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【社説】

憲法を考える 戦死と向き合う覚悟は

 安倍晋三首相は憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使解禁を目指します。戦場で死ぬことのない政治家に自衛官の戦死と向き合う覚悟はあるでしょうか。

 二〇〇三年三月、米国のブッシュ政権は「フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っている」との根拠のない情報をもとにイラク戦争に踏み切りました。世界に先駆けてこの戦争を支持した小泉純一郎首相は同年十二月、「日米同盟、信頼関係を構築していくことは極めて重要だ」と述べて自衛隊のイラク派遣を決定しました。

 翌年、防衛庁人事教育局長(当時)が首相官邸に来ました。「『万一の場合、国葬をお願いしたい』と自衛隊が言っています…」

◆文民統制への不信感

 内閣官房副長官補だった柳沢協二氏が覚えていました。「死者が出れば内閣が吹っ飛ぶ。なぜ自衛隊は葬儀のことを最初に考えるのか奇妙に思った」

 自衛隊をイラクへ派遣する法律は〇三年七月すでに成立、米国に年内派遣を伝えるのは確実でした。しかし、十一月に予定された衆院選で争点にしたくない官邸は沈黙、何の指示も出しません。現地調査もできず、困り果てた陸上自衛隊は戦闘死した隊員の処遇について極秘に検討したのです。

 政府を代表して官房長官がクウェートまで遺体を迎えに行き、政府専用機で帰国、葬儀は防衛庁を開放し、国民が弔意を表せるよう記帳所をつくるという案です。

 当時、陸上幕僚長だった先崎一氏は「死者が出たら組織が動揺して収拾がつかなくなる。万一に備えて検討を始めたら覚悟ができた。国が決めたイラク派遣。隊員の死には当然、国が責任を持つべきだと考えた」。政治家は自らの立場を優先させて自衛隊のことは考えない、という不信感がうかがえます。政治が軍事を統制するシビリアンコントロールはあてにならないという困った教訓です。

◆「撃たれたら騒がれる」

 先崎氏から三代後の陸幕長になった火箱芳文氏は〇九年六月、ワシントンにあるウォルター・リード陸軍病院を訪ねました。ベッドで半身を起こし、待ち構えていた兵士がイラク戦争で負傷し、手足を失っていたのを見て、たまらず抱きしめたそうです。

 退役軍人省へも行きました。陸軍病院や退役軍人省への訪問は日本の制服組トップとしては初めて。火箱氏は「今後、どのような海外派遣があるか分からない。米軍の実態を自分の目で見る必要があると感じた」。退役軍人省は、二千五百万人にも及ぶ退役軍人に各種給付や医療・リハビリ業務を提供し、アーリントン国立墓地を除く国立墓地を管理しています。

 自衛隊には戦死者や戦傷者がいないので、日本に退役軍人省に相当する役所はありません。退官した後は、他の国家公務員と同様に国家公務員共済組合から年金が支払われます。第二次世界大戦後も戦争を続ける米国と、戦争を放棄した日本では国のシステム面でも大きく違っているのです。

 イラク派遣で空輸を担った航空自衛隊の将官は〇六年九月、首相官邸へ出向きました。C130輸送機が首都バグダッド上空へ差しかかると地上からミサイルに狙われていることを示す警報音が鳴り響くという危険な状態にあることを報告するためです。

 「多国籍軍には月三十件ぐらい航空機への攻撃が報告されています」と伝えると、当時の安倍晋三官房長官は「撃たれたら騒がれるでしょうね」と答えたそうです。

 本紙の取材に将官は「怖いのは『なぜそんな危険なところに行っているんだ』という声が上がること。政府が決めた通りの活動を続け、政治家に知らんぷりされてはかなわない」と話しました。

 安倍政権は憲法解釈を見直して、集団的自衛権の行使解禁を目指しています。武力行使を避けたイラク派遣でさえ、政治家の責任のとり方をめぐり、制服組には不満があるのです。

 石破茂自民党幹事長は四月五日の民放テレビ番組で、アフガニスタン戦争で集団的自衛権を行使した国の軍隊が多数の死者を出したことから「日本にその覚悟があるか」と問われ、「政治が覚悟しなきゃいけない」と答えました。

◆もてあそばれる解釈

 米国、英国、韓国の大統領や首相が自国の兵士を激励するためイラク訪問する中、当時の小泉首相や安倍官房長官、防衛庁長官だった石破氏は十三回二十二発ものロケット弾攻撃を受けた陸上自衛隊の宿営地を視察することなく、終わりました。

 戦争を知ろうともせず、机上で勇ましい夢を語る政治家が憲法解釈をもてあそぶ。空疎なシビリアンコントロールが取り返しのつかない事態を招こうとしています。

 

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