地球ドラマチック「ツタンカーメンDNA大解析(2)謎の死因に迫る」 2014.05.03

これは古代エジプトのファラオツタンカーメンのマスクです。
(ザヒ・ハワス)魔法の顔です。
若くしてエジプトを治めた少年王ツタンカーメンは今も多くの謎に包まれています。
子供を授かったという記録は発見されていませんが王の棺の傍らには赤ん坊が埋葬されていました。
彼の子供なのか分かっていません。
少年王でありながらエジプトを改革しました。
(ジョン・ダーネル)ツタンカーメンは軍も指揮していました。
エジプト学者ザヒ・ハワス博士率いる調査チームがその生涯に迫ります。
どんな人生を送ったのか知りたいんです。
姉との結婚王位継承そして早すぎる死。
(アシュラフ・セリム)何かとがったものに当たったんだろう。
チームはツタンカーメンの足跡をたどり最新の科学で若きファラオの生涯に迫ります。
3,300年以上の時を超えツタンカーメンの真の姿が解き明かされます。
今からおよそ3,300年前。
一人の若者が大国エジプトを治めていました。
黄金のマスクで知られるファラオツタンカーメンです。
エジプト学者ザヒ・ハワス博士のチームは最新の科学技術を駆使してツタンカーメンの王家の系譜を明らかにしました。
DNAを解析する事で先祖のミイラを次々と探し当て曽祖父母から祖父母両親を特定したのです。
父親であるアクエンアテンは急進的なファラオとして名高くそれまで信じられてきた伝統的な宗教を否定しエジプトを混乱に陥れた人物でした。
ツタンカーメンは父親が築いた新しい都アマルナの王宮で新たな宗教を信仰する父親のもと6人の姉と共に成長しました。
しかしツタンカーメンの生涯は今も多くの謎に包まれています。
一人になるたびに思いをはせるんです。
一体どのような人生を送ったのだろうとね。
ハワス博士は黄金のマスクに隠された真実を解き明かそうとしています。
子供はいたのか。
どのようなファラオだったのか。
ツタンカーメンといえばあくどい臣下たちに操られていたというイメージがあります。
なぜ若くして死んだのか。
僅かな手がかりとうわさだけが頼りです。
ツタンカーメンは姉であるアンケセナーメンを王妃に迎えた事が分かっています。
当時近親婚はタブーではありませんでした。
それどころか王族の血の純潔性を保つと考えられていたのです。
2人はアマルナの王宮で共に育ちまだ幼いうちに結婚しました。
夫婦は深い愛で結ばれていた事が分かっています。
2人に子供はいたのでしょうか。
謎を解く有力な手がかりがあります。
1922年考古学者ハワード・カーターが初めてツタンカーメンの墓に足を踏み入れた時きらびやかな財宝とともに質素な箱が発見されました。
中には小さな棺が2つ。
中を見てカーターは衝撃を受けたと言います。
今2つの棺はカイロのエジプト考古学博物館にあります。
木で出来た外箱。
金の棺。
中から発見されたのは生まれる前に命を落とした赤ん坊のミイラでした。
2体のミイラは完璧な保存状態でした。
肉体が永久に保存される事を願って丁寧に布で包まれた胎児には心に触れるものがあります。
この2人はツタンカーメンの子供なのでしょうか。
交差した腕が王族である事を示しています。
古代エジプトの女神イシスも刻まれていますね。
美しい表情です。
しかし子供たちの名前はどこにも見当たりません。
2人の身元を記したものはありません。
誰なのか手がかりはありません。
何十年もの間これらの胎児のミイラを調査した考古学者はいませんでした。
ハワス博士は長年の謎を解明するため2体のミイラをカイロ郊外にある研究病院に移しCTスキャンを使って調べる事にしました。
ミイラが病院に運び込まれます。
この2体のミイラを見るのは博士にとっても初めての事です。
ハワード・カーターが発見した時ミイラの保存状態は良好でした。
しかし…。
こんなにひどい状態だとは思いもしませんでした。
特にこちらはかなりひどいですね。
でもCTスキャンを使って調べれば我々エジプト学者が知りたいと思っている情報が何かしら得られるかもしれません。
バラバラになっている2体の小さなミイラを世界で初めてCTスキャンにかけます。
結果は誰にも予測できません。
放射線学者のアシュラフ・セリムが画像を分析します。
こちらが胎児のミイラの全体像です。
頭蓋骨がいくつかに割れてバラバラになっているのが分かります。
例えばここに耳がありますがもう片方はこちらです。
画像からセリムはある点に気付きました。
胎児の下腹部に切開の痕があるのです。
臓器が取り出された証拠です。
ミイラにした時の痕でしょう。
胎児はファラオと同じ方法で保存されていました。
これほどの敬意をもって扱われたという事はファラオの子である可能性は大いにあります。
2人はツタンカーメンの子供なのでしょうか。
答えを求めてツタンカーメンの生涯をたどります。
ツタンカーメンは父アクエンアテンが築いた新しい都アマルナで生まれ育ちました。
父のもとで帝王学の教育を受けて過ごした幼少期は古代エジプトがとりわけ混乱していた時代でした。
混乱の原因はアクエンアテンの急進的な宗教改革にあります。
アクエンアテンは伝統的な神々を否定しそれまでの都を放棄しアマルナに新しい都を築きました。
そして自らが信じる神アテンに捧げる神殿を建設したのです。
息子にもアテン神にちなんだ名前を授けます。
トゥトアンクアテンです。
しかしエジプトの人々は混乱に陥ります。
王は信仰を弱体化し経済を崩壊させたのです。
古代エジプト人たちは古くから続く宗教を大切にしていました。
だからその信仰を否定しようとする者は嫌われて当然です。
人々はアクエンアテンが提唱した新しい宗教を受け入れられなかったんです。
即位から17年後アクエンアテンは亡くなったとされます。
この時ツタンカーメンはまだ10歳にも満たない少年でした。
アクエンアテンの死から数年後新しい宗教とアマルナは放棄されます。
父を亡くした少年はどのようにしてこの激動の時代を過ごしたのでしょうか。
考古学者のチームがアマルナの遺跡で謎を解く鍵となるものを発見しました。
ツタンカーメンがアマルナで過ごした最後の日々を解明できるかもしれません。
発見されたのは小さな鋳型です。
(アナ・スティーブンス)恐らく指輪に紋章を入れるために使われたのでしょう。
レーザースキャナーを使って模様を浮きだたせます。
(クリストファー・グッドマスター)文字がはっきり読み取れる。
驚いたな。
こんなに細部までクリアーに読み込めるなんて。
そこには名前が刻まれていました。
(スティーブンス)ファラオの名前ね。
刻まれていたのは「ネブケペルウラー」。
ツタンカーメンが即位した時の名前です。
名前は更に楕円形の枠で囲まれていました。
これは「カルトゥーシュ」と呼ばれるファラオの印です。
ツタンカーメンがアマルナの地で幼くしてファラオになった事を示しています。
ツタンカーメンはアマルナで即位して都を移すまで何年かはここで統治していたという事ね。
動乱の世で王位についたツタンカーメン。
父は宗教をはじめとする旧来の伝統を否定する事で国を混乱に陥れました。
民衆はかつての信仰と伝統の復活を望んでいます。
しかしそれは父が生涯を懸けて行った改革を否定する事を意味します。
ファラオとなった少年は苦しい決断を迫られました。
ハワス博士はツタンカーメンの治世に関する手がかりを得ようとエジプト考古学博物館を訪れます。
墓から発見された「黄金の玉座」を調べるためです。
博士は玉座の裏側に刻まれた名前に目を留めます。
人目につかない裏側に刻まれていたのはツタンカーメンが生まれた時に父親から授けられた名前でした。
「トゥトアンクアテン」。
これは「アテン」という文字です。
しかし臣下たちの目に入る玉座の正面には別の名前が刻まれていました。
こちらには「トゥトアンクアメン」と刻まれています。
「アテン神と決別した」という事です。
父の信じたアテン神と決別し名前を改める事でかつてのアメン神への信仰復活を示したのです。
ツタンカーメンは父が築いた都を捨てメンフィスに都を移します。
そしてアメン神をまつる大神殿を復興させました。
人々はツタンカーメンの改革を歓迎しました。
祖父が建て父が捨てたルクソール神殿をツタンカーメンは復活しました。
ハワス博士はここに信仰の復活を伝える印が刻まれていると言います。
こちらです。
ここにツタンカーメンが残した貴重なレリーフがあります。
描かれているのは「オペト祭」の情景です。
オペト祭はアメン神と妻ムトの結婚を祝う年に一度のお祭りです。
古代エジプトの人々にとって一年が終わろうとするこの時期は神々だけでなく王も大地も力を失いつつある時でした。
アメン神殿に集まったファラオと神官たちは新たな力を与えてくれるよう神々に祈りを捧げたのです。
大地の豊穣を祈るオペト祭はまた世継ぎの誕生を祈る儀式でもありました。
ツタンカーメンと王妃アンケセナーメンは世継ぎを期待されていました。
しかし古代エジプトではおよそ3人に1人が5歳になる前に命を落としたとされます。
ツタンカーメンに子供がいたという記録は残っていません。
調査チームはツタンカーメンの墓で見つかった胎児のDNAを解析する事にしました。
DNA鑑定によって新たな事実が明らかになるでしょうか。
ツタンカーメンのサンプルと全く同じです。
DNAがあるべき所に黒いシミがあるんです。
ツタンカーメンのミイラには他と比べて大量の防腐剤で処置が施されていました。
そのため防腐用の樹脂が黒いシミとなってDNAの解析を難しくしていたのです。
2体の胎児のミイラにも同じような樹脂が染み込んでいました。
ツタンカーメンとの関係性が示唆されます。
しかし真実は胎児とツタンカーメンのDNAを比較する事でしか分かりません。
調査チームは何週間にもわたり研究を続けました。
きれいに出ました。
(ツィンク)どれ?
(プーシュ)やったな。
(ツィンク)これを見ろよ。
ほら。
チームはついに黒いシミとDNAを分離する事に成功しました。
更に遺伝子パターンの解析を進めます。
そしてついに大きい方の胎児の完全な遺伝子パターンの解析に成功したのです。
小さい方の胎児の遺伝情報は残念ながらまだ分かりませんがチームはこれまでの結果を検証する事にしました。
それで結果は?こちらに書かれているとおりです。
DNA鑑定からツタンカーメンが大きい胎児の父親である事が判明しました。
ツタンカーメンのDNAの半分が大きい胎児のDNAと一致しました。
つまり胎児が100%ツタンカーメンの子供だという事が初めて確認されたというわけだね。
ええ。
更に胎児の性別も判明しました。
女の子だったのかい?ええ女の子です。
間違いありません。
すばらしいニュースだ。
胎児はツタンカーメンの娘でした。
ハワス博士のチームはツタンカーメンが父親であった事を証明したのです。
ツタンカーメンの王家の系譜がまた一つ広がりました。
生まれる前に亡くなった子供は誕生していたらファラオの娘王女となるはずでした。
しかしツタンカーメンの娘はこの世には生まれてきませんでした。
王と王妃には娘のために来世の準備を整えてやる事しかできません。
胎児のミイラが見つかった例はエジプト全土を見渡しても他にはありません。
この出来事はツタンカーメンとアンケセナーメンを深い悲しみに突き落とした事でしょう。
しかし父親として悲しみに打ちひしがれてもツタンカーメンがファラオとしての力を増していった事を示すものが残っています。
ツタンカーメンには臣下に頼りきりの少年王というイメージがありますがハワス博士たちの意見は違います。
ツタンカーメンは瞬く間に強くたくましい王になったと考えているのです。
この説を裏付けるためエジプト学者のジョン・ダーネルとコリーン・マナッサはその証拠を求めてある墓へ向かいました。
ツタンカーメンの在位中に起きた重大事件ヌビアの反乱について調べるためです。
ヌビアはナイル川の上流に位置する地域で金の産地でした。
古代エジプト人は金を「神々の肉」と崇めていました。
その金の大半を産出するヌビアが反乱を起こしエジプトを脅かしたのです。
反乱を鎮圧するには軍事力と外交力が必要です。
ツタンカーメンは早急な対応を迫られました。
若いファラオは一体どのようにしてこの混乱を乗り切ったのでしょうか。
ダーネルとマナッサはツタンカーメンがヌビアの総督に任命したフイの墓を訪れました。
信じられない!ツタンカーメンよ。
(ダーネル)本当だ。
2人はフイの墓でツタンカーメンの姿を見つけました。
色鮮やかな壁画にはヌビアの民がツタンカーメンに貢ぎ物をする姿が描かれています。
王の足元には黄金や貴重な石が積まれています。
見て盾よ。
すばらしい保存状態ね。
色もとてもきれいに残っている。
実はこれと同じ盾がツタンカーメンの墓でも発見されています。
これらの盾はヌビアからツタンカーメンに献上されたものです。
ツタンカーメンがヌビアの支配者である事を象徴するものなんです。
(マナッサ)ツタンカーメンはこの盾も自分と一緒に埋葬させました。
とても重要なものだったという証拠です。
壁画には更にツタンカーメンが反乱を鎮圧するために自ら軍を率いた様子が描かれています。
(ダーネル)ここに描かれているのはエジプト人による賛歌です。
読んでみましょう。
「すばらしき王よ。
戦においても勇敢。
太陽神に守られるだろう」。
ツタンカーメンが軍を指揮していた事を示しています。
それこそファラオたる者の使命です。
壁画はツタンカーメンが強いファラオだった事を証明しています。
たとえ彼自身がチャリオットに乗って実際にヌビアと戦っていなかったとしても彼がこの勝利を導いた事は明らかです。
少年王はハワス博士が主張するように強い指導者へと成長していたのです。
即位した時は確かにまだ幼い少年でしたがやがてたくましいファラオへと成長しました。
彼が優れたファラオだったという事は墓に残された壁画や埋葬品からも見て取れます。
ツタンカーメンは成長すると戦いを率いるファラオとしてチャリオットを乗りこなし弓矢の腕を磨きました。
博士は更に彼が狩りに心躍らせる活発な青年だったと考えます。
ツタンカーメンはギザに狩猟用の別荘まで建てています。
ここでライオンやガゼルを追ったのでしょう。
彼の墓には50本以上の弓と何百もの矢そして6台ものチャリオットが埋葬されていました。
いずれも単なる装飾品ではありません。
ダーネルとマナッサはツタンカーメンのチャリオットを調べるためにルクソール博物館を訪れました。
(ダーネル)車輪の外側をよく見るとすり減った跡がたくさん見受けられるね。
傷を修復したと思われる箇所もいくつかあるし。
これはかなり頻繁に使われていたんじゃないかなあ。
車輪の状態からツタンカーメンがこのチャリオットをかなり使い込んでいた事が言えるわね。
続いて2人が訪れたのはルクソール神殿です。
ツタンカーメンが自ら戦地でエジプト軍を率いたかを調べるためです。
ルクソール神殿には何世紀にもわたるエジプトの歴史が刻まれた4万個ものブロックがあります。
ツタンカーメンの治世末期エジプトと長年の敵であるヒッタイトの間で戦いが起きました。
このどこかにその重要な戦いを記したブロックがあるはずです。
(マナッサ)すごい。
戦いの描写に躍動感があるわね。
(ダーネル)すばらしい。
ブロックにはエジプトとヒッタイトの激戦の様子が細部まで描き出されていました。
これはチャリオットに乗っていたヒッタイト軍の男がエジプト軍の矢によって振り落とされた瞬間を描いているのでしょう。
両手を広げて倒れています。
こうした詳細な描写は私たちにかなり具体的なイメージを与えてくれます。
ではツタンカーメンはその場にいたのでしょうか。
ライオンを追った若いファラオはエジプトの敵も追ったのでしょうか。
2人は近くのブロックに他と比べて大きな車輪を持つチャリオットを発見しました。
この小さなブロックに描かれているのは戦いにおけるツタンカーメンのチャリオットです。
他のチャリオットと同じようにスポークが6本ついていますが他のものに比べて大きい事が分かります。
大きな車輪はファラオのチャリオットを表します。
若い王が戦場に現れその足元にヒッタイトの兵が倒れます。
これまでにないツタンカーメンのイメージです。
戦いの前戦士である王は準備を整えます。
戦闘前のファラオの心構えを説いた古代エジプトの教えがあります。
「毅然と心を落ち着け我はハヤブサのごとく敵に襲いかかる。
そして彼らを打ちのめし粉砕し屈服させるのだ」。
ツタンカーメンは確かに10代の若者でした。
しかしファラオとしての務めを立派に果たしていました。
敵軍のヒッタイトの記録からツタンカーメンの軍が勝利を収めた事が分かっています。
(ダーネル)この戦いはツタンカーメンが亡くなる少し前に起きました。
つまり軍隊を率いるには十分な年齢だったという事です。
戦場に行かなかったと考える理由はありません。
ではツタンカーメンは戦死したのでしょうか。
19歳のツタンカーメンは強くたくましい人物へと成長していました。
しかし突然亡くなってしまいます。
恐らく何かしらの事故に見舞われたのでしょう。
原因は分かりません。
ツタンカーメンはなぜ若くして命を落としたのか。
それは墓が発見されて以来エジプト学者を悩ませ続けてきた謎です。
ツタンカーメンのミイラを最初にCTスキャンした時膝の上部にひどい骨折の痕が発見されました。
(ツィンク)角のあるものにぶつけたんだと思う。
石とか石段のような…。
ああそうだな。
何かとがったものに当たったんだろう。
骨は複雑骨折していました。
骨が折れているだけではありません。
皮膚が裂け周りの組織も傷つけられています。
炎症の痕がうっすらと残り周りの組織が治り始めていた事からこの骨折はツタンカーメンが生きている時に起きたと考えられます。
骨折の原因は分かりません。
それが彼の死と関連しているのかも謎のままです。
ツタンカーメンは戦場で負傷したのかもしれません。
あるいは狩猟中にチャリオットから投げ出されたのかもしれません。
しかしチームが発見した2つの新たな事実が歴史を塗り替えようとしています。
ドイツではハワス博士の要請を受け各国から集まった放射線医学の専門家たちがツタンカーメンのCTスキャン画像を再調査し早すぎる死の謎に迫ろうとしています。
(セリム)ここです。
ここの大部分が見当たらないんです。
画像からツタンカーメンの左足の人さし指の一部がない事が判明しました。
(セリム)何かがおかしいな。
普通の大きさではない。
これは新たな発見です。
ツタンカーメンの左足は骨の一部が壊死していました。
彼は足が不自由だったのです。
いつごろ壊死したのでしょう。
何歳ぐらいだと思いますか?
(ゴスナー)恐らく17〜18歳の頃だろう。
ああ。
つまり…。
(ツィンク)死亡年齢と近い。
ツタンカーメンは生まれつきつま先が変形していて後年骨の疾患に苦しめられていました。
この状態では痛くて足に体重をかける事はできなかったでしょう。
できるだけ歩かないようにしていたはずです。
杖が欠かせません。
この発見で考古学上の一つの謎が解明されました。
ツタンカーメンに限らずファラオは皆儀式用に杖を持っていました。
しかしツタンカーメンの墓にはどのファラオよりも多い130本もの杖が納められていたのです。
ハワス博士はこれらの杖は単なる儀式用ではなく不自由な足をかばうために必要だったのだと推測します。
なぜこれほどたくさんの杖を持っていたかは謎だったんです。
博士は杖を使った痕跡が残っていないか一本一本調べます。
杖の先を見ると王がこれらの杖を実際に使っていた事が分かります。
先端がすり減っています。
これはツタンカーメンがこの杖を使っていた事を示す確かな証拠です。
戦いの腕を磨いた若きファラオ。
野生動物を追う血気盛んな青年。
ツタンカーメンは人知れず耐え難い痛みに悩まされていました。
彼は極限までこらえ自らを奮い立たせます。
そしてある日バランスを崩したか痛みからか限界を超えてしまいます。
ツタンカーメンの足が変形していたという事実は調査チームの考えを一変させました。
この事は全く新しい見方を与えてくれました。
このような症状だと転んだり落下したりしやすいからです。
ツタンカーメンは不自由な足が原因で倒れ骨折したのかもしれません。
どのようにして事故が起きたかは分かりませんが骨折から間もなくツタンカーメンは亡くなります。
しかしこの骨折が直接の死因かどうかは不明です。
調査チームはエジプトの考古学博物館に戻り新たな角度から死因を調査する事にしました。
当時エジプトで流行していた病気にツタンカーメンがかかった形跡がないかDNAを解析するのです。
結果は驚くべきものでした。
ツタンカーメンは致命的な病気にかかっていたのです。
これまでエジプト学者たちが探し求めていた事実が明らかになりました。
すばらしい結果が出ました。
ツタンカーメンのDNAを解析したところマラリアにかかっていたという結果が出たんです。
複数回にわたって陽性の反応が出ています。
ツタンカーメンがマラリアに侵されていた事は疑いようがありません。
しかもこれはマラリアの中でも最も重い症状を引き起こすタイプで体が弱っている人にとっては致命的なものです。
死因としてかなり有力だと言えるでしょう。
「脳性マラリア」と言われるものでツタンカーメンはこの病気にかかっていたのです。
今でも多くの犠牲者を出す恐ろしい病気です。
マラリアの発見はハワス博士のある疑問を解き明かす鍵となりました。
ツタンカーメンの墓からは用途不明なさまざまな種が見つかっているのです。
墓から発見されたものの中でもこれらの種はとりわけ興味深いものの一つです。
博士は何十種類もの種のうちの一つに注目します。
これです。
コリアンダーの種です。
コリアンダーの種には熱を下げる作用があると言われています。
ツタンカーメンは生前これを服用し死後の世界にも持っていったのでしょう。
彼が熱に侵されていたという証拠です。
ツタンカーメンはマラリアの薬を死後の世界にも携えていきました。
彼の死因はマラリアだったのでしょうか。
博士は調査チームのメンバーと話し合います。
頭を殴られて暗殺されたとする説はもはや完全に否定されたわけだけど本当の死因は何だと思う?それは…。
マラリアの可能性は?その可能性はあります。
マラリアの中でも重い症状を引き起こすタイプだったので。
致命的なんだね。
一番恐ろしいタイプです。
左の大腿骨に骨折の痕が見られました。
マラリアと共にこの骨折が死因となった可能性もあります。
深刻なマラリアに侵されていたという君の発見と足を骨折していたという君の発見。
ツタンカーメンの死因はまさにそこにあると言えそうだね。
ええ。
いずれにしろ免疫力が低下していた事は間違いありません。
かなり衰弱していたはずです。
悪化する足の変形ひどい骨折そして深刻なマラリア。
ツタンカーメンにとってそれは致命的な組み合わせでした。
詳細は明らかではありませんが彼はそれらに苦しめられながら最期の日々を送ったに違いありません。
黄金の少年の死は突然訪れました。
人々がショックを受け悲しみに暮れる中葬儀の準備が進められます。
10年にわたる治世で少年王はたくましいファラオへと成長を遂げ人々に愛されました。
大司祭が最も貴重な副葬品を手に現れます。
黄金のマスクです。
そしてマスクをツタンカーメンの顔にかぶせました。
ここにこう記されています。
「彼らが墓を去った後ファラオの魂と精霊が現れファラオは死者の楽園へと誘われるだろう」と。
今回の調査でツタンカーメンのイメージは一新されました。
崩壊寸前だったエジプトを立て直し世界最強の軍を率いて内外の敵に立ち向かい国を一つにまとめ上げました。
一方で病気と闘い自らを極限の状態まで追い込み耐え抜きます。
少年王から若くたくましいファラオへと変貌を遂げたツタンカーメン。
彼はあらゆる困難を乗り越えた果てに世継ぎに恵まれないまま早すぎる死を迎えました。
世継ぎを持たないツタンカーメンの死は富と権力を誇った王家の系譜が途絶える事を意味しました。
しかし子孫を残す事はできなかったもののツタンカーメンは別の方法で3,300年たった今も不滅の命を伝え続けています。
大切に保管された彫像や副葬品ヒエログリフで残された記録の数々そしてDNAから浮かび上がった王家の系譜。
今回の調査で導き出された結論にとても満足しています。
私の人生における最高の瞬間です。
多くの謎が解明される事でツタンカーメンの魅力が消えるかといえばそうではありません。
それどころか一層増すでしょう。
なぜならツタンカーメンは我々の心をつかんで離さないからです。
ツタンカーメンは死後の世界でよみがえり今この世界で永遠の命を手に入れたのです。
時速100kmで走る車から2014/05/03(土) 19:00〜19:45
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック「ツタンカーメンDNA大解析(2)謎の死因に迫る」[二][字]

最新の調査結果をもとに、古代エジプトの王ツタンカーメンの素顔に迫る2回シリーズ。後編では、19歳で死亡したとされるツタンカーメンの死の謎に迫る。

詳細情報
番組内容
古代エジプトの謎めいた王、ツタンカーメン。激動の時代を治め、19才で亡くなったとされる。最新技術を駆使した調査によって、失われた王家の系譜や死因が明らかになりつつある。後編では、これまで他殺説が有力だったツタンカーメンの死因に迫る。DNA解析などにより、彼が抱えていた健康の問題も明らかになる。再現映像を交えて、ツタンカーメンが生きた古代エジプトの世界を伝える。(2009年アメリカ)*アンコール放送
出演者
【語り】渡辺徹

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
他言語の時もあり
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz

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