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2014-05-03 高畑勲のレイアウト論 このエントリーを含むブックマーク

アニメーション、折りにふれて

アニメーション、折りにふれて

タエ子のいわゆる「しわ」について

[『おもひでぽろぽろ』は『火垂るの墓』の経験を踏まえ、ごく普通の日本人をありのままに登場させようと]

日本人を見事に造形してこられた彫刻家の佐藤忠良氏を連れだってお訪ねしたのもぼくたちの意欲のあらわれだったと思う。また、テスト作画の段階で「頬骨を動かそうとしている」と人にあきれられたことも、日本人(東アジア人)の顔を考える上で、頬骨の存在を無視したままにするわけにはいかない、というぼくたちにとっては当然の問題意識だった。


 近藤喜文氏は自分の作ったキャラクターならば、斜め仰向きの顔などどんなにむずかしいアングルでも感じよく描いてみせる自信(と責任感)を持っていた。また、普通の口まわりの表現でも、あごや頬の筋肉や骨をうまく使っていつもかなり自由に動かして表情を作ったし、口の線もただの線でなく、線に表情を持たせながら、俯瞰か仰角かで基本の湾曲を定め、つねに立体を意識していた。しかしその意識の仕方は、顔を石膏のような固い立体として律儀に捉えるというのとは違い、キャラクターを柔軟な肉でできた生身の存在として感じ、線と動きでその「実感を出す」ためだった。ただ、最後まで苦しんだのは眼の表現だったと思う。

 下を向いた眼を、まぶたの表現によってリアルに捉えすぎると、そこだけが妙に生々しくリアルすぎて浮いてしまう。また、まつげを太くして伏し目を表すと眼をつむっているように見える。まぶたがかぶさって白目の幅が狭くなったとき、明度が開いた眼と同じだと、白すぎて変に眼が飛び出したり光ったりしてイヤな絵になる。

(略)

『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』とリアルな表現が増すにつれ、近ちゃんは口だけでなくまぶたや眼についても、アングルによる湾曲や幅、あるいは眼球の球体を意識して実感を出そうとすることが多くなった。ただ、これを成功させるには、伏し目など、眼の幅が狭くなるにつれて白目の明度をうまく落として彩らせていく必要があったが、以後の作業の大変さを考えると、一部を除いてなかなかそこまでは要求できなかった。


 さて、本題のタエ子の「しわ」についてであるが、これはしわの問題ではない。筋肉の問題である。

井岡雅宏

 『アルプスの少女ハイジ』で、ひさしぶりに井岡さんと出会った。(略)[スイスヘのロケハン終了後の合流だったので]井岡さんはスイスの牧場やアルプスを見ないまま、写真などだけで仕事にかからなければならなかった。

(略)

[井岡が、どれくらいの省略デザインにすべきか、意見を求め]

全体ではなく部分を提示してきたことで、私は戸惑った。宮崎氏も同じだったと思う。スイスで見てきたほんものの大きな樅の木の印象は鮮やかに脳裏に焼き付いていた。井岡さんの枝ぶり・葉むれは、色のせいもあってどこかバナナか芭蕉の葉っぱのように見えた。井岡さんはテレビで実行可能な、程良いデザインを模索していたのだったが、こちらはあのスイスで見たものの実感がほしかった。そしてそういう方向が井岡さんは得意なはずだと思っていた。だから、バナナ葉的デザインに絶句したのだ。

(略)

 オープニングと第一話の完成試写が終わった後、職場に帰ってから、私は井岡さんに詰問された。「これでいいんですか」「あれでよかったんですか」彼は怒ったように言った。井岡さんは出来上がりに確信が持てなかったようだった。私は、うん、良かったと思いますよ、と答えたが、励ましの迫力はなかった。じつは私もすっきりとはしていなかった。

(略)

黄色味を帯びやすいグリーンを使わず、草地の基本色を一貫してひんやりした色系にするべきだということでは意見が一致していたにもかかわらず、エメラルド系をこうして見てみると、ある面積以上の色面はやせて見えて、草の生えているやわらかい質感・ヴォリュームを感じにくいことも分かった。また、山の生え際・立ち上がる山肌は、井岡さんらしい色合いでマチエルがつき、迫る山の大きさを出していたが、それでもなお、垂直に落ち込む単純な崖面が気になった。とにかくあれやこれや感じたことはあったが、手法的にはこれで行きたかった。長い仲間でもあった私たちロケハン組の三人に井岡さんが感じているにちがいない圧迫感なども思いやられた。結局、混乱しながら「良かった」と言ったものの、その態度のあいまいさは確実に井岡さんに伝わっただろう。未熟な演出だった。

 しかし井岡さんは試行錯誤を重ねつつ自分の力で次第に自信を深め、はじめは微妙なマチエルや暗部などに味付けとして使っていた独特かつ豊富な色使いはさらに大胆になり、はじめの頼りなさは消え、色が溢れだした。初期のどこか淡泊な印象は、いつしか深い青空、純白の雪山、色濃い木々、そして青味がかった草地という、くっきりしたいわゆるアルプスイメージを含め、全体に強い色合いへと変わっていった。線の描き入れも減った。ああいうかたちで井岡さんは吹っ切れていったのだと思う。

(略)

 多くの人がそう思うように、私も『赤毛のアン』が井岡さんの代表作だと思う。(略)

井岡さんは『赤毛のアン』の原作を愛していて、最初から自信をもって描きはじめた。その絵の特色は前述したとおり、タッチは荒く、筆あとも残り、明暗を同色で描かずに色彩で描き、自然の現実感を失わないまま装飾的で、色数が多いのに濁らず、しぶいのに空気は澄んでいた。そして気品があった。私ははじめからその出来映えに感嘆した。

(略)

 他の作品でのことだが、ラッシュを見て、歩きの動画がおかしかったとき、井岡さんが、ブック(セルの手前に置いて一部を隠す背景)を描こうか、と即座に提案したことを色彩設計の保田道世氏から聞いたことがある。井岡さんはいつも、美術だけでなく、作品全体のことを気にかけている人だった。

小田部羊一アニメーション画集

小田部羊一アニメーション画集

われらが同志、小田部羊一

 小田部羊一は、美しい線描と淡彩による人物群像画を得意とした日本画の巨匠、前田青邨の門下生である。そのせいか、毛筆を鉛筆に持ち替えてアニメーターとなってからも、その描線は美しく、彼のしなやかで簡潔な描画(ドローイングズ)にはほれぼれする魅力があった。それを彼は、日本画家らしく、背筋をぴんと伸ばして坐り、正しい姿勢で描く。(彼は車も同じ姿勢で運転する。)しかし、セルアニメーションではアシスタントアニメーターがそれをトレースし、さらに間に動画(ドローイングズ)を入れてつながなければならない。折角の彼の美しい描線がそのまま画面に現れることはない。誰も小田部さんの線を生かすことなんて無理なのよ、もったいないわよねえ、と長年彼の下でアシスタントアニメーターを務めたヴェテラン女性はよく言っていた。

百瀬義行 スタジオジブリワークス

百瀬義行 スタジオジブリワークス

百瀬義行

[『火垂る』と『トトロ』で優秀な人材の]「熾烈な争奪戦が行われた」などと書かれたりしているようだが、近ちゃん(近藤喜文氏)を獲得することが私の最優先、いや、絶対的な課題だったから、それ以外は慎んで、私は勧誘に動かなかった。だから、もしあのとき、メインスタッフとして百瀬さんに参加してもらえなかったら、と考えるだけで、今でもゾッとする。ほんとうにありがたかった。

(略)

百瀬さんはうまいだけでなく、人柄を反映した、どこか丸みのある穏やかな絵柄も、人々が普通に見ている感覚にできるだけ近い画角の取り方も、私の目指す日常的な画面作りにぴったりだった。

(略)

[「場面設定・レイアウト」を重視し、メインスタッフの筆頭にクレジットしてきたが]その仕事を印象づけることに成功したとは言い難かった。

(略)

[2008年の東京都現代美術館「スタジオジブリ・レイアウト展」]はもちろん嬉しかったが、「レイアウト」はどんなに達者に描かれていても、やはり「縁の下の力持ち」なのだ。とくに、奥行きのある構図を使いながらも、広角的な強いパースペクティヴ感をおさえた標準レンズ的空間設計がそうだ。日常性を出すために不可欠なそのレイアウトを、ただ「絵」として見た場合、めりはりが弱く、フラットに感じてしまうかもしれない。しかし、それこそが私の作品に必要なものであり、百瀬さんはそこが分かっていた。人が歩くとき、一歩一歩やたらぐんぐん近づいてきたら、あるいは、下から見た子どもがそびえ立っていたら、それはもう「日常」ではない。

(略)

[『おもひで』の落ち着いた画面が百瀬のレイアウトのおかげと気付く人は少ない]その点、故岡本喜八監督が、あの作品の小さな車(R‐2)の中での二人の会話シーンを褒めてくださったと聞いたときは、ほんとうに嬉しかった。実写ではおそらく広角レンズを使うしかなく、あんなに自然に撮ることは不可能だと思う。余談だが、この作品の作業期間中、方向が同じだというだけで、すごい遠回りなのに、深夜、私は毎日のように百瀬さんに車で送ってもらっていた。薄グレーのルノーキャトル、おしゃれだった。道中、ずっと話をしていた。そのくせ車中で交わした会話を思い出そうとしても全然思い出せない。

「レイアウトマン制度」ができるまで

 実写ではスタッフが撮影現場に集まり、背景・大道具から小道具まで、持ち寄った“素材”すべてが吟味され確定されたところに俳優を入れ、照明を当て、演技や情景の全体を見定めたうえで、これから撮ろうとするショットの最終的な構図を決める。

(略)

[ところがアニメでは]そのまるで逆、まず真っ先に各ショットの「本番」、すなわち“フィルムになった状態”を想定し、あとはその構成要素をスタッフが持ち帰り、分業によって、その“完成状態”へと、それぞれの“素材”を仕上げなければならない。分業する以上、その作業のほとんどすべては、当初に想定された「本番」をただひたすら黙々と具現化するための努力となる。

(略)

[“完成状態”を各スタッフに把握させるのがレイアウトの役割]

 各ショットに関し、絵コンテで指示された内容と構図が以後の製作工程で間違いなく画面上に達成されるために、その全体的構図、カメラアングル、人物のサイズと配置、その動きの概略、そして背景の空間的構成要素、とくに人物の動きと関連する箇所などを、実際の作画・作景とまったく同サイズの用紙上に、鉛筆画で設計すること。

 移動・パン・ズームなど、カメラワークがあれば、その設計・指定もできるだけここで行う。(略)

 要するにレイアウトは、各ショットの“フィルムになった状態”の作業用原寸想定図、すなわち、ショットの「実践的設計図」である。

(略)

 たとえば柱を手でつかむときなどのように、人物と背景が組み合わさる場合は、背景原図の段階でその部分(この例だと柱)の線をぴったり同じにトレースした二枚の「組合わせ線」をセルで作り、それぞれの背景原図に添付する。後になってセル画と背景がずれないためである。

(略)

 これが一般に行われていた「背景原図」のシステムである。

 当時からこのシステムにはいろいろと問題があった。絵コンテの絵があいまいなものであれば、作画担当者は一から画面構成を計らねばならない。けれども作画担当者はアニメーターだから、建造物や自然描写が必ずしも得意とはいえないことも多い。パースペクティブに弱い人もいる。要するに、動かせるからといって、画面構成や人物配置が巧みで的確かどうかは分からない。しかも作画は何人ものアニメーターによって分担(ほぼシーン別に担当)されるから、作品全体での統一がとれない。パースペクティブの強さ、実写でいうレンズの選び方(広角か標準か長焦点か)も、演出意図による以前に、アニメーターの感覚によってまちまちになる。

(略)

[宮崎駿は]アニメーターとしてもとびきり優れていたが、そのイメージボードを見れば分かるとおり、人物込みで作品世界を見事に構築するという、並のアニメーターや美術には稀な大きな才能をもっていた。だからこそ、私は『長くつ下のピッピ』(実現せず)のために東映動画をやめたときも、『アルプスの少女ハイジ』をつくるためにズイヨー映像に移ったときも、一緒に作品づくりをやろう、と、キャラクターデザイン・作画監督の小田部羊一と彼を強く誘ったのだった。

(略)

 各ショットの構図、カメラアングル、人物配置と背景セッティング(場面設定)をきちんと定め、カメラワークの設計と指定、さらにはキャラクターのプロポーション、その基本ポーズ・表情などをできるかぎり指示しつくす。水など自然現象のかたちと動かし方といった、彼のアニメーターとしての知恵や才覚もまた、そこに入れてある。それはしばしば単なるレイアウトの域を脱している。

(略)

 私たちは、宮崎駿という希有な才能があったればこそ、「レイアウトマン制度」をとったのだが、それは作品の質的向上だけでなく、同時に、原画家の作業負担の大幅軽減とスケジュール促進の面からも大いに有効であることが分かった。なぜなら、原画家はすでに出来上がった「レイアウト」指示に従って、原画作業のみを行えばよくなったからだし、この制度だと、原画作業の進捗状況に左右されずにシーン全体の美術設計が可能になったからだ。従来のやり方では、ワンシーン全部の原画作業が終了し、メインスタッフによるそのチェックがすべて終わるまでレイアウト(背景原図)は出揃わず、美術設計に手がつけられなかった。

 「レイアウト先行制」、特に「レイアウトマン制度」は、作画と美術が同時に作業をはじめることができる点で、スケジュール進行上都合がよく、制作サイドからも歓迎されたのである。そして以後、このシリーズでは、宮崎駿の担当でない作品でも「レイアウトマン制度」がとられることになった。

明日につづく。

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