2014年5月3日(土) 東奥日報 社説



■ 閣議決定では軽すぎる/憲法9条の解釈変更

 日本国憲法が「平和憲法」と呼ばれるのは、「戦争の放棄」や「戦力の不保持」を定める9条があるからだ。

 この憲法を最も特徴付けている9条の解釈変更をめぐり国政や世論が揺れている。議論の焦点となっているのは、集団的自衛権の行使容認問題だ。

 集団的自衛権とは、密接な関係にある同盟国などが武力攻撃を受けた場合、自国が直接攻撃されていなくても自国への攻撃と見なして実力で阻止する権利のこと。安倍政権は、これまで政府が認めてこなかった集団的自衛権の行使を、9条の解釈変更で容認しようとしている。

 連休明けに有識者懇談会が安倍晋三首相に報告書を提出、これを受け政府方針が示され、閣議決定での憲法解釈変更を目指す。

 だが、事実上の憲法改正ともいえる判断を閣議決定で済まそうという手法には強い違和感がある。本来は国会で議論を尽くし、場合によっては国民に信を問うべき局面のはずだ。

 この問題をめぐっては与野党間の不一致のみならず、与党内でも自民党と公明党との溝が埋まらない。公明党は「憲法解釈を変えるのであれば、理由や影響を議論し、国民的な合意をつくることが最も重要だ」と慎重な対応を求める。

 一方、専門家の意見も分かれている。共同通信社と東奥日報社など加盟社でつくる論説研究会の講演会でも、阪田雅裕・元内閣法制局長官や西修・駒沢大学名誉教授らが、それぞれの論を展開した。

 阪田氏は「自衛隊は戦力ではない、専守防衛だと言ってきたのに、解釈変更で集団的自衛権の行使を認めることになれば、外国の軍隊と同じだ。9条の法規範としての意味がなくなってしまう」と懸念する。

 西氏は「個別的自衛権も集団的自衛権も、自衛権としてはともに憲法で容認されている。自衛権をどう行使するかは、憲法解釈上の問題ではなく、政策上の判断と考えるべきだ」との見解だ。

 政治の場でも専門家の間でも、議論を尽くしたとは言いがたい現状だが、ここにきて自民党への追い風ともとれる動きが国内外で相次いでいる。

 日米首脳会談を受け発表された共同声明で米国側は、集団的自衛権に関する日本の検討状況を「歓迎、支持する」とした。安倍首相の「積極的平和主義」に基づく安全保障政策を後押しした格好といえる。

 また、衆院鹿児島2区補欠選挙で与党候補が勝利したことで、首相の路線が信任された形となった。

 しかし、憲法解釈の変更は国の在り方そのものに関わる歴史的な岐路のはずだ。政府は集団的自衛権の行使に絞った形で国民の意思をしっかり確認したことがあっただろうか。

 きょうは憲法記念日。日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する国民の祝日だ。国の安全保障をめぐる動きを見極めるためにも、あらためて憲法の条文に目を通してみたい。




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