義経になった男
「義経になった男(1~4)」平谷美樹(ひらや・よしき)著 ハルキ文庫2011年刊。
この作者のことは初めて知った。そもそも名前からして女性かと思った。女流で義経を書くのか? ご本人には失礼ながら名前はどうでもいいのかもしれない。歴史小説におけるフィクションが史実とからまって「嘘」も「真」に見えてしまう、素晴らしい作品だと思う。
主人公はシレトコロという名前の蝦夷の男。時代は平安末期。舞台は主に奥州平泉。
当時の日本は奥州が北限で、そのさらに北は蝦夷(えみし・えぞ)の地だった。蝦夷の立場からすれば彼らはもともと関東地方にまで生活の場を持っていた先住民族であるから、朝廷を頂点とする日本民族に領土を侵略されたということになる。被征服者は征服者に隷属し、強制的に関東、関西と分散して移住させられる。主人公もそのような運命を背負い、近江の国に親の代から生きていたが将来は被征服者としての限界が明らかに見えている。
ところが当時、東北の平泉では奥州藤原氏が3代にわたって支配していたが、そこでは人々は上下貴賎なく、自由な生き方がかなりの程度にまで許されていた。金という貴重な資源に恵まれ、陸海の流通は畿内のみならず大陸へも及び、交易により豊かな経済力と高い文化を創り出すことができた。
その根底にあるのは初代秀衡以来の仏教への敬虔な帰依、浄土への憧れである。彼らは3代にわたってこの地上に浄土を現出させるべく、中尊寺金色堂をはじめ数多くの伽藍を築いた。当時鎌倉はまだ未開の地であり、京都からの距離を思えばこの辺鄙ともいえる地、「道の奥」にこのような巨大な都市を作り上げた藤原氏の経済力、文化意識は驚嘆意外の何ものでもない。
物語を展開させるのは平泉の商人橘司(きちじ)信高。湯水のように採れる金を資本に世の中を動かそうと画策する。「金売り橘司」と呼ばれた男として史上、実存したらしい。
橘司は平家の政権を打倒すべく、当時16才の義経を鞍馬山から連れ出し、平泉で育て、頼朝とともに源氏の治世を画策する。
ここで13才の主人公が義経に似ていることから選ばれ、平泉へ連れて行かれ、その「影」として生きることになる。シレトコロは沙棗(さそう)の名を与えられ、訓練を受け、もうひとりの「影武者」とともに義経を支える。
義経は兄の役に立ちたいという一念のみで頼朝軍に加わり大活躍、一の谷、屋島、壇ノ浦と戦功を上げるが頼朝は認めない。自分が源氏の棟梁であるからその許可なしに朝廷から役職を与えられたことが気に入らず、義経を利用するだけ利用して切り捨てる。肉親の情に恵まれなかった義経はただただ兄、頼朝に気に入ってもらいたい一心であるが理解されず、鬱状態が昂じて物狂いする。
このような状態にある義経に代わって「影」であるシレトコロが表役を演じる。彼は「影」として生きているうちに義経の動作、なりふりのみならず、発想、思考、生き方そのものまでが身につき、本来の自己とのちょっとした混交を意識するようになる。
狂気の状態から一瞬正気にもどった義経は現実を悟り、自刃する。
死にきれないことを見図ったシレトコロは義経の首を落とし、以後、自分が義経となって生きることを志す。彼は、義経だったらこのように考え、このように行動したであろうと、「影」が「本物」として振舞う。
途中で義経の愛人として静御前が出てくるのだが、シレトコロと同じ蝦夷であるのが面白い。
シレトコロが各地に残したその足跡は頼朝を慄かせる。
義経は衣河で死んだのではなかったのか? あちこちで聞かれ、噂されるのは義経の怨霊なのか? 頼朝は怨霊に怯える意気地なしとして描かれる。
確かに頼朝自身、自ら戦功は上げていない。最初に旗揚げした伊豆の石橋山では敗残し、富士川の合戦では水鳥の飛び立つ羽音に驚いた平家群が勝手に逃げ出したし、一の谷も屋島も壇ノ浦も義経が戦い、頼朝は鎌倉にいた。
もうひとりの影武者や仲間の蝦夷たちが怨霊の仕業らしき行動で頼朝をさらに攪乱させる。
とはいえ源氏の優勢は明らかで、いずれ奥州をはじめ、全国統一が予想される。藤原氏の全勢力をもってすれば源氏に勝ち、朝廷を平あげることも可能と思われたが、藤原氏の意思は民の平和であり、それは藤原氏が滅びることでしか保たれないと判断し、その通りに4代で滅びる。
策謀家の後白河法皇や公家、御家人などの利害関係が複雑に入り組んだ政治情勢や怨霊への怯えなどから頼朝はその後結局、藤原氏がそれまで行ったとおりの統治を奥州で行わざるを得なくなる。統治者が源氏に名目上なっただけで現実の生活のありようは藤原氏が築き上げたものがそのまま継承されることになった。本当の勝者とはだれであったのか。
以後100年にわたって平泉の怨霊は鎌倉幕府を脅かし続ける。頼朝は落馬が原因で亡くなり、2代目将軍頼家は北条氏によって失脚させられ、3代目実朝は頼家の息子公暁に暗殺され、源氏一族は滅びる。これを「怨霊の仕業」として影で画策したのがシレトコロの仲間、義経の郎従たちであった。
そして藤原氏4代泰衡は自刃したが、忠衡は5代として北海道に渡り、あらたな浄土建設を志し、弁慶は戦没者の弔いのための放浪の旅に出、シレトコロ(沙棗)は己自身をとりもどすために大陸へ渡り砂漠を彷徨う。
読む側もフィクションでありながらそういうことがあってもおかしくないな、と思わされる。それほどにこの世界に引き込まれてしまう。義経記や吾妻鏡などに基づく考証も真実味を醸し出すのに成功している。
小林秀雄は「無常ということ」の中で、「歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形として映ってくる・・・新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられるような脆弱なものではない・・・解釈を拒絶して動じないものだけが美しい・・・」
と、歴史という動かしがたい巨人への賛歌を唱えた。
が、歴史というものに本書のような解釈がなされると、小林の言うことが根底から覆されるような気がしてくる。
優れた解釈者は優れた創造者でもあるということか。
これが芸術の1ジャンルに確固とした位置を占める歴史小説というものの真髄なのだろうか。読み終えたあとも不思議な高揚感がある。
先月一ノ関マラソンで平泉に行ったばかりであり、その印象を思い出しながら読み通すことになったのも余計興をそそられたのだと思う。
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