●The Tower 何度めくっても、『塔』しか出ない。 そんなことは、もう何百年も前に知っていたでしょう? ●『万華鏡』 「もうすぐ、三高平市は第一種防衛体制に移行する。けれど、皆には別の任務をお願いしたいの」 アーク地下、作戦指令本部。その中枢たるモニタールームに召集された十一人のリベリスタを出迎えたのは、のっけから物騒な台詞を突きつける万華鏡の姫君こと『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)、そして。 「はい、こんにちは☆ 皆様の頼りになる忠実な味方、アシュレイちゃんですよ~。ぴこぴこ」 相も変わらず口調だけは能天気な、『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)であった。 「……どういうことだ」 鋭い視線で二人を射抜いた『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)の端的な問いは、二つのポイントを突いている。 すなわち、イヴが告げた『第一種防衛体制』の意味、そして、『魔女』がこの場に同席している理由。霧也は指折り示すことはせず、そしてイヴもその意を問い返す事はしない。それでも、今聞くべきこと、話すべきことはこの場の全員が理解している。それだけのメンバーが集められていた。 「いまから大体六時間後、アーク本部が襲撃されるの。数だけならあの『楽団』にも劣らないほどの、大規模な軍勢が」 ざわり、と。 既に緊迫した雰囲気を感じ、心構えをしていた彼らでさえ、声を漏らすことを抑えられなかった。思い出すがいい。歪夜十三使徒が第十位・ケイオスの指揮する死者の軍団と激突した三高平防衛戦では、数百のリベリスタが命を散らしたのである。 だが、姫君に動じた様子は無い。 「数だけなら、と言ったよ。敵のほとんどは弱小の魔法生物や小型ゴーレム。新米リベリスタでも十分相手出来るし、皆くらいなら幾らでも踏み潰せる程度でしかない」 これが無双っていうやつですね! と合いの手を入れるアシュレイを横目でちらりと見て、彼女は淡々と説明を続ける。 「だから、被害はまず出ない。軍勢を指揮するフィクサードの一団もいるようだけれど、そっちには皆とは別に部隊を向かわせるよ。――ただ」 「なんと、敵はそれだけじゃなかったんです! 素晴らしく燃える展開ですよね!」 声を被せて混ぜっ返すアシュレイに向けるイヴの視線は、普段よりも幾分か冷たさを増している。常に感情を抑えた少女がその時ばかりは僅かに嫌悪の情を見せていたのは、気のせいだろうか。 「『万華鏡』は捉えることができなかったけれど、アシュレイには判ったみたい。強力な魔術で探査を逃れている本命が、三高平に侵入しようとしている。目的地は――アシュレイのアトリエ」 アシュレイのアトリエ。 歪夜十三使徒が第七位・ジャックとの決戦の後、三ッ池公園に開いた『穴』をコントロールする為、アークはアシュレイと協定を結んだ。その条件の一つとして、彼女には三高平の郊外に自宅兼工房が与えられたのだ。 「今のところ、私の工房と私自身、どちらがターゲットかは私にもはっきりとしません。私の『24、The World』では、そもそも誰が来るのかも判りませんから。ただ、これだけ大げさな囮を使って攻めてくる以上、私が戦って勝ち目があるかは難しいところですね」 常と同じ笑顔を浮かべるアシュレイは、その言葉の真否を悟らせない。しかし、如何に『使徒』の一人とはいえ、本来はフォーチュナであるアシュレイの直接戦闘力がそう高く無い――ということになっている――ことはよく知られていた。 そして、これだけの目くらましを仕掛けてくる敵が、まるで勝ち目の無い戦いを挑んでくるとも考えにくいのだ。 「ええ、ですから皆さんにお願いしたいんです。万が一のことを考えて私は安全な場所に避難させていただきますので、工房を襲ってくる不審人物を格好良く叩きのめしてください☆」 きゃるん、とかわいこぶってみせるアシュレイに注がれる絶対零度の視線。それは虫が良すぎるというものだろう、と詰め寄ろうとしたリベリスタの一人は、しかしイヴの溜息に出鼻を挫かれる。 「アークがこの『要請』を請けざるを得ない理由は三つあるの。ひとつ、郊外とは言えやっぱり三高平市には違いないこと。魔女の工房そのものに全く危険が無いなんて、楽観に過ぎるから」 あははー、と誤魔化す諸悪の根源は、しかしその指摘を否定しようとはしない。 「ふたつ、アシュレイと結んだ協定は、安全な寝床としての三高平市の住居の提供。つまり、少なくとも保護要請を求められればアークとしても無碍には出来ない」 「そして三つ目。私が万一命を落とすようなことがあったら、『穴』の制御は皆さんには出来ない、ってことですね」 何でもないように口にするアシュレイ。だが、それが計算し尽くされた一撃であることを悟らぬリベリスタ達ではなかった。 かの『モリアーティの行動計画書(モリアーティ・プラン)』が告げたという、この世界を守る為の最適解。口の端に上った噂の欠片は、きっと魔女の耳にも届いているだろうから。 ――アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアを今すぐ殺す事。99.999%――。 ●Nightmare in the Night 「……やれやれ、大将の隠蔽魔術もたいしたことはないな」 アシュレイのアトリエに程近い林の中。アシュレイの予知に従い周囲を哨戒していたリベリスタ達が発見したのは、黒ずくめの衣装に身を包んだ 一団だった。 「お前は……」 霧也が声を上げる。その視線が向かうのは、丸サングラスの奥で紅い瞳を面白げに細める一人の男。幾たびかアークと刃を交えた彼の名は。 「土御門・ソウシか!」 「ご名答。あんたらがここにいるってことは、俺達の目的もばれているようだな」 そう言いながら、ソウシはすらりと鞘から曲刀を引き抜いた。配下の者達もまた、彼に倣い各々の得物を構えてみせる。 「『俺』も、『大将』も、あんたらアークとやりあうのは望んじゃいない。けどまぁ、婆さんが作ってくれた千載一遇のチャンスを逃すわけにはい かねぇよ」 砕けた雰囲気に混じって立ち上る殺気。見逃してくれたら一番楽なんだけどなぁ、とぼやく彼は、本気でそう言っている様にも見えたのだが――。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年05月03日(土)22:50 |
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● 「見逃してくれたら一番楽なんだけど――なぁ?」 リベリスタ達と対峙する黒衣の集団。その中央で気の抜けた台詞を吐く男の名を、土御門・ソウシという。 賢者の石争奪戦。二度の三ッ池公園。そして倫敦。忘れた頃に姿を見せ、暗躍の残滓を残して姿を消す――まだまだその目的を掴みきれぬその男と刃を交わした者は多い。この場の十一人の内、実に五人までもが彼との交戦経験を有していた。 当時は彼の名を知らず、故に記憶も薄い『元・剣林』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)はともかく、他の四人にとって彼の飄々とした笑みは以前のままである。 (……いや) しかしただ一人、『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)だけはそれに違和感を覚えていた。何が、と問われても言語化しにくいその感覚。 だが、確かに警鐘は鳴っている。幾百幾千の戦闘経験に裏打ちされた観察眼が、声を限りに叫んでいる。 「――目か!」 「そうも行かないよなぁ、あんたらは!」 目が笑っていない、と気づく。同時に叫んだソウシから、その物腰からは想像できないほどの殺気が膨れ上がり、遠慮の欠片もなく放たれた。空気がびり、と震える感覚。次の瞬間、咄嗟に得物を突き出した拓真の腕へと衝撃が走る。 「此処まで強引な手段を取ってくるとはな」 瞬時に距離を詰めたソウシ。二振りの剣で曲刀を受け止めた彼は、だがそれすらも楽観的な認識だった事を知る。 ソウシ以外の男達、その全てが思い思いの方向に走り出していたのだ。 ある者は前衛と思しき虎鐵や『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)を相手取って。ある者は後方に控えた者達を狙って。そしてある者は――彼らに構わず、工房へと。 「さすがに速いですね、ここまでとは」 舌を巻く『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)。後方に控える彼女は、だが敵の前に立ち塞がる事を躊躇った。 「これが罠でなければいいのですが……」 何分咄嗟の事である。九人居たはずの敵、その全てが同時に動き出したとなれば、瞬時に全体を把握するのは難しい。それでも素早く戦場に目を走らせたレイチェルは、敵が残らず視界の中に居る事に安堵する。 「右に行きました、止めてください!」 彼女が積み重ねた戦闘官僚としての経験、ありとあらゆる戦術と勝利への執念を煮詰めたエッセンスを惜しげもなく振舞えば、仲間の動きは格段に良くなっていた。 だが、この戦場において彼女の『目』は、クエーサーの方法論を凌駕する効果を生む。 「まいったわね。此方としては尻尾を巻いて逃げ帰って欲しいけれど」 早くも前衛を抜けようとする敵影に、『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)は眉を顰めた。レイチェルが混乱の中で敵を見失う事を極端に恐れたように、彼女は止め損ねた敵の工房への強襲を何よりも懸念していたからだ。 (藪を突かれると、何が出てくるのか判らないんだもの) 魔女の工房――というよりも魔女自体が、アークにとってはいつ爆発するか判らない時限爆弾に等しい。『モリアーティ・プラン』に示唆されるまでもなく、少なくとも多くの者にとって、それは共通認識だった。 「編成は魔女狩りを想定している筈――なら」 六枚の翼を僅かに羽ばたかせ、駆け抜けんとする敵の前に回りこむ。噛み切った親指から流れた血滴が、圧縮詠唱の下に黒鎖の奔流と化す。畳み掛けるは無数の呪詛。だが、右方から何らの逡巡なく放たれた閃光が、フィクサード達を蝕む呪縛を掻き消した。 「……当然、居るわよね」 「ご同業ってわけか」 己と対峙する剣士がクロスイージスであると察し、快は鼻を鳴らした。自他共に認める『盾』たる自分がソウシを抑えるつもりだったが、敵の動きが一手早かったのだからしょうがない。拓真はそう簡単には倒れない、と確信してこその余裕である。 「悪いけど取り込み中でね。またの機会にしてくれると嬉しいんだけど」 おそらくは壮大な囮として仕掛けられたのであろう、魔法生物どもの三高平襲撃。然程の強さではないとは言え、市街地の混乱は想像に難くない。 そうでなくても、欧州の事件やペリーシュの手の暗躍など、忙しいどころの騒ぎではないのである。 「退かないというなら……片付けるまでだ!」 自らの内に在る神の声が示すままに荒れ狂う。猛る咆哮。敵は全て叩き潰すという強烈なる意思表示は、彼のみならず仲間達を奮い立たせる加護となる。 「ここから先へは進ませないよ!」 肩を並べる『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)もまた、断固たる意思を全身で示していた。彼にとっては、あの魔女ですら守護すべき対象なのだろうか。その手の届く全てを守り抜くと誓った青年は、激戦の予感に実を奮わせるのだ。 「僕はあの人を守りたい。その為に戦うんだ!」 ぶん、と脚を振り抜けば、恐るべき速度で削り取られた空間が真空と化す。急激に収縮する大気。それは、不可視の刃となって至近距離の大男に喰らいつく。 黒装束を斬り裂いて生まれたいくつもの傷が、小さく血飛沫を上げた。だが、大斧を握る雄敵はそんな傷に頓着せず、悠里の頭上から得物を振り下ろす。 「……くっ!」 ゴッ、という鈍い音。横合いから刃に手甲を叩きつけ、かろうじて直撃を避ける。だが、拳一つで勢いを殺すなどという離れ業を披露するならば、かかる負荷もまた相応。思わず漏れる呻き声。白銀の篭手に曇りはなくとも、その内側は深刻なダメージを受けていた。 「悠里さん、待ってて今すぐ!」 後方に控えた『尽きせぬ祈り』アリステア・ショーゼット(BNE000313)が、杖を両手に握りそっと目を閉じる。戦場には似つかわしくない所作かもしれない。しかし、幾千幾万と繰り返してきたその行為は、この喧騒の中でさえ彼女の精神を深い祈りへと導いた。 「皆を、守りたいから」 アリステアを中心にして涼やかなる風が吹く。高位存在が齎す癒しの息吹が、悠里だけでなく仲間達が早々に受けた傷を和らげていった。 無論、悠里を癒す為だけならばあまりにも過剰な力である。だが、そうするだけの必然性があった。アリステアが積み重ねた経験が、そうしなさいと告げていた。 つまり。 「一対一を、狙ってるの……?」 ソウシを含むフィクサード九人中、突撃に参加したのは実に七名。その六人までもがリベリスタによってブロックされていた。いや、『させられていた』。 早々に氷璃までを動員し、もはや前衛陣でフリーなのは初期位置の関係で接敵しなかった『blanche』浅雛・淑子(BNE004204)一人しか居ない。 そして、壮絶なる殴り合いの結果は、陣形の混乱と前衛陣へのダメージという形で早々に顕在化していくのだから。 「土御門・ソウシ、息災のようで何よりだ。こちらも君のおかげで無事生きている」 強気に張った声が戦場を渡る。最後衛に位置する『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)が、両の手に符を構えながら呼びかけていた。 「そいつはどうも。感謝ついでに通してくれるとありがたいんだがな。あんたらと好き好んでやりあいたいわけじゃない」 「土足で踏み入れるような不躾な来客を、歓迎するつもりはないが?」 相変わらずのソウシを見据える雷音の眼は、しかし強気の中に幾分かの硬さをも感じさせていた。倫敦の戦いで共闘を持ちかけながらも胆を据えられなかった記憶は、未だ薄れてはいない。 今度は紛れもない敵として、再び戦場でまみえたのだ。もう迷わない。ソウシの姿を見た時から、そう決めていた。 「ここを通すつもりはない。大将の元に帰ってもらうのだ!」 ばっ、と符を周囲にばら撒いた。風に乗って舞うそれらは雷音が印を結ぶと同時に激しく燃え上がり、炎の鳥――朱雀を象る。 「來來、朱雀!」 四方へと羽ばたく炎鳥が、フィクサードをその懐に抱いて次々と爆ぜる。だが、そう彼女が狙ったか、ただの一羽もソウシに向かう事はなかった。 「なんとまぁ、サービスのいい事で」 「こいつの後で俺がぶちのめしてやるから、黙って待ってろ!」 軽口を叩く余裕があるソウシに吼えて、虎鐵は眼前の敵へと漆黒の太刀を横薙ぎに払う。相手は体術に優れた覇界闘士と知れていた。ならば、と深く踏み込んだのが功を奏したか、鋭い斬撃がまずまず深い手傷を敵に刻む。 「雷音が受けた借りを返してやる。地獄なんざ生温いって思わせてやるよ」 冷ややかな鋭さと業炎の如き覇気。その両方を純粋なる殺意に昇華させ、元フィクサードは更なる一撃を加えんとする。 もとより、何者にも怯まぬ戦気を纏い、前へ、ただ只管に前へと突き進むのが虎鐵という男であった。しかし、今日この戦いで見せる覇気は、性質というだけでは足りない。やはり、最愛の『娘』が倫敦で受けた仕打ちを思えば黙っては居られないのだろう。 「先にテメェだな。ここからは生きて通れるとは思うなよ?」 「おお、気合入ってんなぁ。それじゃ、俺もちっと踊りますか!」 ソウシが左の掌を一杯に開き、陽光を遮るかのように天に翳す。一瞬の後、何人かのリベリスタががくんと身を震わせた。『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)、拓真、そして淑子。身体を貫く不可視の糸が、彼らの動きを絡め取る。 「通じませんわ」 だが、ひとり淑子は優雅なる振る舞いを崩さない。白きドレスのような戦闘服を淡く輝かせるのは、彼女に宿る英霊の幻想。闘衣の加護は、気糸如きの干渉を許さないのだ。 (――お父様、お母様。どうかわたし達を護って) いつもと同じ、今はもう居ない二人への祈り。厳しい戦いに臨む時、彼女はそれを忘れる事は無い。僅かに彩づいた白い髪を、ふと撫でられる感触。 さあ、行こう。全ての敵を屠る為に。全ての敵を屠る為に。 「アークに、どんな御用向きがお有り?」 彼女が選んだターゲットは、土御門・ソウシその人である。快が相手取るクロスイージス、後衛へと抜けた一人、或いは氷璃が身を挺して止めたナイフ使い。数を減らすという定石、そして唯一フリーの前衛という立場から言えば、むしろ優先度は最低のはずたったが――しかし、彼女にはそうするだけの理由があった。 「新城さん!」 「ああ……!」 拓真は十一人中唯一のエネミースキャンの使い手である。この場に集ったリベリスタ達がいずれ劣らぬアークの実力者である事を鑑みれば、手の内は半ば割れていると見ていいだろう。敵の構成が不明であるという不利を、覆しておく必要があった。 「本命を投じるには、随分辺鄙な所を選んだものね。あなた方の『大将』さんがご執心になるようなものなんて、あったかしら」 白光を纏いし大戦斧を、重量など感じさせぬ軽やかさで振り下ろす。身を翻すソウシ、しかし肩を掠めた刃は衣装ごと彼の肉を裂いていた。 もっとも、淑子の狙いは攻撃だけではない。朱のかかった薔薇の瞳が、黒衣の男の心中をモノクル越しに読まんと細められる。同時に、ソウシのプレッシャーを外れた拓真が敵の力量を把握せんと素早く視線を走らせた。 だが。 「何も……読めない?」 ソウシだけではなく、その部下もまた、である。二人が見せた戸惑い。それは実力者を前にした状況ではあまりにも大きな隙だった。無論それを見逃すソウシではなく、短く握りこんだ愛刀を少女へと突き入れる。 「――Amen」 迫る切っ先。なれどそれは少女に届かない。後方より飛来した『銃弾』が、男を直撃し爆ぜたからだ。ちっ、と後ずさるソウシ。 「土御門・ソウシ」 狙撃手、すなわち『Matka Boska』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)は、倫敦以来のこの男を感情の篭らない目で見据えていた。 アークで揉まれ、また数々の敵と対峙する事で、かつての自分とは比べ物にならぬほどの『揺らぎ』を得た彼女である。だが今はそれを意識して押し殺していた。勁く(つよく)なければならなかった。 あの地下の戦いで仲間が目の前で斃れていった光景は、今も脳裏に焼きついている。 「さあ、『お祈り』を始めましょう。大切な方々の住む大切な街で」 それは決してリリが『以前』の自分に戻った事を意味しない。 彼女は、彼女が愛する街と、大切な仲間を守る為――二丁の銃を握り締め、そうあれかしと願ったのだから。 彼女自身が、そう祈ったのだから。 ● 「そら、よっと!」 ひ弱な得物なら両断せんばかりの剛剣が、快の左腕、その表面にナノマシンによって展開されたフィールドを打つ。無論、易々と両断される彼ではない。しかし、もはや鈍器と呼ぶべき大剣の衝撃は、彼の全身にみしりと悲鳴を上げさせる。 体が浮いた。一瞬の後、背中に走った衝撃に、弾き飛ばされたかと快は理解する。 「ラグビーの試合相手にもここまで強烈なのは居なかったよ」 下手な冗句を口にしながらも、跳ね起きる快。いや、それだけではない。跳ね起きると同時に強く地面を蹴った彼は、開いた間合いを一息に詰め切ってみせた。 「今度はこちらからだな!」 手にしたナイフが眩く輝いた。目も眩むほどのその光は、悪しきものを浄化せんとする神の意思。得物へと魔力が吸い込まれるのを感じるほどの燃費の悪さ故に、連打は効かぬ大技である。だが、聖戦の加護は力を振り絞れと彼を後押しし、体力のみならず気力すらも湧きあがらせるのだ。 一閃。敵手の着込んだアーマーのプロテクターが、遂に切り裂かれて弾け飛ぶ。 (なんて硬さだよ) 守護神などという大層な渾名を奉られる身である。当然ながら、一度や二度の被弾で薙ぎ倒されるほどひ弱ではない。 だが、受ける衝撃も、相手の耐久力も相当のものである事は確かだった。一対一を続けていては、勝負の行方は彼にも判るまい。 「ちっ……、重いな」 覇界闘士の拳をまともに喰らった虎鐵もまた、同じ感想を抱いていた。舐めていたわけではないが、小柄な相手にひよっこの拳骨程度と軽く見る気持ちがあったのも否めない。 「まったく、こんな時に余計な手間させんじゃねぇよ」 だがそんな僅かな甘えはあっけなく吹き飛んだ。ならばこの先は、真に冷徹なる戦士として戦うだけだ。共に征くは斬魔の太刀。数え切れぬほどの血を吸ってきた黒刃は、いま護る為の力として傍らに在った。 「小難しく考えるのは俺の仕事じゃねぇからな。全力で征くぜ!」 迸る闘気を得物に纏わせ、風斬り音を立てての一閃。反撃を恐れぬ踏み込みは、決して浅くはない斬撃を男に見舞う。 (……とはいえ、これはちょっかいを出す、というレベルではありません。アークに対する本格的な侵攻と言ってもいい) 後方から全体を俯瞰するレイチェルは、虎鐵ほど明快に思い切る事はできない。一時は共闘の構えさえ見せたというソウシ――あるいはその背後に居るものが、どんな意味を、どんな意図をこの戦いに籠めているのか。 「気になるところ、ですが……」 小さく首を振る。考えたとて、今は判るはずの無い事だ。 もう一度全体を俯瞰すれば、プロアデプトらしき軽戦士の変幻自在な攻撃に霧也が手間取っているのが目に付いた。これは、とレイチェルがはしばみ色の瞳を見開き睨みつければ、敵の動きが目に見えて鈍る。 「後は、淑子さんですね……」 雷音までがブロックに参加した現時点で、自由に動けるのは自分以外にはリリと癒し手のアリステアしかいない。できれば拓真と共にソウシを相手取る淑子を他のフィクサードに当て、氷璃か雷音を友軍に回したいところだった。 (まずは、数を減らさないといけませんのに……!) そして、淑子も状況をよく理解していた。だが、彼女の側にもそうは簡単に退けない事情がある。 「ほら、動きが鈍ってきたぜ!」 ソウシのトリッキーな剣捌きの前に、英雄の闘衣は既に霧散していた。察して前に出た拓真に合わせて下がろうとすれば、絶妙なタイミングで不可視の糸が飛び、彼女の意識を戦場へと引き戻す。 「いけませんわね。戦いの場といえど、女の子は優雅でなくては」 そう口にはしつつも、クレバーな全体最適など思考の靄の向こうに消えてしまっている淑子である。大斧を軽々と振り回す様は舞のように美しくとも、目の前のソウシ以外が見えていない戦いぶりはまさしく狂戦士のようだった。 「淑子! ……くっ、読めたぞ。すり減らしていくつもりか」 「ご名答。一人抜ければ十分だろ? あの工房に魔女は居ないしな!」 拓真の推測。おそらく、他の八人は倒れない事と、そしてリベリスタの足止めだけを考えていればいいのだ。トップクラスのリベリスタと渡り合える実力があるならば、下手に総力戦を仕掛けるよりも分散して戦えばいいという理屈である。守る側であるリベリスタは、その挑戦を無視できない。 そして、突破口を担うのは『わざわざ真っ先にブロックされた』ソウシである。認めなければならない。拓真達二人掛りでさえ、かろうじて耐えるのが精一杯なのだ。 だが。 「アレの手を煩わせる必要が無いというだけだ。お前達全員でかかっても、勝てるかは危うい相手だろうに」 魔女と工房。その二つのキーワードを殊更口にしたソウシに、拓真はあえてかまをかけてみせる。だが、彼は何を今更、とばかりに鼻で笑った。 「ねぇよ。魔女の狙いを考えりゃ、自分の工房で全力出して戦えるわけがねぇ。罠や守護者ならともかく、本人が居るならここに出てくるさ」 知ってるんだろ、それくらい? 黄金の剣とガンブレード、二振りの殺意を捌きながらそう言う敵手を前にして、押し黙る拓真。 (あの女が何を考えているかは判らないが……こいつらは、工房にそれだけの価値を見出しているという事か) (安心できる住処が欲しい。存外に、これだけはあの嘘つき魔女の本心なのかもしれないな) ソウシの口から出たのは、予想通りの魔女というキーワード。離れた場所でそれを耳にした雷音は、だがそれ以上の思索を許されない。 「こっちを向くのだ、鬼さんこちら!」 ドレスのひだから取り出した符を投じる間にも、彼女は地を蹴り翼をはためかせて距離を稼ぐ。纏わりつく鴉の式神に激高するフィクサードが、その後を執拗に追っていた。無論、一撃を避けうるものではないが、だからと言って足を止めて殴りあうのはぞっとしない。 「一人だってこの先には通さないのだ!」 それこそが最終ラインの役割である。その意味では、雷音は役目を誠実に果たしていたのだが――残念ながら、状況は不本意に過ぎた。 朱雀の召喚による攻勢と、仲間達のサポート。後衛に在って最大限に活かされる彼女の本領。しかし現実は、敵と味方の一対一交換に過ぎないのだから。 けれど。 (時間を稼ぐのだ。そうしたら、きっと) いつ見えるか判らないゴール。それでも、彼女は兄を信じている。 「そう、やっぱり工房が目的なのね。でも、その目的は今果たすべき事かしら?」 一方、時に敵の刃をまともに浴びてすら、氷璃は会話を試みていた。もっとも、敵の動揺を誘えればいい、という程度のものであるのだが。 「貴方達は名を売らずに暗躍したがっているわ。他の組織に潜入するのも、数だけの軍勢で無謀な襲撃を装うのもその証拠よ」 そんな貴方達が私達を捻じ伏せて目的を果たす――その事実は、神秘界隈に知れ渡るでしょうね? そう告げながらくるりと回すパラソルは、余裕ぶった演出というものである。 「目的と手段だろ? 今ここで退くなら意味が無いさ」 意外にも答えを返した青年が、次の瞬間、いとも簡単に――パラソルの作る影の下まで――間合いを奪った。ナイフが符の護りすら貫いて氷璃の腹に飲み込まれ、そして引き抜かれる。黒と青のドレスを更にどす黒く染める、彼女の血。 「さあ、道を開けてくれ、魔女の犬!」 「……っ、気が短いのね」 魔力の矢を牽制に放ちながら、浮き上がったままで後退する氷璃。小さく悲鳴を上げたアリステアが、慌てて詠唱を開始する。 「お願い。皆を守る為の、力を貸して……!」 その祈りは、派手に目に見える何らの奇跡をも起こさなかった。吹き抜ける風も、眩い光も、天上の音楽も震える地響きも何もかも。ただ、空気の質が変わった。どろりとした、密度の濃い感覚。それは、周囲のマナが流れ込み、彼女を中心に濃密なる魔力に満ちた空間が形成された証である。 氷璃の、或いは他のリベリスタ達の負った傷が急速に塞がっていく。肉が盛り上がって出血を止め、塞いだ傷の上に皮膚すら再生する様は、まさしくアリステアの祈りに『神』が応えた奇跡であった。 「ここを通すわけにはいかないの。止めて見せるよ」 強い意志を秘めたラベンダーの瞳が、迫る敵を射抜く。それは幾つもの戦いを経て少女が得た覚悟であり、少女が失ったやわらかさであった。 優しいだけの祈りは、願いは届かない。そう知っていて、なお。 「もしホリメだからって甘く見てるなら、それは間違いだって教えてあげる」 「一人でだなんて、思わないでくださいね」 そんなアリステアにかけられる声。同時に響いた聖別の銃声は、リリの二丁が世界を穿つ咆哮だ。 「抜けさせません。躱させません。これが私の魔弾、『私の』祈りです」 射抜けぬもの無き魔弾が、唸りを上げて男を襲い、そして貫いた。腿を撃たれた彼は膝を突くには至らなかったが、しかし決して浅い傷ではない。 「大々的に出たからには、それなりの目的があるようですが……無駄足にさせて頂きます」 明言しないのも今更だ。ソウシ達の目的は魔女自体ではなく、その工房にある。問題は、そこで何をするつもりなのか、そこに何があるのかだろう。 (そう――彼女は塔の、裏切りの魔女) 息を一つ吐くリリ。アシュレイの『何か』は、おそらくアークにとって有益なものではあるまい。むしろ、彼女を守り続ける事が破滅への階段を上る事に繋がりかねない、というおぞましさすら感じてしまうのだ。 先に魔女の犬、と叫んだフィクサードが、油断無く得物を構え今にも彼女達に飛び掛らんとしている。リリは言い返す事なく、ただ唇を噛んだ。 (アシュレイさんは、『その時』が来たらアークを裏切るだろうね) 魔女への評価は、悠里も似たようなものである。全面的に信用しているわけではない。むしろ、いつかは再び戦う事になる、と予感じみたものさえ感じているほどだ。 「……けど、優しさも感じてはいるんだ」 かつて死地に囚われた恋人を救い出して貰った恩義がある。けれどそれだけじゃない。あの魔女には、冷徹なまでに全てを利用して目的へと突き進む面と、人間らしく揺らぐ感情を持つ面の両方があると思っていた。 「いつか敵同士になるとしても、それまでは友達と思っていて良いよね」 友達。 その言葉一つで、彼は戦場に身を置く事ができた。その言葉一つで、彼は死闘へと飛び込む事ができた。それを甘さと呼ぶのなら、そう呼べば良い。 「だから、ここは通せない! 通すわけにはいかない!」 バトルアックスを振り翳す狂戦士へと、目にも留まらぬ速さで拳を突き入れる。白銀の手甲を覆っているのは、氷原狼譲りの強烈な凍気。殴りつけると同時に凄まじい速度で広がっていく氷の拘束が、フィクサードを氷漬けにするのであった。 ● 激突する両軍。あえて散開したソウシ達の前に、リベリスタの戦術は行き詰っていた。 相手に狙撃を得手とする者がいれば、あるいはアリステアが早々に倒れていたかもしれない。逆に敵の癒し手が重鎧を着込み防御を固めていなければ、リリと氷璃の攻撃で倒す事ができたかもしれない。 だが、それはもしも、の話だ。膠着状態は続く。そして、最も高い負荷を耐え凌ぎ、けれどついに均衡を崩したのは、大駒――土御門・ソウシに挑む二人であった。 「新城さん、こちらから参ります」 幾度かの挑発に我を忘れながらも、自分を取り戻した淑子。だが彼女は結局、拓真と共にこの強敵へと当たる事を選んでいた。 局面を把握していたソウシが、彼女の離脱を阻んでいたという事情もある。だがそれ以上に、淑子自身、彼女の戦士としての経験と本能が、この場を離れる事の危険を全身で叫んでいたのだ。 然程に長い時間打ち合ったわけではない。だが、迫る破局を掻い潜るような戦い方を強いられているのである。二人とも、とうに運命の盾など使い捨てていた。 「お気をつけあそばせ、アークは守ると誓ったものを決して見捨てませんわ」 「あの女の何がいいんだか、なっ!」 戦斧を振りかぶり、攻め入る構えを見せる淑子。しかし、曲刀で受け流そうとしたソウシを襲ったのは、彼女の斧ではなく。 「戦闘中に余所見とは、舐められたものだな」 もう一人の戦士、拓真の声。みしり、と筋肉が悲鳴を上げる音。ソウシが振り返る間もなく、莫大な闘気と限界を超えて膨張した肉体によって放たれた斬撃が彼を襲う。 「ち……いっ!」 狙い通り自身をフェイントとし、淑子は更に追撃をかけた。ひゅん、と軽い音を立てて――敵する者を破砕する凶器が空間を抉り取る。 いや、抉り取ったのは空間だけではない。飛び退ったソウシは、しかし無傷ではいられなかった。弾け飛ぶように吹き出した鮮血。寸時の後には後方に控えるホーリーメイガスが癒すにしても、到底無視できるダメージではない。 「勘弁してくれよっての、ガチでやるのも予定外だってのに!」 反撃。突如全身に圧力がかかったかと思うと、ソウシを中心にして渦巻く『思考』の奔流が二人を引き裂き、そして弾き飛ばす。 どう、と叩きつけられる拓真。だが、攻撃はそれだけでは終わらない。身を起こさんとする彼に迫るのは、刃を突き出した黒衣の姿。 「寝ててくれよ、頼むから」 鮮やかなる追撃。飾り立てられた曲剣は、拓真の胸へと吸い込まれ。 「……此処は三高平だ。例え俺達が敗れても、逃さんように手を打つ事は出来る。……それとも、此処で決着を……付ける気か」 返事を聞く事もなく、彼は意識を手放した。得物を引き抜いたソウシは、ふぅ、と溜息を吐いて、そのドレスを土に汚した淑子へと向き直る。 「わたし達が、それまで護り切れないとは思わないでくださいね」 「それでも、俺達は退く訳にはいかないんでな」 その表情に、常の洒脱なる余裕は無い。 「拓真!」 相棒とまで呼んだ友が討たれるさまを、悠里は視界の端に捉えていた。だが、思わず駆け寄りそうになる自分を必死に抑え、彼は対峙する重戦士へと神経を集中させる。 「さっさと君を倒してみせる!」 「それはこっちの台詞だっ!」 巨漢の一撃。斧というよりはむしろ闘気の塊を、何らの躊躇も手加減もなく横薙ぎに叩きつけた。 避けられないと判断したか、悠里は篭手をクロスさせ、その衝撃を受け止める。みし、みしという音。全身を駆け巡る苦痛。 「馬鹿力……めっ!」 だが、踵を半ば土の中に埋めて踏みとどまった悠里は、痛みに構わずその脚を前へと送る。尽きようとしている全身の気力を奮い起こし、手甲に絶対零度の氷を纏わせて。 顎を捉えた拳。強烈な凍気に全身を凍てつかせ、しかし戦意を失う素振りも見せない強敵に、肩で息をする悠里は取っておきの台詞を投げつける。 「生きて帰れたならラスプーチンに伝えてよ。僕の友達に手を出すなら、黙っちゃいないって」 「何を言っているのか、意味が判りませんね……というのも今更ですか」 誤魔化そうとして思い直し、レイチェルは肩を竦めた。相手の方から魔女だの工房だのと口にしている以上、隠したところで意味が無い。 (彼らの目的とは一体……そして、アシュレイは一体何を) だが、全てを口にはしない。会話の端々から察するに、どうやら、ソウシ達はアーク側もある程度事情を知っていると考えているようだ。 駆け引きを行うにはまだ判断材料が足りない。こちら側の事情を素直に話しても理が無いのなら、情報を漏らさないほうがマシだとレイチェルは判断していた。 「いずれにしても、今はまず彼らの撃退だけを考えなければ」 そして、思索にふける贅沢も彼女には与えられていない。前線の指揮こそ今まさに敵と渡り合っている雷音に任せても、全体を俯瞰して判断を下す事が出来るのは彼女だけなのである。 「戦場のマエストロの本領、見せてあげましょう」 耳をぴんと立てたレイチェルが狙うのは、悠里がカウンターで手傷を負わせた斧の重戦士だ。積み重なっていく疲労は快の加護で誤魔化しながら、少女は朱色の瞳に魔力を籠める。 「まぁ、その通りね。下手に引き伸ばして『大将』のコレクションでも持ち出されてはかなわないわ」 同時に、氷璃の放つ血の黒鎖が、この戦士やリリと向かい合うナイフ使いの青年へと襲い掛かった。 「蒼の聖域は、全ての敵を、一切の悪を逃がしはしない」 援護された形のリリもまた、聖別されし銃をフィクサードへと突きつける。 「貴方は私の敵ですか。この世の悪ですか」 「互いに譲れないのなら、敵と呼ぶしかない。判っているだろう?」 冷徹なまでに厳しい声で浴びせる彼女の誰何を、ナイフ使いは落ち着いた声でいなす。先ほどの氷璃とのやりとりといい、会話が出来ないわけではなさそうだったが――。 「……ええ、判っています。制圧せよ、圧倒せよ――!」 ここに至り、真に彼女は眼前の『敵』を斃す事を決意する。ならば、只々引鉄を引き続けるのみ。二丁の銃が無数に吐き出す魔弾が弾幕となって戦場を覆い、そしてフィクサード達を撃ち貫く。 (あの工房の調査が出来るならいいのですが……) 無心の銃撃、その中で生まれる迷い。現時点では手が出せないと知っていて、リリはそう思わずには居られないのだ。 (閉じない穴も、今の我々の知識をもってすれば或いは――?) 「お前達のリーダーは、あの技をまだ使わないようだな」 執拗に追ってくる長剣の軽戦士。その剣捌きから、ソードミラージュだろうか、と雷音は当たりをつけていた。ならば遠距離攻撃は不得手なはずだが、とはいえ空高く飛んで逃げるわけにもいかない。 「喜ぶがいい、お前達は頼りにされているのだ」 軽口めいた揺さぶりをかけてみるが、剣士は一言も発することはない。彼自身の性質もあろうが、小揺るぎもしないのは指揮官への信頼ゆえか。 「つまらない男だな。來來、朱雀! 燃え尽きてしまえ!」 ばら撒いた符がまたも燃え盛り、鳥を象った。炎の翼を広げた式の群が、追跡者のみならずフィクサード達を襲う。 (……、もう少し耐えろよ) 振り返りたい衝動を必死で抑え込む虎鐵。雷音が傷ついて帰ってくる度、彼女を傷つけた愚か者に烈火の如き怒りを抱くのが常なのだ。ましてや、今まさにすぐ近くで危地に陥っているというのなら、何もかも捨てて駆けつけたいのが本音である。 「だがな、作戦は作戦だ。きっちりやらせてもらうぜ」 物騒な笑いを浮かべれば、対峙する拳士もまたニヤリと笑い返す。もとより腹芸は苦手なのだ。戦闘狂という訳でもないが、交渉だの情報収集だのと頭を悩ませるよりは、太刀で語ったほうがよっぽど楽でいい。 おそらくは、相手もそういう性質なのだろう。血を流し、流させ、最後に自分が立っていればいい――そういう類の馬鹿だ。 「俺はただ只管に敵を倒すだけだから――なッ!」 防御など考えるな。肉を切らせて骨を断て。迸る気合と共に、獅子護の太刀を闘気が包む。 ぐ、と振り抜いた。手応え。一瞬遅れて、温かなどろりとしたものが頬を濡らす。見れば、黒衣の剣士の胸が大きく裂け、盛大に血を流していた。 仕留めた。もう間に合わない傷だ。――だが。 「させるか……よっ!」 膝から崩れ落ちようとした男が、強く血に足をついて踏ん張った。瞬時の内に血が止まる。決して無傷とは言えず、むしろ満身創痍に近い身体だが、ともかく拳士は再び戦う意思を見せていた。 虎鐵は不意に気づく。運命の加護を燃やして戦うのは、何も自分達だけではないという事を。ならば、次に来るのは唯一つ。 反撃だ。 「さあ、来いよ」 歯を食いしばる。一瞬の後、杭打ち機かというほどの掌打が彼の顔面を直撃した。 「……っ、天上の光よ、地より吹く風よ、私に力を貸して……!」 間断なく傷ついていくリベリスタへと捧げられるのは、白き少女アリステアの祈り。前衛達が幾百の敵と斬り結び、後衛の狙撃手が幾千の銃弾を放ったように、彼女もまた幾度となく癒しの力を呼び起こし、仲間達を支えていた。 だが、それがルーチンワークになる事は無い。アリステアは、味方を癒してすら齎される痛みをもう知っている。癒す力は即ち傷つける力だと知って、それでも彼女は癒し続ける事を選んだのだから。 (守る、かぁ……) 人は、誰しも何かを守って生きている。例えば、彼女がたった今、癒しの力を用いて虎鐵や雷音を――つまり仲間を守ったように。 (何百年も時を重ねて、あのひとは何を考えているんだろう。何を守りたいんだろう) けれど、アリステアにはアシュレイが何をも護ろうとしていないように思えてならなかった。本当の目的なんてご大層なものより、もっと大切なもの。時を重ねる事で、見えなくなっているかもしれないもの。 「いつ死ぬか分からないから、だから今日という日が大切なのに」 「けだし名言だね」 激戦の最中には似つかわしくない呟きは、風に乗って快の耳朶へと運ばれる。確かに、アシュレイはそんな存在なのかもしれない……とまで思考を進め、しかし彼はそれを自ら打ち消した。 彼の目の前には、倒さなければならない敵が居るのだから。 「悪いが、こっちも守るのが仕事でね。君達も事情があるだろうけど、是が非でも退いてもらう」 「ならば押し通らせてもらおうか」 フィクサードの剣に宿るのは、いみじくも快と同じ、あらゆる魔を祓う鮮烈なる神気。小回りの利くナイフに注意を払いながらも、男は一息に距離を縮め、真っ向から斬り付ける。 「そいつは……通らないぜ!」 啖呵を切った快。だが、避けられないと瞬時に悟る。迫る長剣が見せる、必殺の未来。 けれど、彼には自信があった。だから、それほどに鮮やかな一閃をもあえて左腕で受け止める。 そして。 ガキン、と鋭い金属音が響く。同時に放たれた神気が、彼の肌を容赦なく灼いた。だが、まともに浴びたわけではない。まだ十二分に戦える。 「俺の力は、誰かを守る力だ。この三高平で、勝手を許しはしない!」 もっと。もっと広く。もっと遠くまで。輝けるオーラを宿らせて、快は手に馴染んだ護り刀をフィクサードへと突き立てる――。 敵も、味方も傷ついて。 何人かは、運命の力を今この瞬間に注ぎ、戦場に踏み留まることを選んでいた。しかし、やがて流れはゆっくりと、しかし無視できない程度にソウシ達の側へと傾いていく。 そんな時であった。雷音のアクセス・ファンタズムが、無線を介して彼女の兄の声を届けたのは。 「そうか、良くやったのだ!」 それは、彼女らの誰もが待ち望んだ吉報。 「エイミルとやらは尻尾を巻いて逃げ出したのだ! 市内に溢れた魔法生物も動きを止めた! すぐに、ここにも応援が来るぞ!」 朗々と声を張り上げてみせる雷音。何を馬鹿な、という顔をしたソウシは、だがすぐに舌打ちをし眉根を寄せる。彼女の言葉が事実だと、彼は何らかの方法で知ったようだった。 「マジかよおい、もうちょっと粘れよ婆さん……!」 天を仰ぐ。あらぬ方を睨めつけるその表情に、普段の飄々とした雰囲気は微塵も残されてはいない。 「どうするよ、ソウシ」 問う仲間の声に、ソウシは未練げに工房を見やり、そして大きく溜息をついた。 「どうするもこうするもしゃーねーだろ。今から焦って力押ししたところで、無事に通れるのは半分って所だ。それだけやって家捜ししても、まだ終わりじゃないんだぜ?」 それじゃ割にあわねぇよ、と続けたソウシ。やや普段の調子を取り戻した彼はアークの面々に向き直り、というわけで俺達帰るわ、と言ってのける。 「それとも、お仲間が来るまでやってみるかい? 俺達もお前らも、今度こそただじゃ済まないけどな」 「……いえ、その必要はありません」 レイチェルが告げる。工房に近づけさえしなければそれで良かった、ということもある。だが、大なり小なり皆が抱くアシュレイへの微妙な不信感が、これ以上の危険を背負い、更なる戦果を求めることを忌避していたのだ。 ちらり、と快に視線を投げれば、小さく横に首を振っているのが見えた。淑子と同じく、思考を読むのは失敗したということだろう。 ● じゃあまたな、とありがたくない別れの挨拶を残し、彼らが戦場を去ってからしばらく。 当然付けられているだろうアークの追跡を撒く為に身を潜めながら、ソウシは撤退間際に直接脳裏に響いた『声』を反芻していた。 『時が来れば、私達もまた魔女と戦う事になる。問題は『閉じない穴』の制御方法なのよ』 『……なるほどな。なんで魔女の手下なんざやってるのかと思ってたが、そういうカラクリかよ。うちの大将なら、心当たりが有るかもな』 氷璃が声に出してではなくハイテレパスで直接呼びかけたのは、ある意味では適切であり、またある意味では悪辣であった。情報の隠匿を第一とした他の者達がこれを耳にしたならば、おそらくは彼女を力づくででも止めたに違いない。 「さ、これからどう動くべきかね、俺達は」 一人ごちるソウシ。丸サングラスを深く掛け直せば、その視界は見通しの悪いスモークに包まれていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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■メイン参加者■ | |||
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■状態:無傷 | ||
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