サワコの朝【タレント・太川陽介 アイドルから俳優、レポーターへ】 2014.05.03

(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストは10代にして大変なアイドルとして人気を博し一世風靡をしたこの方が30年たってまた新たなブームを迎えていらっしゃるという話題の方でございます。
俳優の太川陽介さんです。
(拍手)どうもはじめまして。
どうもはじめまして。
はじめましてですよね。
はじめましてですよね。
こんなに長く互いに生きてんのにね。
ねえ〜。
縁がなくてすみません。
こちらこそ。
なんか今大変だそうですね。
日本中歩きまわって…。
あははっ!バスに乗って。
日本中バスに乗って電車に乗ってバスに乗って。
どうですか?何が?最初「途中下車の旅」?はいはい。
ねえあれはまあなんとなくのどかなんですけど。
(太川)そうですね。
「路線バスの旅」はちょっとのどかには見ていられないような。
もう大変ですもん。
もう僕あの撮影の前の日憂鬱ですもん。
(一同)あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは…。
18歳のときに発表した曲「Lui−Lui」が大ヒット。
・さあさルイルイダンス・ララステップ踏んでその年の・ルイルイ・ルイルイアイドル卒業後はNHK「レッツゴーヤング」の司会者そして俳優に転身。
しかし長い間仕事に恵まれない時期も経験しました。
そんな太川さんが再び脚光を浴びたのが7年前から放送されている旅番組。
マイペースな蛭子能収さんとのコンビが話題を呼び大人気に。
(太川)やったやった!
(蛭子)
(太川)僕それ
(蛭子)ええ〜!?輝きと暗闇の両方を味わった38年間の芸能生活。
今日は太川さんがあのときを振り返ります。
ええ〜っと…「ローカル路線バス」。
あれは週1の番組とかじゃないですよね?じゃないです。
年間にね3本なんですよ。
あっ年間3本。
そうなんです。
だから…で「ぶらり途中下車」っていうね旅の番組も僕年間4本ぐらいなんですよ。
あっそうなんですか?だから僕ってすっごい旅番組いっぱい行ってるみたいじゃないですか。
10本ぐらいしかやってないんですよ年間。
だから月に1回も行ってないのになんかいっつも旅してるみたいに…あははっ!思われて。
はあ〜…。
でもねあのローカルバスはだって全部で4日間?そうです。
3泊4日で…。
3泊4日で…。
ゴールを目指す。
で3人で路線バスだけを使ってず〜っと目的地に行くと?そうです。
だから結構ね今ね路線が廃線になってつながってないんですよ。
乗る人いなくなったらその路線がもうなくなっちゃう。
だからそこを…何キロもそこを歩かなきゃいけないんです。
インチキは利かないんですか?
(太川)インチキ一度もないです。
だから10何キロも本当に歩いてるんですよ。
はあ〜…。
あの苦しむ姿がいいみたいですね。
まあねそうね。
でもいくらテレビの番組と思っても4日間もこれやってると感情だってこう…何?平たんでいられないでしょ?ほんとに怒ってたでしょ?蛭子さんに。
だってとっても無礼なのあの人。
あははっ!平気で人が傷つくことをね…。
けろっとおっしゃるとこがあるね。
のんきな感じで。
そう。
放送になってないところでは一回蛭子さん店の表に呼んで…。
ええっ!?ちょっと注意した。
あははっ!
(スタッフ)あははっ!どういうちゃんと…仕事だと思ってんのかって?
(太川)「こうでしょう?」「あっそうなの?ごめんね〜」とかって言われて。
あっこの人分かってないなと思って。
それからもう言わなくなりました。
この人に言っても分かんないんだと思ったからもう今は好きなように…。
そうなの?諦めて?そうどうぞ好きなようにって。
へえ〜。
まあそれが蛭子さんのよさでもあるから。
そうね。
珍道中ですね。
ねえ〜。
さて太川さんの記憶の中で今でもこう…心に響く曲というのを選んでいただいてると思いますが。
やっぱりねあの…歌がね好きになったというか初めて感動した…かぐや姫の「神田川」。
ああ〜!中学校2年のときに学校終わってうちへ帰って来てでラジオをつけたらちょうど夕暮れだったんですけどこの曲が流れてて中学2年生なのに涙しちゃったの。
えっ初めて聴いて涙しちゃったの?初めて聴いて涙した。
出会っちゃったんですね。
こんなませた曲に。
あの世界観。
そう。
あれに感動してもうなんかボロボロ泣いて。
いや〜忘れえもしない…。
これは私大学1〜2年のときだったかな?なんかみんなでスキーに行ってそれでなんかこんな歌歌いながら誰が私を守ってくれるのかしら?「・冷たいねって言ったのよ」とかなんか…。
(太川)あははっ!なんか…男が守ってくれるという幻想を抱いていた時代ですよ。
(一同)あははっ!でも太川さんは男の子でやっぱこの貧乏だけども何も怖いものはないという青春時代っていう…。
っていうかここまでねきっと今ほどちゃんと深い意味は分かんなかったと思うんですけど。
そうですね中学2年だもんね。
うん。
でもとにかく感動して。
で中学3年のときには音楽の先生が歌のテストなんでも好きな曲やっていいって言うんですよ。
みんながいろんな歌を歌う中で一人ギターで「赤ちょうちん」歌ったんですよ。
あははっ!「赤ちょうちん」。
・あのころふたりのアパートはとかってやって…。
あははっ!やっぱり人前で歌うのが好きだったんですか?
(太川)なんですかね目立つの好きだったんですかね。
僕遅刻が多かったんですね。
それであんまり多いから…でもう一人いたんです多いのが。
遅刻常習犯。
クラスで罰則を決めようって。
月曜日は全校生徒の朝礼が体育館であるんですけどそこで歌を歌わせるってなっちゃったんですよ。
でもう一人はあの…もう早く終わりたいから・ぶんぶんぶんはちがとぶおいけのまわりに…って短くすませたんですよ。
なるほど。
僕はじゃあせっかく歌うならってこのスピーカーですよハンドスピーカー。
これで「ゴッドファーザー愛のテーマ」を歌ったんですよ。
ええ〜っ!?「・広い世界の片隅に」って。
それ全然罰ゲームじゃないじゃない。

(西島)今日僕はパナソニックの工場を訪ねた。
「なぜ?」と問われれば「好奇心」としか答えようがない。
生まれて初めての工場体験。
それは「なぜ?」の連続だった。
なぜマイナス25度の部屋があるのか?なぜこんなに高い場所で作業しているのか?なぜ洗濯機のデザインで高齢者の姿にならなければならないのか?「なぜ?」僕は技術者に聞いた。
彼は少し戸惑ったがやがてハッキリと答えた。
「お客さまにとって使いやすいものをつくるためですよ」とても当たり前の答えだった。
でもその当たり前の想いがこの工場を支えていた。
お客さまにとって、いい家電ってなんだろう?彼らは今日もまたその答えを探し続けている。
デビューのきっかけは?あのね桜田淳子さんの映画があったんですよ主演の。
その相手役募集っていうのを「明星」で…。
えっ素人から募集したわけ?そうです。
で僕桜田淳子さんの大ファンだったんですよ。
ええ〜なんかほんとに正しい少年って感じだねこの子。
なんで?ふ〜ん…。
それで田舎者だし何も知らないから一斉に呼ばれると思ったんですよ。
でそこに桜田淳子さんがいて「はい君」みたいな感じで…。
本人に「君君」って?選ばれると思ってたんです。
だからもうこれは会えると思って応募したのがきっかけなんですよ。
ところがその締め切りに間に合わなかったんですよ。
ええ。
それで?
(太川)そしたらそのうちの事務所の…「サンミュージック」っていうとこなんですけどもそこから写真で映画とは関係なくうちのプロダクションのオーディションをやったんです。
ほう〜…。
じゃあある日突然サンミュージックから連絡をもらったわけ?なんかオーディションの通知が来たんですよ。
いついつオーディションしますからって。
えっ?芸能人になるの?みたいな。
ご両親はなんて?もうとんでもなく反対でしたしだから一回は諦めたんですけどまた半年たったらまた来たんですよ。
オーディションの通知が。
それで「お願いだから受けるだけでいいから」って。
そしたら「じゃあ行くだけだよ」って言われて東京に来たんです。
それで始まったらまず面接があっていきなり「ちょっと歌ってください」とか言われてで歌い終わったら「もしこの世界に…っていう話があったらどうします?」とか言われて「いや〜うちの両親が反対してますし」って言ったら「あなたの気持ちを聞いてるんです!」って言われてもう説得ですよ。
へえ〜。
「芸能界というのはすばらしい。
やりがいのある仕事だから」って言われて。
で「君はね10年に1人の逸材だ」って言われちゃって。
それは…。
笑ってくださいよ早く!あははっ!早く笑ってくださいよそこは。
笑いでサッと流してくださいよ。
いやいやいや…。
あの若い頃の顔を見たらやっぱりこれは…。
そんな…うまいこと言うんですよ。
なんとか入れようと思うと。
でもちょっと…やっぱり…えっ?ほんと?俺が?みたいな。
その気にさせてくれるんです。
それであの…去年うちの会長が亡くなったんですけど…。
相澤さんですよね?相澤社長。
僕はあの…誰かマネージャーが僕を選んだと聞かされてたんですよ違うマネージャーが。
その書類選考で?そう。
そしたら会長が亡くなる2〜3時間前ですよ病室で昔からいた重役の人が「知ってる?」「何が?」「陽介を選んだの会長だったんだよ」って。
えっ?「僕違う人って聞いてますよ」「違うよ。
会長が写真見てこの子呼べって言ったんだよ」って。
それを亡くなる2〜3時間前に初めて…。
それまでだって会長とはなんべんもお会いになってらっしゃるんでしょ?でもそのことは何も…。
一切お話になんなかった?聞いてなかったんです。
へえ〜。
それでもうね意識ないし。
あっもう意識なくなられてて…。
だから耳元で「ありがとうございました」ってお礼言ったんだけど。
そんなときに初めて知ったんですよ。
へえ〜。
でそれからサンミュージック所属でで歌手としてっていうかアイドルとしてデビューして。
「Lui−Lui」って歌ってるときのお気持ちはどうだったんですか?すっごい恥ずかしかった。
あっそう?ちょっとやってみません?はあ?あははっ!今…。
ええ〜っ!?あははっ!語り:ネイマールJr.
(子ども)ネイマール!
(カーAVから音楽)
(スタジアムの歓声)
(西島)なんでこんなものを着るのだろう?その日僕は洗濯機のデザイン開発現場を訪ねた。
そこで高齢者を体験するためのキットを身に着けた。
人は年齢を重ねると体が重くなり腕も上がりにくくなる。
視野も狭く暗くなる。
例えば洗濯物を取り出す行為自体がとても大変な作業になる。
そこで操作パネルを後方に移し洗濯槽の入り口をより大きくすることで誰もが簡単に洗濯物の取り出しができるデザインが生み出されたのだ。
高齢者に使いやすいデザインはすべての世代に使いやすいデザインだ。
お客さまにとっていい洗濯機ってなんだろう?彼らは今日もまたその答えを探し続けている。
「Lui−Lui」って歌ってるときのお気持ちはどうだったんですか?すっごい恥ずかしかった。
あっそう?ちょっとやってみません?はあ?あははっ!ええ〜っ!?あははっ!振りは覚えてますか?ええ…。
今は笑顔で歌えるんですよ。
今歌うことある?たまに最近。
最近ある?どこで歌うんですか?ええ〜っと番組で歌うことがあったりとか。
そうなんだ。
じゃあ大丈夫!こんなことするんだっけ?すごい!えっ…えっ?合ってます。
かかとからまずじゃあ右に123で4で左側。
で…。
(阿川・太川)1234…。
「スクールメイツ」できるじゃない。
(一同)あははっ!スクールメイツかぁ。
あははっ!「ルイルイ」っていうのはあれは…。
これはルイルイっていうこと。
ルイルイってやんの?おいでおいでみたいな感じ。
じゃあサビんとこ。
はい!一緒に。
いや私できないでしょ…。
・さあさ・ルイルイダンス・ララステップ踏んで・もう恋にやぶれた昨日はバイバイなのさまだまだありますよ。
まだまだあんの?もう疲れちゃった。
・ほらこんなに可愛い・きみに逢えたもの・まるでごきげんさルイルイさはい「・ルイルイ」そう!はあ〜…。
無理やり元アイドルに歌わせ踊らせてしまいましたが。
今はだから笑顔でできますけど当時恥ずかしくて。
でも「Lui−Lui」はヒットして賞もお取りになってでその後は?その後はねだから駄目でしたね。
人気が陰ってきちゃったの?そういう言い方もないけど…。
いやいや曲がヒットしなくなるとそりゃ陰りますよね。
そんなに歌うまくなかったし音楽性があるわけでもなかったんですよ。
だから僕が歌手として存在するのはアイドル歌手だからこそなんか存在してたってとこあったんです。
それでだんだん人気がなくなってくるともう僕の歌手としての存在価値がないわけですよ。
自分でそういうふうに思ってたんですか?その当時。
(太川)うん。
「レッツゴーヤング」っていうね番組やってるときに並んで1人ずつ「こんばんは誰々です誰々です太川陽介です」って挨拶するんですけど「こんばんは太川陽介です」っていうときの「きゃあ〜!」っていうのあるじゃないですか。
あれがね毎週少しずつ落ちていくのが分かるんですよ。
いやぁ〜怖っ!ええ〜!でマネージャーに「ねえやっぱり少ないよね今週」って言っても「分かんないよ」って誰にも分かんないんですよ。
でも僕だけには分かるんですよ。
微妙にどんどんどんどん落ちていくのが。
それはねもう怖くて怖くて…。
で毎週月曜日その「こんばんは」っていうのがもう怖いんですよ。
だから行きたくないんですよ。
どうしようと思われたんですか?そのころに倍賞千恵子さんとドラマで共演させてもらってたから倍賞さん家に突然電話して「ねえさん今日行っていい?」とかって言ったら「何時ごろ来るの?」「夕方ごろ」「分かった分かった。
じゃあご飯作っとくから食べないでおいで」って言われて行ってご飯ごちそうになってで「実はね…」っつってその苦しいんだっていう話をしたんです。
そしたら「あなた一生この仕事やっていく気があるの?」とかって言われて「えっ?いやう〜んまあ」ってあんまりちゃんとした答えも出なかったんですけど「もしねあなたが一生やっていくんだったらきゃあ〜!っていう声援とてもちっちゃなことじゃない?」って言われて。
で「あなたにはお芝居があるんだからみんなとは違うっていうふうに思ったら?」って言われて。
それで翌週の本番のときに僕はみんなとは違う芝居がある。
大丈夫大丈夫…大丈夫って言い聞かせてで「こんばんは太川陽介です」って言ったらやっぱり微妙に下がってるんだけど苦しくなくなったんですよねえさんのひと言で。
へえ〜!そしたらなんか自然と仕事の流れも変わってきて…。
自分の気持ちが変わって?でもあれも「レッツゴーヤング」の司会をやったの7年ぐらい?7年間やってました。
随分…。
20歳から27ぐらいまでですもんね。
なんか「このままずっと俺は司会か?」みたいなそういう不安とかなかったんですか?NHKの人気番組の司会だったからなんかお山の大将みたいになっててディレクターの人たちも変わっていって「初めてなんで教えてください」みたいな立場になるじゃないですか。
そうするとだんだんだんだんなんか居心地いい感じになってきたんですけどもそのときちょうど歌番組の特番があってそこでバア〜っと歌手が並んでるところでエンディングで1人ずつこうやって「今日はいかがでしたか?」って司会者が…。
僕前列にいたんですけど飛ばされたんですよ。
はあ〜。
そんときにそうか全体だとこの位置なんだって分かったわけですよ。
「レッツゴーヤング」の中ではいちばん大将だけどそうか歌の世界行ったら僕はこの位置なんだ飛ばされる位置なんだと思って。
これは勘違いしちゃいかんと思ってやめようと思ったんですよ。
ほんとにさりげないことで気づきを…。
(太川)すごいショックだったんです。
じゃあもう勘違いするからやめようと思ってNHKに「やめさせてください」って言って。
そしたら全然仕事来なくなっちゃって。
ええ〜!それでもう…で人に例えば「久しぶりだねご飯食べよう」なんて…。
で会うと「どうしたの?最近」ってどうしたって聞かれるじゃないですか。
そうすると「ああまあなんやかんややってますよ」ってその「なんやかんや」っていうごまかししかできないその自分がすごく嫌でもうそういう人たちとも会わなくなっちゃって。
会うのも嫌になっちゃって。
(太川)嫌になっちゃって…。
えっ経済的に苦しいとか…。
(太川)経済的にももちろん苦しかったですね。
それで流しの下に扉があってそこにビニール袋の中に小銭があるとそっちに入れたりなんかしてたんです。
だからもう千円札というものがないわけです。
ええっ!だからその小銭を銀行に持ってってATMにググググってやって千円札に替えてたんですよ。
あははっ!でググググってやったら25セントも入ってたんですねきっとね。
詰まっちゃって。
ああ〜アメリカのね。
ふふっ!銀行の人が出てきちゃって「どうしました?」とか言って「ああ〜すみません…」。
顔は知られてんのに。
小銭を札束に替えてるとは思わない…。
恥ずかしいなと思いながら「なんか詰まったみたいで」とか。
へえ〜。
だからマネージャーのことを随分心の中では責めましたけどね会社をね。
バーターとかやってくれないんですようちの事務所は。
会長がね嫌いだったんですよ亡くなった会長が。
要するに「バーター」っていうのは売れてる人がいたらこの人出しますからこの人もお願いしますっていう。
この新人も一緒に出してくださいと。
せっかく松田聖子が売れてるのに出してくれないの。
(一同)あははっ!松田聖子とせっかく…。
あっそうか松田聖子さんと同じ。
先輩に当たるわけ?そう僕がね。
だからまあ寂しいですけど話としては。
でも聖子ちゃんが今売れてるんだからそれに便乗して僕も出してよって思うんだけどそれやってくれないから。
社長…。
でも松田聖子さんには随分相談に乗ってお兄ちゃんとして慕われたっていう話も…。
(太川)相談ってこともないですけどまあ「お兄ちゃん」っていつも言ってました。
あの〜彼女のオフの前の日にいきなり電話かかってきて「お兄ちゃん明日映画連れてって」とかって。
「えっ!嫌だよお前目立つから」っつって。
人気ある頃に?もちろんすごい頃に。
「お願い!いいじゃない」「ええ…」って。
「じゃあ銀座のなんとかピカデリーの前ね。
2時半!」。
で待ち合わせしてで来るんですよ。
派手じゃない。
そう来るからもうこうやって言って先に行っちゃうんですよ。
あははっ!そしたら「ええ〜待ってよ!」みたいな感じで来てで二人で映画見てご飯食べて送ってあげてっていう感じ。
えっそれはお兄ちゃんを好きだったってことですか?
(太川)それはない。
なんでそんなはっきりと否定するんですか?分かるでしょ。
見事にそれはなかったです。
じゃあなんで映画に一緒に行こうって言うんですか?相手がいなかったんでしょ。
そう…。
ほんとに妹みたいなもんだったんですね。
でもその妹どんどんどんどん人気になってどんどんどんどん仕事が増えていく。
片や仕事がなくなるのは…。
バーターにも使ってもらえないし。
当時ああいうふうになりたいとかその人から学びたいっていうような人はいたんですか?
(太川)いや〜もうねその2829の頃はもうあまりにも仕事がないとなんかどうなりたいとかそういうものも分かんなくなっちゃって…。
だからもうほとんどね引きこもりのように3〜4か月から半年の間ぐらいなりましたね。
じっとしてました。
そこからどうやって復活なさったんですか?いかん!もう駄目こんなことしてたらって…。
待ってるだけじゃ駄目だと。
(太川)そう。
で自分に大丈夫5年後僕は絶対に仕事してる大丈夫大丈夫って…。
ちゃんとした役者になってるって。
言い聞かせて。
また同じ相手からご飯の誘いがあってで同じように「最近どうしてんの?」って聞かれて「今?暇!」。
あははっ!素直に。
言えたんですよ。
そしたら…すごい楽になっちゃってだからもういろんな人に「今?暇ですよ。
なんかない?」みたいな。
そしたら仕事の流れがまたパッと変わっちゃったんです。
不思議ですよね。
不思議ですね〜。
やっぱ内からなんですね。
自分がどういう心を持ってるかで僕の場合は変わりましたね流れが。
自分が素直になれば流れは変わっていく。
そう素直になったりまあ開き直ったり。
明るくすることですかね。
もうこんななってないで。
よしこい!って。
なるほどね。
今やご子息も大きくなられたそうで。
中学1年生になってどうしようと思って。
何をどうしようと?だんだん親離れしていくから。
えっしてほしくないんですか?うん。
「うん」ってねえ。
女の子じゃないんでしょ?男の子なんですけど。
子離れできないんですよ。
パパの方が?
(太川)そう。
何してきたの?生まれてからこのかた。
(太川)まあ〜いろいろと育児はもう本当にどっちがお母さんぐらいやってきましたから。
えっおしめ替えたり?そんなことはもちろんですしええ〜12年間ぐらい僕息子が寝ると30分から1時間ぐらいたつと見に行って寝汗かいてると拭いてあげるんですよ。
ええ〜?久しぶりにこないだちょっと寝た後見に行ったら汗かいてたんですよ。
で汗拭いてあげなきゃと思って拭いてたらかみさんに横から「ねえいつまで続けるの?」って言われちゃって。
はあ〜…。
うん。
「ずっとだよ!」って。
(一同)あははっ!ええ〜!ではそろそろ…。
あっはい。
もう一曲選んでいただいてると思いますが今太川さんを元気にしてくれるのはご子息だとは思いますが曲ではなんでしょうか?アンジェラ・アキさんの「手紙」。
2〜3か月前に初めて聴いて何?これ!と思って。
久しぶりに感動しちゃってうわ〜いい曲…いい歌だなぁと思って運転しながらんん〜って考えながら…。
えっええ〜?嗚咽しながら聴いて…。
あははっ!もう番組だということを忘れて陶酔してらっしゃいますけど。
ああ〜いいですよね。
どうですか?これからアンジェラ・アキさんに触発されて歌を作っていこうとか。
(太川)ああ…でもちょっとここんとこね歌いたいなと思う気持ちがだんだん出てきたんですよ。
あの〜ちょっと機会があって歌うことがあったら…。
それは仕事として?そう。
やっぱり歌は楽しいなっていうのがあってさっきのも楽しかったんですよ実は。
どうも。
ふふっほんとに?うんなんかみんなで歌ったりってやっぱり楽しいですよね。
っていうのを言われることが多かった。
2014/05/03(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字]【タレント・太川陽介 アイドルから俳優、レポーターへ】

ゲスト・太川陽介/タレント▽トップアイドルから苦境を経て今ふたたび脚光を浴びる▽思い入れある音楽とともに、阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出します。

詳細情報
番組内容
ゲストはタレントの太川陽介。18歳で「Lui−Lui」が大ヒット、日本レコード大賞新人賞を受賞、一躍トップアイドルに。現在は旅番組のリポーターとしても人気を博しています。デビュー当時のエピソードから、その後司会業、俳優業に転身し、仕事が全く無かった苦境の頃の話まで伺います。番組中、阿川と「Lui−Lui」を踊る一幕も!?紆余曲折を経験し、今新たなブームを迎える太川陽介さんの魅力に迫る30分です!
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
太川陽介(タレント)
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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