「自画像」に直面した韓国:「歴史の端境期」に起きた「セウォル号事故」の悲劇
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韓国で4月16日午前、修学旅行の高校生たちを含め推定476人の乗客乗員を乗せた旅客船「セウォル号」(6825トン)が珍島沖で沈没した。この事故は4月30日現在、死亡210人、行方不明92人という大惨事となった。事故発生以来2週間が過ぎ、行方不明者の生存の可能性は少なく、韓国全体が悲しみと、事故原因やその救助活動の不手際などに対する怒り、絶望に包まれている。
「2度とこんな国に生まれないで」
「姉さん、そして兄さん、もう2度とこんな国に生まれないでください」
「さようなら。 兄さんが、必ず悪い大人たちと最後まで戦って、2度とこんな悲しみが無いようにするから」
「汚い大韓民国。こんなに恥ずかしいことは初めてだ」
韓国メディアが紹介した、韓国の旅客船「セウォル号」沈没事故の後に、同船に修学旅行で乗った京畿道安山の檀園高校を中心に張り出された青少年のメモ(ポストイット)の中の文面の一部だ。若い世代の怒りや無念の表出だ。
この事故は多くの犠牲者を出しただけではない。韓国という国の在り方そのものが問われているといってよい。
韓国では過去にも多くの大型事故があった。過去の事故では、人々は事故後の「惨状」から事故当時の状況を想像したが、今回は異なった。今回の事故は事故発生直後の4月16日午前には、まだ横倒しになった船体がテレビで見えていた。次第に船の先端部分だけしか見えなくなり、沈没した。韓国民が見守る中で、事故の状況や救助活動の様子がリアルタイムで報道され、その船内に多くの高校生たちがいるのに、救助活動などのもたつきや不手際で、その若者たちが苦しみながら死んでいくことが予想され、国民全体がその悲劇を共同体験する形となった。
なぜ船長や乗組員だけが逃げ乗客が取り残されたのか、なぜあの船に救助隊が入り乗客に外へ出ろと叫ばなかったのか、なぜ高校生たちは船の中に留まったのか、みんなが自分の中で自問した。悲劇を生み出した、とてつもなく多くの要因を韓国民が自問自答し、その苦しみを自分の中で追体験し、哀悼や悲嘆は、憤怒となり、絶望となっている。多くの人々は、あたかも自分の子供たちを船室の中において、もがいている高校生たちを放置して、自分が安穏とした日常を送っていることに対して罪の意識すら感じている。
韓国からは「公務員だけでなく、普通のサラリーマンも会食をするのもはばかられる雰囲気だ」という声が聞こえてくる。
「事故共和国」
韓国では1990年代に大事故が相次いだ。1994年10月21日、ソウルの聖水大橋の中央部分約50メートルが崩落、橋を通行中の乗用車やバスが墜落し32人が死亡、17人が重軽傷を負った。完成してわずか15年の橋だったが、手抜き工事が崩落の原因だった。
その3日後の10月24日に韓国中部の忠清北道丹陽郡の忠州湖を航行中の遊覧船が炎上、30人が死亡・行方不明、33人が負傷した。
さらに12月7日にソウル市内の韓国ガス公社の地下ガス供給基地でガス爆発が起こり12人が死亡、32人が負傷した。同9日、忠清南道唐津郡の工場新築現場でクレーンが倒れ、作業員ら8人が死亡、2人が負傷した。
年が明けても4月11日に全羅南道和順郡で路線バスと列車が衝突、14人が死亡、20数人が負傷した。そして、同28日には大邱市の地下鉄工事現場でガス爆発が起き、100人が死亡し120数人が負傷した。さらに、6月29日、ソウル市内の三豊百貨店が崩壊し、502人死亡、負傷者900人以上という大惨事が発生した。当時、相次ぐ事故、災害に韓国は「事故共和国」「災害共和国」といわれた。
三豊百貨店崩壊の教訓
三豊百貨店の崩壊事故は今でも生々しく覚えている。事故が起きたのは勤務していた通信社での2回目のソウル支局赴任で、仁川港に引っ越し荷物を取りに行ったその日だった。仁川税関で荷物を受け取り、荷物を積んだトラックがソウル市西大門区の入居予定のアパートに到着した時、支局の運転手さんがやってきた。「すぐ、支局へ来てくれ。百貨店がなくなった」という。「百貨店がなくなったってどういうこと?」と問い返した。運転手さんは「本当になくなった。百貨店の両側の壁しか残っていない」という。携帯ラジオを付けるとアナウンサーが事故の様子を叫んでいた。引っ越し荷物の搬入は妻に任せ、支局へ行った。それ以来、長い取材だった。地上5階、地下4階の百貨店が一気に崩壊し、地下のがれきの中に100人以上が生き埋めになっているとみられた。手抜き工事やそれを黙認した当局などの複合的な理由による事故だった。メディアは、三豊百貨店は「手抜きタワー」だったと報じた。この時も、百貨店内部で亀裂などの異変が起き、危険を察した百貨店幹部が先に逃げ、何も知らない客や店員は取り残された。
事故発生後丸2日経って51時間目に24人ががれきの中から救出された。事故11日目、230時間ぶりに20歳の男性アルバイト職員が救出された。事故13日目には285時間ぶりに18歳の女性店員が、事故16日目にも377時間ぶりに19歳の女性店員が救出された。だが、今回の旅客船事故では「エアーポケット」もなく、現時点では、そうした奇跡の救出劇もない。
韓国では相次ぐ事故、災害のたびに手抜き工事やそうした欠陥をチェックできなかった行政の責任が問われ、その結果、1995年7月に「災害管理法」が制定された。
韓国では昔から「天災も王の不徳の致すところ」という感情がある。その上に、手抜き工事や行政の機能不全という「人災」が明らかになり、当時の金泳三政権は国民の厳しい批判にさらされた。三豊百貨店の手抜き工事やその安全管理はむしろ盧泰愚前政権の時代に責任があったが、金泳三政権はその非難を甘受するしかなかった。
20年前と変わらぬ構造的無責任システム
あれから約20年が流れた。今年の2月17日には慶州の山間部の体育館の屋根が大雪で崩壊し、体育館で新入生歓迎行事に参加していた釜山外国語大学の新入生が犠牲になった。10人が死亡し、負傷者は100人を超えた。この時も、これから青春を謳歌するはずだった若者が犠牲になった。そして、今回の事故だ。
旅客船「セウォル号」の事故では、その原因や救出のあり方について多くの問題点が指摘された。何よりも船長たち乗務員が高校生たちに「そのまま船室にいるように」と船内放送をしながら、自分たちは乗客を船内に放置して逃げ出した無責任さが事故の最大原因だろう。しかし、この事故ではそれ以外にも実に多くの問題点が指摘されている。利益優先の船舶会社の安全への手抜き、海洋警察の初動救助作業の不手際、行政当局の怠慢、乗船者数や死亡者数の数字すら二転三転する当局の不手際、当初「高校生全員救出」という誤報をして救出活動を混乱させたメディアなど、様々な無責任な行動や対応、不手際が露呈した。今回の事故で明らかになった問題点を書き出せば、それだけで何十項目にもなるだろう。
これだけ多くの問題点が指摘されると、今回の事故の問題点は単なる個別の原因だけで発生した事故ではないということが分かる。今回の事故は単なる部分的な誤りによって引き起こされたのではなく、「セウォル号」を取り巻く、韓国社会の総合的な欠陥が生み出した犯罪に近い構造的な事故だった。韓国の人々は、あたかも先進国入り間近に来たと思っていた韓国の内実が、約20年前の「事故共和国」「災害共和国」から何の進展もなく、いや、より無責任が構造化された社会に生きているという無力感にとりつかれている。
「ヌンチ」なしで生き抜けない競争社会
韓国の近代史を振り返ってみよう。20世紀初めに朝鮮王朝が崩れて日本の植民地となった。1945年に日本の敗戦で朝鮮半島は解放されたが、1950年から53年まで同族が相争う朝鮮戦争を体験した。
しかし、韓国は分断というハンデを抱えながらも、近代化を成し遂げ、1960年の4.19学生革命、1980年の光州事件などを経て、1987年の「6月民主化抗争」で民主化を勝ち取った。そして1988年にソウル五輪を成功させ、韓流を世界に発信する文化国家となり、国民1人当たりの所得も2万ドルを超え、貿易規模では世界10数位前後の国になった。外見的な数字では先進国といってよい状況だった。
しかし、韓国の人々は激動の歴史の中で、政府もメディアも信じず、生きてきたといってよい。
韓国語に「ヌンチ」という言葉がある。人の気持ちや状況の判断を素早くする能力のことだ。激烈な競争社会で「ヌンチ」がなければ、生き抜けなかった。先生の言葉を信じては、上司の言葉を信じては、上官の言葉を信じては生きていけない。自分自身の「ヌンチ」がものをいう時代が続いた。頼れるのは自分自身と家族などの肉親だ。そういう価値観が長く韓国人を支配してきた。そこにエネルギーがあり、躍動力があり、それが韓国を発展させてきた側面もあった。
しかし、韓国が先進国の入り口に差し掛かり、韓国がもはや、そうした「ヌンチ」で生き抜く社会ではなく、社会の各構成員が自らの責任を果たすシステムが必要な社会に変わり始めた。
今回の「セウォル号」の乗客の多くが既成世代であれば、他人を押しのけても生きていく価値観を身に付けた世代であれば、われ先に船室を抜け出し、甲板に脱出したであろう。しかし、韓国がシステムを尊重する時代になり、そのシステムを信じた高校生たちは「船内に残るように」といわれれば、それが最も安全だと信じた。その放送をしたのは船長など自分より経験も豊かで責任のある専門家なのだから、その言葉を信じるべきだという価値観を持っていた。
しかし、船長をはじめ、セウォル号の乗組員にはそうした責任感も専門性もなかった。大人がつくったシステムは外見上のもので、その中身は20年前の「事故共和国」「災害共和国」の体質と何も変わっていなかった。
システムを信じた高校生たちが、システムをないがしろにしていた大人たちによって死に追いやられたといってよい。システムを信じた高校生は死に、システムを信じなかった大人たちは生き残った。
朝鮮日報の李衛栽産業第1部次長は「韓国の恥ずべき自画像」と題したコラム(4月23日付)で、「ある意味、セウォル号の船長と船員は、恥ずべきわれわれの時代の自画像だ。責任と倫理に基づいた職業意識よりも、成功と生存だけが全てと強調して来た高度成長の後遺症だ」と指摘した。「韓国社会は『生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだ』と暗に教えてきた。家庭・学校・職場を問わず、犠牲と分かち合いよりも競争と勝利を強調し、清き失敗よりも汚い成功の方をモデルにして走ってきた」と自己批判をした。
中央日報は4月19日付社説で「韓国は『三流国家』だった」と自己批判した。社説は「世界7位の輸出強国、世界13位の経済大国という修飾語が恥ずかしく、みすぼらしい。木と草は強風が吹いてこそ見分けることができるという。一国のレベルと能力も災難と困難が迫った時に分かる。韓国のレベルは落第点、三流国家のものだった。あたかも初心者の三等航海士が操縦したセウォル号のように、沈没する国を見る感じであり、途方に暮れるしかない」と指摘した。
「目張り文化」と「隙間文化」
フォーサイト編集部からセウォル号事件について書くように求められた。韓国に10数年住んだ者として、この原稿は書くのが辛く、筆が進まなかった。
私が韓国での生活が好きだったことの1つに、韓国のある種のルーズさが自分の肌に合っていた部分があった。ある種の「いいかげんさ」は全てが悪いわけではない。日本のように何でもかんでもマニュアルをつくり、その範疇に人間が無理矢理はめ込まれるような社会と比べると、韓国のルーズな文化にはゆとりがあり、それはしばしば人間的であったりする。先述の「ヌンチ」文化とは、また違う文化的な特色である。韓国は激しい競争社会であると同時に、「隙間」もあった。日本の文化は隙間をなくす「目張り文化」だが、韓国の文化は隙間を残す「隙間文化」だ。日本では規則やルールにより「どうにもならない」ことが、韓国では「どうにかなる」ことが多い。
しかし、それが今回のような安全問題などでは決定的な非難されるべき要因となって機能する。ルーズさが度を超すととんでもない事故や災害になる。
人間的なゆとりとシステムの構築を調和させることは、それほど簡単なことではない。
韓国の人たちはその総体的な欠陥を含んだ「恥ずべき自画像」「三流国家という現実」と向き合わざるを得なくなっている。だが、韓国社会に蔓延したこの思考や姿勢を転換することは容易ではない。今回の事故で、むしろ「人の言うことなど信じてはならない。自分のヌンチで生き抜かねばならない」という風潮が強まる可能性すらある。
社会の諸構成員が自らの責任と役割を果たし、相互信頼の中で生きていく社会の建設は口でいうほど簡単ではない。だが、韓国はそのハードルを越えなくてはならない。社会の構成員が互いを信頼するシステムを再構築しなければならない。
「日本の恥ずべき自画像」
隣国は私たちを映す鏡でもある。日本の一部のメディアには「日本は一流国、韓国は三流国」という見出しが出る。韓国メディアの日本語版サイトの「大韓民国が一緒に泣いた」という記事に、「世界中が一緒に笑った」などという信じられない文章が書き込まれている。珍島の現地取材をしたジャーナリストの太刀川正樹氏は、日本のテレビ局のスタッフが海岸で悲嘆に暮れる女性2人にカメラとマイクを向け「日本の安倍首相の支援の申し出を断った朴大統領をどう思うか?」と問いかけ、2人の顔色が変わり、米国のCNNが慌てて日本のテレビ局を制止したとレポートしている。問われているのは韓国メディアの在り方だけではない。
日本の中に排外主義のウィルスが驚くほど広がっている。
死者107人を出したJR福知山線脱線事故や福島原発事故の処理ひとつをみても、私たちの日本が一流国家と言えるのだろうか。救助された高校生に無理なインタビューをした韓国のメディアも、日本支援についての無神経な質問をする日本のメディアも五十歩百歩だ。韓国メディアは自国の現状を「韓国の恥ずべき自画像」と自己批判した。私たちもまた、隣国の悲劇に優越感に浸り排外主義の感情を拡大させるなら、これもまた「日本の恥ずべき自画像」である。
執筆者:平井久志
ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。
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沈没船からの人命救出はきわめて難しく、
またそこで迎える死はあらゆる事故死の中でも最も苦しいもの。
敢えて言いますが、惻隠の情を大事にする日本人として、
外国の事とはいえ心から心配しています。ただし、この船長のやったことも、
当局の初動以後の対処も三流以下というべきもので、腹立たしいかぎりです。
そこで、
執筆されたこの方には、一言、言いたい。文末を「日本批判」で結ぶ必然性がない。
この事故と福島原発事故とは、同次元ものではない、一緒にする神経が理解不能。
それとも、この方は自己批判をしておられるだけなのか、
ご自分の本音である「排外主義」と「蔑視」を裏付けとして、
自分を断罪し、日本人全体を自分と同列に置いて恥じを引き受けておられるのか…。
余計なお世話ですと言わせてください。操船者、運航者、造船者等凡そ船を扱う者には高度な注意義務を負わせることが一流海洋国家の常識です。「目張り文化」じゃないと、船、航空機、原子力等文明の利器を扱ってはいけないのです。
「苦しんでる隣国への礼節」ねえ。東日本大震災後のサッカーの国際試合で「日本の大地震をお祝いします」の横断幕を掲げたのは誰でしたっけ?
筆者に聞きたい。嘘ばかりのこの国で、自称従軍慰安婦のお婆さんが100%本当のことを言っていると、韓国人はまじめに思ってるのでしょうか?
物証が何一つないのに大統領が全世界に性奴隷だと宣伝し、アメリカに慰安婦の銅像まで建てて、もしこれが嘘だったらとんでもないことになると、日本や普通の先進国なら思います。そうした声が一切聞こえないところが彼の国の異常性であり、こんな事故を起こす土壌です。
今回の事故で従軍慰安婦詐欺の危険性に気付かないようなら、どうせまた同じような事故を繰り返すでしょう。根っこは同じだからです。
ヌンチがどうとかではなく、リスク感覚の徹底的な欠如が問題なんじゃないですか? 北に休戦中の軍事政権があるのに日本やアメリカに喧嘩を売り、朝鮮戦争の敵方であった中国にペコペコするあの感覚。禁治産国家と表現するしかないでしょう。
この手のことを書くと嫌韓とか排外主義とかレッテル貼りする人多いですけど、ピント外れも甚だしい。これは事実の分析であり、まさにジャーナリズムの仕事じゃないのかなあ。
平井氏の韓国に対する愛情も感じられ、感銘を受けました。
苦しんでいる隣国の諸兄・諸姉に対する「礼節」も含めて、
世界中が、相互に、各国のジャーナリストの見識が
問われています。日本人が、皆「高い精神性」の持ち主でしょうか。
一方的に、どこかの国民性を「下劣」と断じる姿勢は、
残念と、小生個人は思う者です。
日本の国民は、悲劇的な事故に苦しむ隣国の皆に、何事か
支援することで、「高い精神性」を発揮できれば良いなあと
切望します。日本批判は意味がわからない。imomushiさんと同様、取材先に媚びているだけという印象。あと、日本人が韓国人に対して優越感に浸っていると考えているなら大間違いかと。なんか考え方まで韓国人みたい。
東日本大震災は日本人の高い精神性が世界に静かな感動を呼んだが、今回の沈没事故は韓国人の下劣な精神性が世界に嫌悪感を呼んだ。ローマ法王まで韓国をやんわり批判した。なにしろ登場するのは大嘘つきの自己愛性人格障害者ばかり。後先考えずに嘘をつき、結果、大損する。その連続。誰も何も学ばない。
信じられないのは、これだけ嘘と誤魔化しのオンパレードが明らかになった今に至って、「20万人の従軍慰安婦が日本の官権に強制連行された事実はないのではないか」とか「韓国の歴史教科書はデタラメではないのか」などの自省が全く聞こえてこないこと。結局、彼らは何も反省していない。またやるでしょうな。
…というような記事を書いたら二度と取材できなくなりますかね? 日経の鈴置記者らを見てるとそうでもなさそうですが。
この著者による論法は、数学でいうところの「三段論法」に似ている。
・第1段:「セウォル号」の事故
・第2段: 隣国は私たちを映す鏡でもある。日本の一部のメディアには「日本は一流国、韓国は三流国」という見出しが出る。
・第3段: 故に(「セウォル号」の事故は)「日本の恥ずべき自画像」である。「セウォル号」の事故にかこつけて、過去の韓国での事故を列挙しているが、とくにあげつらってもらわなくてもみんな知っていることばかりである。
「ヌンチ」と言う言葉と、その御利益をご教示いただいたことには、感謝しておきましょう。
「この原稿は書くのが辛く、筆が進まなかった」という枕詞は、どこに付されるのかと、読み返してみたが、どう読んでも上記「第3段」に付くとは思えない。「第1段」に付く枕詞と読んで間違いなさそうである(読み違えならご指摘ください)。
「辛く、筆が進まない」気分をどう晴らせばよいか? !そうだ、いいことを思いついた(第3段)、これで気分爽快、筆も進んだ。
韓国大使館も見ているし、中国大使館も見てくれているだろうから、一石二鳥。
『「大韓民国が一緒に泣いた」という記事に、「世界中が一緒に笑った」』などという「隙間」を断固許してはならない。
日本人の口に「目張りをするのが、我々正義のジャーナリストだ」。と、読めました。
ちなみに、上記3段論法は、数学の世界では成立しません。(日本の一部の)ジャーナリズムの世界では通用するのかも知れませんが。
「日本の恥ずべき自画像」のくだりが若干飛躍していると感じました。
一部の書き込みだけで、「日本の中に排外主義のウィルスが驚くほど広がっている」というくだりです。
まず、サイトに関しては、いい加減なことを書き込む人間は無数にいますし、日本語で書いていてもその国籍が日本人とは限りません。
韓国人のコメントは非常に激しいと聞きますし、量の比較なしにサイトのコメントを根拠にするのは不適切です。
日本のテレビ局の行為も、いまいち何が恥ずべきことか不明です。
日本人としては知りたいことではありますし、韓国のメディア等はもっと混乱しているように思います。
ここでも量の議論がありません。また、一流とか三流とかという議論も非常に感情的です。
そもそもマスメディアが一流の国などないと思います。
一流というのならどこの国が一流なのでしょうか?筆者は、「日本のように何でもかんでもマニュアルをつくり、その範疇に人間が無理矢理はめ込まれるような社会と比べると、韓国のルーズな文化にはゆとりがあり」と韓国を肯定しており、それ自体は私も理解できますが、筆者がまさにそのマニュアルに填まった考え方をしていて自己撞着を感じます。
偏った考え方の人はどの国でもそこそこいるのでしょうが、ほんの一部の人の行為で「日本の恥ずべき自画像」という大項目を立てるほどのことかどうかは、判断できないと思います。
なので、最後の章については、いささか感情的すぎるかと思います。
私的には、この報道については、大事故ではありますが、報道が多すぎると思っています。もっと重要なニュースを押しのけて何日も詳報するようなものではないという風に思います。
反感のバイアスがかかっていて読んでて頭が痛くなる記事が多い中、韓国の人たちがこの事件をどう受け止めているか理解の助けになる素晴らしい記事でした。
国民性の違いはありますけど、日本も40年ほど前は大事故が頻発してた記憶がありますので(天六ガス爆発、ホテル火災など)、今回の事件をきっかけに韓国の安全性への取り組みも良い方向に向かえばよいですね。
日本人としては、正直仲がよろしくないお隣の国が大きな悲劇に見舞われた時に、世界の一員として自分はどう振舞うのかという懐の深さも試されているんだと改めて考えさせられました。
「日本のメディアの無知さ・愚劣さ・三流」は同意ですが、それがイコール「日本の恥ずべき自画像」ではないと思います。ジャーナリストとかいう人間の思い上がりでしょう。
Foresightに、いいね があれば、躊躇なく押すとこですわ。
最後のくだり、ですよ。
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