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集団的自衛権の行使 平和国家の基盤を危うくする 2014年05月01日(木)

 「積極的平和主義」を掲げる安倍晋三首相が、安全保障政策の要として取り組むのが「集団的自衛権」の行使容認だ。先日は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、行使容認に向けた報告書の概要を固めた。
 行使には首相の総合判断が必要など「文民統制」を徹底させるとする内容だ。ただ、時の首相の恣意(しい)的な運用で、なし崩し的に行使の範囲が拡大される懸念はぬぐえない。議論を白紙に戻し、国民の声に耳を傾けた上で、首相には平和憲法の意義を最大限に尊重する姿勢を求めたい。
 集団的自衛権に関して歴代政府は、行使はできないとの見解を維持してきた。国の根幹をなす政策を、一内閣が軽々に変えることは主権国としての基盤を危うくしよう。内閣法制局が行使を認めてこなかったのも、政府と距離を置いた「法の番人」としての毅然(きぜん)とした良心なのだ。
 この歴史を無視するかのような安倍政権に、自民党内からでさえ異論が出ているのは当然だ。政府は1959年に最高裁が出した砂川事件判決から、限定的行使なら可能との解釈まで持ち出す。そんな詭弁(きべん)を弄(ろう)すること自体、集団的自衛権とは歯止めが利かない武力行使に他ならないことの裏返しではないか。
 憲法の解釈変更自体について、早稲田大大学院の長谷部恭男教授は否定的だ。「憲法9条は集団的自衛権の否定そのもの」と明快に定義し「その時々の政府の判断で憲法解釈が変更できるなら、その後の政府の判断でもとに戻りうる」とする。政府の憲法解釈全体の将来像があやふやになりかねない、との指摘だ。
 先日のオバマ米大統領との首脳会談で、首相は集団的自衛権行使が理解されたと自任する。主権国の重要政策決定に、他国のお墨付きを必要とする現実にあぜんとする。
 激変する東アジア情勢を背景に、米国を頼りに力で外交バランスを保とうとする首相の戦略は、いずれ武力行使の応酬合戦になる恐れがある。何より、ことさら日米同盟の意義を強調する首相の姿勢には、覇権主義におもねる危うささえ感じるのだ。
 首相は集団的自衛権行使に向け5月中旬にも、原案となる「政府方針」を策定する腹づもりのようだ。その中に、自衛隊法や周辺事態法など関連5法の改正検討を明記するという。国民への十分な説明がないまま、首相はどこまで独走するつもりなのか。
 集団的自衛権行使容認は単なる解釈の変更ではない。9条の否定である。戦後の日本を平和国家として存続させてきた至宝を、一内閣が放棄することは許されない。複雑さを増す国際情勢の安定化に、平和国家として寄与する品格こそを誇りにしたい。