選挙:松山市議選 旧中島町の“灯”残る 候補乱立…1人は当選 /愛媛
毎日新聞 2014年05月01日 地方版
松山市議選の隠れた注目点は、旧中島町地区から引き続き市議が選出されるかどうかだった。有権者約4100人の小さな町から現職1人と新人2人が立候補した結果は、新人1人が初当選し現職と別の新人が落選という形で終わった。旧中島町の代表が残ったことに、住民たちは安堵(あんど)した。
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旧中島町は松山市に2005年に編入合併されるまで、16人の町議がいた。合併後初の任期満了による市議選となった06年の選挙では、山本昭宏氏(60)が同町を地盤とする候補として唯一立候補し当選した。
しかし今回は、山本氏に加え、漁協組合長の松本博和氏(53)と建築会社社長の橋村民生氏(43)=いずれも無所属=の2新人が立候補した。理由は自民の“お家騒動”。山本氏は自民公認で10年の選挙を戦ったが、当選翌月、新会派「松山維新の会」結成に参加し、後に党県連から除名処分を受けた。
自民陣営が同町を地盤とする候補者擁立を進めたところ松本、橋村両氏が手を挙げた。推薦候補には松本氏が選ばれたが、橋村氏は「先に手を挙げたのは私」と引かなかった。自民党松山支連の幹部は「調整に失敗した」。
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当選ラインが約2700票だった市議選。松本氏は島以外からの票も積み重ね、3155票を獲得、43人中34位で当選した。松本氏は「現状は厳しいが、島の第1次産業を育てたい」と語る。
1980年ごろまで1万人を超えていた人口は、その後5年ごとに約1000人のペースで減少。基幹産業のかんきつ栽培はピーク時の約80億円から16億円に減少した。離島部の救急患者を搬送する消防救急艇が運航を始めるなど合併の恩恵もあったが、合併後も町の衰退には歯止めがかからないのが現状だ。
島唯一の薬局を営む浜田民造さんは「1人はどうしても通ってほしかった。新議員には島を一歩でも前に進めてほしい」と話す。【伝田賢史】