【御礼】 ブログ閉鎖のお知らせ

※追記あります。

.........................................................................................................


いつもありがとうございます。

気がつけば、ブログ等に費やす時間も増え、
大事なことに支障もきたすことになり、反省しております。

お恥ずかしい話なのですが、
今朝、妻からこっぴどく叱られました。

いろんな事件があり、ネット時間に否応なく対処せざる得なくなり、
自分でも危機感を感じていましたが、
これも自業自得です。

自分のプライドなんてどうでもよく、
やはり大事なことを外してはダメなんだと、痛感しました。

これまでお世話になった方々、
また、ご迷惑をおかけした方々、

大人げなく、振る舞ったことを申し訳なく思っております。


これより、数時間以内、少なくとも本日中、
この「ご挨拶」が、しばし皆さまへ伝わったあと、
拙ブログを閉鎖させていただきます。


「はた京阪」はバカな親父です。

ですが、
これより、地域をほんとうに大事にし、
地域広布に、微力ながら再スタートさせていただきます。


出会った皆さま全てに感謝申し上げます。


ネットにうつつをぬかしたバカ親父を「救って」くれてありがとう。

私にとって、ほんとうの諸天善神は
ちよさんや、大野武士氏だったのかもしれません。


さようなら。


HN・はた京阪





追伸、

名前を上げればキリがないほど、たくさんのご同志に感謝申し上げます。



◆再追伸、

大野武士様、 

恨みつらみは申しません。自業自得です。
ご覧のとおり、「妻に叱られ」という実に情けないありさまです。
もうブログはできません。

「何としても謝ってこい」 妻に言われました。
当然です。

「家族を巻き込むんか!」と、大剣幕です。

私もそう思いました。
反省しました。

なお、これは不可視化ではなく、
完全にブログの閉鎖であり、ブログ会社からの退会です。
私自身も二度と記事に触れることもできない処置です。



どうか
これに免じて、 貴ブログを、 「先行抹消」 できないでしょうか?

勝手ながらとは思います。
ただただ、最後の 「仏ごころ」 をどうか、お願い申し上げます。


畑・拝



★17:30 追伸

大野氏の全ての削除を確認いたしました。
ありがとうございました。

恨みつらみではなく、
御礼の意思を伝えている」 という事を、ブログ村の皆さまへお伝えしたくて、
今夜あと数時間だけご猶予ください。

なお、サポート掲示板も削除に向けて
「福島の壮年」さまだけには、どうしてもお伝えしたいことがあるので、
そちらも、それが終わりましたら、破棄いたします。


HN「はた京阪」も消えます。
ここで新HNは宣伝しません。
とくにそれで新たに“活動”しようとか、いうのではなく、
対・福島さま等に、便宜上固定の「しるし」として定めたく思います。
多重ハンドルとしては全く考えておりません。
どうかご理解ください。


最後に、

どれだけの影響が残るか見当もつきませんが、
私の不始末で、とある会社の担当者へ、
多大なご迷惑をお掛けするかもしれない「因」を作ってしまいました。
勝手に端末を操作してしまい、出してはいけない情報を間接的に拡散せしめました。
本当に申し訳ありません。
どう償っていけばよいのか、途方にくれています。

願わくば、第三者の悪意のなきよう、
ROM各位に伏してお願い申し上げます。

本件を痛切に受け止め、
二度とこのようなことを招かぬようにいたします。


はた京阪・拝







【(カテゴリなし)の最新記事】

★検証★ 同じトリップでも別人。 その訳は?・・・

いつもご覧いただき、ありがとうございます。


WEB掲示板等で書き込みをする場合、
ナリスマシを防止するため、ハンドルネームの末尾に「トリップ」を付けます。

ハンドルネーム + 「 # 暗証番号 」で投稿します。
すると、 例えば、「はた京阪◆×××××」 と表示されます。

一応、これでナリスマシが防御できる・・・と言われています。
ですが、ここに落とし穴があります。


任意で選ぶ暗証番号
実は、 「桁数」も任意(自由)で選べます。

結論から始めましょう。
もし、 暗証番号を設定するとき、「二桁」にした場合、何とおりあるでしょうか?

二桁ですから、 10×10 で 100通りの組み合わせです
あれれ、たった100通りです。


ですが、
用心をして数十桁にしたとすると、その分、他者との合致率は低くなります。
銀行ATMのように 四桁を選んだとすると、
今度は、 1000×1000 で 100000000通りになります。

つまり、いくら トリップが合致する確率が
「 28京8230兆3761億5171万1744分の1 だ! 」 と言われようと、
それは、あらゆる桁数を全て「候補」にした場合の確率なのです。

現実は、ユーザーが数字を選ぶ前に、「桁数」を選ぶプロセスを経なければならない。
したがって、合致率は、 先ず「桁数ごと」に存在し、 
その集積したものが 最終的に 「 28京8230兆3761億5171万1744分の1 」 となるのです。
このプロセスを語らずしては非現実的な空論です。


では次に、実際例です。
私も、◆AIo1qlmVDI を検索にかけてみました。

出た答え・・・
勿論、 私と、 私以外の方。
根拠のヒントはこれ。

...................................................................................................................................

15 名前:ゴ○ ◆AIo1qlmVDI :2005/09/27(火) 12:39:08
レス遅れました。トリが同じと言われてるけど別人です。すごく簡単な数字
二桁で作ったので重なったのかもしれないです。
...................................................................................................................................


暗証番号に 「二桁」 使ったようです。
実は私も 「二桁」 です。
私とこの方の合致する確率は、 僅か100分の1


幾人もの 「トリップ作成」 をする方がいます。
その中で、「二桁」 を選択する人は、数人で済むはずもありません。

そうした方が、仮に1000人いたとします。
すると、「100分の1」 という確率に 「エントリー」するのが、1000人というわけです。
結果、同じトリップになる確率は、 桁数が少ないほど高まる。  ・・・ということです。


このような 「二桁」 という、 甘い選択をおこなったことは、安易だったと思いますが、
当時は、今回のような事態を招くとは夢にも思っておりませんでしたので、
「特定を防ぐ」 という目的が、 その対策が中途半端だったことが、
かえって 「これもオマエだろう」 という言いがかりの根拠に使われたのは皮肉です。

今回、こうした“数式”を、 知ってか知らずか、 (確信犯)
犯人は、

◆AIo1qlmVDI というトリップを、昔の私の投稿から拾って(検索)きて、
『 はた京阪にはこんな裏の顔(投稿)がある! 』
『同じトリップだから、同一人物だ』と、 俗説をわざと用い、 ガティブキャンペーンに使った構図です。

いっそ、トリップなど用いず、 それで同じハンドルネームが現れたら、
『私とは限らないぞ。』 と、言い返せば、 それを覆すことはできないことになりますね。

逆にそういう不明確な立場を使って、
卑劣な手口で言論テロを行ったのが、今回の犯人というわけです。 


犯人は、確率を盾に揺さぶりをかけたおつもりでしょうが、お粗末な結果になったようです。



◇  ◇  ◇


以下、余談。

今回の犯人、 その誹謗ブログにおいて、
あたかも、私が卑猥な掲示板 (本記事にご紹介したHNの方々はそこには無関係) に投稿している(笑)との「言いがかり」。
数字や確率の前に、道理として成立しないものがあります。

トリップを付ける理由に、 「ナリスマシを防ぐ」 があるわけですが、
同時にそれは、「自分」を明確にするという行為です。
「ナリスマシが居ては困る」・・・も同義でしょう。

では、 その「卑猥な掲示板」で、
そもそも、なんであの投稿者は、わ・ざ・わ・ざ・「特定」させる必要があったのでしょうか? 

トリップは任意です。
あんなところで、ナリスマシを防ぎながら投稿する必要性などないでしょう?
どうせ捨てハンなら、トリップ付ければ自殺行為です。

私がもし、本当に“彼ら”だとしたら、
わざわざ、そんなことをするはずがありません。


◇  ◇  ◇


ところで、 私が 「検索」 をかけたもの。  
以下、その他の検索結果です。
ほー、といった感じで、「私」以外の 「◆AIo1qlmVDI」 が沢山、引っかかってきました。
ほんの一例ですが、

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日時: 2009/02/13 23:14
名前: ラ○ス◆AIo1qlmVDI ID:YXBqaBF2

lec 租税法 理論対策問題集の事例編どなたか譲っていただけないでしょうか。希望価格は2500円です。
他にも租税法理論対策に有効なものありましたら、ご連絡下さい。


796 :も○っちょ君 ◆AIo1qlmVDI :04/05/18 09:32 ID:JDpeM999
深海って火星と同じくらい調査がまだ進展してないんだぜ!
受験英語でそんな題材の長文があったよ。


※他にも・・・

あし○ ◆AIo1qlmVDI :2008/04/08
...................................................................................................................................

このように、私と同じ 、◆AIo1qlmVDI になった方々がおられます。
もはや、 ああした私への 「言いがかり」 は無意味になりました。

しかし、悪意をもってネガティブキャンペーンをおこなう者に、 論理的根拠は有効な対抗手段になり得るでしょうか?
実はならない。

私がいくら、「あれは私ではないことがはっきりした」 と言ったところで、
『はた京阪は、あのような 卑猥なサイトに書き込みをおこなっている』 という、虚偽の悪宣伝ブログは消えないでしょう。

犯人にとって、
「論理的根拠で争う」 など、そんな姿勢などないのです。

攻撃そもののが目的。 卑劣です。


それが、 仮にも 自称「創価学会員」の取った行動です。


さてさて、 この犯人の行動を
放置、傍観を決め込む創価学会員にとって、
それは「得策」なのでしょうか?

喜ぶのは、誰と誰?



目的を果たそうとしても、
その手段(手法)は世間さまの目があります。
卑劣すぎるやりかたでは、
師匠や学会にどれだけ泥を塗ることになるのか考えなかったのか?

ハンドルネームだろうが、犯人個人が特定されないとか、それで済む問題ではありません。
捨てハンドルで自分は痛まないと考えてるようですが、
視点が足りないと思います。


私自身のことより、そこを第一に考えて
せめて一歩、譲歩願えないでしょうか?

あの記事は削除して欲しい。



以上です。
お読みいただき、ありがとうございました。


一日も早く、拙ブログや掲示板から「ちよ」さん関連記事は葬り去りたい。 
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★純喫茶でどうぞ。 “純日記”  2014. 4/20〜4/29 




拙ブログのサポート掲示板での「日記」、数日分を
いくらかまとめて投稿する企画、第4回。


いつもありがとうございます。



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★「生きたい」と思える社会を作らなきゃ            2014年 4月29日(火)


先週、実は職場で自らの命を絶った方がおられます。
広いフロア(事務所)の、私たちのチームと少し離れた場所の他チームの方ですので、
顔を合わせることはあっても、よく存じ上げない方ではあります。

おそらく…といった想像ですが、やはり何かの心の病があったのやも?との、
あまり深く詮索はしないものの、想像し、さぞやお辛かったのでしょう、と
とても残念に思います。
お冥福をお祈りいたします。


職場で何かあったんか?ということではなさそうです。(とはいえ、それは個人の物差しですが。)
こういうことは職場では初めてなので困惑しています。

ただ、身近…と申しますか、
私の「知る範囲」あるいは「知人」という中で、今年に入ってお二人目です。
非常に深く考えさせられます。
「途方もなく、消えてなくなりたい」という気持ちがどういうものなのか?
考える機会を持っていた矢先、今回。

「命は大事にしましょう」だけでは簡単に片けられない気がします。


ただ、一方、世の中を見渡せば、
痛ましい事故や事件で多くの方がその意志に反してお亡くなりになっています。
誰だって命の重さをわかっているはずです。
それでも・・・という現実。

せめて、社会が変わることで一歩でも前に進むことがあるのなら、

「死にたくない世界」
「死にたいと思えない(思わない)世界」

(逆にいえば、生き甲斐のことでしょうか)

であれば…と願うばかり。


道遠いけど、
その視点も大事なんじゃないかな。



(わかったようなこと、言って…申し訳ないですが)


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★“練って”待つ。               2014年 4月28日(月)


う〜ん、ひょっとしたら… と淡い期待の「人事」。

来年には!…と思いつつ、今年じゃまだ早いかなぁ。
ちょっとしたウワサに、プチ期待(;^ω^)

世間でよくいう、 果報は「“寝て”待つ」か、

私らは「“練って”待つ」か。


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★誰しもの日常の風景へ…  〜ささやかな勇気の「一歩」。   2014年 4月27日(日)


在阪の私鉄に乗ろうとしていた。
視覚障がい者さんが駅のホームに立って電車の来るのを待っておられました。
そこで、案の定、ホームで誰もかれもソッポ向いているんですよね。
これは情けない。

僕はこういうの、放っておけないタチでして…
『あー、僕がお力になります。』

すると、ニコっと微笑みされ、手をお出しになられました。
肩をお貸しし、いっしょに車両に乗り、席へ誘導。


…で、こういうの「当たり前」なんだけど、

 ※なんだか面白い (表現が適切かどうか…わからないけど) のは、
 聴覚にハンデがあるオッサンが、視覚障がいのご婦人(オバちゃんだけど)をエスコート(笑



ま、それはともかく

じゃ、ここ(ネット)で僕が「何が言いたいか」、って…


たぶん、誰しも、
「良いこと」はできるし、機会あれば「したい」とも思っていると思う。

そこでもっとも大事な「あと一歩」が無いんだなぁ、これが。
大事なのは、あと一歩の「勇気」だよ。

照れなんか、要らない。

なんで「照れ」が“支障”になるんだい???
「気にするな」と申し上げたい。

そう、「勇気」を出してほしい。
そういう「一人」がもっと増えると、きっと世の中も変わる。



ま、そういうことだす。

ええ世の中、つくりましょうや。
よろしゅう、おたのもうします(;^ω^)


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★夕食時の晩酌について。        2014年 4月26日(土)


これはあくまで想像。

晩酌の習慣は、「活動家」ではない確率は高いのではないだろうか。


そもそも、酒の一滴でも入ると、
勤行はおろか、会合、ましてや家庭訪問なんぞ、不謹慎。

この尺度は定義されたものではないが、
やはり、自己都合で甘やかせば甘やかすほど、「結果」も伴うだろう。
それこそ、「信」の世界。


(※戸田先生の習慣については、この際「時代の背景」と個人事情としておく。)


なお、
夕食と会合、あるいは家庭訪問等の学会活動の「順序」によるが、
少なくとも、これら活動が終了しないと「晩酌」はすべきでない。

私は数年前だったと思うが、WEB上で「晩酌の廃止」を“宣言”した。
以来、しっかりと継続している。

もともと、酒豪ではないし、毎日晩酌というわけではなかった。
だが、夏の暑い日に「お疲れさん」ともうべき、ビールの美味しさは格別だ。
それでも、家で呑むことは止めた。
急な車の運転もできないからね。

仕事帰り、どうしても呑まなければいけない日もあるし、
友人交流だってある。
だが、立場と責任において、晩酌という習慣はナシ、だ。

あくまで個人的な「決めたこと」。


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★ガス抜き。               2014年 4月26日(土)


下町の駅下がり、立ち呑み屋で一献。
後輩の愚痴を聞く。


声がデカい!
愚痴も元気だ(笑

当分、大丈夫だろう。
ガス抜きは定期的におこなうがよろし。


面倒、みるから。


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★「障害物競争」           2014年 4月23日(水)投稿者:               


うん、(何がウンだ?笑)

突然だが、
人生は「障害物競争」だ( `ー´)ノ

ふつうの、なーんもない100m走やら1000m走みたいに
ハードル(障害物)なんか無いにこしたことはない。。。

でも、そんな平坦な道なんかどこにもない。
何がしか「障害物」があるのが人生。


だから、
よく「人正はマラソン」って言う人もいるけど、
僕は「障害物競争」って言う。


今、見渡せば
心に深い痛みを抱えているサラリーマンは多い。

優しい人ほど、心の病になっているようだ。


優しさは素晴らしいんだよ、ほんと。 自信持っていいんだ。

そこに「強さ」を加えて、とよく言う。
でも、間違い。

「強い」だけだと、いつか折れる。
だから、「柔らかく」なろう。

そういう吸収素材は折れにくいんだなぁ、これが。



.................................................................................................................


★「おふくろさん」            2014年 4月23日(水)


夜、プライベートでJRに乗った。

『おふくろさ〜ん、ここ空いてるで〜』 (結構、普段からベタな関西弁を使っている)


空席を指さし、車内に響く声で
お婆ちゃんに空席を教えてあげるオッサンひとり。(私・笑)


何が可笑しいか、って

おふくろさん♪ …って 森進一かっ(^○^)


思わず口から出た「呼称」に、自分でズッコけた。



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★やり場のない悲しみ         2014年 4月20日(日)


隣国のフェリー事故の悲劇。

行方不明の学生たち、親の怒りや悲しみが、
今、私は我が事のように同情している。

言葉がこれ以上出ない。
どんなに考えても、軽い言葉になっては嫌だ。

ただただ、静かに見守っている。



.................................................................................................................


★ブログ投稿          2014年 4月20日(日)


二回連続、平和について考える記事となりました。  


桜、「散る潔さ」に込めた為政者の「思惑」
闇が暁を求めている。  〜消し難い記憶の、その未来へ。

今、世界でおこっていること。
ずっと目を離してはいけないな。

引用部分があっても、ちゃんと「自分の言葉」を入れなきゃ。
“ご紹介”で終わっちゃ、「ブログ」じゃない。


少しでも壮年部らしいブログでありたいな。




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府会議員評、雑感録。

「大阪府議会だより」を読む。

男子部時代をよく知る、ある府議。
議会での活躍を報じていた。

なかなか核心を付いた質問に感嘆。
さすがだ。


人の人生とはわからないもので、
つくづく想う。

男子部人材グループ、そしてラインで
それはもう、フル回転の活躍の傍ら、
職責ある企業で、研究開発者として才をふるっていた。

技術者として、今これから世の中に必要とされている、ある設備を生み出し、
共同特許まで取得した実績もある。


すべてに、常に「みんなのため」に尽くしぬいた彼だからこそ、
今こうして「これぞ公明議員」として活躍している。

支援の我々も胸を張る。


一方、
私の大学の先輩が市の行政職員をしている。
学会員ではない。

その彼が、いろいろと議員の「要求」に対応している実状を吐露してくれた。
職員に要求する各党議員の、様々な「わがまま」も触れてくれた。
勿論、しっかり言葉を選びながら、実名等を伏せた形である。

それでもそれら話を組み立てると、驚くような議員のレベルの低さも見えてきた。
公明党議員の真面目さと、事態を知ろうと研究熱心な姿を語る一方、
とある“名物市長”率いる会(会派)の、一部議員の醜態は、
現場の公務員が否応なしに感じる実像なのだろう。
中には非常に看過しがたい事柄もあった。
いわゆる、その会派が掲げる“大義”のわりに、
なんのなんの、その議員一人ひとりの「資質」に、欠如しているものがある…、と感じた次第だ。

選挙で大量の新人議員を生み出した彼らであるが、
たぶん次回は大幅に減らすのではないか?と感じる。
勿論、推測に過ぎない。
厳しい審判が待ち受けているだろう。



ともあれ、我が公明。

冒頭の彼だけでなく、
全ての公明議員が「そう」であってほしい。

我々に恥をかかすなよ(笑

期待しているんだから、よろしく。


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闇が暁を求めている。  〜消し難い記憶の、その未来へ。

闇、

それは、「人間」を否定した世界。


歴史の教科書… ではなく、

「歴史」は“教科書”だ。


 ◇  ◇  ◇

さて、

4/5日付け読売新聞の特集記事、「昭和時代」。
第四部、今回は「ソ連軍の侵攻」を綴っている。

(同紙、毎週土曜日に特集記事として連載されている。毎回興味深く読んでいる。
機会あれば皆さまも是非お読みになることをお勧めしたい。)


記事の片隅に、俳優・宝田明さん(79)の証言があった。

少し長いかもしれないが、転載させて頂きます。


.........................................................................................................................................................

 
終戦当時、私は11歳で国民学校5年生。
父が満鉄の技師だったので、ハルビンの満鉄の社宅に住んでいた。

 1945年8月18日、ソ連軍の戦車がやてきた。
関東軍は武装解除され、市内は無政府状態に陥った。
我が家にも夕食時、ソ連兵2人が土足で押し入ってきて、電熱器などを持っていった。
銃を突き付けられ、息もできなかった。
既に何軒も略奪してきたあととみえ、腕にいくつもの腕時計をつけていた。
 
 女性たちは頭を丸坊主にして、買い物は昼間に集団で行っていたが、
ある日、一人で買い物に出た近所の奥さんがソ連兵に捕まり、社宅の裏に連れ込まれるのを目撃した。
 
 父と中学生の兄と私が、ソ連軍の強制使役で石炭の積み込み作業をしていた時、
北へ向かう貨車に日本兵が乗せられていた。
関東軍に招集されていた上の兄2人がいるかもしれない、と見に行くと突然、ソ連兵に腹を撃たれた。

 病院は既に閉鎖されており、2日たつと傷口が腐ってきた。
元軍医だったという人が裁ちばさみを焼いて、麻酔もなしに腹を切り、銃弾を取り出してくれた。
当時、ソ連兵から受けた仕打ちは、今も大きな心の傷となっていて、
ロシアのどんな名画を見ても、心から感動することはない。

(転載おわり)


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とくに 「ソ連(あるいはロシア)憎し」 を煽るつもりはない。
だけど、忘れ難き歴史の事実は存在し、人の心に癒せぬ傷をもたらしている。

今、例えば中国もまた「歴史への反省」を盛んに訴えている。
反省とは、我が国の過去への認識のことだ。

(中国共産党政府による軍拡、島嶼侵攻、覇権の拡大については、ここでは触れないでおく。
また、例えば南京事件の規模についても、ここで論争をするつもりもない。)

ただ、ここで申し上げたいのは、
自虐史観に基づくものや、ナショナリズムによる戦争責任の転嫁でもない。

戦争という、いわば極限の状況に、「平静な心」は常にもろく崩れてきた。
残虐な行為はどこにでも起こりうるものかもしれない。
悲しくも、それが人間の歴史だった。

過去、幾たびの悲惨な戦争の傷跡があって、
いくら世界が新しく変わろうとも、今なお葛藤し続けている人、心の傷があるということ。

知っておきたい。
悲惨な苦しみを味わうのは、いつも市民であり、
それはどこの国の人でも同じなんだ、ということを。


一方、
いろんな意味で、それらを「利用」している為政者なども現実にいる。
政治にはいろんな思惑があって、
何が正しくて、何が間違っているのか、判断も難しい。
ときに平和への取り組みも、複眼で判断せざる得ない。
真に、人間を中心に置いた平和への取組みが必要だ。


冒頭でご紹介した記事、エピソードの当事国。
“その”ロシアも、 他国の悲しみへ同苦し、エールをおくってくれる。

【「2011フィギュア選手権」でロシアが東日本大震災で苦しんでいた日本にエールを送る!
氷上の日の丸を囲み世界が黙祷。】


それが「人間」なんだな。
涙が出る。



「平和」への創出。

それは、消しようのない事実・困難な現実を受け止め、
ただただ未来のために成すべき一歩に目を向ける行動。

異なる考えがぶつかり、
人の持つ強欲が暴力となる。
歴史は、その繰り返しが起こってきた。


異文化、異なる思想の対話は常に必要です。
対話は、時に「闇からの脱出」をつくる。
困難な状況も、「勇気」がそれを動かす。


「勇気」、
先生の対話は、多くがそれを教えてくださる。

異なる思想、
異なる文化、
異なる政治。

常に、それらが対峙するところへ。
それが「対話」の目的だから。





「人間」を否定しないところから始めよう。

見えない出口、闇を脱出する方法はこれしかない。




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桜、「散る潔さ」に込めた為政者の「思惑」

日本人にとって桜は国民的なものであり、
日本人の精神、心に大きな存在となっています。

美しく、しかし「散る」のが早いその花は、
まさに「潔さ」の象徴として、美談のたとえにもなっていますね。

私も日本人ですから、その桜に込めたいろんな思いも含め、
春の訪れを実感する、大きな一大イベントとして毎年、楽しみにしています。



サクラサク・・・

「春の訪れ」とされる言葉に、
冬という苦節を「乗り越えた」という、
勤勉で辛抱強い日本人の象徴的なものに重なりあうものとなっています。




この桜、「散る」に込めた潔さを「悪用」する者どもの存在が歴史に顕著です。


例えば、

太平洋戦争末期、旧日本軍の「特攻」(神風特別攻撃隊)兵器のひとつに、
桜花」というのがありました。

構造等マニアックな話は本題とは関係ないので割愛させていただきますが、
この「桜花」の名に込めたものも、「潔く散る」があるのは間違いないでしょう。

日本史上、時折りの為政者・リーダーたちは、
こうした「潔く、散る」を都合よく「利用」したことが、しばしばあったのではないでしょうか?


『もうだめだ。いっそ清く腹を斬ろう。』

戊辰戦争、会津藩・白虎隊士たちも眼下に炎上する会津若松城を“錯覚”し、
集団心理でことごとく腹を斬ったのです。
戦争の悲劇として語り継がれています。

こうした「散る」ことが、まるで美学のように日本人に「植えつけられる」ことなど、
けっしてあってはならないと思うのです。


「忠臣の鏡」として、
『命など惜しむな』
こうした価値観は、まさに「生命軽視」の何ものでもありません。


一方、

抜苦与楽、慈悲をもって『他者のために』を実践する仏法にあって、
この「他」を、「潔く散る」に、安易に“変換”させてはなりません。

生命尊厳こそ、仏法ではありませんか。
「潔く、散る」は真逆のことだと気づきます。

人のために火をともせば、我がまへあきらかなるがごとし ←クリック

この「燈火」を灯す連帯こそ、です。




なお、私は特攻に行かれたすべての兵隊さんに、
「無駄死にであった」とか、侮辱する言葉は持ち合わせていません。

それぞれに愛する家族や郷土を守るために、命をなげうった背景に、
心より哀悼の意をあらわしたく思いますと同時に、
二度とこのような悲劇を生まないよう念じ、
その行動に微力ながら歩んでまいりたいと思っています。



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さ、 「ココロ、晴天」でまいりましょう!

実は前回の記事を投稿するか否かは、かなり躊躇いたしました。

真意を万人伝えきることは難しく、必ずといっていいほど誤解・曲解はつきものです。
できるだけ、それを防ぐ方途を施しているつもりが、
大きなリスクとなっているのが公開ブログです。

でも、そのエネルギーを費やすことは、けっして「信仰の一端」ではないことを心しておかねばならない…
と私は常々思います。
ブログあるいはコメントレスポンスは「信仰」じゃありません。

「やったつもり」に溺れることなく、
これからもWEB上のことに接してまいりたく、自戒としてまいります。


さて、その前回記事
【“燈” 〜わがハンデとともに。   そして、尊きご同志Kさんへ。】  (2014年04月07日)
に対し、非公開を含め、いくつかコメントを頂きました。
ありがとうございました。

その中のご一文だけを取り上げて記事とさせて頂くことをお許しください。


ブログ記事で何かを伝えたいことを、あらためて記事にするよりも、
今回の「言いたいこと」は、実際のやりとりとして記したほうが伝わりやすいかな?と思ったので
Reコメントをそのまま記事にて投じさせて頂きます。
ご容赦ください。


......................................................................................................................................................


はじめまして、S様。
コメントありがとうございます。

何らかの苦しいことが「自業自得」であるならば、その方程式からすれば、「誰しも」ですよ。
S様だけじゃありません。

だから、ご自分を責めないでください。

仏法は因果を説き、大聖人仏法は宿命転換を説きます。

「ああ、こうしておきゃヨカッタのに・・・、私ってなんて浅はかなの」

こんな失敗や反省も多々あるのが人生。
でも、「縁に触れ」て出てくることがいっぱい。
自分を責めてばかりじゃ、人生は萎縮しちゃいます。

反省は反省として、スパっと「反省」を明確にし、
スッキリした気持ちで、そこから「再スタート」がいちばんいいですね。

「現当二世」の仏法ですもの、
前を向いて頑張りたいですね。
僕はそうしています。


ところで、
言葉の綾だとは思いますが、
おっしゃるような、
創価学会は「安全地帯」じゃありません。

「逃げ込む場所」にしちゃ、現実逃避になっちゃいます。
けっしてそうじゃありませんよね?

『法華経は冬の如し』です。
冬という厳しさに挑戦するところだと、僕は理解しています。


ただ、
大聖人、そして先生、ご同志の“大きな懐”の中に包まれる、すばらしい場所には違いありません。

「家族がいるから頑張れる」あるいは、
「大切な人がいるから頑張れる」・・・

そんな気持ちに近いんじゃないかな・・・って
僕は思うんです。



S様の感動、衝撃、すごくわかります。
僕も何度か、号泣したことがあることをブログで書いたかな。

不思議なんですよね、先生って。


『全部、わかっているよ』

20数年前だったかな、衛星中継。
ご退席の途上、幕の際で、
誰に発したかは定かじゃない(笑)その慈愛と、キリっとした断言に、 
当時最悪の淵にいた僕は、
しばし嗚咽とともに、終了後も会合の席から立てずにいました。


今だって・・・  うるる・・・  きちゃいますね(笑


さ、現当二世です。
昨日より今日、
今日より明日。

 「ココロ、晴天」でまいりましょう!



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ちょっと結論部分に意味がつながらなかった、…かな?(笑
まぁ、春ですから(^○^)

“燈” 〜わがハンデとともに。   そして、尊きご同志Kさんへ。

皆さま、いつもご覧いただき有難うございます。
  

      4/9 ※最後段に【追記】を加えました。 


このあいだ、随分と久しぶりに大学の後輩に会いました。
もう十数年ぶりでしょうか。

彼が学会同志であることは存じておりましたが、現在は未活動とのことでした。
いろんな現況、思いを聞かせてもらいました。
そして、3年前に生まれたお子さんがダウン症だということを告白してくれました。

ただ、こうした状況でありながら、まだ「法華経の兵法」には至っていないようでした。
私は旧知でありながら、状況を把握もできず、何ひとつできないでいた事を悔みました。


短い時間でしたが、何点かお話しさせて頂きました。

『これは○○くん(お子さん)の宿業でもあるけど、現実は君の宿業だから君が頑張らなきゃ。』
『「なんとかなる」じゃ、「なんとなく」にしかならないよ。』
『○○くんが、お父さん(後輩氏)に信心をさせるために生まれてきたんだよ。』


それは、私自身の十数年前の出来事からの思いでもあります。

随分と以前、拙ブログでもご紹介させて頂きましたが、
我が子も生まれてまもないころ、その我が子によって
私に信仰の覚悟をさせる出来事があったからです。


御書に曰く、「火をともせば」…すなわち、この“燈”を全魂をこめておこなう対話と祈り・・・。



2014年4月6日付 名字の言にこうあります。

(略)
仏道修行における「菩薩行」も、それに通じるものがあろう。
自分も苦悩を抱えながら、悩める他者のために動き、語り、自他共の成長へ進む。
「強くなってから進む」より、「進みながら強くなる」のが創価の生き方である。

(転載おわり)



私の原点もまた同苦です。

その“燈火”(対話)が、「流される雑談」なわけがありません。
核心にふれず、流されるだけの世間話など、師匠がいう「対話」ではないはず。

(※誤解があったらいけないので補足します。 リンク先の記事は、かの婦人部員さんブログ内での「対話」なる記事タイトルシリーズへの苦言です。 紛らわしい引用リンクでごめんなさい。)


なお、私はハンデをネタや憐れみを誘う材料、はたまたブログの飾りにはしません。
だからこれら(ハンデ)だけを全面に出した記事は控えていました。


「行動」の場所は、 「願兼於業」で誓った場所が有るではありませんか?

つまりは『現場』です。
各々の地域であり、友の傍です。

それとも、ネットコミュニティ、あるいはブログコメントを
「行動」の場所として、誓って生まれてきたのですか? …まさか。


自戒も込め、そう思うのであります。



さて、住まいも遠く、なかなか彼(後輩)とは簡単に会えないのですが、
なんとしても「ともに師匠のもとへ」の思いのもと、祈りを開始してまいります。



◇  ◇  ◇


さて、この先は私自身にとってリスクのある投稿になるでしょう。
理解のボタンの掛け違えがあったなら、誤ったレッテルを貼られる恐れがあるからです。

まさか、とは思いますが
また「京阪さんは酷い人。そう思う人はポチっとお願いします」…なぁんてブログ記事を、
どこかのご婦人から書かれるかもしれません(笑


さて、

現在、ブログ村でご活躍中のKさんが、視覚障がい者さんをサポートする企画を実行中です。

もとより、世の中のあらゆる障がい者さんにとって、
社会全体がサポートにまわれば、これほど心強いものはありません。

ただ、一見、何の不自由もない健常者に見えるハンデもあります。
その誤解に苦しむ場合も少なからずありますので、
いろんな人々がハンデについて学習し、理解を広げてもらえれば、私も嬉しく思います。

もし、Kさんがこの「誤解を解く」という方向で、その「発信力」を駆使してくださるのなら・・・
と思うと、今の「ハンデ介助に、直接手を差し伸べる」という企画方向は、個人的には残念に思います。

そこで皆さまへ、
少し、私の視点を検討する機会を持って頂けませんか?


まことに僭越ながら…
以前、拙サポート掲示板上の記事で私が書いた記事で、こう結びました。


>本来、「自立」の異名たる「自在会」の皆さんに対し、 『>私にしかできない使命』…
とおっしゃるKさんの大義の、「添え花」にならないことを、切に願う。



まことに僭越なのは理解しています。
ただ、もう一歩進めて、考えて頂きたい視点があるのです。


 ※拙、関連記事一覧

これらは以前、拙サポート掲示板に投稿した記事です。
拙い文章ですが、渾身の思いで書かせて頂きました。 

できるだけ失礼のないように、
あくまで「主張」の立場であり、その「意見の相違点」がもたらす結果として、「そうは思わない=批判」と映ることもあるでしょう。
しかし、それはけっして「誹謗や中傷」ではないはずです。

前者と後者は似て非なるものです。
私は「謗り」などするつもりは毛頭ありません。
ですが、拙い文章ゆえ、中には少々お気を悪くする表現があるやもしれませんが、どうか文意をご理解をお願いしたいと思います。

※一部のブロガーさんに、なんでもかんでも「批判した」とか、誹謗と批評(意見)をごちゃまぜにする方もいらっしゃいますので、このように過剰なまでの但し書きをしております。
なお、この件に「触れる」こと自体も、けっして私が外野ではなく、ハンデを持つ身ゆえの「意見」ですので、
この点もご理解いただき、けっして短絡的な反応はなさりませんよう、各位にお願い申し上げます。



@【下衆の勘繰り」を一筆啓上】


     >『自在会の皆さまの目となり、杖となって歩みます。
    これは、新しいブログを立ち上げたKさんの言葉。


    聴覚ハンデのある身で言わせてください。

     あらゆるハンデは己の中にある、いわば「構造」の一部です。
     それらの“根本”の原因は「己」の中にあります。
 
     解決するのは自分自身でしかないのです。

     それを仏法では「宿命」と説き、
    日蓮仏法では一歩進めて「使命」と説きます。

     

     そこの、いわばハンデの“直接分野”へ、
     他人が 「手出し」 するのは、よほど慎重にならねばならないと思います。

     何故ならば、
    本当の解決へは、「本人の行動」でしか解決できないからです。

 
     
     >目となり、杖となって (Kさんの言葉)

     崇高なことだと、周囲は称え、ご本人は自賛するかもしれない。

     が、しかし 「ずっと杖」になってゆけるのでしょうか?
     「ずっと目」になってゆけるのでしょうか?


     すごく重いことなんです、これは。  ご自覚はありますか?
    個人が抱え、ずっとサポートしてゆける類いじゃないんだと私は思います。

    大変な労もさることながら、
    一度始めたのなら、おいそれと中途半端に終えることはできません。
    その重さを理解してください。


    障害を持つ子の親は、
   涙をこらえ、その子をあえて“荒野”へ突き放す。…



   中途半端な助けは、
    今後の長い人生を自分の力で生きてゆく上で、
    けっしてその子の為にならないと知っているからです。


     
    ハンデを持つ方への「助太刀」は、 発展途上国の貧困救済と似ている。

    直接の「施し」は一時のもの。
    解決には 「教育だ」 と先生もおっしゃっています。


     もちろん、駅や構内で点字ブロックや、乗降へのサポートが要るように
    バリアフリーやユニバーサルデザインは必要です。

     しかし、音声翻訳を含めた 「目となり、杖となる」 といったことは、
     「ずっと」できない人 (だってそうでしょう?) が安易に用いる言葉ではないと思います。


    使命と感じ、使命をはたそうと思い立つのは結構なことですが、
    同時に障がい者さんの、 
    “ほんとうの使命” の「邪魔」  にならないことを切に願います。


    学会活動があくまで信仰に軸を置き、社会ボランティアに重きを置かない理由を考えたいものです。
  
     それは生命次元の根本解決か?
     対処療法の鎮痛剤か?

     この違いに近いのだから・・・。



     加えてもう一つ。

     結局はKさんの “ブログ記事” も 「セット」 になっている以上、
     「Kさん個人記事を読むためのもの」  になっているのが現状です。


     本来、「自立」の異名たる「自在会」の皆さんを
      『>私にしかできない使命』 という “Kさんの大義”の 
      「添え花」 にならないことを、切に願うものです。


      
      (以上、転載おわり)


※@だけ、ひとまず転載いたしました。 A以降はお手数ですが、クリックして移動くだされば幸いです。


A【活かす“武器”であるからこそ。】

B【せめて消えない轍(わだち)を残そうか

C【信仰リスクマネジメント

D【目は二つ、耳は二つ、でも口は一つ、何故だかわかるかい? 】




いかがでしょう?


私には目が見えます。
だけどハンデがあります。
それは単に「見えづらい」ではなく、職業的、専門的には致命傷であり、死活問題でした。
いとも簡単に門戸を閉ざされ、夢も潰えてきたこともありました。

ただただ日常生活がおくれることに感謝し、「それでもできること」を必死になって路線変更し、今日があります。


一方、耳のハンデは更に辛い思いをしてきました。
ただ、それをここに書きたくもありません。 ごめんなさい。


そんな、「何らかのハンデ」を持つ者の端くれ(当事者)の私が、
それでもこのように「一石」を投じる意味(中身)を、どうか「検討」ぐらいはしてほしいのです。

この叫びをどうか受け止めてください。



◇  ◇  ◇


さて、

聖教新聞・2014年 3月17日(月)付、6・7面。
「自由グループ」 「妙音会」 「自在会」 の特集でした。

真剣な面持ちで拝読させていただきました。


ここで私がその記事詳細にわたってご紹介するまでもないでしょう。



一方、 ネットで「創価学会員」を全面に掲げた、個人的な“ボランティア活動”の支援企画について
“手放しの賞賛” をされる方が沢山いらっしゃると思います。


まわりくどい言い方はやめます。
これは一例に、このたびのKさんの企画の事を含みます。

そしてそれを賞賛する方(同志)へ、
その聖教記事をお読み頂きたいのです。

その上で…
学会が単にボランティア活動を軸に置かない理由はなぜか?

真剣にこのことを考えてほしいと思います。




たいへん失礼かつ無礼もあったやもしれません。 お許し願います。

お心の片隅に、名もなきこの壮年部員(私)の声を、留め置きくだされば幸いです。
お読みいただき有難うございました。



【追記】

「視覚障がいの同志がお困りゆえ」
「学会には点字御書すらない」

という理由と、
それを突き動かす「一人立つ精神」として、 『じゃ、俺が作ってみよう!』

…という背景だそうですね。


ラインや、自在会を通じ(自在会からの突き上げでも)てでも結構だし、
学会本部に直訴でもいい。

また、あるいは原田会長、
はたまた、先生にお手紙、書きましたか?

いつもなら、何にかにつけ、お手紙とか出すじゃないですか。
私だって、しますよ。

何故、しないんですか?
何故、 「組織は動かない」 と結論づけるのですか?


「動かない組織」 
「障がいのある会員に冷たい」 という宣伝
になっちゃいませんか?


「一人立つ精神」も結構ですが、 

立つカタチを間違っていませんか?
立つ順序を間違っていませんか?


何のための組織ですか?
なんで「そこ」から始めないのですか?

指導は受けましたか?

上へ上へ、
「こんなに困っていらっしゃる方々がいます」
そういう訴えを、 あ・な・た が力になってさしあげる方向を、
何故、 いの一番にやらず、 
「私的企画」に突っ走る方向を選択したのですか?


組織をないがしろに、(表現が穏やかではないですね)
あるいは、各種グループの長へ報告もなしに、
グループ外の人間が、そのグループの抱える問題に、私的に“手出し”していたら、
これはグループとしてどうなんでしょう?
「良かれ」で済むんですか?
また、いち長の判断でいいのですか?

なんで上へ上へと持ってゆかないんですか?

そのための「一人立つ」こそ、大事だし、
規模として、もっともっと多くの手助けに結びつくでしょう?


例えば、「政治政策課題」は党へ陳情、訴え、しますよね?
ラチがあかん…、といってご自分で実力行動しますか?
ほぼ、しませんよね(笑


一対一、
つまり貴方が、ある人に“だけ”、何かを手伝いするなら、まだいい。

だけど、

「自在会のために」 なんてスローガンを立て、
貴方個人がグループ支援に・・・という構図は問題です。
やはり自在会も「組織」ですからね。

やはり、
その貴方の素晴らしい推進力・行動力は、
「直接分野」に手だしするより、 「組織を突き動かす」行動・・・であるほうが、

永続性と、規模、充実度、すべてにおいて、
より多くのサポートに生かせます。


貴方の「障がい者さんへの力になりたい」というお気持ちは「正しい」。

でも、アプローチは 「?」 
です。




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追伸 (お知らせ)

@この記事へのコメントについては、
 拙サポート掲示板に “特別スレッド” を設置いたしましたので、こちらへどうぞ。

→ ★特定記事コメント、場外広場(1)


Aタイトルおよび、記事本文では「Kさん」とさせて頂きましたが、
その方の名は、おそらく大半の皆さまがご存じのとおり、にほんブログ村でご活躍中のブロガー・HN菊川さんです。
とくに伏せる必要もなかったのですが、タイトルに組み込むと、センセーショナルになりますゆえ、「Kさん」としておりましたが、
さきほど「みかん。」さんから頂戴したコメント文中の「Kさん」と紛らわしいと思いましたので、但し書きとして添えておきます。

純喫茶でどうぞ。 “純日記” 2014. 3/12〜3/29

拙ブログのサポート掲示板での「日記」、数日分を
いくらかまとめて投稿する企画、第3回。



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★苦楽ともに            2014年 3月29日(土)


(Reコメントになります)

福島の壮年さま、いつもありがとうございます。

観させていただきました。
よい歌詞ですね。



御書の一節を思いだしました。


『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき
 苦楽ともに南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、
 これあに自受法楽にあらずや、
 いよいよ強盛の信力をいたし給え』 (P.1143)



いちばん苦労をした人が、いちばん幸せにならなきゃいけません。
よく僕も激励のときに引かせていただく御書ですが、
人生って、どうしようもない現実や理不尽、困難の壁にぶち当たることだってありますね。
理屈じゃ割り切れず、なんか全てを投げだしたくなるような状況にあっても
歯をくいしばってご本尊さまに向かう姿…。

『苦楽ともに思いあはせて…』
なんとも慈愛にあふれた、涙が出るお言葉ですね。
悩んで、苦しんで、それでも葛藤を乗り越えて、「前に向かいなさい」と。

嘆いていても何も変わりません。
毅然と立ち上がっていくそのために、学会があるんだ!と。
そして、そこに信心のすばらしさ、真の輝きがあります。

何があろうと、「今、これから」が大事なんですね。


使命があるから地域の役職があります。
同志(とも)が待っていますから!



コメ、有難かったです。



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★落ち度などない。 だがこれが「宿命」だ。         2014年 3月29日(土)


別件だが、
ある申請をおこなうも、わが「目」と「耳」のハンデによりいわば“門前払い”。


どうしようもないハードルに、また沈む。
今に始まったことではないが、
「ググ…、“お前”もか!」といったところ。
やはり悔しい。


ハンデやマイナス要因には、
治せるものと、
物理的に治せないものがある。

後者の悔しさはその者にしかわからない。無情だ。


「負けるものか」と言いたいところだが、
空(カラ)元気よりも、具体的な「次の一手」を思案に頭を抱える。


意味がある。
そして力と為す。


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★波濤を越えて        2014年 3月29日(土)


人生は万里の道。
波濤は絶えずやってくる。
幾度もそれを経て、人は未来の力と為す。


今、結構しんどい渦中にある。
重い荷物に潰れそうになる。

だが、全部受けとめる。
ずっとそうした生き方をしてきた。

けっして弱音は吐かない。


 他人に言えば愚痴になる。
 ご本尊に語れば祈りになる。
 (祈りの五項目より。あえて「訴え⇒語れば」に変換)


「ああ、京阪
  アイツやっぱり苦しんでるいなw ざまぁみろ。」

蔑むがいい。
だが、これは「落ち度」ではなく、広宣流布の「摩擦係数」によるものだ。

邪とは戦う。
一歩も引かない。

私の生きる道が正義。
否、師匠の導く道が正義。

この「証明」のために、一歩も退かない。



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★日記      2014年 3月19日(水)


ここしばらく忙しい日が続き、少し落ち着いた感。

なにより「3.16」に明確な“足跡”を残せたのは幸いだった。

そうして リアル世界(ネットの外)の歩みと結果を思うと、
「ネット」への視線が変わる。


いつものことだが。



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★3.11 福光       2014年 3月12日(水)

昨日の3.11に関し、多くのブロガーさんが思いを綴られ述べられたようです。

私自身、 過日【わが胸中の「東北」。】と題し、発信しました。

今あらたに、皆さんと同じように綴ってみたり、
あるいは被災者でもない私が力説しても空絵事かもしれません。


私はBLOGで語らせていただいたとおり、
「いざ」となれば、職業的に「復旧・復興活動」の“当事者”となる身です。

職場の先輩方が、かつて阪神大震災において、
自分の家族や家に関することもありながらも、何日も泊りがけで活躍したエピソードを聞いていますし、
そういった方向で職務教育も受けています。

勿論、私も持つスキルを使ってお役に立ちたいですし、そのつもりですし、
いつ来るかわからない「その日」へ、覚悟を持って毎日を従事しています。

実際、昨年は関西でも中規模な地震でインフラに支障が起こり、多くの方々に影響がありました。
甚大な被害に至らなかったものの、私も休日でしたが緊急招集によって復旧活動にゆきました。
「阪神」を知る先輩方は、言葉は不適当かもしれませんが、「張り切って」おられましたし、目の色が違っていました。
私も何ら底知れぬ緊張感とともに、武者震いです。
支障箇所の復旧に明け暮れた2日間でした。

こうしたことや、
否、はるかにこれを上回る「その日」を、私たちは備え、日々緊張を持ちながらこの任に従事したいと思います。


『震災があったとしたら、お父さんは長く家に帰れないからね。』

こう、家族には言ってあります。
それが私の仕事ですから。

持ち場を一所懸命にやるだけですし、
たいした「稼ぎ」もありません。
こんな稼ぎじゃ、ほんとうに家族を幸せにしているかも、正直私にはわかりません(笑



3.11を迎え、私には難しいことや、綺麗なセリフは書けません。

ただただ、私にとっての3.11において
「綴れること」は、こうした職務上の「実際の覚悟」だけです。


いざとなれば、命の危険もあることでしょう。
破壊された危険個所の状況もさることながら、余震やその影響、
復旧に満足な環境すら期待できません。
さまざまな想定外の状況下、作業が待ち受けています。

でも、多くの市民のみなさんが我々の力を待っています。
自らの家族のこともさておき、行かねばならないこともあるでしょう。
かつての阪神大震災における大先輩たちのように…。

そのためにも、職務スキルも磨いておかねばと、握りこぶしをギュとした昨日でした。


「ノーモア、被災者」です。



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今回はこれでオシマイ。



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純喫茶でどうぞ。 “純日記” 2014. 2/23〜3/7

前回(初回)に引き続き、
拙サポート掲示板での「日記」、数日分をいくらかまとめて投稿する企画、第2回。


※追記

拙サポートブログからの日記(記事)を転載しているわけですが、
予告なしで転載記事を加える場合もあります。



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★日記  2014年 3月 7日(金)


駅前で「夜間中学校」の生徒さんたちがPR活動をなさっていた。

教職員とみられる方と、ご高齢の“生徒さん”たち。

 『○○夜間中学では、どなたでも学べます。』
 『学費は要りません。』


さまざまな理由で義務教育を終えることが出来なかった人が沢山いる。
こういった学校の存在は、ほんとうに素晴らしい。

チラシを配っていた方(60歳代のご婦人)に、しばし話をうかがった。
ついつい見知らぬ誰とでも話をしてしまう癖のせいか、ちょっとお時間を奪ってしまったやもしれない。
だが、ご婦人は自らの通学体験を嬉々と語ってくださった。

 『まさか文字が読めると、こんなに世界が広がるとは思わなかった。』
 『例えばあそこの“京阪電車”の文字(ここは駅前ですから・笑)が、何だか知らなかったぐらいですもの。』


おそらく、御身の境遇を開いた「学校」を、ほかの誰かも“幸せにしたい”一心で、
この寒い空の下、一生懸命に行動(ビラを配って)なさっている。

おおっ、
これって「弘教精神」と同じやんか!(笑
嫌々やっているんじゃなく、自分を幸せにしたソレを、ほかの誰かをも幸せにしたい…。

その「動機」がもたらす「行動」。
まさに、この気持ちなんだね。

だから、 『“体験”が大事なんだよ』 と、いつも信心の先輩はおっしゃり続けてこられたんだね。


さて、私自身は夜間の大学を卒業したんだけど、
仕事の帰り、クタクタになって、会社や自宅と反対方向に通っていたんだなぁ…
今思うと、若かったから続けられたのかもしれない。
そんな同じ苦労を共にした面々が、今なお、かけがえのない仲間として交流を続けている。
(その仲間との交流は、ここでいくらか綴ってきた)

おそらく、あの「夜間中学」の皆さんも、
それに近い連帯感も得たのではないだろうか。
一生の宝物がそこにあるような、ご婦人の言葉だった。

お別れに、
『寒い中、どうか風邪をひかないでくださいね。』を言い、その場をあとにした。


................................................................................................................


★日記   2014年 3月 4日(火)


個人情報、プライバシーの問題もあるので、本日の記述なものの、特定の日付ではなく記します。

さて、
私の叔父のお通夜、お葬式に参列してまいりました。

叔父は創価学会員ではありません。
ですが、私にとって叔父・親族という血縁上の大事な存在以上に、
今この私がいる歴史の中で、大切な役割を果たしてくださった方です。


私が苦しい時期はいつも、うまい具合に…というか、なぜかいつも「法戦」がありました。
世間からみれば、“苦難”という現実にあえぐ惨めったらしい私を、
叔父はけっして見下げることなく、そしていつも拒絶反応することもなく、私を家に上げてくださり、「話」を聞いてくれました。

『よっしゃ、おっさんはチャンと(キチンと)入れたる。心配すな。』
と、いつも快諾してくれました。

残念ながら、同じ信仰を持つに至りませんでしたが、
私にとっては、この仏縁があったればこそ、勇気も湧き、拡大へと進むことができました。
今あるのは叔父さんのおかげでもあるのです。

悲しい最後ではありましたが、
心からの感謝をお題目に込めて送らせていただきました。


.....................................................................................................................



★日記    2014年 2月24日(月)


二年前に切除した“癌の子供(おたまじゃくし、か)”。

偶然みつけた、なんとも言えん身の福運に、
ちゃんと頑張ってりゃ、ちゃんと見てくださってなだなぁ…と実感したものだった。

「まだまだ死んでたまるか!」
なぁんて笑いながら大袈裟にいってケロッとしていたが、やはり経過は内心は気になっていた。

その後の状況、いかが?的に、
またまた苦しい検査に行ってきた。

案の定、もうヘロヘロだ(;´Д`)

「異常なし」で
リセットでき、また怖いものなしで世の中を闊歩できる。(ウソウソ

とりあえず、
歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、  ・・・とするか。



.................................................................................................................



★日記    2014年 2月23日(日)


普段の慌ただしさも、少し和らいだ休日の朝。

駅前の広場に、ワンカップ(大関)を片手に千鳥足で歩くおっさん一人。
これも一つの幸せか。

 私 『足元、気ぃつけや。』
 おっさん  『おう、わかっとる。おおきにな。』


寒さで足早に行き交う平日、日曜はしばしゆっくり歩く。
普段は見えなかった風景がある。

駅前の休診医院、ガラス越しに行き交う人を見つめるワン公に。
私 『ヨッ、今日は人が少なくて寂しいな。』


熱く、熱く。   でも泣いて。
強く、強く。   でも弱い。

人間臭く、泥っぽい大阪の街でこそ、生きてゆける。



................................................................................................................


今回はこれでオシマイ。


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