
スポーツ – スポーツニュース

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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