(「昴」)・「せめて密やかに」・「この身を照らせよ」人物の魅力にスポットを当てる「D’sスタイル」。
今回は数多くの名曲を世に送り出してきた音楽家谷村新司さんです。
・「我は行くさらば昴よ」
(「冬の稲妻」)去年は…全国47都道府県全てを回りました。
その谷村さん10年前55歳の時に人生の転機が訪れました。
突然コンサートツアーの休止を宣言したのです。
スケジュールを真っ白にした谷村さん。
時間の束縛から解放されある事に夢中になります。
そんな中思わぬ依頼が飛び込んできます。
中国の音楽大学からの教授就任の要請。
人生初の教壇で教えた事とは…。
すごい密着だね。
そして今55歳でつかんだ事を伝えたいと全国各地を巡っています。
今が人生で一番充実していると言う谷村さん。
果たして空白の期間何を考え何を感じたのでしょうか?いや〜知ってる曲がたくさん出てきましたね。
出てきましたね。
私も大好きでした。
「昴」とか「いい日旅立ち」とか「サライ」とか聴きますね今でもね。
今でもねでも若々しいですね。
ねえ。
永遠の青年という感じがしますね。
うんそうです。
さわやかで。
そんな谷村新司さんにおいで頂きました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いしま〜す。
よろしくお願い致します。
まさに65歳。
団塊真っ盛りですね。
ど真ん中ですね。
意識される事ありますか?団塊っていう。
いや。
年齢ってほとんど意識した事はないですね。
へえ〜。
ああそうですか。
気がつくと…「何歳ですか?」って聞かれて一瞬分からなくなる時があるんですよね。
「60…えっといくつだっけ?」って割とそんな感じですね。
ああそうですか。
でもいつも穏やかないい笑顔で…。
でもイライラっとか「うん?」とか。
そんな事ってあるんでしょうか?ないですね。
はい。
ないんですか?まったく?ほとんどないですね。
ほとんど…。
この何十年あんまり怒った事はないですし…。
いつも割と穏やかですね。
それは抑えつけてるんじゃなくて?じゃなくて。
昔は結構とんがってたんですけども…。
やっぱりいろんな経験をみんなしていくと…。
相手はこう思ってるからこう言ってくれてるんだな…ってこう思えるようになると。
はは〜。
腹が立ったり声を荒げる事はもうないですね。
デビューが23で「アリス」結成で…。
はい。
今年65ですからもう40年以上ですよね。
はい。
振り返ってみると長いですか?短いですか?いやもう一瞬ですね。
一瞬…。
一瞬。
もうほんの一瞬。
何かそれは分かる気がしませんか?ずっと走り続けてきたんでしょうからね。
そんな谷村さんが55歳の時大きな人生の転機を迎えます。
一体何があったんでしょうか。
ご覧下さい。
23歳の時でした。
数多くのヒット曲をリリース。
若者たちに圧倒的な支持を受けます。
その後ソロとしても活躍。
31歳の時に自ら作詞・作曲した「昴」を発表します。
海外からも注目を集め中国ASEAN諸国など海外公演も積極的に行います。
しかし年間100回に及ぶステージは谷村さんの体に大きな負担を与えていました。
54歳のコンサートツアーの最中帯状ほう疹を発症します。
30年以上にわたって谷村さんのステージの舞台監督をしている…当時の谷村さんの様子を今も鮮明に覚えています。
そんな谷村さんに妻が声をかけます。
このひと言が谷村さんの心に大きく響きました。
当時の思いが谷村さんの著書に記されています。
「人生をリセットしたいと素直に思いました」。
谷村さんは30年以上続けてきたコンサートツアーの休止を決断したのです。
スケジュールが全くなくなった谷村さん。
時間の束縛から解放されました。
「何でもやりたい事ができるんだ」。
足を運んだのは東京の神保町。
古本屋街。
知りたい事が次から次へと湧き出てその答えを探しにいったのです。
谷村さんがよく通っていた書店です。
多い時には二日に1度1時間以上過ごす事もありました。
興味があったのは古代史に関すること。
江戸明治時代に書かれた専門書なども探し出し読み込んでいきました。
大学教授なども参考にする難易度の高い本もありました。
歴史だけではなく世の中のあらゆるものの根源を知りたい。
次から次へと本を手に取っていきました。
寝食も忘れ2日間読み続けた事も…。
それは人生で初めて時を忘れ心の赴くままに過ごす日々でした。
ああすごいですね。
あれだけ人を大勢前にしてたのが全部本になるんですよ。
まさにそうでしょうね。
ねえ。
ベクトルの方向がガンってこう…。
うん。
55歳のそのお病気って…。
うん…何で…。
でも体って正直ですよね?そうですね。
僕らスケジュールをやっぱり立ててそれをちゃんときっちりこなしていかないと迷惑かかるんでやってるんですけども…。
時々体の声を聞いてない事がある。
きっとね。
何か夢中になって…。
それが出てきたんですよね。
だから包帯をグルグル巻きにしてずっとステージで歌ってたんですけど。
え〜。
包帯しながら痛み止めをのんだり。
そうですね。
帯状ほう疹って痛いんだそうですよね?はい。
体の僕は左半分全部背中までザ〜ッときたんで…。
人によって出る場所がいろいろ違うらしいんですけど。
免疫がやっぱり下がってると出るらしいですね。
ちょっと服が触っただけでホントに痛いんだそうですよあれ。
うわ〜つらそうです。
それを人や仲間にも言わないで続けていて…。
もうたまりにたまってたんでしょうな。
そうですね。
でもその事に気付かせてくれたのがその妻のひと言だったんですね。
ふ〜ん。
それはあれですか?その…どこを見ていて…。
きっかけがあったんですか?何かね2人でいる時に突然ふっと彼女がそう言ったんですよね。
それでその生き方しかしてきてなかったんで…。
自分でもっと抵抗があるかなと思ったんですよ。
その35年間やってきた事に。
うんうん。
でも彼女のそのひと言はフッってストンってふに落ちました。
は〜。
へえ〜。
「あっそうかもしれない」って。
へえ〜。
じゃあ一回空っぽにしてみようって2人で話して家族とも話して。
ありがたいですね。
でもそういう時間って。
気付かせてもらえるって。
家族の会話で。
ラッキーだったと思いますよ。
ね〜なかなかそんな…。
けど奥さんにしてみると結構この言葉ってどう響くのか…。
「今までの生き方が全てじゃないかもしれないわ」…って言われた時にそれを否定されてしまうような。
「お前も分かってくれないのか。
これだけ頑張ってきたのに」って思ってしまうかもしれないと心配する面もあるだろうと思うんですね。
奥さんどんなつもりでおっしゃったんですかね?多分そのまんまだと思うんです。
言葉の意味そのまんま。
だから自分が過去にやってきた事はどんな事であれやっぱり全て過ぎてしまってる事で…。
今一番何を喜べるのかっていう事を自分に問いかける。
否定ではないんですよね。
否定じゃないんだ。
今自分の心がホントに何を求めてるかっていうところを正直に生きていきたいねっていうのが彼女のメッセージだったと僕は感じたんで…。
そして1年間やめるという事で…。
じゃあ次の日からは…。
今までは全部スケジュールが全部詰まってるでしょ?だから当てがある訳ですよ。
はい。
当てが何もなくなる訳でしょ?何をする事もない訳だから。
今国井さんがおっしゃった「当てが」っていう発想って僕らずっとそうやって生きてきたじゃないですか。
そこがポンって外れた瞬間に自分はホントは何がしたいのかっていう事を初めて考える。
僕ら団塊の世代って回遊魚みたいにひたすら走ってくるじゃないですか。
だからそういう時間もなく…。
うん。
ここまで来てしまう事が多いんで。
「ホントにそれが今やってる事が楽しいの?」って自分に問いかける事があんまりない。
そういえばそうですね。
うん。
「今何をしたいのか」って自分に問いかけた時に「あっ学びたい」って。
勉強じゃなくて…。
勉強って受験だったり点数とったり誰かと競う事ばっかりをさせられてきたんで。
自分がホントに知りたい事を学びたいって思い始めて。
で神田の古本屋も含めて…。
はい。
二日に1度ですか?よく通いましたね。
行きました。
それで新しいおもちゃをもらった子供みたいで。
ご飯食べるのを忘れ寝るのを忘れっていう状況でずっと過ごしてましたね。
あ〜。
何でしょうそれはそんなに飢えてたのかしら?気持ちが心が。
知識欲ですよね?知識欲じゃないんです。
えっ?人生の中で何かを知っていく事がこんなに興奮するんだって初めて分かった。
今まで知ってるつもりだった事が音を立てて学び始めると崩れていくんですよね。
「えっこれってホントは違うかも」って思ったらど〜って追いかけていっちゃうっていうか…。
そこにふっと何か一つの答えを見つけた瞬間にやっとご飯。
おなか空いてる事に気付くとか。
眠い事に気付くとか。
夢中になってるんですね。
夢中になってるんです。
どんな本を特に読んでらっしゃった?古代史とか出てましたね。
はい。
古代史ももちろんいろいろ読みましたけど。
1個持ってきたんですけどもその中の一つなんですけど…。
ほ〜。
あっいいですか?お借りして。
こういう本です。
え〜。
数の秘術ですか?「数秘術」って書いてある。
ちょっと開けていいですか?もう赤線がいろいろ引いて…。
不思議ですね。
いやちょっと見せて下さい。
難しいですよこれ。
数字だし絵だしみたいな…。
「全ての事物は数に吸収される。
張られた弦を長くしたり短くしたりして作られた音のあいだの関係性を記述するために調和という言葉を初めて使ったのはピタゴラスであった」。
(笑い)何が書いてあるかちょっと分からないですねホントね。
でも知ろうと思って深くなって面白そうですね。
あちこちいっちゃいそう。
これもう一生懸命ですよ。
線引いてありますよホントにね。
ここも線っていうか折ってある所がいっぱいあります。
癖で折っちゃうんですよね。
熟読されたんですか?これは。
何回も読んでしまうんで…。
数には意味がある。
だから「数は言葉」…と同じ事を表している。
だから日本語で「一」っていうと実はポジションを表している。
「一」あっ「1」。
「一」っていう場所なんですよ。
はあ文字どおりホント「位置」だ。
そうなんですよ。
じゃあ「二」とかいうと「たいじ」とか…。
はいするどい。
「三」は?「三」は社会になりますよね?「三」は…。
家族ですか?生まれるっていう。
生まれる…あっひとつの…。
お産の「産」。
お〜!だから参るっていう字。
ハハハ…。
…って書くでしょ。
面白いですね。
参道を…お参りする所は「参」で。
参道の「参」。
子供が生まれてくるとこも産道なんですよ。
あら〜。
それはあれですか?そういう学問の…学問の中で音に非常にこだわってその響きからいろいろなイメージというか本来の持ってる意味みたいなものを谷村さんすごくそれがお好きなんですか?いろんなジャンルのものを飛び越えて勉強していると全ての答えが音につながってるって事がだんだん分かってくるともう興奮して寝てるどこじゃないみたいな。
それはあれですか歌手としてのふだんいろんな声音を出してきますよね。
いろんな音階音。
で言葉として出していく。
その事ってやっぱりつながっていくとこなんですか?後につながっていくだろうなと思ったんですよね。
今までそれを知らずに歌ってきた。
でもこれからある程度の事は自分で理解できて歌っていく歌っていうのは変化してくるかもしれないし…。
歌で伝える事は自分の役割なのかもしれないとかってだんだん思い始める。
面白いですね。
かといって難しく絶対しないというか…。
さて谷村さんが読書に明け暮れるさなかに思わぬ依頼が谷村さんに届きました。
それは中国・上海にある音楽大学から教授への就任要請でした。
ちょうどスケジュールは白紙。
谷村さんは月に1週間教壇に立つ事を決意します。
上海音楽学院は英才ぞろいのエリート校。
その現代音楽部で教えます。
中国の音楽教育は楽器の演奏技術や理論が中心。
学生は個性を生かし自由に曲を作る事はありませんでした。
ゼロから音楽を生み出し人々に伝える力を伸ばす。
それが谷村さんに期待されたのです。
こちらは初めての授業の様子です。
谷村さんは学生たちに伝えたい事を語りました。
(中国語に通訳)
(中国語に通訳)この日は「風」を題材に詩を書いてほしいと課題を出しました。
そして1人の学生の作品に心を揺さぶられます。
(中国語で)それは母親への思いをつづった「風」の詩でした。
(拍手)それまで自分の思いを詩にした事のなかった学生が初めて表現した自分の心。
谷村さんは大きな手応えを感じました。
すごくいいね。
ピッチもすごく音程もすごくいいし。
詞はちょっと説明してくれるかなあ。
学生たちに教える事で音楽で心を伝える事の大切さを谷村さんは改めて実感していきました。
この話が舞い込んだ時はどんな事感じられました?ちょうどスケジュールを真っ白にした瞬間だったんでこういうタイミングでこういう話が来るって事は「やりなさい」っていう事なんだって思ったんですよね。
もうまさに天命って…。
う〜ん。
でも学校で教えるなんてした事なかったんでそれに対する不安は山ほどあったんですけどもそれより「あっやるんだな」って心はもう決めてる…。
でどう伝えていくのがいいかっていう事をこれから学べばいいんだ自分が。
生徒たちと一緒に授業をしながら教わっていくっていうか。
最初にね「伝えたい」っていう事を伝えたいっていう。
そうなんですよ。
でしたよね。
何か一番印象に残った出来事とかって。
その最後の文化祭…。
はい。
教授が2人だったんですよ。
僕と中国の先生と。
それでその中国の先生が「僕音響の設備は僕が全部やるから」って言ってくれて。
それで「僕はじゃあ生徒たちの楽曲の方全部やるので…。
手分けしてやりましょうね」って言ってて前日本番の前日に入ったら先生新婚旅行で…。
えっ?帰ってきてなかったんですよ。
明日本番なんですけど…。
それで生徒たちとみんなで機材を学校からその小さなホールへ運び。
やってる時にもし照明とかつかなかったらどうしようねって。
マイクが音が出なかったらどうしようかって…。
すると生徒たちは「じゃあ生で歌いますよ」って。
僕らが一番忘れてた事なんですよ。
照明がないとできない音響がないとできない。
でも生で歌えば済む事だって…。
あ〜なるほどね。
あっそこだよねって。
う〜ん。
僕らがやっぱりプロとしてやってくると一番忘れそうになるところはそこで。
その場所にあるできる限りの事でやればいいんだ。
あれがないとできませんこれがないとできませんって僕らは言い過ぎてきてたのかもしれないって。
う〜ん。
どこでもできちゃうって。
自分で立って歌い出せばそこは劇場になる訳ですから。
その事を何か生徒たちが教えてくれた。
いい話ですねそれはね。
いいね〜。
あるものでベストを尽くせばいい。
原点みたいなもんですよね。
そうですよね。
それを上海で改めて教わったっていうか。
だからすごい大事な日々だったんですね。
さて中国で教え始めてから数か月後に谷村さんはある曲を作ります。
ここには谷村さんがリセットしてからつかんだ事が表現されています。
聴いてみましょうか。
この曲は親交のある夏川りみさんに贈りました。
(拍手)何かきれいな言葉がいっぱいで。
きれいな言葉がいっぱいで…。
ね〜流れてきましたよね。
すてきなメロディーですよね。
無限の時と有限の何かこう生きる力みたいなものが…。
見えてきそうな。
でもどうやってこの歌を作られたというかどういうふうにして…。
いろんな事を少しずつ自分が気付き始めて。
それでちょうどそのタイミングでこの歌を作る。
タイミングとこう…重なったんですけども。
この詞の中に今自分が伝えるべき事をできるだけたくさん盛り込みたいっていうか…。
だから歌詞の中に。
はいちょっとこれを…。
これが「ココロツタエ」の。
いろんな事を実は書いてあるんですけど…。
4行目に「アイを伝える」ってカタカナになってるんです。
「アイ」。
何でカタカナになったんだろう。
何かでもカタカナにすると何か音としてとらえられるので使いやすいのかな。
これは「アイ」もカタカナですが「ココロツタエ」の「ココロ」も…。
「ココロ」も「ツタエ」も。
「ツタエ」もカタカナですね。
カタカナですよね。
はいなってますね。
「アイ」って例えばカタカナで書くと漢字で書くともう日本の「愛」になるんですけど…。
「アイ」って書いてあると実は英語で「私」も「アイ」なんです。
「私」も…うん。
これも「アイ」なんです。
色も「藍」なんです。
う〜ん。
この国の言葉は「あいうえお」から始まっていく。
これも「あい」。
これも「あい」から始まっていくっていう。
だからいろんな理解のしかたができるようになる。
で「ココロツタエ」も「ココロ」って例えばカタカナで書くと…。
音を立ててくるっていうかな。
コロコロと。
ココロコロコロ。
ココロ。
あ〜音の響きもね。
うんそうなんです。
コロコロコロコロココロってね。
だからカタカナをたくさん使っててそれで「生まれて生きて生かされて伝える」っていうその1行がやっぱり一番ちゃんと伝えなくちゃ…と思った部分でもあったんです。
あ〜これは谷村さんご自身の「生まれ生きて生かされて伝えて」。
はい。
で「命を歌う旅人」。
うん。
これはやっぱり歌を伝える人は大事な存在なんだっていうのをりみちゃんにちゃんと伝えたいなと思って。
僕らは生きてるって思うからわがままになったり勘違いするんだけど生かされてるって思うと…。
こういうふうにいる事がやっぱりすごく感謝でありがたい事…って思えるようになってきたら日々穏やかで幸せな感じになると思うんですけどね。
自分が今の時代にこうやって生かされてて音楽でここまで来てるっていう事はやっぱり音楽を使って何か次の世代の人たちとか子供たちに「大事な事は伝えなさい」と言われてる気がするんですよね。
そして今谷村さんは音楽の心を伝えたいとライフワークとしてココロの学校というコンサート活動を行っています。
ご覧下さい。
3月中旬。
この日谷村さんは千葉県東金市を訪れていました。
じゃあ今日も元気な子供たちが来てくれました。
サンブステップス合唱部のみんなです。
はいどうぞ〜。
夜行われるステージのリハーサルです。
毎回必ず地元の子供たちが参加しています。
はいじゃあ準備があるんですよね?はい。
じゃあみんなその準備で位置について下さいはいどうぞ。
ココロの学校とは音楽を楽しむ心や感動する心を伝えるコンサート。
8年前に始まったこの取り組み。
日本全国を回っています。
地元のリクエストで何度も訪れている場所もあります。
午後6時。
およそ1,000人の観客がホールに集まりました。
すごい密着だね。
はいじゃあ…よろしくお願いします。
(チャイム音)
(拍手)このコンサートでは谷村さんは校長先生の役回りです。
(拍手)完璧です。
こんばんは〜。
ココロの学校学校です。
学校ですから一応全員そろった明るく元気な挨拶からスタートします。
起立!ゆっくりで結構ですよ。
ゆっくりで結構ですよ。
急に立つとクラ〜って事もありますからね。
礼!直れ!着席。
(「チャンピオン」)まずはおなじみのヒット曲を披露。
皆さん青春時代の気分に戻ります。
そうですね。
今大人になって…。
娘で歌手の谷村詩織さんは毎回生徒役として登場します。
かもしれないですね。
自ら作った曲を歌い上げます。
そして谷村校長によるココロの講義。
この日は誰もが歌ったあの懐かしい歌について。
もう遠い昔かも分かりませんね。
子供の頃指きりした時に歌歌いましたよね。
サンハイ!・「指きりげんまんうそついたら針千本飲ます指きった」はいよくできました。
この歌ってみんな子供の頃覚えたでしょ。
なんだけど今全員メロディーも言葉もはっきり覚えている。
子供の頃の歌をこんなにはっきり覚えているのにどうして昨日の晩ごはんを思い出せない。
昨日何食べたっけ?ココロ揺さぶる音はいつまでたっても体にしみこんでいると伝えます。
サンブステップス合唱部のみんなです。
はいどうぞ!
(拍手)いよいよ子供たちの登場。
これほど大きな舞台で歌うのは初めて。
練習の成果を披露します。
子供たちといつも会話をします。
いつも聞くのは「大きくなったら何になりたいですか」ってみんなに聞くんですけど…。
谷村さんは必ず子供たちの夢を聞きます。
女優です。
女優さん出ました。
東金出身の女優さんです。
覚えておいて下さいね。
世界一周旅行をしたいなと思っています。
旅行するのね頑張ってね。
絶対できるよ。
子供たちに夢を聞く事で大人も子供の頃の純粋な気持ちを思い出せると考えています。
(「サライ」)最後は「サライ」の合唱で締めくくります。
・「いつか帰るいつか帰る」・「きっと帰るから」ありがとうございました。
お疲れさま〜。
楽しかった?すごい良かった。
頑張って女優さんになってね。
はい。
65歳の谷村さん。
55歳で見つけた自分の心が喜ぶ感動を今多くの人たちと分かち合っています。
みんないくよ。
1+1は?2!子供たちがうれしそうでしたね。
ね〜。
もうね行く場所場所でいろんな子供たちと出会えるんでそれで一番ちっちゃな幼稚園の子たちから高校生ぐらいまで大体いるんですけどその子供たちの夢を聞く事がやっぱり自分たちにとっての喜びなんだってだんだん気付いてくるんですよね。
で客席の皆さんがみんなすごく穏やかないい笑顔をしてらっしゃるんです。
でも夢を聞かれる時の子供たちの表情って笑顔ですよね。
嘘のないむくな笑顔って感じしますよね。
やっぱり見てる方ももらうんでしょうね。
ふ〜って幸せな気持ちになりますよねきっと。
ああいう時代があったなっていう…。
今聞かれたらどうします?ね〜おじさんに。
「夢はなあに?」って言われたら?夢はなあに?すぐ横に…。
いや〜ホントにね言ってもいいんだろうにね。
今でもね夢をちゃんと言えばいい。
そうですよ。
これはずっとライフワークですか?そうですね。
はい。
自分のライフワークで自分の心が喜べる事でもあるのでずっと続けていきたいと思ってます。
いくつぐらいまで続くでしょう?そういうのも決めないんです。
もう120ぐらいまでやれるといいなと思って…。
それ例えば我々世代あるいはこれから定年退職を迎える人間にとってその時代でのこう何ていうか第二の人生までの空白というのか…。
次の時代をどうやって生きていったらいいかって事についてちょっとサジェスチョンがあればですね。
ああ。
まず誰かと比べるって事を全部やめちゃった方がいい。
あの人はこうしてるとか。
それは今まででもう十分皆さん頑張ってやってこられたから。
あとは自分なりの自分の心の声が喜ぶようなこと。
自分で…それは自分で発見しないとダメなんで。
誰かに言われたからっていうと今度うまくいかなかったら誰かのせいにしちゃうんで自分で見つけるっていうか。
自分の心が喜ぶこと。
それがさっきおっしゃった55歳でリセットしていく事の何て言うんですかね効果というか。
自然にやっぱりそういうふうに。
自然に。
帯状ほう疹ができた事からもう全てやっぱりつながって。
そういうふうになってきたんですよね。
だからすごく体の声を聞いたり自分で心の声を聞いたり。
そこで取材班たちが奥様から取材をしてきたコメント。
奥様のね。
はいコメントがございます。
「それまでずっと眉間にしわが寄っている表情でしたがしわが消え笑顔に変わりました」。
あ〜。
これはいかがですか?だと思いますね。
ホントにその…。
ステージを作っていく作業って結構細かく綿密に作ってた方なんで。
やっぱり自分の理想としてる形に近づけたいと思うので「あっそこちょっと違う」とかっていうシーンが多かったんですがその後はほとんど任せるべき所は委ねるっていうか。
それぞれがそれぞれのポジションでベストを尽くすでいいんだ…って思うようになるとすごく楽になりましたね。
あ〜ねばならないこうあらねばならないんじゃなくて…。
なるようになっていくんだって…。
はい。
そうしたいなっていう何かこうホープっていうか希望っていうか。
へえ〜。
願いみたいな。
じゃあ谷村さんのあのすてきな笑顔はそのへんから始まるんですかね。
かも分かりませんね。
今日は風吹さん。
何のお茶でしょうか?今日のお茶はちょっと…。
双井緑と言います。
江西省の釜炒り緑茶なんですけども…。
さあどうぞ。
日本でも緑茶はありますけど日本の緑茶は蒸して頂きますが蒸して作るんですけども製法が違ってて天日干ししたのをすぐ釜で炒るんですよね。
この中国のお茶は。
その違いは日本のお茶は味とかうま味甘みに比べて中国茶って香りを楽しむんですね。
やっぱり必ず皆さんこうしてるんですよね。
香りを…香りから。
やわらかい味がしますよね。
やわらかい。
ああいい香り。
おいしい。
あ〜よかった。
おいしい。
ホッとしますね。
さて続いては…今日は宮城県の富谷町にお住まいの…「定年後はできるだけアクティブに過ごしたいと40代から始めた山歩きを続け65歳の時に百名山全てを登りました」。
あっすご〜い。
すばらしい。
「次は登った山々を下から見ようと日本列島の北端宗谷岬…」。
これがそうですね。
「…を出発。
北海道東北北陸山陰九州とブロックごとにほぼ1か月で歩きつなぎ2年半で九州最南端に到着」。
これそうですか。
歩いてますね。
佐多岬ですよね。
佐多岬ですね。
「更にネパールにも出かけヒマラヤの山歩きも楽しみました。
歩き続ける事が私の健康のもとです」。
標高5,000行きましたね。
すごいね。
ですね〜。
やりますね。
はい73今ね。
これからもたくさん山へ登って頂きたいと思います。
すばらしい。
さて「私の団塊スタイル」では皆さんから写真とお便りを募集しております。
趣味や仕事に打ち込んでいる姿をぜひお寄せ頂きたいと思います。
皆さまからのご投稿お待ちしています。
谷村さん今日はいろいろ谷村さんのお話を伺いました。
楽しかったです私は。
そうですか。
いろいろ刺激を受けました。
ああ良かったです。
何だろうコマでも芯がまっすぐになってないとぶれてすぐ止まっちゃうじゃないですか。
だから心を自分で決める。
決めたら自然に周りがそういうふうになってくるって。
だから「こうしよう」って心で決める事っていうのはすごく大事なんだなって…。
僕は55歳の時にそれを感じる事ができたんでやっぱそういう時間もらえた事に感謝してるんです。
う〜ん。
う〜ん。
その軸がしっかりしないとなかなかねそれできない事だろうなと思うんですけどね。
それもう自分で決める事。
決める…。
誰かじゃなくて自分で決める事っていうか…。
だから誰かが喜んでくださる顔を見てそれが自分の喜びになってくるっていうのを体験するとどんどんどんどんのめり込んでいっちゃいますね。
またいい話が出ましたね。
ね〜。
2014/05/02(金) 11:00〜11:45
NHKEテレ1大阪
団塊スタイル「今明かす55歳空白の時」[解][字][再]
音楽家・谷村新司さんが大きな人生の転機を語る。55歳の時に突然コンサートツアーを休止した。空白の時に何をし、何を考えたのか?その全てを明らかにする。
詳細情報
番組内容
月に一度人物の魅力に迫るD’sスタイル。今回は音楽家・谷村新司さんにスポットをあてる。55歳のときに突然コンサートツアーを休止した谷村さん、それは妻の一言がきっかけだった。自分の心に喜ぶことだけをして、人生をリセット。そんな時に思いがけない出会いに恵まれる。空白の時に何をし、何を考えたのか?その全てを語る。【出演】谷村新司、風吹ジュン、国井雅比古
出演者
【出演】谷村新司,【司会】風吹ジュン,国井雅比古
ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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